B級能力者相談所〜だから電気代を払う前に家賃を払いなさいって言ったでしょ!!〜

あきらさん

第1話 弄ばれる事 山のごとし


「次の方どうぞ」


 ゆっくりと相談所に入って来たのは、20代前半と思われる暗い顔をした男性だ。

 左足にギブスをし、松葉杖をついているその男は、右腕も折れているせいか三角巾もしていて、首周りも火傷の跡が凄かった。

 ソファーに座るのも一苦労という感じだったが、何とか腰を据えて一旦は落ち着いたようだ。ニット帽を脱いだその男の頭は、サイドだけが肩まで伸びた長髪で、真ん中がハゲ上がっている。そして何故かそのオデコには『無傷』というタトゥーが入っていた。


「ま……待合席で書いていただいた、問診票を見せてもらってよろしいですか?」


 僕は心の中で「どないやねん」と思いながら、恥ずかしそうに渡す問診票をその男から受け取り、そのまま先生に渡した。


「谷木田 ヘーゼルさん。22才」


「はい」


 小さくて聞き取りにくかったが、返事をしたその男の声は、明らかに喉が枯れていた。


「ちなみに、ここは病院じゃないという事は分かっていますよね?」


「は……はい」


 確かに、端から見たら、ただの怪我人が病院に通院しているように見えるだろう。


「現在は所属なし。出演経験もゼロ。

 異能力者として開花してからは、メジャーでの活動は、ほぼ何もしていないという事でよろしいですか?」


「はい」


「希望としては『やられ役やモブキャラの中の1人でも良いが、出来ればメインキャストの1人に入りたい』という事ですね」


「はい」


「いくつかオーディションは受けましたか?」


「はい。ワ○ピースや僕のヒーロー○カデミア、ジョジョの奇妙な冒○などを受けましたが、書類選考で落とされました」


「でしょうね」


 相変わらず先生の言う事はきつい。

 ボクもこの相談所で助手を努めてもうすぐ2年になるが、先生の言葉でどれだけ傷つけられた事か……。


「ここに書かれているあなたの能力ですが『全力でダッシュすると眉毛がつながる』という事でよろしいですか?」


「は…はい。それ以上でも、そ…それ以下でもありません」


 そう!ここにはこういう、他の漫画では使いようのない能力者(B級能力者)が、働き口を探しに、相談にやって来るのだ!

 そして、そのアドバイザーのスペシャリストとして、この相談所「サテライトキングダム」の医院長を努めているのが、僕の憧れの人『柊京子先生』だ!


「ちなみに今は結構な怪我をしているようですが、全力で走る事は出来るんですか?」


「だ……大丈夫です…。実はこの左足は、もう殆ど治っているんです」


 ギブスをはめたその左足を良く見てみると、そこには友達が書いたであろうと見られる落書きで『買う時はいつも10箱分』と書かれていた。

 何の事だか意味が分からなかったが、谷木田さんは持っていた松葉杖で思いっきり自分の足を叩き、ギブスを真っ二つに割った。

 痩せ細って、女子高生のようにツルツルになったその左足にも、落書きで『のど飴』と書かれていた。

 僕は、一箱何個入りののど飴なのか気になったが、京子先生はノーリアクションで問診を続けていた。


「あなたの能力ですと、バトル向きでは無いので、職種の方が限られてしまいます。ご希望の仕事を探すのは、かなり難しいと思われますので、少しハードルを下げたいのですが」


「は…はい」


「谷木田さん自身がどうしても譲れないという条件を三つだけ挙げて下さい。それを元にお仕事を探させていただきます」


「わ…わかりました。えっ…え〜と…一つ目はやはり、この能力を活かした仕事だという事です。人には真似出来ない事をやりたいです。

 二つ目は、いずれ大金を掴める、夢のあるプロスポーツのような仕事が良いです。下積みの間はコツコツやりますが、その先に希望が無いと、ずっとは続けられません。サラリーマン的な仕事は無理です。

 三つ目は、えっ…え〜と…あの〜…出来たらで良いんですが………」


「何でしょう?」


 少し間を空けた後、谷木田さんが、恥ずかしそうに口を開く。


「その〜………男の子が沢山居る職場だと嬉しいのですが………」


 僕と京子先生は顔を見合せ、少しの間、珍…沈黙が流れる。


「少しお時間を頂いてよろしいですか?」


「はい…」


「ご希望に合ったお仕事があるか、お調べしますね」


 京子先生はそう言うと、『目覚まし時計の音がロシアの子守唄』というロゴの入ったTシャツを着た谷木田さんを残し、奥の部屋へと入って行った。


「柳町君!ちょっとこっちへ!」


「はい!」


 奥にある京子先生の部屋に入ると、外観からは想像もつかないようなハイテク機器が沢山置いてあり、その部屋のど真ん中で、京子先生がヨーガでやる猫のポーズをとっていた。


「あなた、あの変態に狙われていたの気付いてる?」


「えっ?僕ですか?」


「そうよ。この相談所に入って来た時から、ずっと新右衛門君を見てたわよ」


「急に下の名前で呼ばないで下さい…(恥ずかしい…)」


 それにしても全然気付かなかった…。

 言われてみれば、良く目が合っていたような気はするが…。

 確かに僕だったら、こんな綺麗な先生を目の前にしていたら、助手の男になんか目もくれないか…。


「まぁ、それはそうとして、谷木田さんの働き口は見つかるんですか?」


「ある訳ないでしょ。あんな柳町君みたいな辛気臭い変態に」


「ちょっと!谷木田さんと一緒にしないで下さいよ!僕は辛気くさくないし、変態でもない!それにちゃんとした女性、いや……が好きです!」


「あら。それは誰の事かしら?新右衛門君?」


 いやらしい目つきで僕の顔を覗き込みながら、京子先生はあからさまに弄ぶ。


「まぁそれは冗談として……」


 冗談……。


「彼の仕事先に宛てが無い訳でも無いわ」


「そうなんですか?」


 実際の所、意外と怪我は大した事なさそうだとはいえ、あんな無茶苦茶な条件でも仕事先を探せるなんて、さすが京子先生だ。

 そういえば、以前の相談者に半透明になれる能力者がいたが(体は透明になれるが内臓が丸見えの能力)、彼には有無を言わさず理科室の人体模型のバイトを斡旋し、最終的には手術の時の練習用教材として、大きな病院に就職が決まっていた。彼からは今でも正月になると、年賀状が届く。


 とにかく、京子先生のネットワークは侮れない。詳しい事は分からないが、京子先生自身も何かの能力者らしく、その手の人達には顔が広いのは確かだ。


「それで、具体的にはどんな仕事があるんですか?」


「柳町君。こういう難しい条件の時、どういう風に探したら良いか分かる?」


「分かりません」


「さすが新右衛門君!何も考えずに即答ね!私が見込んだだけの事はあるわ!」


「ほ…褒められてるんですか?」


「勿論、けなしているのよ」


「…………」


「私はあなたのそういう所が大好きなのよ!」


「そ…そういう所とは…?」


「基本的に、全く考えない所よ!」


 そんな事は無いと思っていたが、そこまではっきり言われると、なんだか否定出来なかった…。


「では、脳ミソが猿以下のあなたに教えてあげる!まぁ普通に考えれば分かる事だけど、一番難しいと思われる条件から探してみるの!」


「なるほど……」


 猿以下ではないとツッコミたかったが、話の流れを止めたくなかったので、とりあえずここは流した…。


「だから、この条件の中で一番難しいのは『全力で走ると眉毛がつながる能力を活かす』と言う所。そして彼の問診票を見ると、全力で走れる時間は約20秒!」


「短っ!」


「そう!眉毛が繋がっている時間が、たったの20秒なの!そもそも眉毛うんぬんの前に、20秒全力疾走するだけの仕事なんてあると思う?」


「ないと思います!」


「そうでしょ!本当にバカなんじゃないかしら!誰に似たんだか!助手の顔が見てみたいわ!」


「僕には似てません!」


「本当かしら〜」


 また京子先生が、いやらしい目付きで覗き込むように、僕の顔を見つめる。

 僕はその度にドキドキしてしまう。もう嬉しいやら悲しいやらで、僕の鼻の下は20年着たTシャツの首周りのように、信じられないほど伸びていた。



「ケンチャナヨ〜ケンチャナヨ〜」


 聞いた事の無い小さな音(声?)が辺りに響き渡る。


「!?

 なっ!?

 なんですか!?

 この気色の悪い音は!?」


「もしもし、京子です。」


 ただの着信音だったようだ。


「どうしたの?ジョニー。今日は日本語ね」


 ジョニーさんというのは、京子先生と古い付き合いらしく、異能力業界の事にも詳しい。

 具体的には何の仕事をしているのか分からないが、異能力業界と京子先生のパイプ役のような事をやっているみたいだ。

 僕も数えるほどしか会った事が無く、話しやすいお兄さんというような感じの人なのだが、実は僕が苦手なタイプなのだ。


「だからその話は何度も言ってるじゃない!

 先にを払ってからを払いなさいって!!」


 何の話をしてるんだろう……?


「そんな事より、私もあなたに相談があったのよ!実は、私の事をいやらしい目で見る、変な助手がいて本当に本当に困っているの!」


「ちょっと!京子先生!!」


「何よ、柳町君。私を困らせてはいるけど、いやらしい目では見ていないとでも言いたいの?」


 これも否定出来ない……。


「まぁそれは冗談として……」


 やっぱり冗談…。


「ジョニーは20秒だけ働く仕事なんてあると思う?えっ?僕を誰だと思っているって?ジョニーじゃないの?」


 そういう意味じゃないと思うんですけど……。


 何で急にバカになったんだろう……。


「あら、やっぱりあなたジョニーじゃなかったのね」


 嘘!?違ったの!?


「日本語で喋るから、おかしいと思ったのよ。いつもは韓国語なのに」


 それで、着信音がケンチャナヨだったのか!眉毛じゃないけど繋がった!


「じゃ、あなたは誰なの?韓国人なの?中国人?あ〜アジア人なのね!」


「範囲が広い!!全然誰なのか特定出来てないですよ、京子先生!!」


「私、アジア人には興味ないの!一部の変な助手を除いて…」


「………!」


 そう言うと、京子先生は電話を切り、今度は自分で考えたというハシビロコウのポーズをとった。


「結局の所、ただの間違い電話だったわ」


 長い事、間違い電話で遊んだが、谷木田さんの問題が全く解決していない。


「そう!谷木田さんの事で私が一つ思いついたのは、CMなの!」


 CM!?

 そうか!

 あれは確かに出演時間は2~30秒で済む!

 眉毛がつながる事でのインパクトも何かに使えそうだ!


「それは良い考えですね!」


「そうでしょ!『眉毛がつながる!電話もつながる!』みたいな、ネットワーク関連のCMから、育毛関連のCMまで出来ると思うわ!」


「なるほど!」


「最悪、両津勘○だって言い張るのも良いかも知れない!」


「それはダメだと思います」


「そうよね。連載終わっちゃったしね」


「そういう問題じゃないですけど……」


「どっちにしろ、一発芸的な事でしか無いから、芸として磨き上げて行くしかないのよね」


「確かに」


 そう言うと京子先生は、電話とパソコンをフルに使い、CM関係のコネを探しまくった。そして、目ぼしい所をいくつかピックアップし、わざわざ3mくらい離れた微妙な距離から、iPadを使って谷木田さんに紹介している。

 端から見たら、ただの目の検査だ……。


 僕は待合室に居る相談者のチェックをし、問診票を配ったり集めたりして、次の診察に備えていた。谷木田さんが頭を下げながら部屋を出た後、僕の顔を見てニヤリと笑い、去っていった。良く考えると、男好きの条件をクリアしていなかったので、去り際の笑顔が凄く気になり、嫌な予感がしたが、とりあえず僕は次の患者さん……いや相談者を呼んだ。


「次の方どうぞ」


 今日の診察は彼女で3人目。

 午前の部はとりあえず彼女で最後だろう。

 1人1人丁寧に対応している為、あまり多くの病人……いや患者さん……いや相談者を捌く事が出来ないのが現状だ。


「新右衛門君」


「はい」


「………?」


 京子先生は彼女の顔をじっと見た後、僕にアイコンタクトを送った。僕もその合図でピンときて、部屋を出る。


「お待ちの相談者の方々。大変申し訳ございません。急遽、先生のご都合により、本日の診察は午前だけとなりました。すみませんが、午後はお休みとさせていただきます」


 僕は京子先生の指示通り、不満顔で睨まれた芸人…いや病人…いや患者さん…いや相談者達に、揚げたてのコロッケを配り、待合室に居た人達全員をなんとか帰らせた。

 僕は相談者に温かいお茶を出し、少し遠目から2人を見守った。京子先生は、彼女が喋り出すまで、じっくり待つつもりだろう。


 彼女の名前は、黒川 桃子。20才だという事以外、問診票には何も書いていない。その容姿は、美人というよりも可愛い系だか、暗そうな性格でオシャレにはあまり興味が無いようだ。どこぞの野ブタのように、まだ磨けば光るのに、勿体無いと僕は感じてしまった。元々の性格は分からないが、雰囲気の重さから察するに、他の人には無い、何か大きな問題を抱えているようだった。


「えの〜……」


 突然喋り出した彼女は、緊張し過ぎて、「あの〜」を噛んでしまったようだ。


「わ……私、今、赤い人達につきまとわれているんです…」


「赤い人達?」


「はい…。私の能力を狙っているんだと思うのですが、とにかく私の事をつけまわすんです。今でも外に、2人組の男が見張っています」


 黒川さんは窓際に歩み寄り、窓の外を指さした。


「ほら!あそこに居る、真っ赤なスーツを着た2人組です!」


 窓の外を見て見ると、確かにそこには赤いスーツを着た2人組が立っていた。あの2人組は、隠れようとしているのか目立とうとしているのか全く分からん……。


「あいつらは一体何者なの?」


 重い雰囲気のまま、暗い表情で黒川さんは答える。

「真っ赤なスーツに真っ赤なサングラス。その色はターゲットにした相手の返り血だと恐れられている闇組織。通称『ブルーハワイ』」


「どっち!!?」


 赤いのか青いのか白黒はっきりしていないので、つい本気でつっこんでしまったが、2人は黄色い目で僕を見ていた。


「あいつらがブルーハワイ!?本当に存在していたのね。ただの噂だと思っていたわ」


「京子先生、知っているんですか?」


「ええ。私もこの業界で7年近く働いているけど、まだ駆け出しだった頃に少しだけ耳にした事があるわ」


「一体どんな奴らなんですか?」


「口の中が青くなるの」


「本物のブルーハワイじゃん!しかも、かき氷のやつ!!」


「さっきあいつらが、黒川さんの能力を狙っているかも知れないと言っていたけど、あなたの能力って一体何なの?」


 そう!大事なのはそこ!

 ブルーハワイという組織のやつらも謎だけど、やつらに狙われている黒川さんの能力って一体……。


「まだ誰にも言った事が無いのですが、私の能力は………『舐めた物が黄色くなる』能力です」


 珍……沈黙が流れる。

 いろんな事が頭を駆け巡ったが、話が全然掴めない………。


「彼らが私の前に現れたのは、ほんの一週間前からなんですが、実はその時私……、嘘をついてしまったんです」


「嘘?」


「はい。私は大学の授業を終えた返り道に、真っ赤なスーツを着た3人組の男に突然話し掛けられました……」




 それは、ある晴れた昼下がり………の並木道。

 ソフトクリームと肉まんを食べながら、クレープ屋さんの前で立ち止まろうとした時でした。


「お嬢ちゃん。黒川桃子ちゃんだよね」


「そうですけど……どちら様ですか?」


「お嬢ちゃん。質問をしているのはこっちの方なんだよ」


「そっちの質問には答えたんだ。今度はこっちの番だろが!!ボケが!!どこの組のもんじゃ!赤組か!!」と、ブチ切れそうになりましたが、そこはグッと抑えて冷静に対応しました。


「すみません。これから帰って豚小屋の掃除をした後、登別まで行って卓球の練習をしないといけないので、急いでいるんです」


「お嬢ちゃん。嘘はいけないぜ。もう調べはついているんだ。黙ってこの車に乗ってもらおうか」


 目の前にあったのは人力車でした。

 本当に彼らは、目立ちたいのか隠れたいのか良く分かりませんでした。


「これを見ても、この車に乗らずに帰れるかい?」


 そう言って赤スーツはBIGBA○Gのチケットを私に見せました。


「とりあえず今日は手荒な事をするつもりはない。家まで送る道中、ちょっと話をしたいだけだ」


 私は迷わず人力車に乗りました。

 帰りにいつも食べているたい焼きとメロンソーダを買ってもらい、車内でくつろいでいると、赤スーツは突然ボイスチェンジャーを使って喋り出したんです。


「さぁお嬢ちゃん。さっそくだが、あんた異能力者だろ?」


 私は一瞬、かき…………氷つきました。

 誰も知らないはずの事を彼らは知っていたのです。


「な…何の事ですか?」


「俺達は通称『ブルーハワイ』赤をモチーフとした裏社会の住人だ。怖い思いをする前に正直に答えた方が身の為だと思うが、答えるか答えないかは、お嬢ちゃんの自由だ。ただお嬢ちゃんが異能力者だって事は、ある方法で調べて既に分かっているんだが、一体どんな能力なのかを知りたい」


「………」


「その能力がうちの組織にとって有益なものになるのか、脅威になるのか、うちのボスが知っておきたいと言っているんだ」


 そこで私は、この場を切り抜ける名案を思い付きました。


「確かに私は異能力者ですが、私は自分自身の能力についてあまり良く分からないんです」


「というと?」


「ただ分かっている事は『私の周り5メートル以内に近づいている人達が、私と長い時間一緒に居ると、なぜか不幸な事が起きる』という事です」


「……!

 ………具体的にはどれくらいの時間なんだい?」


「約1時間です」


「不幸な事っていうのはどんな事なんだい?」


「人によって様々ですが、家の中に居るのに頭に鳥のフンが落ちてきたり、焼き肉を食べていたら魚の骨が喉に刺さったりといった小さい事から、大きい不幸ですと、知らない人にいきなり目を突かれたり、突風で駅のホームに落ちてしまったりと、命に関わる事も多々ありました」


「し………死んだりした奴もいるのかい?」


  私は迫真の演技をしました。


「……そこまでは分からないですが、全て確認している訳ではないので、居ないとは言い切れません……」


「勿論それは自分の意思で能力を発動しているんだよな」


「基本的にはそうですけど、無意識で発動している時もあります」


「ちなみに今は使ってないよな?」


「………」


「それに答える事は出来ませんが、あなた達と会ってもうすぐ1時間が経つのは確かです」


「お嬢ちゃん。あんたの家はすぐそこだ。これをやるから、ここからは歩いて帰りな」


 そう言ってBIGBA○Gのペアチケットを私に渡すと、赤スーツ達は小走りで去って行きました。



「それからというもの、監視するように、毎日私の事を見ているんです」


「そして、今もその状態が続いているって事ね」


「はい」


 京子先生は難しい表情で少し考え込んだ後、意を決したように口を開いた。


「黒川さん。あなたには答えにくい事かも知れないけど、どうしても1つだけ確認しておきたい事があるの」


「はい。何でしょう?」


 かなりの間が空き、突然、場の空気が変わった。宝くじの発表を待つ瞬間というか、受験の合格発表を見る前のような独特な雰囲気が漂い、言ってはいけないような事を言ってしまう前フリの後、京子先生は自分の発言に全注目を向けるような状況を作り、今世紀最大の問題発言をした。



「あなたは、より派なの?」


 どうでも良い〜!!


 もう一回言います。


 どうでも良い〜!!


 確かに甘い物ばかりを食べながらの話だったのに、何故、中華まんだけ甘くなかったのかは気になったけど、このタイミングでそれですか〜!?


「そ……そうですけど、それが何か?」


「私の持論なんだけど、こういうことわざがあるの」


 持論なのかことわざなのか、もはやつっこむ事さえ許されない勢いだった。


「甘い物は甘くあれ。辛い物は辛くあれ。薄い物には醤油をかけろ」


 何が言いたいのか分からず、僕と黒川さんの中で時間が止まった。この瞬間、京子先生の能力は時を止める能力なのかも知れないと思った……。


「今のは年に一度、見れるか見れないかの京子ジョークよ」


 残念ながら、今この状況で、誰も京子ジョークは期待していなかった。


「話を元に戻すけど、奴らはあなたが嘘をついたその能力が、本当の能力だと信じているかしら?」


 良く戻せるな〜……と思いながら、逆に感心してしまった。


「分かりません」


「京子の勘だけど、奴らは警戒はしているけど、まだ本当の能力かどうか確信していなかった気がするの」


「確信していなかった?」


「ここに来る前までは、信じていたかも知れないけど、ここに来た事で疑い始めたかも知れないわ」


「何故ですか?」


 黒川さんは京子先生の話を食い入るように聞いていた。


「ここはそもそも、B級の能力者が相談に来る所なの。相手の命に関わるような、危険な能力を持っている人が来る所じゃないのよ」


 確かに……。


「ただ、あなたの本当の能力の事を知っても、奴らはあなたに固執するかしら?もしかしたら、あなたに興味を無くすかも知れないわよ」


「じゃ、本当の事を言った方が良いんでしょうか?」


「奴らにつきまとわれたくなければ、まずはそれが一番かも」


「そうですよ。まずは本当の事を伝えた方が良いですよ。 嘘は駄目です、嘘は」


「そうよ!柳町君みたいに、平気な顔をして嘘をつくのは駄目よ!」


「京子先生!!僕は嘘つきじゃありません!!」


「あら。じゃ、あなたは誰の事が好きなの?」


 言葉に詰まった…。


「嘘をつかずに言ってごらんなさい」


「そ……それは、言うべき時が来たら言います!」


 僕と京子先生は長い時間にらみ合い、沈黙のままにらめっこ状態が続いていた。途中から変顔対決に発展したが、決着がつかないままになったので、お互い握手をして健闘を称えあった。


「そんな事より、黒川さんは何処へ行ったの?」


 辺りを見回すと、さっきまで目の前に居た黒川さんの姿が無い。廊下に出て待合席を確認したが、そこにも彼女の姿はなかった。


「新右衛門君!」


 窓から外を見ていた京子先生が見つけたようだ。黒川さんは、張り込みをしていた赤スーツの方に歩いて行ったが、赤スーツ達は後退りしながら距離を保ち、最終的には走って逃げた。


「柳町君!早くあの子達を追って!」


「ぼ…僕もですか!?」


「まだお代ももらってないし、何よりあなたは女の尻を追うのは得意でしょ!」


「変なキャラ付けないで下さい!」


「これも京子の勘だけど、とにかく嫌な予感がするの!急いで!」


「分かりました!」


 京子先生の勘は当たる!


 部屋の出入口にある、等身大のタイガーマスクの銅像の横を走り抜け、僕が廊下に出た後に、後ろから京子先生が一声掛ける。


「状況が分かったらモールス信号で教えてね!」


 僕はモールス信号を知らないが、つっこむには遠すぎる距離だったので、ジェスチャーでつっこんだ。うっすら微笑みを浮かべる京子先生を尻目に、僕は全力疾走で彼女達を追いかけた。



 黒川さん達を追いかけて行くと、いかにもといったアジトのような場所に来てしまった。人目につきにくい路地裏に入り込み、誰も使っていないであろうと思われる古びた倉庫の前にたどり着いた。あまり特徴のない場所で、人の記憶には残りにくい造りになっている。なぜかすぐに忘れ去られそうな、不思議な雰囲気を醸し出していた。


「何かおかしい……」


 おそらく、ここが奴らのアジトだという事は間違いなさそうだが、もし僕が組織の一員だったら、真っ直ぐここに戻ってくるだろうか?


「罠かも知れない…」


 なんとなくだけど、奴らに導かれてここに来てしまった感じがした。とりあえず京子先生に連絡しようとした瞬間、僕はわかりやすい落とし穴に落ちてしまった。


「うわ〜!!やっぱり罠だった〜!!」


 深さは約30㎝。

 子供のいたずらだった。


 大きいリアクションをとった自分が恥ずかしい……。穴があったら入りたい……。


 穴から出た僕は、改めて京子先生に連絡した。


「もしもし、柳町ですけど」


「気軽に電話して来ないで!!」


「…………」


 切られてしまった……。


 この緊急時にツンデレ全開でどうしたら良いか分からない……。

 とりあえず、LINEでご機嫌を伺おう…。


【アジトらしき所を見つけました。電話をかけてよろしいでしょうか?】


【早くかけなさい】


 どないやねん!と思いながら、僕は電話をかけた。


「あの〜黒川さん達の後を追って来たら、アジトらしき所に着きまして…」


「それで新右衛門。あなた今、どんな格好をしてるの?」


 ここにきて、変態オヤジみたいな返しをされても困るんですけど……と思いながらも、何とか状況を伝えようと僕は必死になっていた。


「格好は出て行った時のままです。それより、これからどうしますか?」


「どうするもなにも、とりあえず突入するしかないでしょ!」


 突入するしかないって事はないと思うけど……。


「中の状況が分からなかったら話にならないじゃない!」


「すみません。言っている事はごもっともなんですが、僕1人で突入した所で問題を解決する自信がありません」


「柳町君!あなたは1人じゃないわ!」


「!?」


 京子先生………。


 僕はその言葉に勇気づけられた。


「あなたは1人じゃない。あなたの替わりなんていくらでも居るの!」


「そっちですか!?」


「だから大丈夫!あなたに何かあった所で、誰も困る人は居ないのよ!」


 全然大丈夫じゃない……。


「私以外は」


「えっ!?今なんて言ったんですか?京子先生!!聞こえなかったんで、もう一度お願いします!!」


「あなたの替わりなんていくらでも居るの!!」


「そこじゃないです!!」


 今、絶対言った!!僕が居なくなったら、京子先生困るって絶対言った!!


