6
隠れ桜の木が遠目に見えてきた。こっちの桜も緑に染まっているみたいだ。
桜の木の全景が見えてきたところまで歩いて、一度立ち止まった。
「誰だろう?」
桜の木の下で、座っている人がいた。地面にレジャーシートでも引いて、ピクニックでもしているのだろうか?
少し距離があるからなんとも言えないけど、誰かいることは間違いない。
てっきり、誰もいないと思っていたから、当てが外れた。
引き返すべきか迷いながら、さらに桜の木に近づいていく。
葉桜も綺麗であることに間違いはないけど、こっちの桜は、満開の時の雰囲気があまりにも印象的だったから、少し地味に見えてしまう。
穏やかな風が通り過ぎた。
ここ最近は、朝は寒くてもお昼は暖かい。今日は適度な風があるから絶好のピクニック日和なのかもしれない。
こういう日に目一杯運動をして風に当たったら、流した汗と一緒に爽やかな気持ちになれそう。普段、運動はしないけど、身体を動かしたくなってきた。
さらに歩いていくと、顔が確認できるくらいまで近づいていた。
ちらりと顔を確認したけど、一瞥した限りだと見覚えのない、ショートヘアの女性の女性だった。
人の良い、穏和そうな雰囲気が好印象だった。
どんな人なのか少しだけ興味を持ったけれど、人と話す気分になれないままなので、思考の隅に寄せた。
ここで帰るべきか、桜の木の下まで行こうか、周りを見回していると、その女性と目が合ってしまった。
一瞬びっくりした。向こうもびっくりしたのかもしれないけれど、すぐに優しげに微笑まれた。
気まずくなって曖昧な笑顔を返しながら、軽く会釈もしておく。
振る舞いはその人の心を表すと聞いたことがあるけど、軽く顔を合わせた人に対して、気まずそうにしか返せない自分が情けない。
人と目を見て話せるようになれたら、少しは変われるだろうか?
今の人みたいに嫌味なく気楽に振る舞える人間になりたい。どういう心持ちでいれば、あんな風に振る舞えるんだろう?
帰ろう。ここで、こんなことを考えても仕方ない。
踵を返すと、次はどこへ行こうかと考えながら隠れ桜を去り始めた。
人がいない場所は少ない。その数少ない場所の中でも、心が休まって気兼ねない場所と言ったら、結局、家しかないのかもしれない。
「すみません、もし良かったら、一緒にお茶しませんか?」
後ろからいきなり大きな声で言われた。
振り返ると、さっきの女性が、友達同士が出会った時みたいに手を振っていた。
もしかして知り合いだった?
気が動転して気後れしていると、女性が立ち上がって、こちらに近づいてきた。
途中で滑って転びかけながら、けんけんぱをするようにこちらに向かって歩いてくる。
「わ! 危ない! 危ない!!」
素っ頓狂な声を上げる女性に向かって、気がついたら手を差し出していた。差し出した手が、掴まれた。
「大丈夫ですか?」
目の前の女性と目が合ってしまった。慌てて視線をそらした。
胸がドキドキする。
とっさの行動だった。
ついつい、助けてしまった。
「ありがとう」
目が合わないようしながら、努力して女性の顔を見ると、にこりとした顔をしていた。
さっきまで離れていた距離が、一気に縮まってしまった。
「お礼と言ってはなんだけど、ここで一緒にお茶しませんか?」女の人は、年上のようだけど、そこまで年は行ってないように感じた。
「これも何かの縁ってことで、ね?」
優しげな笑みを浮かべていた。思っていた印象と大分、違う。
やっぱり怪しい人のような気がする。
だけど、どこか変なところに連れて行かれるわけではないようだし、お母さんに似ているように感じるからか、断りづらい。
「わかりました…」
こういう、無邪気な子供のように放っておけない雰囲気の人には弱い。
「よしっ! 一名様ご案内〜!」
まあ、騙されたとしてもひどい目にはあわないだろう。少し、楽観的すぎるだろうか?