「分かりました!とりあえず中の状況を確認してきます!」


「ちょっと待って新右衛門君!場所は何処なの?私もそっちに行くわ!」


「ここは七王子町の3丁目、亀田かつら工場跡地の裏の倉庫です。後で外観の写メを送っておきます!」


「わかったわ!私も一服した後、エステに行ってからそっちに向かうから!」


「わ……分かりました…」


 電話を切った僕は、出来る限り1人で何とかしようと思いました。


「よし。気を取り直して、まずはバレないように外から中が見える所を探してみよう」


 僕は倉庫の周りを1周した。入口らしき所は3箇所あったが、バレずに中を覗けそうな場所は見当たらなかった。1ヶ所だけ高い所に小窓があり、木によじ登れば中が見えそうな所があった。


「あそこから中を覗いてみるか」


 何とか木をよじ登り、倉庫の中を見てみると、中に人の気配は無く、燦然としていた。おかしいと思い、木を降りてゆっくりと出入口の扉を開けたが、やっぱりそこに人の姿は無かった。警戒しながら倉庫の中を探索したが、そこももぬけの殻だった。


「どういう事だろう?」


 間違いなく黒川さんと赤スーツの2人組は、この倉庫に入って行ったのに、誰も居ないなんて…。


 僕はとりあえず、京子先生に連絡をとった。


「京子先生、すみません。今、先ほどの倉庫の中なんですが、黒川さんも赤スーツの姿も無く、もぬけの殻なんです!」


「柳町君!また、あなたなの!?これから一服する所だったのに邪魔しないで欲しいわ!」


 これから一服……。


 ここに着いたのは13時過ぎで、今はもう14時だ。もしかしたら、もう近くに居るかも知れないという僕の淡い期待は、脆くも崩れ去った。


「ちなみにですが、やっぱりエステには行くんですか?」


「16時に予約を入れているわ。というか、何の確認なの?あなた、ストーカーなの?私のプライバシーにばかり干渉して、彼氏ぶらないで!!」


「すみません…」


「私のスケジュールは、さっきの電話で伝えてあるわよね!その内、パンツの色まで聞かれるようになるのかしら!」


 ただ状況を報告しようとしただけなのに、えらい言われようだ……。


「今日は白よ」


「えっ!?」


 聞いてもいないのに、答えてくれた……。


「あ、あの〜………先ほどの黒川さんの件なんですけど……」

 

「あら、私のパンツの色なんかに興味は無いって言いぐさね」


 そんな事はないですが……。


「まぁ良いわ。それで、そこには誰も居ないって言っていたけど、本当なの?」


「そうなんです。3人が入って行くのを、この目で確認したんですが、誰も居ないんです!」


「いくら新右衛門君の目が節穴でも、それは不自然ね」


 さらっと傷付く事言う……。


「地下への隠し通路とかは無いの?」


「それも注意して探したんですが、それらしい所は見つかりませんでした」


「あと考えられる事とすれば、誰かの能力かも知れないわね」


「能力ですか?」


「ええ。今回の件でブルーハワイの名を聞いてから、ちょっと不思議に思っていた事があるの」


「何ですか?」


「あの目立つ格好で活動している割りには、組織の名前をほとんど聞いた事がないのよ。この異能力業界で長くやっている私やジョニーが名前も知らないなんて事あると思う?」


「確かに不自然かも……」


「ましてや、私の事務所の近くじゃない!組織の中に、何か身を潜める事に長けた能力者が居るって考えるのが普通だと思うの」


「言われてみればそうかも知れません!ここの倉庫に来た時も、何か変な違和感があって『ここにあるのに無い』みたいな不思議な感覚があったんです!」


「何、訳の分からない事言ってるの?」


「違うんです!!ちょっとうまく言えないんですけど『存在感を消す』というか『視界に入っているけど見えていない』みたいな、変な感じなんです!」


「変なのは、あなたの頭の中だけにしてよ!」


 この話の流れを振ったのはそっちなのに、ひどい……。


「だから、そうじゃなくって!!京子先生に言われて気付いたんですが、能力を発動する時って、なんか独特の雰囲気みたいなものが出るじゃないですか!!それがんです!!」


「あるのに無いってどういう事!?みたいな事?」


「何かちょっと違いますけど…」


「それは柳町君だけね……」


「えっ!?もしかして、また今月も給料無いんですか!?」


「だから何度も言ってるじゃない!うちは出来高制だから、良い働きをすれば給料も上がるって!」


 自分では良い働きをしていると思うんですけど……。


「だから例えて言うならば、お刺身のツマみたいというか、メガネでいう鼻おさえというか、物は無いのに匂いだけするみたいな感じなんです!」


「っていう事は、新右衛門君!あなたには見えていないけど、そこに居るって事なんじゃないの!?」


「電話の相手は美人の先生かい?」


「あっ!!赤スーツ!!」


 さっきまで誰も居なかったのに、彼らは突然目の前に現れた!突然現れた赤スーツ達は総勢10人。そこに黒川さんの姿は無かった。


「こういう仕事をしているから、尾行には敏感でね。坊やに後をつけられていたのは知っていたよ」


 やっぱり誘導されていたのか……。


「私達の中には、こうやって身を隠す事に長けている能力者が多くてね。この建物自体も存在感を消していたんだよ」


 やっぱり……。


「もちろん私達も、存在感を消していたんだけどね」


 存在感を消せる能力か………思ったより厄介だ……。


「く……黒川さんは何処だ!!」


 多勢に無勢だが、腰が引けている場合ではない!僕は力を振り絞って問いただした。


「坊やは、あのB級事務所のパシリだろ?」


 パシリではあるが……

「事務所はB級じゃない!!」


「B級の奴らの相談にしかのらない時点で、お前達もB級なんじゃないのか?」


「撤回しろ!!」


 僕の事は、いくら言われても良いが、事務所や京子先生を悪く言うのは許せない!

 僕は珍しく大声を上げて叫んだ!


「威勢だけは良いようだが、置かれている立場が分かっていないようだな。デカい口を叩くのは勝手だが、あの子がどうなっても良いのか?」


「ぐっ……」


 つい頭に血が上ってしまったが、自分が圧倒的に不利な状況なのは変わらない。


「お前達は黒川さんをどうするつもりだ!」


「俺達はあの子だけじゃなく、坊や達にも興味があるんだよ」


「何!?」


「坊や達も異能力者なんだろ?」


「お前達に答える必要はない!」


「フン!否定しない所をみると、異能力者である事は間違えないだろうが、あの子から何も聞いていないのか?実はこっちには異能力者を特定する方法があるんだ」


 知っている。


「だけどその様子だと、どんな能力かは特定出来ないんだろ?」


「だからこうやって、1人1人直接聞いているんじゃないか…………。

 力づくで!!」


 そういうと、奴らは一斉に飛び掛かって来た!



 僕は2秒で捕まった。


 多分、1対1でも同じ結果だっただろう。自慢じゃないが、僕は腕っぷしには全く自信がない。おそらく小学生にも負けるだろう。


「あれだけ大口を叩いておいて、2秒とは恐れ入ったぜ。普通に考えても並の神経じゃない」


 誉められているのか、貶されているのか、分からなかった。


「頭は足らないが、根性だけはあるようだな。能力次第ではあるが、坊やがその気ならボスに紹介してやっても良いぞ」


「宜しくお願いします!」


 僕は迷わず、足らない頭を下げた。誰も信じてくれないとは思うが、これは黒川さんを助ける為の演技なのだ。

 本当に……。

 本当に……。


「では、坊やはどんな能力なのか教えてくれ」


 誰に言い訳をしているのか分からなかったが、僕は自分の能力を正直に話すべきか迷った。黒川さん同様、ここは嘘をついて相手をビビらせるか、相手にとって有益な能力を持っていると思わせ、黒川さんに近づける状況を作り出すか必死で考えた。


「僕の能力は……」



「柳町君!!それ以上言う必要はないわ!!」


「京子先生!!」


 エステに行くと言っていたので期待してはいなかったが、間一髪で京子先生が助けに来てくれた。実は万が一の時の為に、僕のお尻にはGPSが埋め込まれているのだ。(ある意味、改造人間です)

 普段の生活にも支障が出るが、京子先生が安全の為にどうしてもと言うので、僕は泣く泣く了承している。勿論、やみくもに僕の居場所を検索しないようにお願いはしているが、おそらく僕のプライバシーは京子先生に覗かれているだろう。


「先生の登場は思ったより早かったね。まぁ、遅かれ早かれあんたにも話をするつもりだったから、手間が省けたってもんだが」


 先生は仕事の時とは違う、戦闘用のコスチュームに着替えて登場した。コスプレ好きの先生は、さぞかし喜んでいるんだと思ったが、その表情は明らかに怒っていた。

 その気迫に気圧されたせいで、赤スーツ達は後ずさりしていたが、その間を堂々と歩き、京子先生は僕の前までたどり着いた。そしてスマホを出し、無様な僕の姿を連写モードで写真に納める。


「何故パンツまで脱がさないの!!」


「そっちですか!?」


「この子は私の大切なオモチャ……いや助手なの!」


 京子先生は、ちょこちょこ本音が漏れる。


「私の許可なくいたぶるのはやめて欲しいわ!」


 京子先生……ありがとうございます!


「もしいたぶるなら、徹底的にやりなさい!中途半端にいたぶるのだけは、たとえ小学生と言えども絶対に許さないわ!」


 京子先生が何で怒っているのか、さっぱり分からなかった…。


「変わった先生だと思っていたが、ここまでとはな……。ボスが手に終えないかも知れないって言ってた意味が、ようやく分かったぜ」


 僕は京子先生の持って来た、戦闘用のコスチュームに着替えさせられた。その間、赤スーツ達は何故か黙って見ているだけだった。ヒーロー達が変身する際、敵は攻撃しないのが暗黙のルールではあるが、やはりこれは何処でも同じなんだと実感した。


「新右衛門君。エステのキャンセル料は、お給料から引いておくわね」


 とりあえず、今する話ではないとは思ったが、僕は黙って首を縦に降った。


「京子先生。この場をどう切り抜けますか?」


 京子先生の事だから、何か作戦があるのだと思い、僕は小声で確認した。


「任せなさい!」


 僕は、また変な冷や汗が出てきた。自信がある時の京子先生ほど、信用出来ないものは無いからだ。


「ぐぁ!」

「ぎゃっ!!」


 なにやら後ろで、悲鳴のような声が聞こえた。

 辺りを見回すと、さっきまで10人ほど居た赤スーツ達が、半分に減っている。


「どうした!?」


 赤スーツ達は動揺していた。


「私が一人でここに来たと思う?」


「仲間か!?」


「いや、ただのおじいちゃんよ」


 何故、敵のアジトにおじいちゃんを連れて来たのかは謎だが、30人近い人数のおじいちゃん達が、もの凄いスピードで現れた。


「このおじいちゃん達は私の熱烈なファンなの。

 ただ、昔はヤンチャばかりしていた連中だから、その辺のチンピラよりよっぽど強いわよ」


 おじいちゃん達の戦い方は特殊だった。入れ歯を投げたり、杖でひたすらすねを殴ったり、中には点滴のホースで首を絞めたりしていたおじいちゃんもいた。赤スーツ達は、とにかく戦いにくいといった感じで、なんだかんだしている内に、ボスらしき一人を残して全員倒されてしまった。


「じゃ京子先生。ワシらはこれで帰るきに、後はうまい事やっておくれ」


「源さん。いつもありがとう。おハルさんにも宜しく言っておいてね」


「ハル婆さんもいつものヌード写真を待っとるから、また良いの宜しくって言っとった」


「分かったわ。良いの撮れたからまた送っておく。月末には私のライブもあるし、皆で見に来てね!」


「楽しみにしとるよ!また年金持って行くからの!」


 ライブ!?年金!?ヌード写真!?


 京子先生とおじいちゃん達の関係が全く分からなかったが、あっという間に形勢が逆転した。一つ嫌な予感がするのは、『いつものヌード写真』の下りだった。


「何がなんだか分からない内にやられちまったな。ちょっと甘く見ていたよ」


「甘いのはシュークリームだけにしてよね」


 リーダー赤スーツは背中の後ろで手を縛られ、身動きのとれない状態で話をしていた。


「そんな事より、黒川さんは何処に居るの?」


「お嬢ちゃんは別の場所に隔離している。そばに居ると何が起こるか分からないから、とりあえずそこで眠ってもらっているよ」


 どうやら赤スーツ達は黒川さんの本当の能力を、まだ知らないようだった。


「俺の能力は異空間を移動出来る能力だ。簡単に言うと、どこでもドアみたいな物で、入口は俺が自由に作り出す事が出来るが、出口は一つしかなく、必ずその場所にしか出る事が出来ない」


「何処に出るの?」


「………七王子公園の池の上だ」


 使えそうで使えない能力だ…。


「だから最近、この辺りを水浸しでうろちょろしてるのね」


 かなり目立つと思う……。


「ボスは別の場所に居るが、俺はこの能力の事もあり、この辺りの管轄を受け持っている」


「とりあえず黒川さんの所には連れて行ってもらうけど、その前にあなた達の組織の事を教えなさい」


「そうだ!異能力者達と接触し、お前達は何を企んでいるんだ!?」


「俺も立場上、言える事と言えない事がある。あまり変な事を喋ると、俺が消されちまうからな」


「消しゴムで?」


「い……いや、殺されるという意味だ……」


 違和感のある2人のやり取りを、僕は黙って見守っていた。


「お前達は裏社会の構図は知っているか?」


「バカにしないで!」


 さすが京子先生。伊達にこの世界で長くやっていない。


「ただ私が知っていても、柳町君が知らないと思うから、1から説明しなさい!」


 何か僕をダシに使われたような気がする……。


「良いだろう。せっかくだから説明してやるが、異能力界の闇組織は大きく分けて、3つの組織で成り立っている。

『ブレイブハウンド』

『イボルブモンキー』

『テラフェズント』の3組織だ。

 この3つの組織は、それぞれ個性は違うが、ほぼ同じような力を持っていて、良くも悪くもパワーバランスが保てている」


「この業界じゃ有名な話ね。流石に世間知らずの私でもそこまでは知っているわ」


「そして、今までのその構図を崩し、新たに4組織目として割り込んで行こうとしているのが、俺たちブルーハワイだ」


「ちょっと待って!赤スーツ!話を止めて悪いんだけど、新右衛門君、私に何か言う事無い?」


「えっ!?あっ……あの~……」


 僕は突然の振りに頭をフル回転させた。


「き……京子先生は世間知らずじゃないです!!」


「そう!そういう所大事!そういう所を流しちゃ駄目よ!何の為に私があなたを雇っていると思っているの?」


「すみません…」


「さっきの消しゴムの下りもそうだけど、ああいう所をスルーしちゃ駄目なの!何も出来ないボンクラだけど、あなたのツッコミとリアクションだけは高く評価しているんだから、それをやらなくなったら、私の事務所に居る意味何てないのよ!

 無能なあなたに、仕事の生産性なんて期待していないんだから、私のやる事から目を離さず、つっこみとリアクションに命を懸けなさい!」


「はい!すみませんでした!」


 師匠と弟子の関係ではあるが、何か求められてる事が違うと思いながら、僕は静かに反省した。


「ごめんなさいね、赤スーツ。話を続けてちょうだい」


「あ……あぁ……。俺達の組織が公に事を運び、組織の力をつけようとしたら、すぐにこの3組織のどこかに潰される。だから目立たないように少しずつ力をつけ、のし上がろうとしているんだ。そして他の奴らが、必要としなさそうな奴らを逆にスカウトし、使えなそうな奴らでも戦力として使っていくという戦略に出たんだ」


「今まで奴らが目をつけなかった所に目をつけたって事ね」


 僕は慎重に京子先生の言葉に耳を傾けた。

 今回はつっこみ所は無い!!裏社会の人達と関わるスリルより、京子先生から目を離す方が、僕にとってはよっぽどスリルがあると、改めて悟った。おかげで、リーダー赤スーツの話は全く入ってこなかった。


「あいつら組織はやっぱり強い。戦闘力が高いし、裏社会での人気もある。実力のある新人が入りやすいシステムにもなっているし、金回りも悪くない。まともにやりあったら、十中八九勝ち目は無いんだ」


「だからって、全く関係のない人間を巻き込んで良い道理はないだろ!」


 僕は、京子先生の顔色を伺いながら、我ながら良い事言ったと自分に酔っていた。


「確かにその通りだ。裏社会の掟でも、堅気の人間に迷惑をかけちゃいけないってのが暗黙のルールだ。だから本人同意の元で協力してもらっていたんだが、ここにきて状況が一変してしまってな。力づくでも組織を巨大化していかないと危ない状況になっちまったんだ」


「奴らにバレたのね」


「勘が良いな。テラフェズントの奴らが俺達の存在に気付いて、圧力をかけ始めたんだ」


「良いのは勘だけじゃないぞ!京子先生は顔もスタイルも良いぞ!!」


「柳町君。馬鹿な事言って話を止めないで」


 京子先生は、殺し屋より殺し屋のような目で僕を見ていた。


「あなた達の組織は大変かも知れないけど、私達には関係のない事ね。黒川さんを取り戻すには、あなたと話をしていても無駄なようだし、ボスの所に案内してよ」


「俺に選択の余地は無いようだな」


 そう言うとリーダー赤スーツは、電話をさせて欲しいと言ったので、手は縛ったままの状態で僕が電話を持ち、組織に連絡させた。諦めてボスに会わせる手筈を整えてるようだった。


「じきに、ここに車が到着する。それに乗ってボスの所まで案内する」


「分かったわ。ボスと話をつけ、黒川さんを助けるまでは、申し訳ないけどあなたには人質になってもらうわ」


「そうですね」


「少しでも変な動きをしたら、えらい目にあうと思ってね」


「わ……分かった」


 どんな目にあわされるのか想像もつかず怖い所もあったが、京子先生の言うというのが、どの程度のものなのか想像していただけで、僕は変な動きをしてしまいそうになってしまった。


 10分ほど経つと3台の赤い車が到着し、リーダー赤スーツを人質にとった僕達は、その内の1台に3人で乗り込んだ。

 どれくらいの時間、車に乗っていたか分からないが、辺りはすっかり暗くなり、何やら怪しげな所に連れて来られていた。


「お腹が空いてきたわね」


 この非常時だというのに、本当に京子先生は肝が据わっている。


「新右衛門。お好み焼きとか持ってないの?」


「持ってません」


「即答したけど、ポケットの中とか良く探したの?」


 探さなくても分かるが、僕は生まれてから一度もポケットの中にお好み焼きを入れた事は無い。

 多分、全人類の99%の人達が、一度もポケットにお好み焼きを入れずに死ぬだろう。


「パンツの中まで良く探しましたが、お好み焼きらしき物は見当たりませんでした!」


「あらそう。柳町君のパンツの中には、青海苔くらい入ってそうだけど、残念ね」


 どういう意味だろう?


「着いたぞ」


 運転していた太っちょ赤スーツは、赤いのれんのたこ焼き屋の前で車を止めた。


「食べたかったのは、お好み焼きなんだけど」


「降りろ」


 太っちょ赤スーツは可愛い声で、僕達を威圧した。

 僕達は車を降り、たこ焼き屋の裏に回った。

 そこは何処にでもあるような裏庭で、特に変わった物は何も無く、何故ここに連れて来られたのか分からないでいた。


「ボスはこの中だ」


 僕は目を疑った。太っちょ赤スーツが指差したのは、裏庭の片隅にあった犬小屋だった。


「なるほどね。どうりで目立たない訳ね」


「どういう事ですか?」


「この犬小屋の中が我々のアジトだ」


「これも誰かの能力って訳ね。確かにあなた達は、身を隠す能力に関しては、長けているようね」


「いいから、黙って中に入れ。ボスがお待ちだ」


「あなたが先に入りなさいよ。いくら能力とはいえ、あなたみたいな図体でも入れるのか疑問だわ」


「いいだろう」


 そういうと、太っちょ赤スーツは四つん這いになり、ハイハイをするような格好で赤い犬小屋に入って行った。それを見ていた京子先生は、太っちょ赤スーツの体が犬小屋に全部入りきる前に、お尻を思いっきり蹴り上げて押し込んだ。


「ぐぁ!」


 何となくさっきから、京子先生が太っちょ赤スーツの態度にイライラしているのは分かったが、やっぱり怒らせると怖い…。


「あの関取はさっきから態度がデカイのよね。自分が置かれている立場が分かっていないのかしら。デカイのは図体だけにして欲しいわ」


 そう言って周りの赤スーツ達に睨みをきかせると、人質にとったリーダー赤スーツを先頭に、京子先生、僕の順で犬小屋に入って行った。


「恥ずかしいから、あまり私のお尻を見ないでね、新右衛門君」


「はい。京子先生のお尻……いや、後ろは僕が守ります!」


「ありがとう」


 この状況、ありがとうと言いたいのは僕の方だった。正直、僕は京子先生のお尻見る気がなかったので……。

 幸せな時間はすぐに過ぎ去り、犬小屋の中を抜けると、そこは外界とは全く違う空間があり、6階くらいの真っ赤な建物が目の前にあった。


「ボスは最上階に居る」


 建物の中に入り、お尻を抑えた太っちょ赤スーツは、僕達をエレベーターまで誘導した。

 太っちょ赤スーツが、先にエレベーターに乗り、後から僕達を乗せようとしていたが、京子先生は一緒に乗らずに地下へのボタンを押した。太っちょ赤スーツは1人で地下に行ってしまい、僕達3人は別のエレベーターで最上階に向かった。


「坊やのボスは、やっぱり怒らせると怖いな」


「まだ可愛いもんです。本気だったらどうなる事やら」


 僕とリーダー赤スーツは小声で会話していたが、そうこうしている内に最上階に着いた。

 エレベーターの扉が開くと、そこには長い廊下がレッドカーペットのように広がっていた。廊下には、監視カメラやセキュリティ用の赤外線センサーなどがたくさんあり、いかにもVIP用というような造りになっている。


「この状況だから、セキュリティ関係は全て解除してあるだろう」


 僕達3人は、4~50mあろうかという廊下を警戒しながら歩いて行った。


「1番奥がボスの部屋だ」


 ボスの部屋の前には、ガタイの良い黒人のボディーガードが2人、扉を挟んで立っていた。


「ナンメイサマデスカ?」


 僕は「たこ焼き屋の外国人店員か!」と心の中で突っ込んだ。


「禁煙席の『美人3姉妹』で予約を入れているはずだけど」


 ものおおじしない京子先生は、当たり前のように答えた。


「京子先生!美人ではあるけれど、僕達は3姉妹ではありません!」


「あら、予約を取る時にジョークで使っただけよ。そんなに本気でつっこまないで」


「ソンナヨヤクハ、ウケテイマセン」


「あら、本当に冗談が通じないのね。この状況を見て、話に乗っかって来ないなんて良い根性してるわね」


 京子先生は人質がいる事をアピールした。


「スミマセン。タシカニ、ヨヤクヲイタダイテオリマシタ。コチラヘドウゾ」


 京子先生の眼力は、時に本当に恐ろしいと感じる。何故か屈強なボディーガードすら寄せ付けない、不思議なオーラがあるのだ。

 扉を開けるとそこには、50代くらいの白髪混じりのお洒落な男性が、向かいにある社長席のような所に座っていた。横には参謀らしき付き人が1人立っている。歳は30代前半といった所だろうか。

 社長席と僕達の間に、接客用に3人掛けのソファーが二つほど長テーブルを挟んで置いてあった。テーブルには、トマトジュースが3つ置いてあり、話をする準備は整っていた。

 ボスであろうと思われるお洒落なじいさんは、リンゴをかじりながら接客用のソファーに移動してきた。


「あなた達の事は赤スーツから聞いています」


 「あんたも赤スーツって呼んでんのかい!!」と僕は心の中でつっこんだ。


「私はブルーハワイのボス、グリーングアムと申します」


 またもや「どないやね!!」と心の中でつっこんだ。


「本気なのか冗談なのか分からないけど、楽しいじいさんね」


「ハッハッハッ。冗談です。本当の名前はG・マルコーニ、通称Mr.Gと呼ばれています」


「聞いた事あるような無いような名前ね」


「まぁ、私の名前の事はどうでも良いんです」


「確かにどうでも良いわ」


 その瞬間、お付きの男が京子先生を威嚇した。Gさんはその男を制し、落ち着けと言わんばかりに軽くなだめる。


「失礼した。改めて話を進めるが、あの黒川というお嬢ちゃんを取り戻す為に、ここに来たという事でよろしいかな?」


「そうよ。あなた達の抗争に、一般人を巻き込まないで欲しいの」


「確かに。ルールに反しているのは分かっているんだが、こっちも組の存続に関わる問題なんでね。はい、そうですと言って、簡単に引き下がる訳にもいかないんですよ」


「あなた、ここまでの言動を聞いていると、無駄に人を殺す事はしなさそうね」


「それは褒められているのかな?」


「いくら人質がこちらに居るとはいえ、非道な奴だったらここまでたどり着けないし、あなたに会う前に始末されてもおかしくないと思うの」


 京子先生が、珍しくまともな事を言っている……。


「あなたに免じて、この際だから本当の事を言うけど、黒川さんの本当の能力は『周りに居る人達に災いをもたらす事』じゃないの」


「!?では一体どんな……?」


「黒川さんはまだ誰にも喋った事がないって言っていたけど、本当は『舐めた物を黄色くする能力』だって言ってたわ」


「それは本当なのかい?」


「実際、この目で見た訳じゃないけれど、私の事務所に相談に来た時はそう言っていたわ。そして、あなた達には付きまとわれない為に嘘をついたとも言っていたわ」


「黒川さんが今、何処に居るか分からないけど、本人に確めてみて下さい」


「分かった。すぐに確認させよう」


 Gさんは、すぐに付き人に連絡させた。


「黒川さんの能力が、必要の無いものだって分かったら、すぐに解放してくれるんですか?」


「勿論だとも」


 良かった。

 僕は京子先生と顔を見合わせ、安堵した。付き人にすぐ連絡が入り、モニター越しに黒川さんの姿が、映し出された。


「Mr.G様。彼女達の言っていた事は本当でした。

 このお嬢さんは解放しても良いと思われます」


「そうか、分かった。もう自由にしてやりなさい」


 本当に良かった。

 胸を撫で下ろした僕は、モニター越しの黒川さんが解放されるのを確認し、席を立とうとした。


「じゃ、これで解決しましたね。京子先生、ここに長居しても悪いので、そろそろ帰りましょう」


「ちょっとお待ち下さい!」


 Gさんの声で呼び止められた。


 何か嫌な予感がする…。


 京子先生は、呼び止められる事が分かっていたような素振りだった。


「こちらの調べでは、あなた方お2人も、異能力者だと判明していますが、どんな能力か教えていただけますか?」


 嫌な予感は的中した。


「答える気は無いわ!」

「僕もです!」


 Gさんの顔が急激に曇り、うなだれたようなポーズをとって一言発した。


「間宮~っ!!」


 その瞬間、付き人が体操の床競技でやる『リ・ジョンソン』のような難易度の動きで飛んできて、僕と京子先生の間に座って居た、人質であるリーダー赤スーツの首を後ろから刃物のような物で突き刺し、一瞬で殺した!

 正直、あまりにも一瞬の出来事で何が起こったのか理解するのに、時間がかかった。

 目の前に居たGさんの顔は明らかに豹変し苛立ちを隠せずにいたが、僕はその殺意の前に体が震えて全く動く事が出来なかった……。


「さぁ帰りましょ、柳町君!

 あぁそう!血でコスチュームが汚れちゃったから、後でクリーニング代を請求させてもらうわね」


 豹変した後のGさんは殺意のオーラが凄まじく、いつでも殺せるといったような悪意のある威嚇が尋常じゃなかった。

 誰が見ても間違いなくこの人がボスだと認識させられるほど、圧倒的な存在感だった。


「どこまでも強気な姉ちゃんやなぁ。このまま黙って帰すと思っとんのかい?」


「私は喋りながら帰るわよ」


 このGさんも凄いが、Gさん相手に全く臆さない京子先生の方が、もっと凄いと思った。


「悪いが、あんた達2人をこのまま帰す気は無い。

 能力云々の前に、この状況を見られて、生きたままここから出られると思いなさんなよ」


「笑わせないでよ!この状況を見せたのはあんた達でょ!?バカな事言う暇があったら、もっと笑わせなさいよ!」


 もう正直、何がなんだか分からなくなってきた。


「間宮~っ!!」


 大声を出して間宮と叫んだのは京子先生だった!!

 Gさんそっくりの声で呼ばれた間宮という付き人が、戸惑い怯んでいたその一瞬を、京子先生は見逃さなかった!


 京子先生は信じられないスピードで、間宮の顔面にを叩き込んだ!

 誰のパンツか分からなかったが、あっけにとられている間に、その一撃で間宮は気絶して伸びていた。リーダー赤スーツを殺した時の動きから想像するに、間宮と呼ばれていた男はかなりの手練れで、明らかにプロの殺し屋だった。ボスの側近を任されるくらいだから、その中でも有数の腕前だったと思う。

 その殺し屋を一撃で………。京子先生のポテンシャルって一体……。


「こりゃ驚いた!間宮がこんなにも簡単にやられるなんて、想像もしとらんかった!」


「私も、あんた達がこんなにも弱いなんて想像もしてなかったわ」


「達者なのは口だけじゃなかったの〜。

 この強さ………あんた一体何者じゃ?」


「ただ者よ」


「どうみてもただ者じゃないだろ。間宮を一撃で倒したあの動き。あれは、あんたの能力と何か関係があるんじゃないのか?」


「ある訳ないでしょ!ただのパンツよ!」


 どちらかというとパンチだったと思うけど、今の僕につっこむ勇気はなかった。


「ただのパンツといっても、2800円したわ」


 つっこみまで頭が回らない………。

 状況が緊迫し過ぎて、僕は京子先生について行く事が出来なかった。


「ここでワシが、あんたらにトドメを刺しても良いんじゃが、今はまだよしておこう」


「このじじいは、何を寝惚けた事言ってんのかしら。見逃してあげているのは、こっちの方よ!組織を潰されなかっただけ感謝しなさい!」


「分かった。分かった。ワシが悪かった。

 このままあんたに暴れられたら、組織にとっても大打撃じゃ。この件からは一旦手を引こう」


「一旦じゃないわ。今後一切、私達の前に現れないでちょうだい!ちょっとでも私達があなた達の事を見かけたら、今度はどんな手段を使ってでも、あんた達を潰しに来るから覚悟しなさい!」


 そう言い残すと僕と京子先生は、その部屋を後にし、誰にも邪魔されないまま何とか無事に七王子町まで帰って来た。


「新右衛門君、大丈夫だった?