Tシャツとジーンズ姿の子供みたいな女性の後についていった。
「ようこそ! 陽だまり喫茶へ!」
やっぱり、騙されたのかもしれない。
シートの上に座布団とティーカップと古そうなトランクが置いてあった。
それだけでは、どう見ても喫茶店には見えない。
「座布団を用意するから待ってて」
そう言うや否や、トランクから座布団を取り出して床に敷いてくれた。
「さ、座って、座って」
「ありがとうございます…」
シートの前で靴を脱ぐと、勧められるままに用意された座布団の上に座った。目の前に桜の木の幹が見えた。
対面にあったもう一つの座布団にはお姉さんが座った。
「ピクニックをしてたんですか?」
「う〜ん、ピクニックと言えば、ピクニックかな」
歯切れの悪い返事。
お姉さんはまたトランクを漁っていた。
「飲み物は何飲む? 一応、珈琲と紅茶があるけど」
2本の魔法瓶を手に持っていて、右手の瓶には珈琲、左手の瓶には紅茶と書いてあるラベルが張ってあった。
珈琲も紅茶も、普段飲まないからよくわからない。
「珈琲と紅茶、どちらがおいしいですか?」
「私はどちらかと言うと紅茶派だけど、こういうの好みだからね」うーんと唸りそうな顔をしている。
「うーん、じゃあ、珈琲でお願いします」
「珈琲ね。わかった」
左手に持っていた瓶をしまい始めていたお姉さんを観察する。
「あっ、烏龍茶もあるけど、どうする?」
「珈琲でお願いします」
今さら変えてもらうのは、なんだか格好悪い。
「かしこまりました! しばらくおまちください!」
悪い人には見えないけど、いまいち、よくわからない変な人だ。
お姉さは、ティーセットが入っているケースから新しいティーカップを取り出すと、慣れた手つきでカップに珈琲を注いでいた。
「はい、どうぞ。珈琲カップじゃないのはご愛嬌でお願いします」
お皿の上に、珈琲の入ったカップとスプーンが乗せられた後、シートの上に置いてくれた。
「ありがとうございます」
「砂糖とかはいる?」
お姉さんが、スティックシュガー二本を取り出していた。
「あ、大丈夫です」
コーヒーを一口、飲んだ。
に、にがい。ブラックはやっぱり苦い。こんな苦いものを飲める人は、一体どんな味覚をしているんだろう?
でも、苦いだけじゃない何かもあった。
「私はコーヒーのおかわり」
お姉さんは自分のカップにもコーヒーを注いだ後、スティックシュガーを二本入れて、スプーンでくるくると回していた。
「そのまま飲むのは無理。砂糖二本」にこにこしていた。
見栄を張るのはやめよう。
「やっぱり、砂糖ください」
「何本入れる?」
「二本お願いします」
スティックシュガーを二本受け取ると、お姉さんに倣って、ぐるぐるかき回した。
試しに飲んでみる。
「うん」
前より甘くなって飲みやすい。
顔を上げると、お姉さんと目が合った。優しげに微笑んでいた。
どう反応していいのかわからなくなって、視線をカップの中の黒い水面に移した。
この人、執拗に目を合わせようとしてきている。
目を合わせてくる人は苦手なんだけど。
コーヒーを少し口に含んだ。
なんとなく、沈黙が辛い。
「コーヒーとか紅茶に詳しいんですか?」
「詳しいと自信を持って言えるほどじゃないけど、一応、喫茶店の店員だから、ある程度はね」
「喫茶店、ですか?」
「そう。喫茶店店員兼マジシャン兼占い師兼詐欺師兼カウンセラー」
「は!?」目が点になり、お姉さんの顔を見ていた。相変わらず、にこにこしていた。
また顔が合ってしまった。慌てて、見る場所をシートに移した。
仏頂面の人ならまだしも、微笑んでいる人は余計に顔を合わせづらい。
「兼業されているんですか?」
「まあ、喫茶店以外は自称なんだけどね」
わ、わけがわからない。
「は、はあ……」
もしかして、からかわれてる?
「せっかくだから、占ってあげましょうか?」
え? 占い?