 ビビって、おしっこでもチビっちゃったんじゃない?」


「だ……大丈夫です」


「替えのパンツは、さっき使っちゃったから勘弁してね」


 その後はたいした会話が続かず、無言のまま僕と京子先生は事務所に向かって歩いていた。


 さっきまで目の前で起こっていた一連の事を思い出していたが、僕は本当の京子先生を何も知らないのかも知れない……。

 目の前で人が死に、命のやり取りをしていた現実に、全く動じなかった京子先生。彼女には、ああいう修羅場を何度も潜ってきたであろうという貫禄があった。僕と出会う前の京子先生は、一体どんな事をしていたんだろう……。


 興味と不安、そして今まで京子先生が背負ってきたものを想像していたら、僕は自分でも無意識のうちに、京子先生を後ろから抱きしめていた。


「あら、こんな路上でセクハラなんて大胆ね」


 こんな華奢な体の、どこにあんな力が……。

僕はこの人を守ってあげたいと思い、彼女を強く抱きしめた。


「痛いわ、柳町君!ベアハッグは前からやるものよ」


 ベアハッグとはプロレスの技で、通称『背骨折り』。その名の通り、熊のハグのように抱きつき背骨を折る技だ。

 こんな時でも冗談を言う先生。

 本当に強い人だと思う……。


「先生……僕、もっと強くなります。先生を守れるくらい、強くなります!」


「ありがとう。でもそれは、私より強くなるって事かしら?もしそうだとしたら、80年はかかるわね」


 確かに、現実的に京子先生より強くなる事は不可能だろう。でも僕が強くなれば、京子先生の足手まといになる事も無くなる。何より、この気持ちは本当だという事を京子先生に伝えたいと強く思った。


「でもありがとう。気持ちだけでも嬉しいわ。期待しないで待ってるわね」


 そういうと京子先生は僕の手をほどき、僕のほっぺにキスをした。


「これは男らしい所を見せてくれたお礼!

 でも残念ながら、新右衛門君には男らしさは期待していないの。もっと女々しくて、臆病で変態チックだけど、一生懸命な所が好きなの。

 ダジャレじゃないけど、に生とする必要は無いわ。自分を信じて、もっと不器用に生きなさい!」


「………はい!」


 何か、今まで肩に力が入っていた状態だったが、一気に楽になった気がした。

 僕が京子先生にしてあげたかった事を、逆に京子先生にしてもらってしまった。

 強くなる事も大事だと思ったが、とりあえず今は京子先生の為に、何時いつなんどきでもつっこみとリアクションが出来る男になろうと心に誓い、家路に着いた。


第2話 ロマンスの神様


 あの事件があってから、1週間が経った。

 毎度の事、変な相談者は多かったが、これといって特に変わった出来事も無く月日が過ぎ去っていた。変わった事があるとすれば、黒川さんが新しくこの相談所の一員に加わった事だ。あの事件の後、黒川さんにはアフターケアとして、改めて相談所に出向いてもらい、面談をした。

 あの日あった一連の出来事の話をし、彼女の心のケアをしながら、今後についての身の振り方を一緒に考えていた。その中で京子先生の提案として、この相談所で働く事が薦められたのだ。

 京子先生の身近に居る事で、身の安全を確保する事が出来るし、払いきれなかった今回の代金も、給料から天引きする事で解決するからだ。

 6ヶ月という期間限定で黒川さんも納得し、3日前から一緒に働いている。


「柳町さん。おはようございます!」

「おはよう」


 黒川さんは長かった髪をショートカットにして、凄く明るい雰囲気になった。

 元々顔の作りは良かったが、お化粧のせいもあり、正直可愛くなった。


「京子先生は、まだ来てないんですか?」


「うん。今日も何か用事を済ませてから来るって言ってたから、遅れるかも知れないって。

 もし9時に間に合わなかったら、午前中はお休みにしてって言われてる」


「そうなんですか……」


 先生が来るまで、黒川さんと2人きり………。


 あまり女の子に免疫の無い僕は、可愛くなった黒川さんにドキドキしながら、相談所を開ける準備をしていた。


「柳町さん」


「はい」


「あの事件の時の話なんですが、私があの赤スーツ達に捕まった時、柳町さんは1人で私を助けに来てくれたんですよね」


「確かに最初に行ったのは僕だけど、結果的に助けたのは、京子先生と先生の知り合いのおじいちゃん達かな。僕は正直、足手纏いになっていただけで、特に何もしてないよ」


「でも、ありがとうございます。

 助けてもらったのに、ちゃんとお礼言えてなかったんで……」


 可愛くなった黒川さんのはにかむ姿を見て、僕の鼻の下は大谷翔平選手のストレートのように伸びていた。


 時計を見ると8時55分。

 僕は京子先生にLINEをし、午前中は相談所をお休みにする連絡を入れた。

 京子先生から、午後には顔を出すと連絡が入り、午前中は事務所の掃除や片付けをする事になった。何をしているのか分からないが、最近午前中は京子先生が仕事に来ない事が多い。プライベートな事を聞くと、また彼氏ぶるなとキレられそうで流していたが、毎日のように何処かに通っているようだった。


「柳町さん。私も連絡先を教えてもらって良いですか?

 一応、何かあった時の為に……」


「う………うん。」


 僕の電話帳の中に、女の子の連絡先が入るのは、京子先生に続いて2人目だ。黒川さんも友達が少ないせいか、僕の連絡先が増えて嬉しそうだった。


「ここでのお仕事って、ああいう危ない事も多いんですか?」


「そんな事ないよ。黒川さんのケースは稀だよ。

 それより、相談者が個性的で大変な事が多いかな」


「個性的?」


「京子先生の話だと、異能力者っていうのはどちらかというと、社会不適合者が多いらしい。

 その中でもB級になるとクセが凄いんだって」


「ひどい………」


「あっ!黒川さんは別だよ!

 社会不適合者でもないし、クセも凄くないし、普通に可愛い女の子だと思うよ!」


 黒川さんは顔を真っ赤にし、僕と距離をおいて片付けを続けた。


 少しの間沈黙が流れ、僕達は黙々と掃除をしていた。正直、ここ数日はこのような流れで京子先生が休む事が多く、掃除する所もあまり無くなってきていた。

 出入口にある等身大のタイガーマスクの銅像に関しては、ピカピカになり過ぎて気持ち悪いくらいだった。京子先生お気に入りの猿のぬいぐるみ「ピンキーちゃん」も昨日洗濯したばかりだし、エアジョーダンのバッシュも歴代順に並べ替えてある。なぜか置いてあった作業用ヘルメットもとりあえず綺麗にし、やりかけたまま放置されていたジグソーパズルも完成させてしまった。


「片付ける所、無くなってきましたね」


「最近、毎日こんな感じだもんね」


「もし、あまりやる事が無いなら、この業界の事をいろいろと教えて欲しいんですけど」


「そうだね。僕もまだまだ勉強不足で分からない事が多いから、この機会に一緒に勉強しようか」


「はい!」


 そういうと、2人で奥の部屋に入り、パソコンや資料を準備し、異能力業界について調べ始めた。


「実際、私達みたいな特別な能力者ってどれくらい居るんですかね?」


「京子先生から聞いた話だと、全人口の約1割くらいらしいよ。その中でも僕達みたいなB級能力者は半分だって言われてる」


「そうなんですね」


「一般的には、Aランク以上の能力者は大手の事務所に所属して、メジャーな漫画やアニメに出演する事が出来るらしい。勿論、その流れを管理しているのも能力者達みたいだけどね。

 あまり詳しい事は分からないけど、そういう事務所に所属出来なかった人達が、裏社会で仕事をしているんだって」


「なるほど」


「そして更に必要とされなかった、僕達みたいなB級能力者は行き場を無くし、異能力者である事を隠しながら生きていくか、どうにか能力を活かして生きていくか、決断を迫られるようになってしまった訳」


「そして、そういう人達の相談の場になっているのが、このB級能力者相談所サテライトキングダムなんですね」


「そういう事。正直、B級能力って役に立たなかったり、公表すると恥ずかしいものがほとんどだから、一般人として紛れて生きている人の方が多いんじゃないかな」


「あの赤スーツ達は、そういう埋もれている人達に目をつけたって事なんですね」


「そういう事だね」


「この相談所みたいな所は他にも沢山あるんですか?」


「ほとんど無いよ。相談に来る人自体が少ないし、京子先生くらいじゃないと、相談者の問題を解決してあげられないから、相談所として成り立たないんだ」


「じゃ、京子先生って凄い人なんですね」


「僕が言うのもなんだけど、かなり凄い人だと思うよ。この業界で、あまり名前が知れ渡っていないのが不思議なくらいだよ」


 後に知る事にはなるが、京子先生の名が業界に知れ渡っていない理由を、この時の僕はまだ知るよしもなかった。


 すると突然、相談所の扉をノックする音が聞こえた。


「すみませんが、柊京子さんはいらっしゃいますか?」


 男性の声だ。

 午前中はお休みで、相談の受付は午後からと書いた看板は出してある。

 何となくだが、喋り方の感じが相談者ではないようだったので、僕は外に出て確認してみた。

 そこには、上品なヤクザっぽい格好をした40代後半くらいの男性と、その付き人らしき20代と思われる男性が2人立っていた。雰囲気は以前の赤スーツ達に似ていたが、敵意などは無さそうで、凄く落ち着いた感じだった。


「私は、一ノ条 司と申します。

 中に柊 京子さんはいらっしゃいますか?」


「京子先生は、まだこちらには来ていません。

 相談所が開くのが午後なので、それまでには先生も来る予定になっていますが……。

 すみませんが、京子先生とはどういうご関係ですか?」


「申し訳ありません。

 柊京子さんとは知り合いですが、私の口から詳しい関係性を言う事は出来ません」


 何か怪しい雰囲気がした。


「彼女が来るまで、中で待たせてもらう事は可能ですか?」


 先生の留守中に知らない人間を中に入れるのは抵抗がある。申し訳ないがここは一度お引き取り願おうと思った。


「一ノ条!!」


「お嬢様!」


 廊下の奥の方から京子先生の声がした。


「何であなたがこんな所に居るのよ!」


「お久しぶりです、お嬢様!」


 京子先生は廊下を小走りで走ってきて、一ノ条と呼ばれた男の腕を引っ張り、外に連れ出そうとしていた。


「お嬢様とお会いするのは何年振りですかね!」


「その呼び方はやめて!私はもうあなた達とは関係ないの!あの人にも、その事は言ってあるでしょ!」


「勿論分かっていますが、状況が状況なので、直接来させてもらいました」


 僕は状況が飲み込めなかったが、京子先生の表情がいつもと違う事だけは感じとれた。


「お嬢様。私もこのまま帰る訳には行きませんので、ここが駄目ならば場所を変えてお話させて下さい」


 短い沈黙の後、僕の顔を見てから京子先生が口を開いた。


「わかったわ。場所を変えましょう」


 京子先生を、このまま彼らと一緒に連れて行ってはいけない感じがしたので、僕はとっさに身を呈した。


「京子先生を連れて行くなら、僕も一緒に連れて行って下さい!」


 僕は、一ノ条さんと京子先生の間に割って入った。

 その瞬間、僕は後ろから京子先生に鈍器のような物で殴られた。


「き……京子先生………。なんで…………」


 気絶する瞬間、京子先生が僕の耳元で囁いた。


「木彫りの熊の置物よ」


 なんでって聞いたのは、凶器の事じゃなかったのに…………。

 ちゃんとつっこめないまま、僕は気絶してしまった…………。




「うっ……ううっ………」


 僕はどれくらい眠っていたんだろう……。


 気付くとそこは、B級能力者相談所サテライトキングダムの近くにある公園だった。

 なぜかジャングルジムに絡まったまま寝ていた僕は、イルカのぬいぐるみを脇に抱えながら、サンタクロースのブーツを履いていて、ハゲかつらも被っていた。服は黒のタンクトップに赤の半ズボンを履かされている。ポケットの中には、玉子豆腐と小籠包が入っていた。


 何がなんだか分からない……。

 お酒を飲んだ記憶は無いが、ここに来る前に何をやっていたのか全く覚えていない。

 夢遊病にしては悪ふざけが過ぎる。

 十中八九、京子先生の仕業だと思ったが、何の確証も無いので、とりあえず小籠包を地面に叩きつけた。


「そうだ!思い出した!確か後ろから誰かに殴られたんだ!」


 でも、誰に殴られたかは覚えていない……。

 後頭部の痛さだけが、殴られた凶器の固さを物語っていた。


「そうだ!思い出した!確か木彫りの熊の置物だ!」


 そう言うと僕は、ポケットに入っていた玉子豆腐を握り潰し、必死で記憶を辿ってみた。

 覚えているのは、午前中はB級能力者相談所サテライトキングダムがお休みになり、黒川さんと2人で部屋の片付けをする事になった所までだ。


 う〜ん……。殴られたショックで記憶が、ごちゃごちゃになっている…………。

 確か片付けの最中、京子先生お気に入りの猿のぬいぐるみである、歴代のピンキーちゃんの物まねをジョーダンにやらせて、ヘルメットを被せた後、本棚に並べた………。

 いや違う!

 歴代のタイガーマスクにジグソーパズルをやらせて、バッシュを履かせた後、本棚に並べたような……。

 いや、これも違う!!

 ショートカットにしたジョーダンは、全人口の約1割だって話をして、洗濯した黒川さんを本棚に並べた……。


 もう、記憶が支離滅裂で何がなんだか分からない……。


 とりあえず僕は、一旦思い出すのをやめてジャングルジムから下りる事にした。


 時計を見ると19時38分。

 午後の診療は19時までなので、もう終わってる時間だ。

 僕はあまりにも奇妙な格好なので、職務質問されないように気をつけて、この公園から徒歩5分くらいにあるB級能力者相談所サテライトキングダムまで帰った。


 診療は終わっているが、部屋の明かりはまだついていた。既に鍵がかかっていたが、僕は合鍵を持っているので、それを使って中に入った。

 黒川さんは帰宅したようでもう姿はなく、京子先生がパソコンに向かい何やら雑務をしているようだった。


「あら、柳町君。凄い格好ね。何かのパーティーでもあったの?」


「ここに来るまでに、2回職務質問されました」


「パーティーも良いけど、警察沙汰は勘弁してね」


「気付いたらこの格好で、七王子公園のジャングルジムに絡まってました」


「一体、何のプレイ?変態変態とは聞いていたけと、あなたが興奮するポイントが分からないわ」


「別に興奮はしていません」


「私が目の前に居るのに?」


 そういう意味では少し興奮してますが……。


「どうやら気絶していたようで、正直、あまり記憶が無いんです。朝は普通に出勤して、京子先生が遅れるという事で、午前中は相談所をお休みにしたのは覚えているんです」


「確かに連絡したわ。その後はどうしたの?」


「黒川さんと一緒に掃除や片付けをして……。


 そうだ!誰か来たんです!

 何か、あき竹城みたい名前の人が来て、何だかんだしてたら急に後ろから殴られて、今に至る……みたいな」


「だいぶ間が飛んでるけど、その何だかんだが重要なんじゃないの?」


「そうなんですが……。

 確か殴られた凶器だけは分かっていて、木彫りの熊の置物なんです!」


 振り返った京子先生の右手には、血塗れの木彫りの熊の置物が鷲掴みされていた。


「何で後ろから殴られて気絶したのに、凶器だけは知っているの?」


「教えてくれたんです!」


「誰が?」


「多分、あき竹城……」


 その瞬間、僕は再び木彫りの熊の置物で殴られて気絶した。


「誰があき竹城じゃ〜」

 薄れ行く意識の中で、ダミ声のような京子先生の声が聞こえた……。




「うっ……うう……。」


 本日、2度目の気絶から目覚めると、そこはベッドの中だった。


「ここは一体……?」


「あら、やっと目が、覚めたのね。気分はどう?」


 ここは京子先生の家……!?


 2DKくらいの大きさだろうか、シンプルで清潔感溢れる部屋になっていて、思っていたより女の子らしいアレンジになっていた。


「私以外、誰も寝た事が無いベッドで、良く堂々と寝れたもんね」


「すみません」


「謝って済むくらいなら、お金はいらないわ」


 結局金か………。


「それにしても、柳町君って寝言が凄いのね。びっくりしちゃった!」


「そうなんです。昔から凄くて、コンプレックスなんです!だから、あまり他人に寝ている所を見せないようにしてたんですけど……。

 僕、何か変な事言ってました?」


「変な事しか言ってなかったというかなんというか……。

 申し訳ないけど、私の口からはとてもじゃないけど言えないわ」


 一体、何を言ったんだろう…?


「まぁ、金額次第じゃ教えてあげない事もないけど」


 結局金だ!

 金の亡者だ!

 金の亡者の王者だ!!


 心の声が悟られたのか、気付くと既にビンタされていた。


「誰があき竹城じゃ〜!」


「!?」


 その声で思い出した!!


「京子先生!思い出しました!

 今の言葉で、最初に気絶した時の事を思い出しましたよ!」


「思い出さなかった方が、幸せだったかも知れないわよ」


 どういう意味だろう……。


「あの時、一ノ条さんという人が尋ねて来て、京子先生と話をしたいって言ってたんです」


「それで?」


「そしたら、京子先生が来て、一ノ条さんが京子先生の事って呼んでました」


「良く覚えてたわね」


「お嬢様って……一体どういう事なんですか?」


「新右衛門君。この先の話をしたら、後戻り出来なくなるかも知れないわよ」


 何となくしか想像出来ないが、京子先生は自分の過去の話をするつもりなんだろうか……。

 一ノ条さんは昔の京子先生を知っている人だ。

 京子先生の強さの秘密や、お嬢様と呼ばれていた事の真相は知りたい。正直僕は、こんなに京子先生の事が好きなのに、ほとんど何も知らないのだから……。


「柳町君に、私の過去を受け入れる覚悟があるかしら?」


「もちろんあります」


 多分、京子先生は自分を受け入れてくれる人を探してたんじゃないだろうか。そしてこんな話をするのも、僕が受け入れるって分かっているからこそ、あえて話をしている気がする。

 京子先生はキッチンに向かい、お茶菓子的な物を用意してくれようとしていた。僕はベッドから出て、居間の方に行き3人掛けのソファーに座って待っていたら、京子先生がテーブルにお茶菓子を出してくれて、自分の身の上話をし出した。


「一ノ条というのは、昔の私の世話役だったの」


「世話役ですか?」


 お嬢様と呼ばれていた事もあり、京子先生は良い所のお嬢様なんだろうか?


「京子先生はもしかして、凄くお金持ちの家の人なんですか?」


「そうでもないわよ。ただ、私の父は犬飼 治五郎というの」


 犬飼 治五郎……。

 どっかで聞いた事があるような……。


「以前の赤スーツの話で、3大闇組織の事を言っていたのを覚えてる?」


「はい。確か……

『ブレイブハウンド』

『イボルブモンキー』

『テラフェズント』

 という3つの組織ですよね」


「あら。脳みそが小さい割には、記憶力が良いのね」


 何故、僕の脳みそが小さい事を知っているのかつっこみたかったが、先の話が気になったので、謙虚な僕はとりあえず流した。


「実は私の父、犬飼 治五郎はブレイブハウンドのボスなの」


  ………!?。

 や……闇組織のボス!?

 しかもブレイブハウンドといえば、その3大組織の中でも、実質トップの力があると言われている組織!

 京子先生は、その組織のボスの娘さん………。


 僕は座ったままだったが、腰が抜けて開いた口が塞がらなかった…。

 そんな中、京子先生は僕の開いた口にシューマイを入れながら話しを続ける。


「私の名字『柊』は母親の姓なの。

 母は犬飼の愛人で、組織の中でも私達の存在は一部の人間しか知らなかったわ」


「そうだったんですね…。」


「驚いた?」


「驚きましたけど、お茶菓子で養命酒にシューマイを出すくらいの人なんで、普通の家柄じゃない気はしてました」


 京子先生は、笑いながら僕の口にシューマイを入れ、さらに話しを続ける。


「一ノ条というのは、私が小さい頃から面倒をみてくれた世話役よ。

 母一人子一人だったから、ボディーガード兼世話役って感じで、常に私の近くに居て、いろいろな事を教えてくれたわ」


 周りの人達は、京子先生の父親の事を知らないとはいえ、肩身の狭い思いをしたり、幼少期はいろいろと大変だっただろう………。


「私も自分の父親が、そんな人だって聞かされたのは、14歳の時だった。

 それまでは、自分の置かれた環境が普通の人とは違うなんて、あまり意識してなかったの」


 京子先生は僕の口にシューマイを入れる手を休める事なく、話しを続けた。


「一ノ条には、物心つく前から護身術だと言われて、殺人的な格闘術を叩き込まれたり、スパイとしての基礎や情報収集のやり方まで、裏社会で生き抜く為に必要な事を全て教えてもらったわ」


 どうりでいろんな事が、人間離れしている訳だ……。


「気付いたら、一ノ条よりも強くなってしまったわ」


 京子先生は笑っていたが、正直僕は笑えなかった。


「思春期になると、流石の私も何か人と違うって感じてたから、父の事を聞かされて、いろいろな事に納得したわ。

 それから高校2年生くらいまでは、周りに父の事を気付かれず、出来るだけ普通で居るように振る舞っていたんだけど、ある出来事が起きて私の生活が一変してしまったの」


「何があったんですか?」


 京子先生は18個あったシューマイを僕の口に入れ終わると、お皿を片付け出した。


「柳町君。少しお腹空かない?」


 シューマイでお腹いっぱいだったが、京子先生のお腹が空いたんだと思い、僕は強がってみせた。


「そうですね。そろそろ夕飯の時間ですし、少しお腹空いてきましたね」


「もう夜中の11時よ。新右衛門君はいつもこんな時間にご飯を食べるの?」


 京子先生のお腹を気遣ってみたが、どうやら裏目に出たようだ。


「いや……。いつもはもっと早いですけど、寝る前にまた食べたくなるっていうか……。」


 京子先生は微笑みながら囁いた。


「ありがとう」


「えっ!?」


「良いわ。今日は特別にご飯を作ってあげるから、その間にお風呂に入ってきなさい」


 何か夢のような展開だった。

 いつもだったら、もっとメチャクチャに弄られて終わりそうだけど、今日の京子先生は何故か優しかった。


「私の家を出て、右に800mくらい行った所に銭湯があるから、全力疾走で行って来て」


 前言撤回。

 いつも通りの先生だった。

 冗談だと言ってくれるのを半分期待したが、当たり前のように家から閉め出された。僕は頑張って走り、1.5㎞くらいの所にあった銭湯に着いたが、既に閉まっていた。とりあえずしょうがないので全力疾走で京子先生の家に戻り、銭湯が閉まっていた事を伝えた。


「知っていたわよ。あそこの銭湯11時までだもの」


 鬼だ。

 悪魔だ。

 いや………そんな生ぬるいものじゃないか………。


「ちゃんとお風呂沸かしてあるわ。さぁ入って」


 銭湯から戻ってくるまでに3回職務質問にあったが、全てお湯に……いや水に流そうと思った。

 お風呂に入りながら考えてみたが、京子先生はバスルームを片付ける時間を作りたかっただけなのかと、勝手に解釈していた。

 それにしても、憧れの京子先生の家に来てお風呂に入っていたり、これからご飯も頂けるなんて、こんな夢のような展開が本当にあるんだと思い、急にドキドキしてきた。


「柳町君。私の服だけど、一応着替えを置いておいたから、これ着てね」


「はい。ありがとうございます!」


「私も一緒に入らなくて大丈夫?」


 どう捉えたら良いんだろう……。

 正直、京子先生の発言はいつも冗談なのか本気なのか全く分からない。


 僕は何も答える事が出来なかった。


「一応、私が一緒に入ると別料金だからね」


 やっぱり金か!


「1万2千円よ」


 意外と安いと思い、お願いしようかと思ったが、僕の男としての株が下がると思い、丁重にお断りした。


 京子先生はキッチンに戻ったようだったので、僕はいつもより丁寧に体を洗い、お風呂を出た。

 僕は京子先生が用意したくれた服に着替えて居間の方に戻った。


「良く似合ってるわ。これからピクニックにでも行くの?」


 夜中の12時過ぎてからピクニックに行く人は、そうそういないだろう。


「あと10分くらいで出来るから、座って待ってて」


 ソファーに置いてあった、キーファ・サザーランドのクッションを抱えながら24分ほど待っていたら、京子先生が料理を運んできてくれた。


「はい。お待たせ!」


 出てきたのは、コーンフレークだった。


 包丁やフライパンを使う音もしていたし、かなり長い時間料理をしていたようだったのに、まさかのコーンフレーク!

 しかも牛乳が微妙に足らなかった。

 僕は牛乳に浸しきらないコーンフレークを頬張り、笑顔で見ている京子先生にお礼を言った。


「ご馳走さまでした。ありがとうございました」


「どういたしまして」


「あの〜……さっき、料理を作っているようだったんですけど、あれは一体………」


「あれは明日の朝ごはんの準備よ。私、夜はあまり食べないで、朝にしっかり食べる派なの」


「そうなんですね」


 何か違うと思いながら、つっこみ所を逃してしまった事に後悔していた。

 このままだと、ずっと京子先生のペースになりそうだったので、思いきってさっきの話を振ってみた。


「あの〜……京子先生」


「何?」


「さっきの話の続きなんですけど、あの後状況が一変した出来事って一体何なんですか?」


「そうね。いろいろ話たい事はあるんだけど、今日はもう遅いから寝ましょう。

 新右衛門君には別に隠す気もないから、またの機会にちゃんと話すわ」


「分かりました」


 分かりましたと言ったものの、分からない事が1つある!

 勇気を出して聞いてみよう!!


「京子先生!僕は泊まっていってよろしいんでしょうか!!」


 京子先生は笑顔で答えた。


「好きにしたら良いんじゃない?ベッドは1つしかないけど」


 京子先生は意味深な言葉を残し、お風呂に入りに行った。

 僕は期待と不安で、心臓がどうにかなりそうだった。




 目が覚めると、そこは玄関だった。


 僕は知らない内に眠ってしまったようだ。

 昨晩食べたコーンフレークの味に違和感を感じていたので薄々は気付いていたが、どうやら睡眠薬的な物が入っていたような気かする。

 僕にロマンスはまだ早いのだろう……。


「おはよう。柳町君」


「おはようございます」


 もう身支度を整えた京子先生は、僕をおいて出勤する気マンマンだった。


「私はもうご飯を食べたからすぐ出るけど、新右衛門君もご飯食べてからいらっしゃい」


「はい」


「ご飯は居間に用意してあるからね」


「ありがとうございます」


 僕は家の鍵と睡眠薬を受け取ると、京子先生を見送り、朝ご飯が準備してある居間に向かった。


「お湯は自分で沸かして下さいか……」

目の前には、カップラーメンが置かれていた。

 昨日の夜に作っていた朝ご飯は、京子先生の分だけだという事に今更ながら気が付いた。

 一度、自分の家に帰らないと出勤用の服が無いが、帰る時間も無いので、しょうがなく京子先生に借りた部屋着のまま出勤する事にした。


 案の定、2回ほど職務質問にあったが、何とかB級能力者相談所サテライトキングダムに着いた。


「おはようございます!」


「おはよう、変態さん」


「おはようございます。どうしたんですか?その格好………」


 黒川さんは驚いた表情で僕を見ていた。

 それもそうだ。朝から女性物の部屋着で出勤して来たら、黒川さんじゃなくても驚くだろう。


「ちょっといろいろ事情があって、今日から変態になるそうよ」


「どんな事情ですか!!」


 黒川さんは笑っていたので、とりあえず良しとしたが、僕はこの時、死ぬまで京子先生に弄ばれるというが、に変わった。


「次の方どうぞ!」


「すみません!着替えだけ先にさせて下さい!」


 朝一の相談者が入っ来たので、僕はそそくさと奥の部屋に行き、急いで着替えた。


「柳町君は居ますか?」


 着替えを終えて出て行こうと思っていたら、微かに部屋の向こうから、僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 扉を開けると、そこには自分と同じくらいの年齢の女の子が相談に来ていた。


「柳町君!久しぶりね!

 さっき後ろ姿を見かけて、もしかしたらと思ったんだけど、やっぱり柳町君だったのね!」


 う〜ん……。申し訳ないが、思い出せない。こんな可愛い子だったら、忘れる訳ないのに……。

 かなり昔に会った子かなぁ?


「私よ!静香!覚えてない?

 昔、アメリカンスクールで一緒だったじゃない!」


 当然の事ながら、僕はアメリカンスクールに行った事が無いのだが、その静香と名乗った子の目を良く見ると、なぜか涙ぐんでいた。

 体も小刻みに震えていて、無理やりに話を作っている所が、僕に何かを訴えかけているような感じがした。


 何かおかしい!


 助けを求めてる!?


 あまりにも不自然な様子が、理由を説明出来ないけど凄くヤバい状態なんじゃないかと察した。


「あぁ!静香ちゃん!久しぶりだね!本当に何年ぶりだろ!」


 僕がそう答えた瞬間、静香ちゃんは溢れる涙を止め切れなかった。


 やっぱりだ!

 僕の予想は当たっていたようだ!

 僕は自慢じゃないが、察する力だけは人より長けていると思っている唯一の長所だ。

 僕は静香ちゃんの涙を皆に見せないようにして、一緒に部屋を出た。


「すみません!久しぶりに会えたので、ちょっと小一時間ほど、お茶してきます!仕事中に本当、すみませ〜ん!」


 僕は静香ちゃんの肩を抱き、小走りで相談所を離れた。


 絶対に何か理由がある!

 静香ちゃんの挙動は何かに怯えているようで、演技をしなくてはいけない状態にあるようだ。誰かから能力で攻撃されているのか分からないが、助けを求めている事だけは確かだった。


「何があったんですか?言える範囲で良いです。

 このまま幼なじみを振る舞えというなら、このままでいます。あなたを助けられる情報を下さい」


 僕は周りの人達に聞こえないように、小声で呟いた。静香ちゃんは涙を拭い、僕に微笑んでくれたが、何も答えなかった。小声での会話も出来ないのかと思い、近くに不審な人が居ないかを警戒して注意しながら歩いていた。


 数分ほど歩くと、僕の行きつけの喫茶店が見えてきた。


「あそこで少しお茶しようか?」


「……うん」


『喫茶 一回休み』


 そこはテーブル席が6つ、カウンター席も6つのこじんまりした内装で、何処にでもある昔ながらの喫茶店という感じのお店だ。

 髭のマスターが入れるコーヒーは、本当に旨いと評判で、軽食で食べられるナポリタンも絶品なのだが、店の名前は『一回休み』よりも『ひとやすみ』の方が良いんじゃないかと昔から思っている。


「いらっしゃいませ。2名様で宜しいですか?

 奥のテーブル席をご利用下さい」


 今の時間帯は客も少なく、カウンター席に1人、テーブル席に1人、男性が居るだけだった。僕達は奥の席に座ると、すぐに注文をした。


「僕はメロンクリームソーダにするけど、静香ちゃんは何にする?」


「同じ物を2つお願いします」


「かしこまりました」


 オーダーを受けたマスターが、カウンターの奥に戻ったので、静香ちゃんに理由を聞く為、話を切り出そうと思ったら、メロンクリームソーダを作り終えたマスターが、もの凄いスピードで戻ってきた。


「お待たせしました」


 《クリームソーダが3つ置かれている挿し絵》


 何かそんな気がした……。

 一言で言うと、ここのマスターは頭が悪い。

 あの一瞬で3つも作るスピードといい、評判になるほどの腕前といい、只者じゃないのは分かっていたが、微妙につっこみにくいキャラなのだ。

 普通に考えれば2人しか居ないんだから「同じ物を2つ」って言われたら、合計で2つだろう。

 分かりにくかったら確認すれば良いのに……。


「3つで120円です」


「安いな!!」


 昨日は1つで380円だったのに…。

 急に何かのキャンペーンでも始めたのか?

 それより毎度の事ながら、すぐに会計しようとするのは何とかならないものか………。


 僕は面倒くさいと思い、先に会計を済ませたら、まだ手をつけていないのに3つとも下げようとされた。

 いつも通りのバカマスターとの一悶着が終わり、やっと本題に戻る。


「パパなの」


「えっ!?」


「あれ、パパなの」


 静香ちゃんが目線を送ったカウンターの方を振り返ると、マスターが僕を睨み付けながらナポリタンを食べている。

「お前が食べるんかい!!」と、心の中でつっこんではみたが、状況が混乱し過ぎて訳が分からなくなってきた。


「静香ちゃん。いくつか確認したい事があるんだけど、ここでなら話せる?」


「はい」


「僕と静香ちゃんは会うの初めてだよね?」


「はい。初めてです」


やっぱり。


「さっき、相談所で嘘をついてた理由は話せる?」


「はい。実は私の意思ではなく、私はある能力で攻撃されていたんです。そして、その事がバレるとえらい目に合うので、攻撃されている事をバレないように柳町さんだけをあそこから連れ出さなければいけなかったんです」


「今はもう大丈夫なの?」


「はい。ここに連れ出せた事で、攻撃は解除されました」


「誰に攻撃されていたの?」


「パパです」


「!?」


 マスターの方を振り返ると、今度はハムカツサンドを頬張りながら、僕を睨み付けていた。


「私の名前は一ノ条 静香。あそこに座っている一ノ条 司の娘です」


 良く見ると、マスターの前のカウンター席に1人で座っていた男性は、昨日見た一ノ条さんだった!

 僕と目が合うと、一ノ条さんはゆっくりと歩いて来て、静香ちゃんの隣に座った。


「私の分のメロンクリームソーダも注文してくれるなんて、粋だね柳町君」


 何か怖さと優しさが、同時に出ているような不思議な雰囲気を持っていた。

 一ノ条さんがメロンクリームソーダを一口で飲み干すと、奥からマスターがやってきて、グラスを下げた。


「追加のご注文はありますか?」


「同じ物を2つ」


 一ノ条さんがそう言うと、マスターはカウンターに戻り、またもやもの凄いスピードで帰ってきた。


「お待たせしました」


 テーブルにはハムカツサンドが2つ置かれた。


「お前が食ってたのと同じ物じゃねーよ!!」と、つっこみたかったが、そんな雰囲気ではなかったので、心の中に留めておいた。


「2つで120円です」


「だから安いな!!」


 その単価でやっていけるのか心配だったが、それよりマスターの脳みそが心配だった。

 一ノ条さんがお代を先に払うと、やっぱり手をつける前に下げようとしたので

「まだ食べます」

「すみませんでした」

 と、マスターとの一悶着の下りを繰り返し、やっと本題に戻れそうだった。


「マスター!同じ物を2つ」


 静香ちゃんが余計な事を言う。


 物凄いスピードでやってきたマスターはナポリタンを2つテーブルに置いた。


「お前が1個前に食ってたやつじゃねーか!!」と、つっこみたかったが、つっこんだ所で普通の感覚を持っているのは僕だけなんじゃないかと思って、つっこむのをやめた。


「2つで4800円です」


「これが高いのね!!」


 この店がやっていける理由が分かったが、この後の下りはさっきと同じなので、説明は省略します。


「柳町君。君は、お嬢様とどんな関係なんだい?」


「僕は京子先生の助手です」


「今日の朝は、お嬢様の家から出て来たようだけど、本当にただの助手かい?」


 痛い所をつかれた。が、この時、静香ちゃんに何らかの能力で攻撃し、嘘をつかせてまでやりたかった事は、僕をここに連れ出す事なんだと改めて理解した。


「いろいろと訳があって、昨日は泊めてもらいましたが、今はただの助手です」


「今はというと?」


 この人の目的が分からない以上、どこまで話していいものやら…。


「………。

 正直、ここだけの話ですが、僕自身は密かに好意を抱いていますが、京子先生がどう思っているかは分かりません。第三者から見てどう見えるかも分かりませんが、現時点ではただの先生と生徒……いや先生と助手の関係です」


「まぁ、とりあえずは君の言う事を信じよう。

 だが今のお嬢様にとって、君の存在は正直邪魔なんだよ」


 ちょっと失礼だと思ったが、貶されたのは僕だけだったので、一先ず怒りを抑えた。


「こちらにもいろいろ事情があってな。申し訳ないんだが、君にはお嬢様の前から消えてもらいたいんだ」


 そう言う事か……。

 何となくそんな気もしていたが、引く気は全くない。


「理由を聞かないと納得出来ません!それに京子先生は、それを望んでいるんですか?」


 僕が強気に返した瞬間、場の空気が変わった。


「お嬢様から私の事は聞いているかい?」


 僕はあえて答えなかった。


「今は穏便にしているが、私が怒る前に素直に従った方が良い。そもそも本当なら、君にお願いするような事でもなく、物理的に君を消してしまう事も出来なくはないんだ」


「脅しですか?」


 それでも僕は一歩も引かなかった。


「お嬢様の気持ちを考えて、話し合いで済まそうと思ったんだが……」


 そう言いはなった瞬間、一ノ条さんは殺意を丸出しにした!!

 圧倒的な恐怖と威圧感で、オシッコがチビりそうだったが、何とか持ちこたえた。前回の赤スーツGさんの時の免疫のせいか、ビビりはするものの会話も出来ないというほどではなかった。


「話し合いで済まそうと思ったんだが、何ですか?オセロで勝負でもしますか?」


 強気で押し返した僕を見て一ノ条さんが苦笑いしていると、マスターが奥からオセロを持って来た。何も言わずに無言のまま僕達はオセロで勝負したが、全面を黒で覆われた僕は2分で完敗した。


「参りました」


 とりあえず土下座した。


「しかし、勝負に負けたからといって、京子先生の前から消えるとは一言も言っていません!」


 その瞬間、正座したままの僕は一瞬で一ノ条さんに後ろをとられ、喉仏にはフォークが押しつけられていた。

 気付くと床には、喉から血が滴り落ちている……。


「もう少し深く抉ろうか?」


「そ……そのフォークはマスターの作ったナポリタンを食べる為の物です!僕の喉に突き刺す為の物じゃない!!」


 僕がそう言うと、さっきまで大人しくしていた静香ちゃんが、素手でナポリタンを掴み、僕の喉仏に投げつけた。


「パパ。確かにそのフォークはナポリタンを食べる為の物だから、柳町君の喉と一緒に突き刺して食べると良いわ」


 この娘もグルか!さっきまでのは、ただの演技……。何なんだ、こいつ達は……。


「では、ひと思いに首ごといたただく!!」


 そう言って一ノ条さんがフォークを振り上げた!!


「司!もう良い!!その辺にしときなさい!!」


 店のどこかから渋い声が聞こえた。

 良く見るとテーブル席の端に座って英字新聞を読んでいた、もう1人の客だった。


 嫌な予感がする…。


 一ノ条さんを司と呼び捨てに出来る人間なんて1人しかいない……。


「君が柳町 新右衛門君か。噂通り良い面構えだな。鼻の穴を1つにしてあげようか?」


 さらっと怖い事を言ったその人は、どこか京子先生と似た雰囲気を持ち、今にも人を殺しそうな勢いで、僕に笑顔を振り撒いた。


「ワンさん……」


「黙っとれ、司!!」


「自己紹介が遅れたが、私は犬飼 治五郎という者だ。娘の京子がいつも世話になっているようだな」


 やっぱりだった。


「いえ。僕の方がお世話してもらっています」


「ふふっ。思ったより真面目そうじゃないか。ちょっと怖い思いをさせて悪かったね。申し訳ないが、君の事を少し試させてもらったよ」


「試す?」


「いろいろと事情があって言えない事もあるんだが、実は京子やその周りに居る人達が、これから危険な目に合う事が多くなるだろう」


「どういう事ですか?」


「その理由を言ってしまうと、君達が更に危険に晒されてしまう。だから、君達の安全の為に今は話す事は出来ない」


 安全の為……。

 この人達は、僕達を守ろうとしてくれているのか?


「司や静ちゃんには、ちょっと悪い演技をしてもらって、君の肝がどれだけ据わっているか試させてもらったんだよ」


「ごめんなさい。あなたがどんな人間性なのか、知りたかったのよ。でも思ったより鈍感じゃなくて安心したわ。優しさも根性もあるし、少しは見込みありそうね」


「そうだな。お嬢様の周りは本当に危険になる可能性があるから、いろんな意味での強さが必要になってくる。腕力は無さそうだが、芯はお嬢様並みに強そうだ。

 まぁ、そうでなくてはお嬢様と一緒に居る事自体難しいか」


 重めのドッキリ大成功といった空気の中、僕は1人で疲れ果てていた。


「ちなみになんですが、あのマスターは?」


「彼はこの店の店主だろう。私達とは関係ない」


 意外とインパクトの強かったマスターは、裏の社会とは関係無かったのか…。

 世の中分からん……。


「柳町君。こういう状況なんで率直に聞くが、君は強くなる気はあるか?」


 急に真顔になったお父様は、本気の目で僕に問いかけた。


「君は確かに芯は強い。人として大事な部分をちゃんと持っている。しかしこの先、異能力業界に関わっていく以上、物理的な強さ無くしてまともな生活は望めないぞ」


「そうだ。異能力業界と闇社会は切っても切れない関係だからな。内密には動いているが、ワンさんが柳町君に接触した事がバレたら、B級能力者相談所サテライトキングダムも危険に晒される可能性が高くなるだろう」


「君にその気があるのならば、早急に特訓し、強くなってもらいたいと思っている。そして京子の近くに居て、守ってやって欲しい」


 確かに、いつまでも守ってもらっているのは、男として情けない。京子先生ほどは無理だとしても、今より強くなる事は必要だと前から感じていた。


「お願いします!僕をもっと強くして下さい!」


「そうと決まれば話は早い!

 では、明後日の朝7時に、富士山の山頂で待ち合わせだ!」


「山頂ですか!?」

 

 待ち合わせ場所に混乱している僕を、能面のような顔で見つめる3人。


「冗談だ」


 お父様といい京子先生といい、冗談なのか本気なのか全然分からない……。


「諸々の事は近々の内に何らかの方法で連絡する。体調だけ整えて、待機しといてくれたまえ」


「分かりました」


 そう言い残すと、3人は何故か店の奥にあるトイレに向かった。なかなか出て来ないと思ったら既に姿は無く、3人はそのまま消えてしまった。

 やはりこの業界は、不思議な力を持った人達が本当に多い。思っている以上に住んでる世界が違うので、付いていくので精一杯だ。


 そういえば今回の事は何も言われなかったけど、この事は京子先生には黙っていた方が良いんだろうか?

 とりあえず仕事をほったらかして来てしまったので、僕はB級能力者相談所サテライトキングダムに帰る事にしたが、京子先生に本当の事を言うべきかどうか迷ったままだった。



 時刻は12時27分。

 僕は、お昼休みの間にB級能力者相談所サテライトキングダムに帰って来た。


「戻りました!」


 京子先生と黒川さんは出前をとったようで、土用の丑の日でもないのに2人とも鰻重を食べていた。


「あら、柳町君。仕事をサボって喉仏からスパゲティーでも食べてたの?」


 口答えしたかったが、事情が事情だったので、特に否定はしなかった。


「すみませんでした。急に出て行ってしまって」


「別に大丈夫よ。2人で回すのは大変だったけど、お昼もおごってもらった事だし」


「ご馳走さまでした」


 僕の金だった。


 京子先生は、良くも悪くも金で解決する事が多い。嫉妬はするが、根に持つタイプではないので、後腐れなくて良いと言えば良いのだが……。


「そういえば新右衛門。あなたの今月のお給料、なんだかんだで850円だから、いろんな意味で頑張ってね」


「月の給料が高校生の時給並み!!」


 1ヶ月850円での生活は、どう考えても無理だ……。しかし、ここの良い所は出来高制だという事!

 何故か、締め日=支払い日なんで、給料が支払われるその日までいくら貰えるか分からない!来月の生活の為にも、まだまだ望みは捨ててはいけない!


「そういえば、柳町さんの幼なじみだって言ってたあの娘は、どうしたんですか?」


 ヤバい……。

 聞いてくるとは思ったが、さっきの事を正直に言って良いものか……。


「そうね。柳町君がアメリカンスクールに通ってたなんて初耳だわ」


「いや〜話したい事は沢山あるんですが、もうすぐお昼休みも終わりますし、その話はまた後にしましょう」


 そう言いながら僕は奥の部屋に行き、ナポリタンで汚れた喉仏を入念に拭いていた。思いの外、汚れを隠し切れなかったので、首にコルセットを巻き、何とか襟元をごまかして出て来た。


「どうしたの?ライオンにでも噛まれたの?」


 似たような目にはあったが、うまい返しが出来なかったのででごまかした。


「新右衛門。殴って良い?」


「すみません」


 ごまかしきれなかった。


「も……もうすぐ午後の診療の時間なんで、相談者の方を呼びますね」


 僕はライオンから逃げるように部屋を出て、待合席に向かった。


「次の方どうぞ」


 次の相談者は何処にでも居そうなお婆さんで、何やら大きめのケースを手に持っていた。


「持ちましょうか?」


「ありがとう


 軽い気持ちで言ってみたが、意外と重いと思い、重い物を持つ想いで、そのケースを持った。すると、中でガタガタと動く音がした。


「この中に入っている物は?」


「すみません。犬なんで


 本来ペットを入れるようなケースではなかったので、違和感を感じていたが、お婆さんなのに語尾が「ございやす」と言っていた事の方がもっと違和感を感じた。


「実は相談というのは、この犬の事なんで


「わ……分かりました。では、とりあえず中に入りましょう」


 さっきまでの「ございやす」が急に「ございます」に変わっていたのが気になって、今夜は眠れそうにないと感じたまま、僕はお婆さんを中に案内した。

 お婆さんは中に入るとゆっくりとソファーに座り、靴を脱いで正座した。 黒川さんがお茶を出してくれている間に、京子先生は問診票に目を通していた。僕も一緒に覗きこんで問診票を見ていたが、そこにはお婆さんの名前と相談内容しか書かれていなかった。


「桐山 セツさんですね」


「はい」


「相談内容に『犬の事』としか書かれていませんが、もしかしてそのケースに入っているのが、その犬なんですか?」


「そうなんです」


 そう言うと、桐山さんは手持ちのバッグから、ういろうを出してひとかじりし、バッグにしまってからまた話を続けた。


「私は今、年金生活で1人暮らしをしているんですが、3日前に散歩をしている途中、この犬を拾ってしまったんです」


「拾ってしまった?」


 確かに『拾ってしまった』という表現の仕方に違和感を感じた。


「何かあったんですか?」


 京子先生が詳しく問いただすと、セツさんはまたバッグからういろうを取り出し、ひとかじりしてバッグにしまった。


「実はこの犬の後頭部から背中の辺りにかけて擦り傷があり、手当てをしてあげようと思って家に連れて帰ったんです」


「擦り傷ですか?」


「はい」


 セツはバッグからイチローの写真を取り出し、スシローの割引券を握りしめながら、ういろうを1本たいらげた。そして何故か、おもむろに老眼鏡をかけて喋り出した。


「首輪が無かったので野良犬だとは思ったんですが、近所の人に虐待でもされているんじゃないかと思って、心配になったんです」


 優しい人だ。

 ういろうの件はともかく、この犬を保護しようとしたって事か。


「その犬をケースから出しても大丈夫ですか?」


「はい」


 セツさんが立ち上がり、自分からケースを開けて犬を外に出した。犬種はダックスフンドだろうか。胴長で黒く、愛らしい目をした可愛い犬だった。確かに後頭部から背中にかけて擦り傷がある。


「小太郎っていうんです」


 別に聞いてはいなかったが、もう名前を付けた事を教えてくれた。


「実はこの小太郎、何か変なんです」


「変?」


 この犬!?

 良く見ると後ろ足に羽が生えている!?


「京子先生!これ!羽じゃないですか!?」


「本当だわ!これは一体……。」


「羽ですか?」


 セツさんは1人キョトンとしていた。


「本当だ!こんな犬、初めて見ました!!」


 黒川さんも驚きを隠せなかった。


「羽なんて私には見えませんが……。」


「老眼鏡かけてるからだろ!!」と思ったが、良く見ると既に老眼鏡は外していた。


 《アイマスクをしているセツさんの挿し絵》


「アイマスク!!」


 何故か見たままをつっこんでしまった事を後悔し、凄く恥ずかしい気分になった。

 アイマスクを外したセツは、小太郎を抱き抱えたていたがそれでも羽は見えていなかった。

 僕達3人には見えているのに……。


「もしかしてこの羽、能力者にしか見えないのかも」


 そういう事か!

 京子先生の考えは、的を得ていた!という事は……。


「この犬の羽も能力って事ですか!?」


「おそらくそういう事ね」


 食べかけのういろうを分けてもらい、食べ終わってから少し考えた後、京子先生が口を開いた。


「桐山さん。この犬、少しの間こちらで保護させてもらってもよろしいですか?」


「構いませんよ。正直、うちのアパートはペット禁止なので、どうしようか悩んでいたんです。名前こそつけましたが、あまり愛着もないんですよ」


 最初は少し優しい人だと思ったが、実はそうでもないのかも知れない…。


 京子先生は、セツさんに住所と連絡先を書いてもらい、小太郎を拾った時の状況や拾った後の事などを詳しく聞いて、黒川さんにメモしてもらっていた。


「では、こちらでこの犬の事をいろいろと調べてみます。その状況によっては、桐山さんの元に返せなくなるかも知れませんが、ご了承下さい」


「構いませんよ。元々拾ったものですし、うちでは飼えませんから、お宅で何とかしてもらえるとそれはそれで助かります」


 京子先生はどうする気なんだろう?


 僕はセツさんを相談所の外まで送った。


「では、すみませんが小太郎の事を宜しくお願い


 そう言い残すと、何故かセツさんはスキップで帰って行った。最後まで語尾の謎は解けず、迷宮入りになってしまったが、残された小太郎をどうするか、これから3人で話し合う事になった。


 相談所に戻ると、京子先生が紐のような物で、小太郎と遊んでいた。何処かで見覚えのある紐だと思い、辺りを見回して見ると僕のバックの手で持つ部分が、1つ引きちぎられていた。


「正直、この手のケースは初めてだわ」


「僕も初めて見ました……」


 人のバックを引きちぎり、犬の遊び道具にしている人を見るのを……。

 そして何より、その紐に小太郎が一切興味を示さない事が、心の底から悲しかった。


「異能力については、生まれつき持っている先天的なものと、何らかのきっかけで備わる後天的なものがあるけど、どちらも基本的には人に限ったものなの」


「基本的にはって事は、こういう動物も他に居ない訳ではないんですね?」


「まぁそうなんだけど、私も直接見るのは初めてね」


「先生!何か小太郎君が、飛ぼうとしているみたいです!」


 黒川さんの声を聞き、小太郎の方を見てみると、確かに今にも飛びそうな感じだった。


 《小太郎が飛ぼうとしている挿し絵》


 後頭部の擦り傷の謎が分かった……。


 僕達3人は黙って小太郎を見守っていた。


「この子、しょうがないけど、ここで面倒を見た方が良いかも知れないわね」


「えっ!?飼うんですか?」


 僕と黒川さんは目を丸くして、お互いの顔を見合った。

 一体誰が世話をするんだろう……。


「黒川さんは実家暮らしよね?」


「そうですけど、両親とも犬嫌いなんでうちはムリです」


「柳町君は1人暮らしだったと思うけど、ペットは飼えるの?」


 無理です!と言いたい所だが、実は……

「うちは大丈夫です!アパートの大家さんが親戚で、入居する時に1匹だったら、犬か猫を飼って良いって言われました」


「じゃあ決まりね!小太郎は私が飼うわ!」


「ええ〜っ!!?

 その話の流れだったら、僕が飼うんじゃないんですか!?」


 正直、ちょっと可愛いと思い飼う気マンマンだったのに、実は京子先生の方が気に入ってしまったようだ。

 京子先生に抱き抱えられていた小太郎は、少しの間大人しくしていたが急に暴れだし、京子先生の腕を振りほどいて僕の所へやってきた。


「あら。新右衛門君の方が、気に入ったのかしら」


 やっぱり可愛い…。

 頭は悪そうだけど、何とも愛くるしい……。


「そういえば、何かの漫画でありましたね。良いハンターは動物に好かれちゃうって」


 黒川さん、良い事言う!

 僕も優秀な能力者になれる素質があるって事かな!


「柳町君の場合、知能指数が同じだと思われたんじゃない?」


「失礼な!」


 否定はしてみたが、小太郎より低い可能性も十分ある……。


 !?

 しまった!

 そういえば、僕はもう少ししたら、お父様の所で特訓をしなきゃいけなかったんだ!

 おそらく休暇ももらわなきゃいけなくなるし、犬を飼っている場合じゃなかった!!


「何か新右衛門君の事が気に入ったみたいだし、しょうがないから小太郎は柳町君にお世話してもらうって事で良いかしら?」


「えっ……え〜と……僕もそのつもりだったんですけど、実は週末くらいからお休みを頂かないといけない状況になりまして……」


「何?休むの!?何処の女と遊びに行くのよ!」


「いや……遊びに行くというより、戦いに行くという感じなんですが……。」


「戦い?週末に女と戦いってどういう状況なの?

 エリザベス女王杯かなんかなの?」


「いや、牝馬限定のレースじゃないです!!

 週末も女の子もあまり関係ないんですが、なんせ急にいろいろあったもので……」


「もしかして、あの静香とかいう女がらみなんじゃないでしょうね?」


 絡んでない事もないが、本当の事を言ったらまた話がややこしくなる…。どうしたもんか……。


 京子先生は、僕のこの一瞬の間を嘘をついていると感じたのか、とんでもない距離から飛び蹴りをかましてきた。

 その瞬間、小太郎が僕の足に体当たりし、よろめいたお蔭で飛び蹴りをかわす事が出来た。


「ちっ!」


 ちっ!じゃない!

 あんなのをまともに食らったら全治3ヶ月はかかるぞ!!


 小太郎の体当たりが、偶然なのか意図的なのかは分からなかったが、何とか命拾いした。


「じゃ、とりあえずは私が小太郎の面倒を見るわ」


「ありがとうございます」


「休みの件に関しては、後でゆっくり話ましょう」


「分かりました」


 後で何を言われるのか分からないが、京子先生の目の奥の輝きが怖かった。


「新右衛門君は小太郎グッズを買いに行ってきなさい」


「仕事の方は良いんですか?」


「柳町君なんて居ても居なくても一緒なんだから、少しは役に立ちなさい」


 相変わらずヒドイ……。

 この人のヒドさは一体どこまで行くんだろう…。


「新右衛門。勘違いして欲しくないんだけど、居ても居なくても一緒っていうのはっていう意味よ」


 そういう意味でとりました!!


「分かる?

『ユースレス』

役立たずっていう意味ね」


「何度も言わないで良いです!!」


 一応、自覚はありますんで……。

 だからこそ、この週末の特訓で見違えるようにパワーアップして帰って来てやる!!