「…大丈夫です。占いは信じてませんし」
手を軽く振ってきっぱりと断った。
「まあまあ、そう言わず。手をちょっと見せてもらうだけで良いから」お姉さんは、コーヒーをシートの上に置くと、座ったまま身を乗り出してきた。
「いや、ちょっと」
「お願い。実は占い修行中だから、誰でも良いから見たいの」
手のひらを合わせられて、頭を下げられた。
お願いされると断りづらい。
見るからに騙す気満々そうな人なら断りやすいんだけど、そういう風には見えない。
「うーん、わかりました」
「わ〜、ありがとう」
いちいち大喜びするのはやめてほしい。次からも断りづらくなる。
「じゃあ、手のひらを見せてもらっても良い?」
「はい。どちらの手を出せば良いですか?」
「じゃあ、両手のひらを出してもらっても良い?」
「わかりました。どうぞ」
コーヒーをシートの上に置いた後、お姉さんに両手のひらを差し出した。
「協力、ありがとうございます。あなた、綺麗な手をしているね」
目を細めて手のひらを見るお姉さん。
「そうですか? 自分ではそうは思わないんですけど」
「うん、綺麗な手だと思うよ。すごく滑らか」
そう言って、さすさすと触ってくる。ちょっとくすぐったい。
「うん、ありがとう」
そう言うと、お姉さんの手が離れていった。
「何かわかりましたか?」
「あなたが未来について悩んでいることがわかった」
「未来について悩んでいないのは子供くらいじゃないですか?」
「子供だって未来について悩んでるよ?」
「手相でそんなことわかるんですか?」
「さあ? 私、手相はよく知らない」
えっ? 手相を見てたんじゃないの?
「…手相占いじゃないんですか?」
素っ頓狂なことを言うのには慣れたので、最初よりは驚かずにすんだ。
「うん。私のは手相占いじゃないよ」
「じゃあ、なんで手のひらを見たんですか?」
「うーん、本当は、手のひらじゃなくても良いんだけど、私の場合、手のひらが一番、わかりやすいから」
「えっと、何を見てるんですか?」
「見ると言うより感じると言ったほうがいいかな」
「感じる?」
「うん。生命のエネルギーって言えば良いのかな?
その時々で量や性質が違うんだけど、人や犬や猫のような動物、木や花などの植物、茶碗や時計などの器物。どんなものにも流れていているエネルギーがあるんだけど、それを感じて読む」
一気に宗教というか、オカルトみたいな話になってきた。
「エネルギー、ですか?」
「特に、心がある存在が流しているエネルギーは複雑で、動物や、普通に生きている植物のものと違って、多くの感情が乗っている。
逆に器物は、ものすごく読みづらい。というか、今のところ読めたことがない。エネルギーの通る脈はあるみたいなんだけど、うまく繋がれない」
「いろいろ乗ってるんですか?」
「そう。すごく大雑把に括ると喜怒哀楽の四種類。
喜んでいる時はぱーって感じで、
怒っている時はどー、
哀しい時はすー、
楽しい時はわーって感じの性質がエネルギーに付与されている」
何を言っているのか、全然わからない。
「じゃあ、相手が何を考えているのかもわかるんですか?」
わかるなら、それはまずい。
「ほとんどわからないよ。犬猫みたいな動物とかだったらわかりやすいんだけどね。あの子達は、本能に忠実だから」
さっきまでの気持ちが筒抜けになってしまってなくて、よかった。
「心って結構すごいんだよね。大抵、いろんなことを同時に感じていて、それらが混ざりあってエネルギーに乗っている。
そのまま読み取ると、濁流みたいでぐちゃぐちゃだから、その人の中でも特に強い感情だけを読み解く。ただそれだと、その人が感じていることの全部はわからない。だからわからない」
心はすごいということくらいしかわからない。というか、やっぱり変な人だ。
「さらに言うと、その人の考えていることそのものじゃなくて、そこにくっついている感情を読み取っているだけだから、思考の内容までは読み取れてないと思うよ」
「いまいちピンとこないんですけど、相手の考えていることはわからないということですか?」
「もしかしたら、もっと働きかければ、そこまで読み取れるかもしれないけど、深入りすると飲み込まれそうだから」
超能力の話だったんだろうか?