「あの〜………小太郎グッズを買いに行くのは良いんですけど、お金の方はどうしたら……。」


「またお金なの!?」


 どの口が言う……。


「柳町君は、口を開けばお金の事ね!」


 そっくりそのまま返したい。


「全く銀行員じゃないんだから」


「銀行員は仕事でしょ!!」


「分かったわ。これで買って来なさい。

 小太郎も実験動物として経費で落とすから、領収書だけはもらってきてね」


「わ……分かりました。」


 僕も実験動物なんじゃないかと思いながら、もらった3万円を握りしめてペットショップに向かった。


 僕はドッグフードや首輪など、一通り必要そうな物を買ってB級能力者相談所サテライトキングダムに戻って来た。

 今はちょうど相談者の人が居なくて、2人とも一息ついている所だった。


「戻りました!」


「遅いと思ったら、自分のご飯まで買ってきたの!?」


「ドッグフードです!」


「あら。私、何か間違った事言ってる?」


「いや……。いつも迷惑ばかり掛けて、犬並みの事しかやっていないので、人間様のご飯を頂けるほどではない事は分かっているんですが、これは小太郎君のご飯なんです」


「ああそうなの。

 一応、自分が拾われた野良犬だって事は分かってるのね」


「京子先生。もうその位にしてあげたらどうですか?柳町さんも困ってますよ」


「だって腹立つじゃない!!

 宝くじが当たったのに、分け前をよこさないなんて!」


「当たってないです!!仕事も出来ないくせに、休みを取ろうとしてるから怒ってるんじゃないんですか!?」


「仕事が出来ないなんて事は百も承知よ!!今に始まった事じゃないでしょ!!」


 実に説得力のある答えだった。


 何とも言えない空気に耐えきれず、フォローしてくれた黒川さんに笑顔を振り撒いていたら、外の待合席から子供の声が聞こえた。


「すみませ〜ん」


 黒川さんがドアを開けると、そこにはランドセルを背負った小学生の男の子が居た。


「僕、どうしたの?」


 学校帰りだろうか?低学年くらいのその子は、右手に握りしめた林檎を黒川さんに渡そうとした。


「さっき、ここに居る人の中でに、この林檎を渡してって言われた」


「柳町君じゃない」


「即答しないで下さい!!」

 間違ってないけど……。


「誰に言われたの?」


「それは言えない。見返りをもらったから、それだけは言えないの」


 そう言うと、男の子は僕に林檎を投げつけ、逃げるように走り去って行った。


「あんなに小さい子なのに、見返りなんて言葉を知っているんですね」


 黒川さん……。

 感心する前に、人に林檎を投げつけちゃいけませんって教えようよ。


「新右衛門君も見習いなさい。小学生でもギブアンドテイクや義理人情が分かっているんだから、秘密をしゃべっちゃいけない事くらい覚えなさいよ」


「分かりました」


 僕は、また1つ賢くなった。


 黒川さんは僕の事をじっと見ていた。

 もしかして、京子先生の秘密を口止めされていると思っているんじゃないだろうか?そんな事を思いながら、僕はさっきの子供に投げつけられた林檎を見ていた。するとそこには、小さい文字で何か書かれていた。


『明後日の朝7時に下記の住所に来たれり

 南京横町3丁目の吾妻橋の下辺り

 一ノ条 司』


 特訓を行う日時の連絡だ!

 予想外の連絡方法のせいか、急に鼻血が出た。


 《黒川さんが鼻血を出している挿し絵》


「大丈夫ですか?黒川さん」


「ちょっと興奮しちゃいました……。

 私、歳の離れた弟が居るんですけど、ああいう小さい男の子が大好きなんです!」


 まさかの新事実!!

 黒川さん、ブラコン発覚!!

 黒川さんは奥の方へ行き、鼻に詰め物をしていた。


「柳町君。さっき、ちらっと見えたんだけど、その林檎に何か書かれてたわよね」


 ヤバい!いつの間にか見られてた!?


 僕はとっさに、その林檎をかじった。文字が書かれていた場所を一口で消し去り、証拠を隠滅させた。


「えっ!?何の事ですか?」


「本当に嘘をつくのが下手ね」


 バレてる……。


「文字が小さいからちゃんとは読めなかったけど、一文字だけ読み取れた字があったわ。


 ………司って」


 あぁ〜……バレてる〜……。


「あなたシティハ○ターとどういう関係なの?」


「司、違いです!!

 この流れで、司=北條 司はないでしょ!

 一ノ条!一ノ条!」


 思わずこらえきれずにつっこんでしまった。


「自分からバラすなんて、本当にお粗末ね。やっぱり小学生以下だわ」


 つっこみの性を利用した誘導尋問だ。

 恐るべし、柊 京子……。


「それで結局の所、何が書かれていたの?」


 口止めされている訳ではないが、僕は正直に言うべきかどうか悩んだ。


「まさかとは思うけど、一ノ条に会って何か言われたんじゃないでしょうね?」


「………。」


「無言って事は、会ったと受け取るわよ」


「あ……会いました」


「やっぱり!!ったくあのオヤジったら……。

 問題が起きてる事は聞いたけど、新右衛門君達を巻き込まないように言ったのに!」


「でもこれは自分の意思なんです!」


「どういう事?」


「どういう問題が起きてるのかは教えてもらえなかったですけど、いずれこの相談所も危ない状況になるかも知れないっていう事は聞かされました」


「確かにその可能性はあるわね」


「何の話ですか?」


 黒川さんは1人、話に取り残され、僕達のやり取りに戸惑っていた。


「ごめんなさい。桃ちゃんには後で説明するから、今は黙っててもらって良い?」


「わ……分かりました」


 黒川さんは待合席を確認した後、誰も居なかったのか、お湯を沸かし始めた。


「それで一ノ条は何て言ってたの?」


「僕に強くなる気は無いか?って聞いてきました」


 豆鉄砲をくらった白鳥のような顔をした京子先生を尻目に、僕は話を続けた。


「今後の事を考えて、自分や身の回りの人達を守る為に、僕も強くなりたいと思ったんです!

 僕にその気があるなら特訓してくれるって言われたので、週末からお願いする事にしました」


 京子先生は黒川さんが出してくれたお茶を飲み、長い沈黙の後、一息ついてから口を開いた。


「舌を火傷したわ」


 何て言って良いのか分からなかった。


 僕のせいでは無い事は確かだったが、何故か申し訳ない気分になった。


「そうなのね……。てっきり一ノ条に、ここを辞めるようにでも言われたのかと思ったわ」


「僕は京子先生に辞めろと言われない限り、ここを辞める気はありません!」


 似たような事は言われたが、僕自身は全くここを離れる気が無かったので、正直な自分の気持ちを言い切った。


「そうね。確かに使い物にならないし、どうしようもないけど辞めさせるかどうかは私が決めるわ」


「はい」


 納得のいくようないかないような話だった。


「そういう事なら分かったわ。特訓に行ってらっしゃい」


「ありがとうございます!」


「どれくらいの期間、特訓するかは聞いたの?」


「いや。具体的な事は全く聞かされてないです」


 京子先生は冷凍庫からアイスの実を取り出し、火傷した舌を冷やす為に1つだけ口に含んだ。そして腕組みをし『村田兆治』のカレンダーを見ながら仁王立ちで呟いた。


「多分、期間としては2ヶ月くらいじゃないかしら?」


 京子先生は、なぜか2ヶ月という具体的な期間を公言した。


「なぜ2ヶ月なんですか?」


「柳町君は知らないと思うけど、実はこの世界にもドラフトのような物があるのよ」


 黒川さんも一緒に聞いているせいか、京子先生は裏社会や異能力業界の事をひとくくりにして、あえて『この世界』という言い方をしていた。


「そのドラフトが大体2ヶ月後なのよ」


「もしかして、僕もそのドラフトにかかる可能性があるんですか!?」


「「!?」」


「なぜ、そこだけハモるんですか!!」


 京子先生と黒川さんは顔を見合せて笑っていた。

 黒川さんが、ここに馴染んできたのは嬉しい事だが、僕にとってこのハモりは、近年稀に見る悲しい出来事だった。


「どちらにしても、異能力ドラフトはビッグイベントの1つだから、新右衛門君が参加するしないに限らず、その辺りが目安になるはずよ」


 異能力ドラフト……。そんなものがあるなんて……。


「異能力の事を少し説明するけど、異能力ってランク付けされているでしょ?」


「はい」


「まぁ基本的には自己判断なんだろうけど、大きく分けて、使える能力と使えない能力でA級かB級に分けられるの」


「ドラフトにかかるのは当然A級の人だけですよね?」


「そうね。でもね、実は異能力って訓練する事で飛躍的に伸びる事があるのよ」


「もしかして、別の能力が身についたりするんですか?」


 黒川さんは凄く興味を示して、質問していた。


「僕が聞いた話だと、基本的に異能力は1人1つだけだったと思うんですけど」


「そう。基本的に1つだという事は確かなんだけど、鍛えれば伸びるっていう事を意外と皆は知らないんです」


 塾の先生にでもなったつもりか、京子先生は何故か敬語だった。


「例えば、メラしか使えない人がメラゾーマを使えるようになったり、ホイミしか使えない人がベホマを使えるようになったり、ラーメンを頼んだのにチャーシューメンが来たりして、使える能力が上級になっていくイメージね」


 最後のは明らかにオーダーミスだと思ったが、店長に報告したらサービスしてくれて、ラーメンの値段で食べられる事になった微笑ましいエピソードだと勝手に想像し、つっこむ事をやめた。


「じゃあ、私の『舐めた物が黄色くなる能力』も……」


 今の例え話を、何事も無かったかのようにスルー出来る、黒川さんの鋼の心臓に乾杯。


「そうね。鍛えたら、舐めなくても黄色く出来たり、赤とか緑に出来るかも知れないわ!」


 この時、僕と黒川さんは同じ事を思った。

「あまり嬉しくないかも……」と。


 お茶を飲んだあと席を立ち、アイスの実を口に含んだ黒川さんは、モジモジしながら喋りだした。


「あの〜……ずっと気になっていたんですけど、柳町さんと京子先生の能力って一体何なんですか?」


 キターーー!!

 黒川さん……。B級能力というのは、あまり意味の無い能力だから、一般的には公表したくないんですよ!そしてA級の能力者も、自分の能力を公表する事は、自分の身を危険に晒す可能性があるから、メリットが無ければあまり言いたがらないよ!


「桃ちゃんと柳町君には教えてあげても良いけど、実は私はA級能力者なのよ」


 そんな気はしていたが、やっぱり只者では無かった……。


「私は反射神経が尋常じゃないの」


「反射神経ですか!?」


「そう。新右エ門君は、私の反射神経を知ってるかも知れないけど、私は目の前で銃を撃たれても、余裕で避ける事が出来ます」


「マジですか!?」


「正直、ケンカだったら誰にも負ける気はしないわ」


 どうりでいつも強気な訳だ……。赤スーツ相手でもビビる訳が無い……。格闘術も一ノ条さんから習ってたって言ってたし、いよいよ特訓しても、京子先生より強くなる事は難しいか……。


「柳町さんは?」


「……僕は、ご想像通りB級でございます」


「それで?」


「京子先生は知っているんですけど……」


「あのエロい能力ね」


「エロいって言わないで下さい!」


「新右衛門君は興奮すると、ある所が固くなる能力なのよ」


「違います!違わないけど、それは特殊な能力ではない!!」


「ぼ……僕は触った物が柔らかくなる能力なんです!それもちょっとだけ……」


「柔らかくですか?それもちょっとだけ……」


「そう。固い物でも、ちょっとだけムニムニにする事が出来ます」


「やっぱり何かエロいですね」


 黒川さんまで、そんな目で見ないで……。


「でも新右衛門君は何でそんなにエロいの?」


「エロい所に食い付かないで下さい!食い付くなら能力の方にして!!」


「だからいつも、変な所ばっかり触ってるんでしょ?」


「だから触ってません!!」


「何を勘違いしているの?私の言っている変な所っていうのは、股間の事よ」


「存じております!!いつも固いから、能力で柔らかくしている訳ではありません!!」


 足下の気配を感じて振り返ると、悲しいかな小太郎が股間を固くしたまましっぽを振っていた。

 冷ややかな目で小太郎を見る2人の視線に耐えきれず、僕は能力で小太郎の興奮を鎮め、舘ひろしのような後ろ姿を見せつけながら、アイスの実を口に含んだ。


「アイスの実って美味しいですね」



 この日の診療が終わった後、京子先生は小太郎を連れて帰ったせいもあり、今日は珍しく黒川さんと一緒に帰る事になった。

 途中までは帰り道が一緒なので、今まで一緒に帰らなかった方が不思議だったが、今日はごく自然な流れでこうなり、僕は勝手に軽いデート気分を味わっていた。


「柳町さんは料理とかするんですか?」


「いや……あんまりしないよ。自分が食べるくらいの簡単な物は作るけど」


「1人暮らしだから、いつもやってるのかと思って」


「いや。ほとんど買ってきて食べるかな。黒川さんは実家だもんね。やっぱり帰ると、ご飯作ってあるの?」


「ある時と無い時がありますね」


「そうなんだ」


「何かうちの親は気分屋なんで、いろいろムラがあるんですよね」


「良かったら、これから何処かで一緒にご飯でも食べて帰る?」


「エロい誘いですか?」


「違います!そのキャラやめて下さい」


「冗談です。すみません」


 黒川さんは、最近本当に明るくなったと思う。

 うちで働くようになって、元気になってくれたのは喜ばしい事だけど、少しずつ京子先生の悪影響を受けている事が悲しかった。


「良いですよ。実は私も、ちょっと話たい事があったんでお供します」


 そういうと黒川さんはスマホを取り出し、実家に連絡していた。


「ちなみに私、門限は11時なんで、それまでには帰りますね」


 何かエロいキャラに釘を刺されたみたいで胸が痛かったが、そういう所はちゃんとしている娘なんだと思い、何処か安心している部分もあった。

 あまり選べるお店も無かったので、消去法で近くのファミレスで食べる事になった。


「ここ、ペットの入店禁止ですね」


「ぼ……僕は一応、人間扱いで大丈夫だと思うよ……」


「いや……そういう意味じゃなくて、京子先生が、今後は小太郎君もB級能力者相談所サテライトキングダムに来る事が多くなるって言ってたから、そういう所も気にしておいた方が良いかなぁと思っただけです。京子先生じゃないんで、流石に柳町さんを犬扱いはしませんよ」


 京子先生に毎日いじられてるせいか、日に日に被害妄想がひどくなってきている気がする。

 ごめん。黒川さん……。


「お手!」


 黒川さんの差し出した手に、無意識に反応してしまう僕。


「犬扱いしてるじゃん!」


「これくらいのノリじゃないと、お2人に付いていけないのかなぁと思って、ちょっと頑張ってみました」


「別に頑張らなくて良いから……」


 そうこうしていると、ウェイトレスさんが来て、禁煙席に案内してくれた。

 席について黒川さんがメニューを見ている間に、僕はセルフサービスのお水を2つ持って来た。


「あっ!ありがとうございます!柳町さんって意外とこういう所マメですよね!」


「そう?」


 無意識でこういう事をやっているが、僕は元々いじめられるタイプだったので、いつの間にか周りの人の顔色を伺ったり、今はこういう事をして欲しいんじゃないかと、勘ぐる癖がついているのかも知れない。感受性が強いのが唯一の長所だとは思っているが、たまに人から意外と気が利くみたいな事を言われる事はある…………京子先生以外には。


「そういえば柳町さんって、お給料ちゃんともらってるんですか?」


「一応、ギリギリ生活出来るくらいはもらってる。実はさっき、京子先生から小太郎グッズを買いに行かされた時に、お釣りは取っておいて良いって言われたんで、今日は少しだけ余裕あるんだ。ここは出すから、好きな物食べて良いよ」


「私にそんな事言って良いんですか?」


「何か怖いな……」


「じゃあ、お腹空いてるんでもう呼んじゃいます!」


「あっ!まだ決めてないのに!」


  呼び鈴が鳴り、すぐにウェイトレスさんがやって来た。


「お伺いします」


 これがマーフィーの法則というのか、何故かこういう時だけウェイトレスさんが来るのが早い。


「とりあえず私は、チョコレートパフェと、チーズケーキと、クリームあんみつで」


「ぼ……僕はチーズインハンバーグとライスで。後、ドリンクバーを2つお願いします」


「かしこまりました。少々お待ち下さい」


 黒川さんの注文に少し戸惑った。


「黒川さんは、ご飯物は食べないの?」


「食べなくはないですけど、今日はせっかくのおごりなんで、食べたい物を食べようと思っただけです」


 そういえば以前、赤スーツの時の話で、かなり甘党だった気がする!

 実は偏食タイプだったのか……。


「そういえばさっき、何か話したい事があるって言ってたけど、何の話なの?」


「一ノ条さんとか特訓の話とか、いろいろ分からない事を聞きたくて。

 京子先生も後で説明してくれるって言ってたけど、帰っちゃったし」


「僕が言って良いのか悪いのか分からないけど、京子先生に差し支えない程度で良いなら説明するよ」


「お願いします」


 僕達はとりあえず、ドリンクバーに行った。

 まさかのメロンソーダかぶりを果たし、はたから見たらカップルに見えただろうか。

 黒川さんはガムシロを2つ持って席に戻り、僕達はまた話を続けた。


「簡単に説明すると、一ノ条さんっていうのは、昔、京子先生に格闘術とか能力の事とかをいろいろと教えていた人らしい。その人が僕に、強くなる為に特訓をしないかって話を持ち掛けてきたんだ」


「そうだったんですね」


「京子先生と一ノ条さんの間にはいろいろあるみたいで、僕と一ノ条さんが関わる事は、京子先生的には嫌だったみたい。でも、僕にも強くなってもらわないと困ると思ったのか、さっき特訓をする為に休みをもらう事を了承してもらったんだ」


「特訓って、能力の使い方とかも教えてもらえるって事ですよね?」


「そうだと思う」


 黒川さんは一瞬考え込む仕草をし、少し間を置いてから喋り出した。


「柳町さんは、私でも強くなれたりすると思いますか?」


 意外な質問だった。

 黒川さんもあんな危険な目に会って、少しは自分の身を守れるくらいの強さが欲しいと思ったのかな……。


「出来る事なら私も特訓に参加したいと思ったんですが…。」


 黒川さん……本当に変わったな……。

 うちに相談に来た時は、もっと弱々しい感じだったのに、あの赤スーツの件があってうちで働くようになってから、明らかにメンタルが強くなった。


「私、もっと自分を変えたいんです!今までいろんな事に遠慮して、目立たないように生きて行こうと思ってたんですけど、柳町さんや京子先生に出会って、もっと自分らしく生きたいって思ったんです!」


 僕はただ、毎日京子先生に弄ばれていただけなのに、黒川さんにこんな影響を与えていたとは……。

 ただ気掛かりなのは、黒川さんまで抜けてしまうと、相談所の仕事を全て京子先生に任せてしまう事になる。黒川さんも当然、それを分かった上で言っていると思うから、やっぱりそれなりの想いがあるって事か……。


「僕もそうだけど、特訓で強くなれるかどうかは自分次第だと思う。

 もし黒川さんも参加したいっていうんだったら、明日にでも京子先生に相談した方が良いと思うよ」


「そうですよね。まだ仕事もままならないのに、ちょっと勝手過ぎますよね」


「でも、黒川さんのその想いを伝えたら、京子先生もきっと分かってくれると思うよ」


 ウェイトレスさんがデザートを持って来てくれたが、まだ手をつけずに黒川さんは少しの間、考え込んでいた。2つ離れた席に居る客の声が聞こえくるほどの沈黙が流れた時、ウェイトレスさんが食器を下げようとして、床にスプーンを落とした。そして、それが合図になったかのように、黒川さんが突然喋り出した!


「分かりやした!!やるだけやったります!!」


「う……うん。そ……それが良いと思うよ……」


 キャラ変をしようとしていたように見えた黒川さんは、その後、人の金だと思って存分にデザートを堪能した。さっきの沈黙は、どれから食べようか迷っていただけのような気さえする。

 ガムシロをかけたデザートを全てたいらげると、黒川さんは僕の顔をチラッと見て、チーズインハンバーグを持って来てくれたウェイトレスさんに、追加の注文をした。


「すみません!追加で、ホットケーキと、ストロベリーサンデーと、砂肝をお願いします!」


「かしこまりました」


 黒川さんの偏食チョイスが分からない……。

 黒川さんは、僕がチーズインハンバーグを食べている間に、おかわりのドリンクバーを取りに行き、カルピスソーダとガムシロを2つ持って来た。

 僕がチーズインハンバーグを食べ終わりそうな頃に、追加の品物がやって来た。黒川さんは砂肝にガムシロをかけた瞬間、一瞬で3品をたいらげる。

 黒川さんの能力は『舐めた物を黄色くする能力』だが、この食べっぷりを見て僕は『赤くする事』は出来るようになる気がした。

 危険という意味で……。


 目を覆いたくなるような会計を済ませた後、僕は黒川さんと別れ、地面に付くんではないかと思うほど肩を落としながら家路に着いた。


 最後の最後にパフェ7つ………か。



 今日は金曜日。

 これから家を出て仕事に行く為、準備をしている途中に何気なくつけたテレビから、変なニュースが流れてきた。


「赤い中学生、2000人を超える」


 赤い中学生?

 奇妙なフレーズに気をとられ、テレビに見入ってしまいそうになったが、時間がギリギリになってしまったので急いで家を出た。

 家を出て、全力疾走で仕事場に向かおうとした瞬間、僕は後ろから物凄い勢いで自転車に牽かれた。


「痛っ!!」


 かなり派手に点灯……いや転倒したので「すみません!」という言葉が来ると思い、自転車の乗り主を見上げると、今度は殺意を感じるほどの力で、頭から意図的に牽かれた。

僕の顔には綺麗なタイヤのセンターラインがつき、ブラックジャックにでもなった気分だった。

 犬を引き連れながら自転車に乗っていたその人と、仕事場に向かう道中に、いつものやりとりが始まった。


「逆ゴルゴと言われた私の前に出て来るなんて、良い度胸ね」


 京子先生の場合、前に立っても後ろに立っても殺られそうな気がする……。


「京子先生……な…何でこんな所に居るんですか?」


「出勤がてらに小太郎の散歩をしようとしていたら、ここまで来てしまったのよ」


 僕の家と京子先生の家は全くの逆方向だ。まさかとは思うが、わざわざこっちまで来て僕の家の前で張っていたんじやないだろうか……。


「そんな事より新右衛門君。そんなにチンタラしてて大丈夫なの?」


 京子先生の自転車に並走していたので、決してチンタラしているつもりはないのだが、僕は僕なりの全力疾走で走っていた。京子先生には、それすらチンタラしているように見えるのだろう…。


「分かっていると思うけど、遅刻は給料から天引きだからね。死ぬ気で頑張りなさい」


 そう言うと京子先生は弱虫ペ○ルを一気に踏み込み、一瞬で僕の視界から見えなくなった。いつでも競輪選手になれるというほどのポテンシャルをまざまざと見せつけていたが、10年物の自転車の悲鳴だけが僕の心に共鳴した。



 僕がB級能力者相談所サテライトキングダムはに着いたのは9時ジャスト。この時間なら、いつもは開いているはずの従業員入口も、今日はしっかりと鍵がかけられていて、何が何でも僕から金をむしり取ろうとする執念を感じた。

 僕に激突した後、自転車の前籠に小太郎を乗せた時から、変な悪意を感じていたので、何かやって来るだろうとは思っていたが、やっぱり金だった。


「おはようございます」


「おはようございます。どうしたんですか?その顔?」


「柳町君は今日から闇医者になるらしいわよ」


「だからブラックジャックじゃありません!」


「あら、交渉で遅れたんじゃないの?」


「高額な金銭は要求してません!」


「もしかして、新右衛門君自身が手術を受けてたとか?」


「その割には賢くなってません!!」


 僕は潔良いほど、自分で自分を罵った。

 無邪気に走り回っている小太郎を見て、複雑な気分になっていたが、朝準備が終わっていないのは僕だけだったので、とりあえず急いで朝準備に取り掛かった。

 朝準備をしながら昨日の事を思い出し、黒川さんに小声で話掛けてみた。


「京子先生には話したの?」


「まだです」


「タイミングもあるだろうけど、話するなら出来るだけ早い方が良いと思うよ」


「そうですよね」


 黒川さんと話をした後、僕は廊下に出て待合席の掃除をしていた。

 廊下に置いてあるテレビを付け、朝気になっていたニュースを探してみたが、そのニュースは既に流れていなかった。赤スーツの件もあったので、赤い中学生増殖のニュースは奴等が絡んでいるような気がするが、中学生というのがどうにも繋がらない。


 !?

 ……まてよ!?

 赤スーツ達はB級能力者に目をつけていた。

 若い能力者達を狙っているって事か?

 中学生というフレーズがひっかかっていたが、そういえば以前、ジョニーさんに聞いた話で能力が発現する確率が高いのは、中学生だって言っていたのを思い出した!そして何より、僕の能力が発現したのも中学生の時だった!!


「京子先生〜!!」


 この時間、京子先生は大体奥の部屋でメールチェックしてるはずだ!

 僕は、はしゃぎ回っている小太郎の攻撃をかわし、黒川さんの脇をすり抜け、ノックもせずにドアを開けた!


「京子先生!今朝のニュース見ましたか!

 赤い中学生が、なんやかんやでえらい事に!」


「えらい事になってんのは中学生だけじゃないわよ!」


 確かにその通りだった。

 着替え途中だった(衣装チェンジ?)京子先生は会議用に使うホワイトボードの前に立って、僕の給料から天引きするペナルティを書き出し、今月の給料を計算していた。


「全く、ノックもしないでレディの部屋に入ってくるなんて、阿部 寛みたいな真似しないでよ!!」


  明らかに偏見だ。阿部 寛さんは何かの役柄で、そんな役を演じたかも知れないが、決してそんな人では無いだろう。ノックをしなかった事と、偏見でしかない発言に対して、京子先生と阿部 寛さんにお詫び申し上げます。


「誠に申し訳ございませんでした」


 京子先生は、何故か僕と一緒に頭を下げた。


「柳町君!!もしも私が全裸でAKBを踊ってたら、どうする気だったの!!」


「会いたかった〜!」と答えたかったが、そんな事を言ったら救急車で運ばれる絵が容易に想像出来たので、口には出さなかった。

 京子先生は、僕の給料計算をしていたホワイトボードのペナルティ欄に「未ノック」と書き、マイナス120円と付け加えた。あまりの刑の軽さに、今度から未ノックで入ろうかと思うほどだった。


「そうだ!僕の給料の件はとりあえず後回しにして……」


「来月で良いの?」


「いやっ、来月じゃ困ります!!そ……それより赤い中学生の事です!!朝のニュースで、赤い中学生が巷で増殖しているって聞きました。

 これって、以前の赤スーツ達が絡んでいると思うんです!」


「新右衛門君。私を誰だと思っているの?

 その事はニュースになる前に、既に把握しているわ」


「えっ!?」


「私の情報網をなめないで欲しいわ。既にジョニーと連絡をとって、その件については動いているの」


 さすが京子先生…。


 そう言うと京子先生は黒川さんと小太郎も呼び、皆が揃った所で改めて話し始めた。


「急で申し訳けないんだけど、明日からの一週間、急遽B級能力者相談所サテライトキングダムをお休みにします。

 理由としては、赤スーツの件で私が動かなくてはいけなくなった事と、新右衛門君が刑務所で拷問を……いや、一ノ条と特訓をする為に長期の休暇を事です」


 取りやがった………。


「京子先生!その事なんですけど、出来たら私もその特訓に参加したいです!」


「桃ちゃんも!?」


「はい。もし、その一ノ条さんという方と連絡が取れるのならば、私の事もお願いしてもらいたいです!」


「連絡は取れるけど……」


「私も強くなりたいです!!この先、皆の足手まといにもなりたくないし、何より自分を変えたいんです!!」


 黒川さんの魂の叫びが届いたのか、小太郎が京子先生の目の前まで行き、しっかりお座りをしてじっと目を見つめながら一緒に訴えかけていた。


「分かったわ。こっちの都合でお休みになる訳だから、桃ちゃんには仕事として特訓に行って来てもらう。とにかく強くなって帰って来る事が絶対条件!!

 B級能力者相談所サテライトキングダムの事は気にしなくて良いから、おもいっきりしごかれて来なさい!」


「「ワい!!」」


 僕達と一緒に小太郎も元気良く返事をし、休暇に入る前の最後の1日になる仕事に皆で取り掛かった。



第3話 デカイ!デカ過ぎる!十万石………


 早朝、カラスがゴミ袋の中から食べ残しの生姜焼き弁当を漁っている光景を目の前にし、僕は「カメラ小僧」という名前の本屋さんの前で、黒川さんと待ち合わせをしていた。


 時間は5時55分。

 パチンコだったら、このゾロ目は嬉しい限りだが、今は正直見たくない数字だった。我ながら、良くこんなに早起き出来たものだと感心し、眠い目をこすりながら自分へのご褒美に買ったピノを頬張っていた。すると、カラスの鋭い眼光にたじろいだ一瞬、最後に残しておいたレアの形のハート形ピノを横から奪われてしまった。


「柳町さんは、美味しい物を最後に食べる派なんですね」


「うん……おはよう」


 ちょっとした楽しみを奪われてしまったショックもあったが、黒川さんの笑顔を見たら全て許そうという気になってしまった。


「私、最近思うんです。私も前は、一番好きな物を最後に取って置く派だったんですけど、やっぱり大事なのは、今この時だからその瞬間を逃しちゃいけない!食べるなら今でしょ!って思って先に食べるようにしてるんです」


 分かる気もする。僕も今まで、どちらかというと待ちの人間で、自分から率先して何かをやろうとするタイプではなかった。京子先生に出会ってから、かなりその意識も変わったと思うが、まだまだ前に出る姿勢が足らないのだろう。恥ずかしいとか失敗したらどうしようとか、考えてる時間があったら、その一瞬早く行動するだけで、未来が変わるんだと思う。今日から始まる特訓はその為の一歩でもある。

 躊躇せず、前に前に行く姿勢だけは常に持っていようと決心して、僕は歩みを進めた。


「行こう!黒川さん!必ず強くなって帰って来よう!」


「はい!それより柳町さん。チャックが開いてます!」


 違う物が前に出ていた。


「それに、駅はあっちです!」


 進むべき方向も間違っていた。正にこれが僕の人生を物語っている。

 人はそう簡単には変われないが、この程度で挫けてしまっていては前に進めない。

 そして何より今は一人じゃない!

 その気持ちが僕の足を前に進め、未来を切り開く糧となった。



 この直後、僕は原付バイクに牽かれた。

「何でやねん……。」




「大丈夫ですか!?柳町さん!」


 少し気を失っていたようだったが、気がつくとそこは車の中で、僕は横たわりながら運ばれていた。救急車かと思っていたが、良く見ると一ノ条さんも一緒にこの車に乗っていた。


「大丈夫かい、柳町君」


「一ノ条さん?何でここに?」


「君達を迎えに行く途中だったんだが、まさかこんな形で出会うとは思っていなかったよ」


「この車で迎えに来てくれたんですか?」


「いや、原付バイクだ」


 犯人は一ノ条さんだった。


 気は失っていたが、何故か僕の体は無傷だった。


「あれだけの衝撃だったのに、怪我一つ無いなんて驚いたよ。

 10メートル、いや…10メートル20センチは飛んでいたのに…」


 本当に驚いているのは僕自身だった。

 原付で人を10メートル20センチも飛ばすなんて、一体何キロ出ていたのか計算したいくらいだったが、人を轢いておいて平然としている一ノ条さんの事よりも、自分が無傷でいる事の方が本当に不思議だった。


 無意識だったけど、とっさの内に能力を使っていたんだろうか……?


「柳町君。そして黒川さんだったかな。悪いが特訓は既に始まっている。

 敵はいつ何時、何処からやってくるか分からない。それを想定した上での特訓だという事を、改めて知って欲しい」


 原付バイクで僕を牽いたのも、特訓の一部だったかどうかはあやふやにされたが、この出来事は今後の僕の能力を使いこなす上で大きなヒントとなった。



 1時間以上車を走らせた後、庭に山があるような、大きなお屋敷の門の前に車が止められた。


「着いたぞ」


 一ノ条さんに先導されて門の中に入り、庭なのか何なのか分からないほど広く長い道を、ゴルフカートに乗ってお屋敷の前まで連れて行かれた。


「ここが我らがブレイブハウンドのボス、犬飼 治五郎の表向きの家だ」


 表向き……?

 裏社会のボスだけあって、本当の家は別にあるって事か……。


「ここは通称『ファルセット』と呼ばれる場所で、いろいろな施設がある。

 面倒なので全ては説明しないが、君達が特訓するのは、その中のエリアBと呼ばれる場所だ。そこには、スポーツジムや闘技場、サバイバルゲームが出来る場所や舞台もある。勿論、寝泊まり出来る所も完備されているから、これからの2ヶ月間はここで生活してもらう事になるぞ。

 何かあれば外出してもらっても構わないが、ここにいる間は基本的には我々の管理下で行動してもらう事になるからそのつもりでいるように。

 君達以外にも特訓している者が居るから、エリアBに入ったらそこの責任者の指示に従ってもらう。一応、ワンさんの知り合いだという事は伝えてあるから、それなりにお手柔らかにしてもらえるとは思うが、あまり期待しない方が良いかも知れないな」


 僕はてっきり、一ノ条さんにマンツーマンで教えてもらえるものだと思っていたけど、良く考えたらボスの側近が僕達に付きっきりになれる訳ないか……。


「とりあえずエリアBまでは連れて行くが、そこからは責任者の瀧崎に任せるから指示に従ってくれ」


「分かりました」


「一応、女性も沢山居るから黒川さんも浮く事は無いと思うよ」


「はい。ありがとうございます」


 想像以上の規模だった事もあり、僕と黒川さんは呆気にとられていた。特訓について行けるかどうかも心配だったが、僕達はここの人達と馴染めるのかが一番心配だった。


 エリアBという場所に着いて一ノ条さんと別れた後、僕と黒川さんは事務所のような大きな建物に入って行った。


「失礼します!」


 扉を開けるとそこは、高級ホテルのフロントのような形になっていて、受付には小綺麗な格好をした糸目のおばさんが座っていた。小型のテレビを見ながらフライドポテトを食べていたそのおばさんは、僕達に気付くと声を掛けてきた。


「前歯を叩き割って欲しいのは、どっちの子だい?」

「僕です」


 訳の分からない質問に何故か即答してしまった。


「フフッ。噂通り面白い子だね。一ノ条から話は聞いてるよ。別にアンタ達を特別扱いする気はないからね。早く自分達の部屋に行ってユニフォームに着替えて来な!」


 そう言うとそのおばさんは、僕達にユニフォームなどが入ったバッグと部屋の鍵を渡してくれた。黒川さんの鍵には117号室と書かれていて、僕の鍵には豚小屋と書かれていた。


「私は箕田シズコ。皆からは箕田婆さんとか、みのさんとか呼ばれてるわ。ここの事で分からない事があったら何でも聞きな!教えないけど!」


「わ……分かりました」


「腹減ってんだろ?」


「はい」


「我慢しな!」


「わ…分かりました」


 みのさんはニヤっと笑った。


「腹が減ったら戦は出来ないからね。朝食は本来7時半からだけど、あんた達の分を用意してあるから、準備が出来たら食堂に行きな!」


「かしこまりました!」


 時刻は8時15分。

 この建物内にあまり人気を感じないが、皆は何処か別の場所で特訓しているのだろうか?そんな疑問を持ちながら、僕達は自分達の部屋に向かった。


 みのさんが部屋の場所を教えてくれていたが、黒川さんはこの建物の一階で、僕の部屋は外だった。言われた場所に着いてみたが、そこは豚小屋というよりどちらかというとウサギ小屋だった。

 外から丸見えのウサギ小屋でユニフォームに着替えて、みのさんに言われた場所の食堂に向かった。


 食堂に着くと、そこには5~6人が座れる長テーブルがいくつか置いてあり、50人くらいの人が一度に食べられるようになっていた。ほとんど待つ事もなく、すぐに黒川さんと合流出来たので、一緒に料理を受け渡すカウンターの所に向かった。


「すみません。先ほど箕田のおばさんに、こっちで食事するように言われたんですけど……」


 人の気配がしたので、僕がカウンター越しに話し掛けて見ると、奥に居た洗い物をしていた人が手を止めて顔を出した。

 風貌を見た感じは、料理長らしき人に見えた。


「あぁ聞いてるよ。みのさんから、べっぴんさんが2人そっちに行くから甘い物でも出してやってくれって言われてる。梅干しとキムチを用意してあるから、好きなだけ食べな」


 そう言うと、その料理長らしき人はふてくされた顔でお盆を出し、その上には豆大福とカラムーチョが1つずつ置かれていた。


 訳が分からない……。

 僕がべっぴんさんじゃなかったから、嫌がらせされているのか……?京子先生もそうだけど、冗談なのか本気なのか分からない所は、こういう所から来ているのか……?


「姉ちゃん達は甘い物は嫌いかい?」


「いえ。どちらかというと好きですけど……」


「俺は嫌いだ!」


「……。」


「俺は甘い物と男が大嫌いだ!!」


 やっぱり僕の事を嫌っているような気がする……。

 みのさんがべっぴんさんが2人なんて言うから、期待し過ぎて裏切られた気持ちになっているんじゃないだろうか……。

 ユニフォームは女装だけど、僕は明らかに男だって分かると思うんだけどなぁ……。


「そんな物で腹の足しになんのか?」


「いや……出来れば、ご飯物が頂きたいんですが……」


「飯が食いたきゃ31サーティワンに行きな!」


 「逆に甘い物しか無いだろ!!」と思ったが、僕がこのまま交渉していても埒があかなそうだったので、とりあえず交渉役ネゴシエーターを黒川さんにバトンタッチした。


「すみません。何か定食みたいな物とかは、ここにありますか?」


「ハイハイありますよ!これがメニューだからね!好きな物を頼んでね!」


「あ……ありがとうございます」


 もの凄い手のひら返しだ……。


 そう言うと、その料理長らしき人は黒川さんをエスコートして席に座らせ、ニコニコしながらずっと黒川さんを眺めていた。


「お前はこれに座ってろ」


 そう言って僕に渡されたのは、3歳くらいまでの子供しか座れないようなお子様椅子だった。

 腑に落ちなさ加減が満載だったが、僕は黙って従ってた方が良いと思い、2度とお尻が抜けなくなる事を覚悟の上で、自分のお尻を無理矢理お子様椅子にはめ込んだ。


 黒川さんは、先ほど出された豆大福を食べながらメニューを見ていた。僕は食べられれば何でも良いよと、アイコンタクトで黒川さんに合図し、注文を黒川さんに任せた。


「すみません。焼き鮭定食をお願いします」


「かしこまりました」


 !…………全く伝わっていない………。


 厨房に戻っていく料理長の後ろ姿を悲しく見送り、僕は1人寂しくカラムーチョを食べて待つ事にした。


「すみません!」


 黒川さんが厨房に向かって声を掛けると、料理長はすぐ様やってきて膝をついて黒川の前に現れた。


「ハイ!いかがいたしましたか?」


「やっぱり焼き鮭定食をでお願いします!」


「かしこまりました」


 料理長は、あからさまに嫌そうな顔をして僕をチラ見し「しょうがねーなー」という態度で厨房に戻って行った。


「まさか、黒川さんまで僕を陥れるとは思わなかったよ」


「すみません。何か、さっきの柳町さんのアイコンタクトの意味が分からなくて、最初は『女装似合ってるでしょ』って言われてるんだと思って気持ち悪かったんですけど、良く考えたら注文は任せるよって意味だったんですね」


「そうだよ!僕だって好きで女装してる訳じゃないからね!みのさんがこれしかくれなかったから、仕方なく着てるだけだよ!」


 黒川さんは「好んで着てるように見えますけど」という冷たい視線で僕を見つめていた。

 たいして待たずに料理が運ばれ、僕達は何とか朝食にありつけた。

 料理を運んで来てくれた料理長の胸を良く見てみるとネームプレートがしてあり、そこには『井森』と書かれていた。名前で判断してはいけないが、何となく料理の味が心配だった。

 僕だけにメンチを切って去って行った井森さんは、黒川さんには小声で「デザートも準備してあります」と言っていた。


「そういえば黒川さん。さっきは迷わず豆大福を食べてたよね」


「私、辛いの苦手だし、あの状況は私が食べる所だと思って……」


 最近分かった事だけど、黒川さんって意外と思い込みが激しいというか、結構自分基準で勝手な判断する時あるよなぁと思う。


「まぁ甘い物好きなの知っているし、全然食べて良いんだけど、一言『私、豆大福食べて良いですか?』とかあっても良いかなぁとは思うよ」


「柳町さんにですか?」


 何その言い方………。


 僕以外だったら勿論気を遣って聞きますけど、柳町は別に良いんじゃない的な見下した感じ……。


 元々の天然に、京子先生のSっぷりが混ざってきた黒川さんは、第2の京子先生になる素質十分だった。


「思ってたより美味しそうですよ。冷めない内に食べましょう」


「そ……そうだね」


 どんな料理を出されるのか心配だったが、見た目は本当に美味しそうだった。僕達は同時に一口目を食べた。そしてその瞬間、お互い目を見合せた。


「う……美味うま過ぎる!」


「本当ですね!何ですかこの味!?」


 一見ただの焼き鮭定食なのに、尋常じゃない美味さだ!!

 人が作った物とは思えないほど、見た目とのギャップがあり、一瞬何を食べさせられているのか分からなくなるくらい衝撃の味だった!

 良く考えたら、ブレイブハウンド直属の料理長が、料理が下手な訳がない!

 性格や人間性の面で問題があったとしても、料理だけは上手いのが当たり前か。


「でも柳町さん。これって焼き鮭の味じゃないですよね?」


「そ……そうだね」


 尋常じゃなく美味いのは確かなんだけど、明らかに焼き鮭の味ではない。見た目とのギャップで味をイメージしにくかったが、これはまさしくハンバーグの味だった。


「これってハンバーグですか?」


「そ……そうだね………。見た目は鮭なのに、味はデミグラスソースがかかったハンバーグだね……」


「こっちのお味噌汁、ポタージュスープの味がします!」


「えっ!?

 ……………………ほ…………本当だ。メチャクチャ美味いけど、何か変な感じだね」


 付け合わせの卵焼きは切り干し大根の味がし、沢庵は冷奴の味だった。視覚と味覚が混乱して何定食なのか分からなかったが、とにかく美味かったので文句のつけようがなかった。


「私、美味し過ぎて、もう全部食べちゃいました!」


「ぼ……僕も。本当に美味かったね」


「柳町さん。これってもしかするとなんですけど、異能力だったりするんですかね?」


「実は僕も同じ事を思ってたんだ。どんなに料理が上手くても、ここまで見た目と違う味は出せないと思うんだよね。

 さっきの井森さんって料理長らしき人、もしかして味を変えられるような能力を持っているのかも知れない」


 そんな話をしていたら井森さんが奥からやって来て、僕達の食器を下げてくれるのと同時にデザートを持って来てくれた。嫌そうな顔をしていたが、黒川さんの分と僕の分を用意してくれていた。


「ありがとうございます」


 井森さんは僕の言葉を無視し、僕にだけ請求書を置いて去って行った。


「何か僕、凄い嫌われちゃったね。何もしてないのに……」


「そうですね………でも、たまには良いんじゃないてすか」


 「良い訳ねーだろ!」と思ったが、目の前のデザートが気になったので、とりあえずつっこみは心の中にしまっておいた。

 デザートと言って出された物は明らかに梅干しで、大きめの物が3つずつ用意されていた。デザートだと言われて、迷わず口に入れた黒川さんはまたもや驚いていた。


「これ……モンブランです!!中の種も栗になっていてそのまま食べられます!!しかも凄く美味しい!!」


「本当?」


 実はケーキの中でも、僕はモンブランが1番好きなのだ。恐る恐る食べてみたが、やっぱり衝撃の味だった!!


「僕のは梅干しです!!」


「えっ!そうなんですか!?」


 黒川さんは残りの2つを全部食べてみた。


「私のは全部モンブランでした」


 僕も残りの2つを食べてみた。


「僕のは全部梅干しだ!!」


 あまりの酸っぱさに耐えきれず、手元にあったお水を飲んだら醤油の味だった!!


「これ、醤油だ!!」


「そういえばさっき、井森さんがお冷やを取り替えてくれてました」


 何ていう嫌がらせだ……。

 初めて会った人にここまで嫌われると、こんなにも傷つくものなのか……。そして何故か僕だけが料金を払うはめになった。


「瀧崎さんに会いに行きましょう」


「そ……そうだね。とりあえず何をやって良いのか分からないから、瀧崎さんの所に行こうか」


 何をやって良いのか分からないって……特訓でしょ?って言いたげな顔をしていた黒川さんは、井森さんに瀧崎さんの居場所を聞き、いつも大体この場所に居ると言われている事務所に向かった。


 それらしき場所の前まで来た僕達は、恐る恐るドアをノックしてみた。


「失礼しま〜す」


 何の反応もなく、部屋の中に人の気配が感じられなかった。そのままドアを開けようとしたが、鍵がかけられていて中に入れなかったので、2人で相談した結果みのさんに聞きに行く事にした。


「何処か別の場所に居るんですかね?」


「瀧崎さんはここの責任者って言ってたから、今頃鬼教官みたいに皆を指導してるんじゃないかな?」


「やっぱりスパルタなんですかね?」


「だろうね。早急に強くなる為の特訓だから、それなりに厳しい事は覚悟してきたけど、僕は京子先生の下で2年以上やってきたから、しごきに関しては少しだけ自信があるよ!」


 黒川さんは「そんな事聞いてねーよ!」っていう顔をしかながら、黙って僕を見ていた。


「何をイチャイチャしてんじゃ?」


 突然話し掛けられた事に驚いて後ろを振り向くと、そこには田中と名前の書かれた青ジャージを来たオカッパのじいさんが居た。小柄だが骨太なそのじいさんは、欠けた前歯を思いっきり僕達に見せつけ、ニヤリと笑いながら黒川さんを罵った。


「お前、頭悪いじゃろ?」


 僕の事だった。


「あ……あなたは?」


「ワシは瀧崎。銀座のホストクラブで、指名ナンバー1のあの瀧崎じゃ!」


 これまた、冗談なのか本気なのか分からなかったが、勇気を振り絞ってつっこんでみた。


「何でやねん!」


「弱い弱い!そこは何でやねん!じゃなくて、何で銀座やねん!が正解じゃ!」


 そのつっこみが正解だとも思わなかったが、何故つっこみの指導をされているのか分からなかった。


「ワシは瀧崎。銀座のホストクラブで、指名ナンバー2のあの瀧崎じゃ!」


「ランク下がった!?」


「速報じゃ!銀座のホスト戦争はシビアじゃ!ちょっとでも気ぃ抜いてると、すぐ抜かれるで!」


 僕は何の話を聞かされているのかさっぱり分からなかったが、このじいさんの前歯が無いのは、みのさんに叩き割られたからではないのかと勝手に想像していた。


「なんじゃ?あんたらはワシを指名に来たんか?」


 当たらずとも遠からずとはこの事なのか、ちょっと違うと思いながらも簡単に事情を説明した。



「ああ〜!一ノ条様から聞いとったよ!早急に特訓をやってくれって話じゃろ?

 本当だったら断りたい所じゃが、一ノ条様の頼みとあっちゃあ断る事も出来んからの〜」


 不安だ……。とにかく不安だ……。


「とりあえずお前達は飯を食って来い!腹が減っては戦は出来ぬからの〜」


「あっ……朝食ならさっき頂きました」


「そうか。それなら話は早い。時速40kmじゃな」


 何の話だ……?


「遅い!遅い!つっこみも遅いし、40kmも遅い!

 そんなんで高速乗ったら怒られるで!」


「は……はぁ……」


「は……はぁ……。って何やねん!

 何言ってるのか分からんかったらつっこまんと!」


「すみません……」


「時速40kmとワシの体重40kgを上手い事掛けとんじゃ!もしワシの体重が40kgって知ってたら爆笑もんじゃぞ!」


「そ……そうなんですね……」


 僕も黒川さんも、瀧崎さんが何を言っているのか分からず、2人で戸惑っていた。


「お前達見込み無いの〜………。そんなんでM-1優勝しようなんて2ヶ月じゃ無理じゃ……」


「あの〜……私達、M-1を目指している訳じゃなくて、B級能力の使い方を訓練して強くなる為にここに来たんですが……」


 この時の瀧崎さんの表情は、トイレに入っている時に無理矢理ドアを抉じ開けられ、嫁から離婚届けを突き付けられた宮迫博之のような顔をしていた。


「はっ!?お前達、お笑いの修行に来たんじゃないんか!?」


 何か話が噛み合わないと思っていたら、どうやら僕達はお笑いの修行に来た漫才師と勘違いされていたようだ。


「ワシはてっきり、笑いで天下を取りに来た若手漫才師かと思っとった。スマン…スマン……」


「ここでは、お笑いも教えているんですか?」


「そうじゃ。むしろお笑い修行に来ている人達が9割じゃ。お前達みたいなのは4年に1人くらいしか来んから、あまりにも久々で驚いた!」


 この時僕は「オリンピックかい!」か「ワールドカップかい!」のどちらが正しいつっこみなのか迷って、今夜は眠れないかもと思っていた……。

 そしてここはそういう訓練をする場所なんだと理解し、京子先生の謎も少し解けた気がした。


「そういう事なら仕切り直そう。初日の今日から特訓を始めるのも良いが、まずはこの2ヶ月でやる事を含め、改めてオリエンテーションを行おう。場所を変えて話をするぞ」


「わかりました」


 僕達は瀧崎さんの後に着いて行き、会議室のような所に入った。そこは長机が向かい合わせに並べられていて、10人が座れるようになっている小さめの会議室だった。瀧崎さんは正面にあるホワイトボードの前に立ち、踏み台の上に乗ってから何やら文字を書き出した。


『B級能力開発セミナー』


セミナー……。


「B級能力を強化する為に、基本的な事をいくつか説明する。話はどんどん進めて行くが、分からん事があったらバンバン聞いてくれ!質問には悶々と答えちゃる!」


 何か腑に落ちなさそうで嫌だな……。


「では、これよりB級能力開発セミナーのオリエンテーションを行います!

 気をつけ!礼!」


「「宜しくお願いします!!」」


「まず最初は休憩じゃ」


「早いな!!」


「おっ!今のつっこみは、なかなか良いぞ!!

 B級能力の講義と一緒に笑いも混ぜて行くから、笑いも一緒に勉強するように!」


「わ……分かりました」


「頑張って2ヶ月も特訓すれば、強くてオモロイ夫婦漫才師の誕生じゃ!学ぶなら貪欲に行こうぜ!!」


 黒川さんはこのノリについて行くのがやっとだったが、僕にとっては京子先生よりやり易いくらいだった。強い事は勿論だが、面白くなる事も必ず武器になる。

 これはチャンスだと思っていろいろ学ぼう!!



 そして30分の休憩を挟んだ後、やっと講義が始まった。


「冗談はさておいて……」


 いや……休憩は冗談じゃなかったじゃん……。


「まずは能力の成長過程についての説明をするぞ」


 瀧崎さんはホワイトボードに書きながら説明を始めた。


「能力の成長の仕方には、いくつかパターンがある。

 1、今持っている能力がそのまま強化される場合

(ライター並みの火が出せる→火炎放射気並みの火が出せる)


 2、今持っている能力のバリエーションが増える場合(手から火が出せる→足からも火が出せる)


 3、今持っている能力が相手にも発動する場合

(眉毛が繋がる→相手の眉毛を繋げる事が出来る)


  基本的にはこの3パターンじゃが、中にはこれらが複合して成長するパターンや特殊なパターンのケースもある。

だから、今説明した事は気にするな」


「どないやねん!!」


「そして当たり前じゃが、成長のさせ方によって自ずと訓練方法も変わってくるぞ」


「な……なるほど………」


 僕の渾身の「どないやねん!!」のつっこみが、どないだったか評価してもらえなかった事に寂しさを覚え、この後のつっこみが消極的にならないように、改めて身を引き締めた。


「ちなみにクロちゃんはどんな能力なんじゃ?」


 クロちゃんって………。

 僕には、どこぞの大サーカスしか連想出来ない……。


「わ……私の能力は舐めた物を黄色くする能力です」


 クロちゃんは恥ずかしそうに答えた。


「ほ〜……クロちゃんもなかなかのB級能力じゃな〜…」


 B級能力が恥ずかしいのか、クロちゃんと呼ばれるのが恥ずかしいのか分からないが、クロちゃ……いや黒川さんは照れながら瀧崎さんに質問した。


「私みたいな能力でも、A級の能力者達と戦えるくらい強くなる事は出来るんですか?」


 瀧崎さんは意味深げに笑い、目をキラッと輝かせた。


「愚問じゃな。こればっかりは本人次第じゃ。

 勿論、全く成長しない奴もおるが、ここでの特訓を終えた頃には確実に強くなっておるじゃろ。

 努力は決して裏切らん。むしろ、自分がどこまで能力を伸ばしたいかを、しっかり見据えた上で特訓をする事が強くなるコツじゃ。

 そして言うまでもないが、特訓はかなり厳しいものになるから、覚悟しておいた方が良い」


 僕と黒川さんは唾を飲み込み、この後の特訓を想像して改めて気を張り、背筋をピンと伸ばした。


「まずはクロちゃんの能力を例えに、特訓方法を考えてみるぞ」


「はい」


「クロちゃんの能力の場合、先ほど教えた1のパターンや2のパターンだと、戦う能力としてはかなり弱い」


「私もそう思います」


「そうじゃろ?だからこの場合、3のパターンを中心に能力の特訓をしていくんじゃ」


 どういう事だろう……?

 相手にも、舐めたら黄色くなる能力を発動させるって事か?


「ここでは柔軟な考え方が必要じゃ。

 色が変わるとか舐めるという所に注目しがちじゃが、実はポイントがいくつかある」


「ポイントですか?」


「そうじゃ。1つは口の中だという事。

 もう1つは変化させる事が出来るという事。

 能力の特性を広く捉えると、クロちゃんはそういう能力に長けているという事じゃ」


「じゃ私は、戦いの時に相手を舐めたりしなくても良いんですね?」


 そうか……黒川さんはその事を気にしてたのか……。


「舐めるとか黄色くなるとかいうのは、クロちゃんが無意識下でやっている事じゃ。勿論、そうした方が威力は発揮出来ると思うが、ポイントはそこではない。簡単に言うとクロちゃんは、敵味方問わず『口の中を変化させる能力』だと思った方が良い」


「「口の中を変化させる能力!?」」


 僕達は思わずハモってしまった。


「そうじゃ。基本的にはそのポイントを能力のベースにして、後はクロちゃん独自でアレンジしていったら良い。まずは、口の中をどう変化させていったら戦いやすいかを考える事が大事じゃ。

 そして奥の手として『舐めると発動する切り札』なんかを持っておくと、戦いの幅が広がるぞ」


 なるほど………凄く勉強になる。


「とりあえずクロちゃんは良いとして、おぬしの能力は何なんじゃ?」


「僕は触った物を柔らかくする能力です」


「そうか。『えもん』の特訓は大変そうじゃのう」


「人をドラえ○ん一族みたいに言わないでください!

 もうちょっと別の呼び方でお願いします!」


 瀧崎さんは頭を抱えて、本気で悩んでいた……。

 僕の呼び名でそんなに悩まなくても良いと思ったが、変な呼び方をされるくらいならマシだと思い、瀧崎さんに好きなだけ考えさせた。


「1つ聞きたいんじゃが、クロちゃんは兄弟はいるのか?」


「諦めた!!僕の呼び名を考えるの諦めたでしょ!!」


「やかましいぞ!!男は諦めも肝心なんじゃ!!

 お前の呼び名を考えてる時間ほど、人生に無駄な時間は無いんじゃ!

 ワシの残り少ない貴重な時間を、無駄に使わせるんじゃない!

 ナギマチ!!」


 ナギマチ………。

 結局しっかり考えてたんかい!