「後、感情を垂れ流しやすい素直な人は、触れなくてもその人の雰囲気だけで、この人苛ついてるな、楽しいんだろうなっていうのは感じられるよ」
お姉さんは長々と話して喉が渇いたのか、コーヒーを飲み始めていた。
「…小説か何かの設定ですか?」
「そう思われても仕方ないよね〜。私は、心の病気か何かなのかもしれない」
あっけらかんとしていてまるで気にしてないに見える。
「でも、あなたも私のこと『変な感じの人だ』とか思ってたでしょう? そう言う言い回しが出るってことは、みんなそう言うのを読み取る能力自体はあると思うんだけどな」
正直、途中からついていけなくなっていた。
このままこの話を続けるとまずい。収拾がつかなくなりそうだ。
「このコーヒー、お店で淹れたものなんですか?」
強引ではあるけど、話を変えさせてもらう。
「うん、そうだよ。お口に合わなかった?」
「いえ、コーヒーはあまり飲まないんですけど、すごく飲みやすくておいしいと思ったので」
「そう? ありがとう」
「このコーヒーは知り合いのアルバイトの子が淹れてくれたコーヒーなんだけど、今の言葉を聞いたら喜びそう…」お姉さんはカップの側面をさすりながら、嬉しそうにしていた。
「喫茶店はここら辺にあるんですか?」
「んっ? 違うよ。もっと遠く」
「もしかして、以前、この辺に住んでいたとか?」
「正解。でも、なんで?」お姉さんは不思議そうな顔していた。
「この木は、ここら辺に住んでいる人しか知らない穴場だと思っていたので」
見上げると、緑色の葉っぱをつけた枝が風に揺れていた。
「ここを知っているということは近所の人かなって、最初は思ったんですけど」
「すごい。探偵さんみたい。昔住んでいた縁で、年に何度かこうして会いに来てるんだ」
お姉さんも桜の木を見上げていた。
ヒュー。風が通り過ぎる音が聞こえた。
会話が止まった。
不思議な気分。今日会ったばかりなのに、緊張がなくなっている。
いつも初対面の人と話をすると、会話が途切れないように必死で話題を探していた。それを繰り返してしまうから、初めて会った人と話すとすごく疲れるし、楽しいとは思えなかった。
なんとなく、ここで終わらせたくない。
「そういえば、今日はどうしてここに?」
お姉さんが、突然、こちらを向いて言った。
「へっ?」
「どうして、ここに来たのかなって思って」
「どうして、ですか?」
「そう。ここら辺って、桜が散ってる時期は誰も来ないと思ってたから。毎年この時期にここで誰かと会ったことはなかったと思うし」
迷う。家にいるのが怖くなったからここに来たなんていったら、この人は笑うだろうか?
そもそも、さっき会ったばかりの人に、こんなことを言って引かれたりしないだろうか?
お姉さんのほうを盗み見た。
どこか宙を見つめているようだった。
涼しげに微笑んでいるように見える横顔は、どこか陰があって、ミステリアスで、さっきまでとは別人のようだった。
なんていうか、浮いている。
さっきまでは、ほんの少し年上の人と話しているような感じだったのに、別の世界の人みたいで、距離を感じた。
「…内緒です」なんとか一言絞り出した。
「えー、ケチ」
「ケチと言われても…」そこまで食いついてくるとは思わなかった。
「うそうそ。変なこと聞いちゃってごめんね」
お姉さんはバツの悪そうな顔をしていた。
「なんとなく気になっただけだから」
言いながら、ポケットから何かを出して、見つめていた。
「っと、もうこんな時間」今出したのは懐中時計?
「ごめんなさい。この後ちょっと用事があるから、ここでお開きにしてもいい?」
お姉さんはすごく申し訳なさそうな顔をしていた。
「あ、はい、わかりました」
急いで、コーヒーを飲んだ。
「こっちから誘っておいてごめんね」
お姉さんが、ティーカップを片付けを始めた。
「いえいえ、そんな。手伝います」
片付けを手伝った。
お姉さん曰く、レジャーシートは、折り畳みやすい蛇腹タイプのほうが良いらしい。
「ありがとう。短い時間だけど楽しかったです」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「それじゃあ、行きましょうか」
「はい」
お姉さんと一緒に、隠れ桜を後にした。
落ち始めた太陽が照らす道を、お互いに無言で歩いた。
「私、こっちだから」
お姉さんが岐路で立ち止まったため、一緒に立ち止まる。
「あっ、そうなんですか。いつまで、こっちにいるんですか?」
「決まってないんだけど、後、二、三日くらいかな」
「ゴールデンウィークの終わりくらいまでですね」
「そういえば、そうなるね」
話が途切れた。そろそろお別れかな?
「明日は暇?」
「えっ?」どういう意味?
「なんでもない。それじゃあ、さようなら」
お姉さんは軽く手を振りながら、道を歩き始めていた。
それ倣うように手を振った後、家路についた。
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