 何か反町みたいだけど『えもん』よりかはマシなので、とりあえずここは流しておこう……。


「つっこまんかい!!」


  つっこまないです。


「嘘でも『残された時間は少なくないです!』とか言わんかい!!」


「そっちかい!!」


「ぬるい!ぬるい!つっこみがぬるいぞ!」


 何か腑に落ちない……。


 まさかとは思うが、瀧崎さんは僕に対してよりもを鍛えようとしているんじゃないだろうか……?

 正直、笑いも貪欲に学んで行こうとは言ったけど、優先順位が違う……。

 まずは強くならない事には話にならない。今の内にしっかりと瀧崎さんに伝えておかなければ……。


「誰がタッキーやねん!」


「まだ何も言ってないです!」


 まずい!笑いの特訓をしているのか、ただボケたいだけなのか分からないが、このままでは一向に強くならない気がする!

 というか話が先に進まない!!


「瀧崎さん!すみませんが、先に1つだけ!

 1つだけ言っておきたい事があります!」


「ワン?」


 つ……つっこみたいが、このペースでつっこんでいたら体がいくつあっても足りない!


「瀧崎さん!僕はつっこみを鍛えるよりも、もっと強くなりたいんです!

 お笑いよりも向上させたいんです!!」


 何故か瀧崎さんは、信じられないというような凄い表情をしていた。

 そう、例えるならば、正月の箱根駅伝をテレビで見ている時、先頭集団を先導している白バイのライダーが、ノーヘルだった事に気付いた時のような表情だった。


 違う!!

 僕もこんな例えつっこみを想像している場合じゃない!!

 瀧崎さんに毒されているせいか、今まであまり思い浮かばなかった例えつっこみまで思い浮かぶようになってしまった……。

 これは頭が柔らかくなったと喜ぶべきなのか……。


 ……んっ!?

 頭が柔らかくなってきた?


「気付いたようじゃの」


 瀧崎さんは僕を見つめてニヤリと笑い、またもや前歯のない笑顔をこれでもかと言わんばかりに振り撒いていた。


「瀧崎さん。今のボケやつっこみの流れは、もしかしてトレーニングの一環なんですか?」


「ほう!思ったより成長が早いのぉ!

 そうじゃナギマチ。おぬしの能力は物を柔らかくする事じゃろ?その能力を最大限に活かすには、頭を柔らかくする事が1番じゃ!

 戦いにおける発想力や、土壇場での発想力!ボケの発想力や八艘飛びなど……」


「最後のは違う!最後のは何かの技だ!!」


「まぁそれは冗談として」


「冗談かい!!」


「良いぞ!良いぞ!つっこみのテンポが上がってきたぞ!!」


 何が良いのか分からないが、瀧崎さんは終始含み笑いをしながら何か別の事を考えているようだった。


「ナギマチよ。1つお前に問うが、おぬしはB級能力者相談所サテライトキングダムで働き出してから、どれくらい経つんじゃ?」


「2年位です」


「クロちゃんは、まだそんなに経って無いじゃろ?」


「はい。何で分かるんですか?」


 急に今までの話の流れと違った質問だったので、僕は少し戸惑った。


 突然瀧崎さんはiPadを取り出し、何か調べものを始めた。


「これから短期間で能力を向上させる為に、二人には別の相棒バディと一緒にトレーニングしてもらう」


「別の相棒バディ?」


 瀧崎さんがiPadで調べていたのは、何か名簿のようなものだった。


「実は能力の向上に対して、世間じゃあまり知られていない情報なんじゃが、能力というのは『別の能力者と一緒に居ると、その能力者の影響を受ける』という事が確認されているんじゃ」


「どういう事ですか?」


「夫婦って、長く一緒に居ると似てくるとか言うじゃろ?」


「言いますね!」


「それと同じような事じゃ。

 例えば『手から火が出る能力者』と『お尻から物を出せる能力者』が一緒に生活した場合、一方が『お尻から火が出せるようになる』確率が高いんじゃ。

 世間じゃお互いの相性によるものが多いとされているが、実はブレイブハウンドではそれを科学的に解明し、意図的に能力を向上させる術を獲得している」


 凄い……能力の相乗効果って事か!


「しかし残念な場合だと、もう一方が『手からお尻が出せる』という訳の分からない能力を身に付けてしまう場合もある」


 簡単に言ったけど、結構恐ろしい気がする……。


「ブレイブハウンドが裏社会でトップにのし上がったのも、これによるものがかなり大きい。

 相性の調べ方は企業秘密なので教えられんが、短期間での能力向上には、この相棒バディと一緒に生活して特訓する事は必須じゃ」


「じゃ、これからの2ヶ月間はその人と一緒に生活するって事ですか?」


「そういう事になるのう」


 少し不安そうな黒川さんが、瀧崎さんに確認した。確かに知らない人といきなり一緒に生活するのは、かなりのストレスになるだろう。

 今でこそこうやって仲良く喋っているけど、僕達は人付き合いがあまり上手くない。不安になっても当然だろう。


「さっき自分の部屋に入った時、ベッドが2つあったから少し変な感じがしたんですけど、こういう事だったんですね」


 僕の部屋は、豚小屋と呼ばれていたウサギ小屋だったので全く気付かなかったが、あそこで2人寝泊まりするとなると先が思いやられる……。


「まぁこれもトレーニングじゃ。

 短期間でいろいろな事を身に付けようと思ったら、これくらいのリスクは乗り越えてもらわんとのお」


 僕達は瀧崎さんの言う事に納得し、渋々だがなんとかこの状況を受け入れた。

 能力の相性を調べる為なのか分からないが、僕達は自分の髪の毛を一本だけ瀧崎さんに渡した。

 能力に関係する細かな説明は、この後特訓しながら教えていくという事を伝えられた僕達は、別々に別れた後それぞれの特訓場で相棒バディが来るまで待機する事になった。



 黒川さんと別れた後、僕は瀧崎さんに言われたトレーニング場所に来た。ここは完全にスタジオの造りになっていて、これから深夜のクイズ番組でもやるかのような、簡易的なセットが組まれていた。司会者席が1つ、パネラー席が2つ用意されている。

 司会者席には、瀧崎 太郎丸と書かれたネームプレートが置かれていて、パネラー席には、僕の名前とスペシャルゲスト(ナイスバディ)と書かれたネームプレートが置かれていた。

 軽く上を見上げると、番組のタイトルなのか『瀧崎 太郎丸の養命酒で乾杯!』とコミカルな文字で、デカデカと書かれていた。

 僕は不安になりながら、とりあえず自分の名前が書かれた席に座り、ナイスバディな相棒バディが来るまで待っていた。

 待つ事数分、スタジオの照明が急に暗くなり、中央にある登場用の扉の所にスポットライトが当たる。


「レディース、エーン、レディース!」


 女ばっかりやんけ!


「今週もお待ちかねの、この時間がやってきました!『瀧崎 太郎丸の養命酒で乾杯!』

 司会は私、一ノ条様に7800円の借金をしている事で有名な瀧崎 太郎丸がお送り致します!」


 その情報いらないです……。

 っていうか、その微妙な金額は何に使ったのか気になる……。


「では、本日のパネラー陣を紹介致します!

 まずはこの人!召し使い界の奴隷とも言われ、弄られる事に人生の全てを注いできた男!柳町 新右衛門君!!」


「注いでないです!!」


「どうですか最近?」


「どうですかじゃないですよ!

 つっこみたい所が一杯あり過ぎて困ってるんですけど、何で瀧崎さん、喋り方まで変わってるんですか!」


「何の事ですか?これが普段の喋り方ですよ」


「そうなんですか!?(じゃ、さっきまでの喋り方が作ってたって事?)

 それにこれって、テレビ番組の収録じゃないんですか?」


「勿論そうですよ。毎週火曜日の深夜にテレビ埼玉でやっているのに、ナギマチさんは見てないんですか?」


「見てないですよ!!」


「では続きまして、スペシャルゲストを紹介します!」


「あっさりし過ぎ!!もう少し絡んでくれても良いと思いますよ!!」


「本日のゲストはこの方!!

 腹の中より見た目を黒くしたい事で有名な、世界一万引きをしない女性!『浪花のブラックダイヤモンド』さんです!!」


「名前なのか肩書きなのか良く分からん!!」


 名前を呼ばれて登場したその人は、テッカテカに光った黒の全身タイツを身に纏い、昭和の銀行強盗が被るような目と口の所だけに穴が空いたモフモフしたマスクをしていた。

 ピチッとした全身タイツで、体のラインがしっかり分かるその人は、明らかに柊 京子先生その人だった。自慢出来る事ではないが、2年間舐めるように全身を見てきた僕には分かる!

 間違いない!あれは何処からどう見ても京子先生だ!


「ちなみに浪花さんは、一切喋りませんのでご注意下さい」


 浪花さんって呼ぶんかい!!

 それに喋らないんだったら、口元も隠した方が良いんじゃないの!?


「では浪花さんはパネラー席の方にお座り下さい」


 そう言われた浪花さんは(※中身はおそらく京子先生だけど、分かりにくくなるので、この下りは浪花さんで統一します)スペシャルゲストと書かれた席に座ろうとしていたが、何故かその際に、座っている僕の席を後ろに引き、僕と僕のパネラー席の間に隙間を作り、その隙間をカニ歩きをするように無理矢理通りすぎながらスペシャルゲスト席についた。

 何故わざわざ僕の前を通る!と思ったが、彼女の胸が僕の顔に触れそうになるその密着感は嫌ではなかった。


「では皆さん揃いましたので、まずはお手元のグラスをお持ち下さい!」


 パネラー席を良く見ると、何の飲み物か分からない物が入っているグラスが置かれていた。

 何だか良く分からないが、僕はとりあえず言われた通りにグラスを持ってみた。


「これから始まる地獄の時間をエンジョイする為に、皆さんで景気をつけましょう!

 では行きましょう!『瀧崎 太郎丸の養命酒で乾杯!』」


 瀧崎さんも浪花さんも、毎回恒例かのような感じで乾杯をし、2人とも一気にグラスを飲み干した。軽く匂いを嗅いでみたが、グラスの飲み物はどうやら養命酒のようだった。

 流れ的に飲まなくてはいけないと思いながら無理矢理飲んでみたが、度数が高かったせいか喉元を過ぎた辺りで体が焼けるように熱くなった。


「ナギマチさん。分かっていると思いますが、つっこみもトレーニングの一環なので、ボケだと感じた瞬間に、早く!的確に!そしてしっかり声に出してつっこんで下さい!」


「は……はい。分かりました」


 なんか腑に落ちなかった……。


「では宴もたけなわになりますが……」


「………」


 その瞬間、僕は瀧崎さんと浪花さんに物凄い形相で睨まれた!!


「ま……まだ、始まったばかりですよ!」


 冷や汗が止まらなかった。


 その鋭い眼光は『次は無いぞ!!』というプレッシャーがもの凄く、次にまともなつっこみをしなかったら、殺されると感じるほどの威圧感を見せつけられ、バカな事をやっているようでも命懸けのトレーニングなんだと改めて思い知らさせられた。

 テレビだからぶち殺さないだけで、本当だったら「お腹を壊したゾウの肛門にお前の頭をつっこんで、ローラーのついた三角木馬に乗せながらサバンナを走り回すぞ!」と、浪花さんの顔には書かれていた。


「では早速ですが、最初のコーナーに参りましょう!最初のコーナーは勿論これ!『しりとり~!!』」


「しりとりか〜い!!!」


 僕は全身全霊を込めてつっこんだ。


「お茶の間の子供達に大人気のこのコーナー。勿論、ただのしりとりではございません!」


「瀧崎さん!これ深夜放送ですよね!?子供達見てない!見てない!いや!1周して起きてるかも知れないけど、十中八九寝てますよ!」


「寝る子は育つ!」


「いや!意味分かんないです!それに、ただのしりとりじゃないってどういう事ですか!?」


 僕は頑張って番組を盛り上げながら、上手く進行出来るように誘導した。


「そう!今回のこのしりとりは『この世に存在しないもの』でしりとりをやってもらいます!

 そして勝った人には0.1ポイントが与えられるので、皆で頑張っていきましょう!!」


「刻むな!刻むな!分かりやすく、1ポイントとか10ポイントにしましょうよ!」


「ちなみに今回の戦いはナギマチさんと浪花さんのタイマン勝負なので、何勝したかで勝敗が決まります。よって、Tポイントは全く関係ありません」


「Tポイントなの!?もらえるのTポイントなの!?」


 ガヤも客も居ないこのスタジオでは、僕がつっこみとリアクションで盛り上げないと、すぐに葬式のような空気になってしまう……。

 その葬式が僕の葬式にならないように、死ぬ気で頑張らねば……。


「では、ここで一旦CMです」


「行く~!?このタイミングでCM行く~!?」


「はい!ではCMが明けたので、改めて最初のコーナーを説明します」


「編集点!?今のが編集点なの!?

 何か、流れが巧み過ぎて良く分かんなかったんですけど!」


「最初のコーナーは勿論このコーナー!!『しりとり~!』」


「でしょうね!!」


「でもこれはただのしりとりじゃございません!

『この世に存在しないもの』でしりとりをやってもらいます!」


「その下り、もう一回やります!?

 ポイント制だとか、もらえるのがTポイントだとかは、はしょって良いと思うんですけど!っていうか、なかなかしりとり始まりませんけど、助走が長過ぎませんか!?」


【前フリと歯茎は長い方が良い】


「嫌ですよ、歯茎長いのは!!

 いや、歯茎長い人スミマセンでした……。

 っていうか、浪花さんはフリップで受け答えするんですね!」


【では、最初の文字は「ね」からね】


「そっから取った!?何でそっから取った!?

 言葉の万引き凄いな!!ま……まぁ良いですけど、ちょっと最初は要領が分からないんで、浪花さんから始めてもらって良いですか?」


 浪花さんは「全くしょうがない子ねぇ」と言わんばかりの顔で頷き、最初の言葉を考え始めた。


「それでは、浪花さんの寛大なお心遣いにあずかりまして、先行は浪花さんという事でしりとりを始めましょう!

 最初の文字は「ね」です。浪花さん!「ね」から始まる言葉で、この世に存在しないものをお願いします!」


【寝ない赤ちゃん】


「確かに無い!お目めパッチリ開けたまんまの赤ちゃんが居たら怖い!

 しかし考え過ぎたせいか「ん」が付いてしまったので、この勝負は浪花さんの負けです!」


「一人相撲!!完全に一人相撲じゃないですか!!」


 浪花さんは、やってもうた~!と言わんばかりの、うな垂れ具合だった。どこまでが計算なのか分からないが、浪花さんは涙を流しながら悔しがっていた。


「では、次のコーナーに参りましょう!」


「もう終わり!?僕、何もやってないんで、もうちょっとやりとりしましょうよ!」


【やりとりじゃなくて、しりとりよ】


「いや、そうなんですけど、しりとりのやりとりをしたいと言う事で……」


【私は揚げ足とりだったの?】


「そこは上手い事言わないで良いと思います……」

 わざわざフリップに書いてまで言う事ではない!!


「分かりました!ナギマチさんの言い掛かりにより、もう一度やり直しましょう!」


「言い掛かりじゃないです!どちらかというと僕が勝ったんで、僕が歩み寄ったんですけど!」


「では次は「ど」ですね」


「そこの語尾取る!?あんたら言葉の窃盗団か!」


「では仕切り直して、ナギマチさん!「ど」から参りましょう!」


  ど………ど………ど………

 全然思い浮かばない……。

 多分、何でも良いんだろうけど、どこかで面白い事を言わなければいけないという強迫観念が凄くて、頭が真っ白になってしまう……。


「残り時間は後10秒です」


 10秒!!

 ど……ど……ど……


「え〜と……ど……ど……ど……」


「残り3、2、1………」


「ど……ど……ど……土曜日に仕事!!」


  ……………辺りが静まりかえった……。


 分かってはいる………土曜日に仕事をしている人など山ほど居る事は……。

 しかし何も出て来なかった………。

 この世に「ど」のつく言葉など1つも無いかのように、何にも思い浮かばなかったのです………。


「なかなかしりとりになりませんね〜。

 一応、これで1勝1敗になったので、このコーナーは急遽ですが、先に3勝した方の勝ちとします!よろしいですね!」


「分かりました!」


 断る理由は何もない!

 この番組で勝つとどうなるのか良く分からんが、僕はとにかく必死だ!

 今、この瞬間を必死に生きるのだ!


「では次はナギマチさんの続きで「と」から始めましょう!浪花さん、この世に存在しないものを「と」からお願いします」


【途中で諦める安西先生】


「確かにない!安西先生が「こんなん、ぜってー勝てねーよ」とか言ってたら、三井君はロン毛で前歯折れたまんまですからね。

 ただ題材が古い!スラダンは名作ではありますが、今の子達は分からないんじゃないですかね〜。まぁ、とりあえずセーフなので、続いてナギマチさん「い」からいきましょう!」


 よし!

 さっきよりは少し落ち着いてきたぞ!

 い……い……い………


「居留守を使うサンシャイン池崎!」


「確かに、あのテンションの芸風で居留守を使っていたら悲しいですけど、実際やっていると思うので、今回はアウト〜!」


 しまった〜!

 ちょっと面白いと思うラインで考えたら、微妙な所に行ってしまった〜!!


「さぁここで、浪花さんにリーチがかかりました!次に浪花さんが勝てば勝負が決まり、優勝賞金300万円を手にする事になります!」


「ちょっと待って!今の流れで、そんな説明ありました!?」


「失礼しました。先ほど急遽変更がありまして、時間が押している為に今日の放送は、このしりとりのみとなってしまいました。それによって番組最後の優勝者に贈られる賞金を、この勝負の勝者に変更致しました!」


「まぁそれは良いとしても、深夜の番組で300万円なんて賞金出せるんですか!?」


「勿論、敗者からの贈呈になります」


「ちょっと!聞いてないですよ!!」


「ダチョウ倶楽部ですか?」


「いや!こんな所でそんな小ボケ入れないですよ!そもそもそんな大金持ってないし!」


【またお金の話なの?】


「いや!これ大事な所でしょ!?」


「子供達も沢山見ているんで、もうお金の話はやめましょう」


【そうよ。汚い顔でお金の話はやめましょうよ】


「汚いお金の話じゃないんですか!?

 もしそうだとしても、顔を汚いというのはやめて下さい!流石の僕も心が折れる!」


「では汚い顔のナギマチさんの最後の文字「き」から参りましょう!」


「さらっと汚い顔って言うな!!」


「浪花さん!「き」から始まる言葉で、この世に存在しないものをお願いします!」


【綺麗な顔の柳町 新右衛門】


「心が複雑骨折するわ〜!!」


「確かに無いです!どんなに整形しても、ナギマチさんの顔が綺麗になる事はありえません!!

 受験してないのに合格するくらいありえません!!」


「どんな例えだよ!!」


「しかし、やっぱり最後に「ん」が付いてしまったので、ナギマチさんの勝ちです!

 これでお互い2勝になりましたので、次の勝者が賞金500万円を手にする事になります!」


「値上がりすんな!!ただの借金地獄になる!!」


「ナギマチさん。でも良く考えてみて下さい。

 もし次の勝負に勝てれば億万長者ですよ!」


「いや!億万長者ではないでしょ!確かに500万円はデカイけど………」


「ナギマチさん、どうしますか?このまま続けますか?」


【残りの10分は生放送だから、今なら放送禁止用語を言って、番組を打ち切りに出来るわよ】


「どんな番組ですか!?

 残りの10分だけ生放送ってあまり聞いた事無いんですけど!?」


【どうでも良いけど、早く放送禁止用語を言いなさい】


「どうでも良いって事は無いでしょ!!僕を一体どうしたいんですか!!」


 目の前にいるADが「残り放送時間9分」というカンペを出した。


 9分………。


 500万円の借金をするか、億万長者……いや、500万円の賞金を貰えるか、かなりの賭けになるが迷っている時間は無い!


「続けましょう!!次の勝負で決着をつけます!!」


 僕は命を懸けて、この場に挑んでいる!

 お金の事は確かにデカイが、今後、命のやりとりをする戦いを生き抜いて行かなければいけない事を考えると、こんな所で尻込みしている場合ではない!

 こういう場数を踏む事も、メンタル的に強くなる為には必須だ。この戦いを乗り越えて僕はもっと強くなる!そして大事な人を守れる強さを手に入れるんだ!!


「では来週もこの時間にお会い致しましょう!さよなら〜」


「長かった!!?僕の心理描写そんなに長かったですか!?9分もかかってないと思うんですけど!?」


【楽しい時っていうのは 、時間が経つのが早いものよ】


 正直、そこまで楽しい時間ではなかったけどなぁ……。


 急にカットアウトして終わった番組は、何の余韻も残さず、驚くほど早い撤収作業で1つ残らず片付けられた。

 僕と瀧崎さんと浪花さんはポツンとスタジオに取り残され、バミューダトライアングルが発動したのかと思うほど、周りは何も無くなって静まり返っていた。

 そしてこのタイミングで、浪花さんが衝撃発言をする。


【今日は5本撮りだから覚悟しておいてね】


 マ……マジか………。


「ちょっとトイレに行って来ます」


 8本撮りの「いろはに千鳥」に比べれば、大した事ではないと思いつつも、僕は心を落ち着かせる為に、一旦トイレに逃げ込んだ。


 トイレから戻ると、スタジオに瀧崎さんの姿は無く、浪花さんが1人でブレイクダンスを踊りながら楽しんでいた。見事なウインドミルを決めた後、浪花さんは正面のカメラに背を向けたままフリップで会話し出した。


【第2クールはタンス対決よ】


 僕はわざわざ回り込んでフリップを覗き見してからつっこんだ。


「タンスですか!?ダンスじゃないんですか!?」


 おそらく回転し過ぎて目が回ったせいで、前も後ろも分からなくなったのだろう。それにしても、あそこまでゴリゴリのブレイクダンスを踊っていたから、てっきりダンスでも踊らされるのかと思ったが、タンスでどうやって対決するんだ?


【今、サッキーがお色直しをしているから、その間茶番を演じてましょう】


 茶番を宣言されて演じるのは初めてだが、まだカメラが回ってないこの状況で、一向に喋ろうとしない浪花さんに、今の内に何気なくいろいろな疑問をぶつけてみるか……。


「タッキーじゃなくて、サッキーって呼んでるんですか?」


 ビビってどうでも良い事を聞いてしまった……。


【あんたさっきから馴れ馴れしいわね!

 私がサッキーの事をどう呼ぼうが、ガッキーには関係ないでしょ!】


「確かにガッキーには関係ないです」


【そうでしょ!なのに何でアンタはいつも私の事を「ガッキーみたいだ」「ガッキーみたいだ」と言うの!!】


 正直、僕の中ではガッキーより可愛いと思っているのだが、浪花さんは自分の事をガッキーより可愛いと言って欲しいのだろうか……。


「浪花さんはガッキーより可愛いですよ」


 浪花さんは照れて、顔が真っ黒……いや真っ赤になっているようだった。


【年寄りをからかうもんじゃないよ!】


 どこかで聞いたようなセリフだ。


 浪花さんが照れ隠しで踊ったスワイプスは、信じられないほどのキレがあり、いずれEXILEに入ろうとしているんじゃないかと思うほどだった。

 ※スワイプスというのはブレイクダンスの技です。気になった方は検索してみてください。


 いや……そうじゃなくて、もっと聞かなきゃいけない事が沢山ある。1つ1つ問題を解決していこう。


「浪花さん!浪花さんは僕の相棒バディなんですか?」


「……。」


 シカトされている……。


「浪花さん!聞いてますか?」


「……。」


 天井を眺めながらシカトされている理由を考えて、もう一度話し掛けてみた。


「ガッキーより可愛い浪花さん!

 あなたは僕の相棒バディなんですか?」


「……。」


【年寄りをからかうもんじゃないよ!】


 数秒前に聞いたセリフだ。


【その通りよ!私はあなたの相棒バディ。ナイスバディ相棒バディよ!】


 まぁ、それは良いんですけど……。


「じゃあこれからの2ヶ月間は、浪花さんと一緒に生活するって事ですか?」


【そういう事になるわね】


「(笑顔)」


【柳町君。一緒に生活するからといって、エロい事はあまり期待しない方が良いわ】


「べ……別に期待している訳じゃないですけど」


【一応、浪花のブラックダイヤモンドは、生娘の設定だからハレンチな事はやめてね】


「わ……分かりました」


 そういうと浪花さんは、見事なエアートラックスからのハローバックを決め、どうだと言わんばかりに腕組みをしながら仁王立ちしていた。


【改めて言うけど、第2クールはタンスでダンス対決よ】


「タンスでダンスですか!?」


 いろいろ疑問は残っているが、つっこみだけは緩めてはいけないと思い、もう一度気を引き締めて「つっこみー」として生きていく事を自分の心の中で再確認した。

 ※「つっこみー」とはつっこみ人の総称である

 注)そんな総称はない



【そして2ヶ月後】


「ちょっと待って下さいよ!!これから特訓する大事な2ヶ月間を、フリップ1枚で済ませないで下さい!!」


 ここに来て浪花さんは「アンタもしかしてモーガンフリーマンなの?」と言わんばかりの表情で、驚きながら僕の顔を覗きこんていた。


「驚いるのはこっちじゃ!!

 何でマスク越しに、そんな表情が出来るんじゃ!!」


 何処からともなくやってきた瀧崎さんは、全身に白いタイツを着させられた黒いミニチュアダックスフンドを連れていた。首輪に付いている名札には「大太郎」と書かれている。果たしてこれはつっこむべきだろうか……。

 いろいろな事が脳裏をよぎり、とにかくつっこまなくてはと思っていたが、つっこむ所が多過ぎて良いフレーズが思い浮かばない……。


「ど……ど……どういう状況ですか!?」


「ナギマチよ。ここからの特訓は本気で行くぞ!」


「は……はい」


 もう少しつっこみをいじって欲しかった……。


「第2クールは集中力を高める為に、米粒に文字を書く特訓じゃ!!」


「全然違うじゃないですか!!」


 浪花さんは、黒タイツの中から黒革の手帖を取り出し、スケジュールの確認をしていたが、どうやら明日の予定と間違えていたようだ。

 マスクをしていても可愛いかったので、流石の「てへぺろ」も許してしまいそうだったが、滅多に見れない浪花さんの凡ミスに対して、僕はここぞとばかりにつっこんだ。


「スケジュール間違いは良いとしても、瀧崎さんのホスト繋がりで黒革の手帖は分かりにくい!!」


【良く繋げたわね】


「浪花さんは武井咲より可愛いです!!」


【年寄りをからかうもんじゃないよ!!】


 武井壮より強そうな浪花さんは、本日3度目の名言を残し、ムーンウォークでスタジオの袖にはけてから、生米が入ったお茶碗を2つ持ってきた。

 並べられた机の上に置かれたお茶碗には、生米が並々と盛られていた。

 浪花さんに「はよ座れや!」とヤンキーばりに威圧された僕は、何故か申し訳なさそうに椅子に座った。

 浪花さんは瀧崎さんにペコペコ頭を下げ「何かうちの若い者がすんません」みたいな感じで媚びを売りながら、腰の悪いお爺ちゃんが椅子に座るように必要以上にゆっくりとした動作で着席した。


「2人にはこれから、このお茶碗に入っている米粒に文字を書いてもらう」


「マジですか!?」


 《机の上に茶碗に盛られた米粒と、マッキー極太が置いてある挿し絵》


「書けるか!!」


「そして書いてもらうにあたって、いくつかルールがあるから良く聞くんじゃ」


「ル……ルールは聞きますけど、この太さじゃ書けませんよ!」


 浪花さんがマッキー極太のキャップを外してみると、中のペン先は髪の毛のように細かった。


 何かすんません……。


「書いてもらう文字のルールその1、自分が愛するものを書いてもらうという事。

 その2は、危機的状況を連想するものを書いてもらうという事じゃ」


「愛するものと、危機的状況を連想するものですか?」


「そうじゃ。異能力が爆発的に上がる時というのは、心が動いた時じゃ。

 愛するものの事を考えている時の情熱や、命の危険を感じて窮地に追い込まれた時の心の状態が、一番力を発揮しやすい。

 米粒に文字を書くという集中力を要する作業をしながら、心を意識的に燃やす事が出来れば、そのうち自分の能力を意のままに操る事が出来るようになる」


「なるほど」


「動揺するくらい、心がかき乱される状況に身を置きながらも、緻密な作業が出来るように訓練するんじゃ!」


「分かりました!」


「そしていずれは、自分自身で自らの感情を意図的に乱せるように訓練して、いつでも爆発的な力が出せるように自分の心をコントロールする!

 慣れてきたら、米粒に書くお題のレベルを上げて行くから、必死についてくるんじゃぞ!」


「「チョレイ!!」」


 了解したという意味で、僕と浪花さんは大声でハモった!!

 本日、初めて聞いた浪花さんの声は信じられないくらいに野太く、実は京子先生ではないのではないかと少し疑ってしまうほどだった。

 瀧崎さんから5分後に始める事を告げられた僕達は、手元が少し拡大して見えるような、机に固定されるレンズをセッティングして待っていた。

 机の上には各々に小型のモニターが置かれたが、どうやらこのモニターには相手が書いた文字が映し出されるようだった。


 マジか………。


 訓練とはいえ、とにかく動揺させようという気マンマンなのが、既に僕の動揺を誘っていた。


 京子先生が幼少期からやっていた訓練というのは、こんな事だったんだろうか……。

 だとしたら、心臓が強いのも頷ける……。


「制限時間は3時間!それまでに全ての米粒に文字を書くんじゃ!」


「3時間で全部ですか!?」


「それでは準備が整ったようなので始めるとしよう!

 いくぞ!

 レッツ!ダンシング!!」


 さっき、ダンス対決じゃないって言った所じゃん!!と思いながらも、僕は必死に筆を走らせた。


「ナギマチよ。何でつっこまんのじゃ?」


「す……すみませんが、そんな余裕はないです……」


 僕は手元をプルプル震わせながらも、とにかく文字を書く事に集中しようと思っていた。


「流石に序盤からは難しいかも知れんが、この特訓は最終的につっこみも行ってもらう事になる」


 マジか!?


「今はまだ文字を書く事だけに集中すれば良いが、気が散る中で周りの気配をしっかり感じ取り、心の中ではちゃんとつっこんでおくんじゃ」


【わかりました】


 嘘でしょ!?


 浪花さん!米粒に書いた文字で瀧崎さんと会話してる!!


「1つ言い忘れとったが、一応これも対決じゃ。

 最終的に、全ての米粒に文字が書かれてさえいれば、どんな手段を使って相手を動揺させてもかまわん!」


 相手を動揺させるとかいう問題じゃない!

 そもそも米粒に文字書く事自体が、かなり至難の技だ!一文字書くのにどんだけかかんだ!?


【私は20年間これを続けている】


 京子先生!!??


 何で一粒に、そんなに書けるんですか!!

 しかも尋常じゃないスピードで!!


「もう1つ言い忘れとったが、浪花さんは既にこの道のプロじゃ。

 正直、これ以上鍛える必要が無いというレベルの方じゃから、書いてもらう文字の内容は、殆どナギマチを動揺させるものになるじゃろう」


 それ、先に言って!!


【これは、とある成人男性の物語】


 浪花さんが、何か物語を書き始めた!?


 僕は米粒に【京子先生】と書こうと思って必死に頑張っているが、全く筆が進まない……。

 すぐに米粒が真っ黒になってしまって一文字も書けないのに、どうしたら良いんだ……。


【むかしむかしある所に、変な奴がいました】


 入り雑だな!!もう少し何かあるでしょ!!


【そいつは、いつも裸足で猫を追いかけていました】


 何か聞いた事あるフレーズだけど、その猫お魚食わえてないよね!?


【その猫は青く、どこから見ても猫型ロボットでした】


 ド○えもん!?

 っていうか、そいつの立ち位置はどういう所?


「ナギマチよ。お前の米粒は殆ど真っ黒になっておるが、文字が書けなかった物は全て食べてもらう事になるからそのつもりでおれ」


「マジですか!?」


 正直いろんな事がありすぎて、どこに集中していいのか分からない!


「ちなみに、その筆の墨は微量の毒薬じゃ」


「毒薬!?」


「失敗した米粒で炊き上げたご飯で作る黒おにぎりこそ、瀧崎名物『毒薬砲丸』じゃ」


「毒薬砲丸!?」

 何だそのネーミング!?


「じゃが安心せい。この毒薬は微量だと、人体には何ら影響はない。ある一定量を超えると激薬となる代物じゃから、バカみたいに失敗しなければ大丈夫じゃ」


 バカみたいに失敗してるんですけど……。


【そのバカみたいな男は、爆笑しながら深海の宮殿にたどり着いた】


「どういう物語!?」


 その主人公は僕じゃないよなぁと思いながらも、僕は正気を取り戻そうと必死になっていた。

 乗り越えなくてはいけないハードルが多過ぎて、この特訓はクリア出来そうもないと感じていたが、とにかく今出来る事を必死にやろうと思った。

 まずは、一粒でも多くしっかり文字を書く!

 そしてしっかりつっこむ!

 動揺しながらでも良いから、とかにかくこの2つにやる事を絞って集中するぞ!!


【宮殿に入ると、そこは野球場のようなカラオケBOXだった】


「どんな場所!!?

 深海の宮殿が野球場のようなカラオケBOXって、世界観がイメージしにくいんですけど!!」


【小太郎】


「そこで愛する物を急に挟まないで!!」


【98歳のお婆ちゃん、餅30個食う】


「だから、命の危険を感じるフレーズも今いらないから!!物語の内容が全然入ってこないです!!」


【カラオケBOXでバイトをしていた澤田君と、その辺に居たポセイドンをお供にしたその男は……】


「だからどういう状況!?脈略が無さすぎて、ストーリーが全然分かりせん!!

 まずその男は、どうやって深海の宮殿まで行ったんですか!?何目的!?」


【体目当てよ】


「誰の!?」


【男性社員のよ】


「ざっくりし過ぎ!そもそもゲイなの!?」


【宮殿まで乗っていったのはエイよ】


「エイなの!?竜宮城に行った浦島太郎みたいに亀とかじゃないの!?

 そもそも何でゲイがエイに乗って、深海の宮殿まで行ったの!?」


【愛ゆえに】


 じゃ、しゃーないか……。


 通りすがりのポセイドン(海を支配する神)をお供に出来た経緯を詳しく知りたいと思いながらも、少しつっこみに比重を置きすぎたので、ここからは文字を書く方に集中しようと思った。

 やはり、浪花さんのボケと書くスピードが早過ぎるので、つっこみと文字書きを同時に行う事は不可能だと感じた僕は、5分ずつでも良いから交互に集中していく作戦で、少しずつでも結果を出してレベルアップして行こうと思った。

 当たり前だが、文字数が多いと書くのが難しい為、とりあえず2文字で【京子】と書く事にトライした結果、何とか初めて文字を書く事が出来た。


【それは何処の女よ】


 僕にとって愛する京子は、1人しか居ない。

 僕の口からわざわざ言わせたいのかも知れないが、浪花さんの質問にいちいち答えていたら進まないので、とりあえず僕はどんどん文字を書く事にした。


【町子】(柳町米粒)


【だから何処の女よ!】(浪花米粒)


 母です。


【茂雄】(柳町米粒)


【何処のボーイフレンドよ!】(浪花米粒)


 父です。


【沙織】(柳町米粒)


【だから何人女が居んのよ!!】(浪花米粒)


 妹です。


【たくみくん】(柳町米粒)


【何でカミナリが出てくんのよ!】(浪花米粒)


 弟です。


 ………?

 何か、さっきよりも書くスピードが上がっている!?

 この特訓を始めて30分以上経つが、何故か最初よりもスムーズに書けるようになってきている気がする。

 こんな短時間で、こんなにも上達するものなのか?もしかして僕って天才!?


「ナギマチよ。どうやら自分の異変に気付いてきたようじゃな」


 どういう事だ?


「通称2人3脚ダブルブッキング。ナギマチが急に上達し出したのは、紛れもなく浪花さんの影響じゃ」


「浪花さんの!?」


「そうじゃ。これが最初に話していた、相棒バディと組んで特訓する効果の現れじゃ」


 凄い………。

 確かに繊細な動きが素早く出来るようになっている!



 この後の僕は信じられない事に、3時間の間にお茶碗半分くらいの米粒に文字を書く事が出来た。ミスした量も大した事無く、毒薬砲丸を食べるほどではなかった。


「今日は初日じゃからこんなもんじゃろ。まぁナギマチにしては良くやった方じゃ。文字を書くスピードは上がってきておるが、つっこみながら書く事が全然出来ておらん!動揺も抑えられておらんし、ましてや自分で自分を動揺させながら心をコントロールする事などは、まだまだじゃな」


「す……すみません」


「まだまだこの後も特訓しようと思っとったが、とりあえず今日の所はここまでにしとこう」


「わ……分かりました」


「今日のナギマチを見て、お前の特性が何となく分かったから、明日からの特訓プログラムを改めて考えておく。明日から始まる地獄の特訓の前に、今日はゆっくり休んどくんじゃ」


「ありがとうございます」


 そう言い残すと、瀧崎さんはスマホをチラチラ見ながら、そそくさと出て行った。そういえば、僕達が米粒に文字を書いている間、瀧崎さんは誰かとLINEをしているようだった。

 自分の都合でスケジュールを変えたように思えたが、とりあえず初日の特訓で疲れがどっと出たので、僕にとっては好都合だった。

 今日は早く部屋に戻ってゆっくり休もう……。


【私の勝ちね】


 すっかり忘れていたが、そういえばこれは勝負だった。


【悪いけど、敗者のあなたには私の願い事を1つだけ叶えてもらうわ】


「僕、神龍じゃないんで、そんなにいろんな願いは叶えられませんが……」


【私があなたに願う事は、ただひとつ】


 ただひとつ?


【私を甲子園に連れてって!】

「無理です!」


【そこのつっこみは早くなくて良いのよ!!】


「だって既に高校生じゃないし!!」


【巨人×阪神戦で良いのよ】


「じゃ……じゃあ行きましょうか……」


【約束よ】


「はい。必ず連れて行きます!」


【それはそうと、いつまで私にこんな茶番を演じさせるつもりなの?】


「ちゃ……茶番と言いますと?」


「たがら、いつまで黒くなきゃいけねーんだよ!!ハゲ!!」


 浪花さんは勢い良くマスクを脱ぎ、スタジオが崩れるんではないかというほどの怒号で僕を罵った。


 《マスクを脱いだ浪花さん。顔がゼブラ柄になっている挿し絵》


「………?

 ………京子先生?」


「当たり前でしょ!何年私と一緒に居るのよ!」


「ですよね……」


 見た目があまりにも変わっているせいで、一瞬別人かと思ってしまった……。


「もう2人きりだから話すけど、私は本来ここに居てはいけない人間なのよ」


「どういう事ですか?」


「以前も話したと思うけど、私の存在を身内だと知る人はごく一部の人達なの。薄々、私の存在に気付いている人達も中には居たけど、そういう人達には私が死んだという情報を流してあるのよ」


「そうなんですか」


「本人はピンピンしてるのに、実は私、葬式まで終わってるのよ」


「凄い……。そこまで徹底して、京子先生の存在を隠そうとしていたんですね」


「あの人の事はあまり好きじゃないけど、私達の事を大事にしてくれている事は確かね」


 難しい親子関係だ……。


「だから私は、ここでは『変人でお馴染みの浪花のブラックダイヤモンド』で通っているのよ………って誰が変人やねん!!」


 僕は何も言ってませんが……。


「とにかく私は、ここに居る以上は京子では居られないのよ」


「そういう事情があったんですね」


 まだまだ謎の多い京子先生だが、本当に複雑な家庭環境だ……。


「そういえば、さっきの米粒の特訓の時、京子先生との2人3脚ダブルブッキングで僕のスキルが急に上がったんですが、あれってB級能力者相談所サテライトキングダムで働いている間もその状態って事だったんですか?」


「ここまで来たら私の知っている事は話すけど、いろいろな事を知り過ぎると通常の生活には戻れなくなる事だけは覚悟しておいてね」


「分かりました」


「実はブレイブハウンドが解明した技術の1つ2人3脚ダブルブッキングは、2人1組が前提なのと、主に建物内やエリアを限定して能力を向上させるという技術なの」


「2人1組とエリア限定ですか?」


「そう。新右衛門君、相棒バディを決める時に髪の毛か何かをサッキーに渡さなかった?」


「渡しました」


「ここでの特訓の前に、何か飲んだ記憶は無い?」


「そういえば、飲みました!何だか分からないけと養命酒で乾杯しました!

 栄養ドリンク的な物だと思っていましたけど……」


「知能が低い割には良く覚えていたわね。驚き過ぎて顎が外れる所だったわ」


 どんなにメンタルが強くなっても、永遠に京子先生の言葉には傷けられるような気がする……。


「実は個人のDNAが含まれている物を分解して、ある方法で精製する事で何故か養命酒が出来上がるんだけど、それをお互いの体内に取り込む事で、その2人には目に見えない能力的相乗効果が生まれるの」


「そうなんですね」


 な……何故、養命酒なんだろう……?


「でも実は、それだけでは効果が薄い事も分かっているんだけど、ある技術を使って建てられた建物内には、その効果を倍増させる事が出来るようになるのよ」


 凄い……そんな事が出来るようになるなんて……。


「この建物内も勿論その技術が施してあるんだけど、特にこのスタジオエリアや直接特訓出来る場所は、その効果が発揮しやすい状態に作られているの」


 簡単に話しているけど、これだけの事を追及して発見し、実際に形にして成果をあげるまでに、どれだけのお金と労力を使ったんだろう……。

 考えただけで恐ろしい……。


「勿論、B級能力者相談所サテライトキングダムもそのように造られてはいるんだけど、流石に毎日養命酒までは作れないから、そこまではやっていないわ」


 そういえば以前、京子先生の家に泊まった時に養命酒を出されたけど、もしかしたらあの時から既に始まっていたのか……?


「柳町君。私も、いつまでもこんな恥ずかしい格好してられないから、とりあえず部屋に戻りましょう」


「そ……そうですね」


 かなり気に入っているように見えたので「本当に恥ずかしいのか?」と思いながら、とりあえず部屋に戻る事にした。


「あの〜……僕の部屋はウサギ小屋みたいな所なんですけど、京子先生の部屋に僕が泊まるという事で良よろしいんでしょうか?」


「しょうがないわよね。ウサギ小屋も嫌いじゃないけど、ちょっと寝にくいものね」


 外から丸見えなので、それ以前の問題だと思いながらも、とりあえず京子先生の部屋に泊まる流れになった。

 自分の荷物もあるので、京子先生の部屋の場所を聞き、一度ウサギ小屋に戻ってから京子先生の部屋に戻る事になった。


 黒川さんの方の特訓や相棒バディも気になったが、とにかく今はこの2ヶ月間で強くなる為だけに頑張ろうと思った。

 京子先生と一緒に生活出来る喜びを胸に潜ませ、僕は特訓に集中します!!


 いやらしい事など考えずに………。

 出来るだけ………。

 そう……出来るだけ……。


 僕は誰に対して会話しているのか分からなかったが、とにかく自分を律しようと心に誓った


 僕と黒川さんがブレイブハウンドの特訓施設である通称『ファルセット』で特訓を始めてから、約1ヶ月が経った。

 僕は浪花さん(京子先生)と一緒の部屋で生活をしながら、2人3脚ダブルブッキングの特性を活かし、基礎的なスキルを上げる為に毎日特訓を行っていた。

 黒川さんとは昼休憩の時に食堂で毎日会っている。黒川さんの相棒バディは、黒川さんと同い年だが、実年齢よりも幼く見え、これも可愛いらしい女の子だった。

 名前は北川 りん

 いろいろ事情がある為、素性までは話してもらえなかったが、凄く性格の良い子で、黒川さんも安心して特訓に専念しているようだった。ちなみに凛ちゃんの能力は『入れ替える事が出来る能力』らしい(ある一定の条件をクリアしなければいけないらしいが……)

 黒川さんの能力が『舐めた物を黄色くする』という事から『敵見方問わず、口の中を変化させる事が出来る能力』に成長すれば、凛ちゃんの能力と相乗効果が起こって、何か凄い事が出来そうな気がする……。

 黒川さんと凛ちゃんの話の内容を聞いていると、2人の特訓内容が僕より先に進んでいるようだったので、もっと頑張らなくてはと自分を奮い立たせながら、毎日の特訓に取り込んでいた。


 瀧崎さんの話だと、今日からの特訓はより実戦向きな特訓になると言っていた。

 今までの個人スキルを上げる特訓もやりつつ、対人相手の特訓も行うという事らしい。

 自分で言うのも何だが、この1ヶ月の特訓で、僕はかなりのスキルアップをした!!以前の僕では考えられないほど動きにキレがあり、信じられないほどが出来るようになった!!

 そう……!!(涙)


 元々、『体力』『筋力』『持久力』が全く無いので、反応速度が増した所で攻撃を避けるのが少し上手になったくらいで、あまり実戦的には強くなっていないような気はしていた。

 僕の場合、まずは基礎体力作りからなのかも知れない……。


 いつも通りの身支度をした僕と浪花さんは、今日から別の場所で特訓するという事で、瀧崎さんに言われた通りプールのある施設に移動した。

 ※さらっと流しましたが、浪花さんと柳町君の同部屋暮らしのエピソードは内容が濃すぎる為、本編の流れを妨げてしまう可能性があります。機会があれば別枠でまとめますので、番外編としてお楽しみ下さい(作者)。


 この施設には競泳用とシンクロ用の2つのプールがあり、シンクロ用のプールは少し高い位置にあって水族館のように外から中の状態が見える作りになっている。

 水着に着替えた僕達は、とりあえず準備体操をして瀧崎さんを待っていた。浪花さんはいつも通りの真っ黒な全身タイツだったが、その水着はどちらかというとスピードスケーターのような出で立ちに見えた。

 僕は、くまさんのプリントが入ったトランクス型の水着しか渡されず、サイズが合っていなかったが何とか無理矢理履いていた。


「いつまで待たせるんじゃ!!」


 上の方から聞こえたその声は、瀧崎さんの声だった。よく見ると、シンクロ用プールの上の方に飛び込み台が置いてあり、その台の先に瀧崎さんがブリーフ姿で立っていた。


「ワシは足がすくんで動けん!!どうしたら良いんじゃ!!」


「助けを待ってたんですか!!」


「飛び込み台の先まで行ったが、ワシは高所恐怖症だという事を忘れとった!!」


「途中で気付いて下さい!!

 むしろそこまで行けた事は、かなり凄い事ですよ!!」


 良く見ると、さっきまで目の前に居たはずの浪花さんが、瀧崎さんの後ろまで来ている。


 嫌な予感がする……。


 浪花さんの目がキラッと輝いたように見えた瞬間、浪花さんは瀧崎さんの方まで走り出し、後頭部にラリアットをかまして一緒に飛び込んだ!!

 空中で2〜3回ひねりを加えて飛び込んだ浪花さんは綺麗に着水し、飛び込み競技でも通用するであろうと思われる高いポテンシャルを見せつけた。

 土左衛門のように浮かび上がった瀧崎さんは、波の勢いでゆっくりとプールサイドに流れついた後、何とか意識を取り戻して何故か何事もなかったように特訓の説明を始めた。


「ナギマチ、怪我はないか?」


「僕は大丈夫です」


 瀧崎さんは頭をやられたようだった。


「お前が無事ならそれで良い。では始めるぞ!

 今日から始める特訓は、先日も言った通り実戦形式じゃ!

 特にナギマチは基礎体力が無さ過ぎる!!

 お前だけは毎朝のランニングが終わった後、ここでの特訓前にまず1㎞ほど泳ぐのじゃ!!」


「1㎞もですか!?」


「そうじゃ。それから通常の特訓に入る!分かったか!」


「わ……分かりました………(泳げる自信はありませんが……)」


「とりあえず今日は、このまま実戦形式の特訓を行うぞ!

 まずは手足にこの重りをつけるのじゃ!」


 そう言って渡されたリストバンドは、1個で5㎏くらいありそうな重さだった。

 両手両足に4個も付けたら、正直自由に動く事が出来ない………。

 まさかとは思うがこのまま水中に入れと言うんじゃないだろうか……?


「重りを付けたらこっちのプールに入るんじゃ」


 やっぱり……。

 僕と浪花さんは競泳用のプールに移動し、とりあえず中に入った。

 浪花さんは慣れているような素振りで、瀧崎さんの指示に当たり前のように従っていた。


「こっちのプールは深さが無いから、頑張ればギリギリ足がつくじゃろ」


「はい……本当にギリギリですが……」


 真上を向けば、ギリギリが水面に出せる深さではあるが、正直かなりしんどい……。

 浪花さんは僕より少し背が高いので、軽くジャンプをしながら顔を水面に出したりしていた。


「まずはこの深さで実戦組み手じゃ!水中でこのまま戦ってもらう!」


「このままですか!?」


 つっこむのもままならないこの状況で、果たして本当に戦えるのか……。

 浪花さんは僕が相手だからなのか、妙にやる気満々でいるが、僕的には地上だろうが水中だろうが、浪花さんに勝てる気しないんですけど……。


「水中だから、既に動きがスローモーションになっていると思うが、基本的に相手への攻撃は以外は認めん!!」


「打撃ですか!?」


「そうじゃ!掴んだり、抱きついたり、沈めたりするのは禁止じゃ!!」


 あわよくば、掴んだり抱きついたりしたあげく、どさくさに紛れて寝技に持って行こうとした僕の目論見もくろみもろくも崩れ去った。

 でも流石にこのスローリーな動きだったら、打撃もそんなに痛くないかも知れない!

 少しだけど何とかやれそうな気がしてきた!!


「打撃のみで戦うという事以外は、特にルールは無い!とにかく実戦あるのみじゃから、とりあえず始めるぞ!」


「はい!」


「では始め!!」


 まずは接近しないと始まらないので、僕と浪花さんはピョンピョンと跳ねながら少しずつ接近した。

 息をする為に水面に顔を出す程度で、基本的には全身が水中に入ったままだからなかなか近づけなかったが、やっとの思いで2人は打撃の射程圏内入った。

 先手必勝と思いながら、浪花さんの顔を目掛けてパンチを繰り出したが、あまりのスピードの遅さにあっさりとかわされた。

 浪花さんは余裕ぶっているのか、全然手を出して来ないでける事に専念していた。僕はとにかく攻めるしかないと思って、パンチを乱打してみたが全く当たらない。

 体力が消耗し息が続かなくなってきて、僕が水面に顔を出した瞬間、浪花さんの強烈な左フックからの右ストレートが僕の顔面を捉えた!!


「水面は無しでしょ!!しかも2発!!」


「そ……そうじゃな。

 浪花さん。申し訳ないが水中で戦うのが最低限のルールじゃ。こっちも上手く説明出来てなくてすまなんだ」


 浪花さんは「そうならそうと最初から言ってよ!」と言わんばかりの表情でふてくされていた。

 それにしても水面とはいえ、重りをつけながらもこの威力とは本当にシャレにならない……。

 とにかく、なんとか打開策を考えなくてはと思っている内に既に第2ラウンドが始まってしまった。流石の浪花さんも水中では動きが遅く、かなり苦労しているようだった。

 そんな中で繰り出した浪花さんの右ストレートは僕の顔面を捉えはしたが、水中だった事でほとんど威力がなかった。これだけ威力が弱ければ、パンチを食らっても怖くないと思い、積極的に前に出ようと思ったが、浪花さんは右ストレートで僕の顔面を捉えたまま、どんどん前進してきた。


「ちょ……ちょっとこれは………」


 右ストレートでズンズン進んでくる浪花さんは、もうパンチというよりもグーのまんまでただ顔面を押しているだけだった。

 これは打撃とは言い難い攻撃だったので、瀧崎さんに抗議しようとしたけれど、全く喋らせてもらえないような力業だったので、何も出来ないままプールサイドまで押されてきてしまった。

 浪花さんの前進はそれでも止まらず、プールサイドとパンチで僕の顔をサンドイッチにし、何としても頭蓋骨を砕こうという強い意思が感じられた。


「ストーップ!!浪花さんストップじゃ!!」


 何とか命拾いした……。


 浪花さんは相変わらず「なんで止めるのよ!」と言わんばかりの表情で、瀧崎さんを睨み付けていた。


「浪花さん!すまんが今の攻撃は打撃とは言い難い!!勝敗も大事じゃが、一応特訓だという事を忘れんで欲しい」


 浪花さんは「このジジイは何寝惚けた事言ってんの?」と言わんばかりの不快感をあらわにし、僕達を睨み付けながらプールから上がった。


「き……今日の浪花さんは何か怖いの〜……。機嫌でも悪いんかの〜……」


「そ……そうですね……。あのまま殴られていたらプール自体が破壊されていたかも知れませんよ」


「しょうがない……。このプールでの特訓は一旦中止じゃ。とりあえずそっちのシンクロ用のプールで次の特訓を行うぞ」


「分かりました!」


 プールでの特訓は本当に体力を使う。その上、重りまで付けて行うとなると本当にしんどい……。

 しかもこっちのプールはシンクロ用という事もあって、明らかに足が届かない深さである。5〜6mはあろうかと思う深さなので、一度沈んだら浮き上がってこれないかも知れない……。


「ナギマチ、そして浪花さん。2人にはまず、このカプセルを飲んで欲しい」


「何ですか、そのカプセル?」


「このカプセルはある特殊な技法で作られており、飲むと水中でも半分だけ呼吸が出来るようになるんじゃ」


「水中でも呼吸が出来るんですか!?」


「そうじゃ」


「それを飲んで水中で戦うという事でしょうか?」


「まぁそういう事じゃ」


「持続時間はどれくらい何ですか?」


「ナギマチにしては良い質問じゃ」


「一言余計です」


「持続時間は約5分!」


「5分!?何も出来ないじゃないですか!!」


「慌てるな!話は最後まで聞くもんじゃ!!」


 さっきまで全然話を聞いていなかった浪花さんが、急に瀧崎さんに注目し、キョロキョロし出した。

 まさかとは思うが「聞くもんじゃ」の「」に食い付いたんじゃないだろうか……。

 浪花さん(京子先生)の半ストーカーと化した僕が思うに、あのリアクションはもんじゃを探していると見てまず間違いないだろう……。いつも人の話を聞いていないって僕の事を罵るくせに、自分があまり喋れないとなると、途端に人の話を聞かなくなる。なんて自分勝手なんだ………

 ……でもそんな浪花さんが大好きです。


「浪花さん。ここにもんじゃは無いですよ」


 浪花さんは尋常じゃなく驚いていた。

 顔面がマスクに覆われていても、何故か恐ろしく表情が豊かだ。

 その驚いた表情は「アンタ私を騙したのね!200万貸して会社を立て直す事が出来たら、結婚してくれるって言ったじゃない!」と結婚詐欺にあった被害者のようだった。


「総額でいくらアンタに貸したと思ってるの!!」


 自前でボイスチェンジャーを使ったような声を出し、何故か僕は浪花さんに結婚詐欺師扱いされてしまった。

 あんなに声色を変えられる人を初めて見た。

 確か、以前も信じられないくらいの野太い声を出したりしていた事があったが、声優としても第一線でやっていけそうな気がする……。


「浪花さん、何を訳の分からん事を言っとるんじゃ?ちょっと少し落ち着くんじゃ」


 そういうと瀧崎さんは、芸をした後の猿に餌を与えるような感じて浪花さんの口に何かを放り込んだ。よほど美味しかったのか、浪花さんは急に大人しくなった。


「さっきの話の続きじゃが、このカプセルを飲んだ後はエラ呼吸が出来るようになるだけじゃなく、水中でも地上と同じくらいに動けるようになる」


「地上と同じように!?」


「そうじゃ。少しだけ魚になったようなイメージかのぉ。半魚人まではいかんから、クォーター魚人といった所か」


「クォーター魚人………」


 聞いた事の無い単語だったが、瀧崎さんは「上手い事例えたじゃろ」みたいな得意気な顔をしていた。


「そしてその状態が5分ほど続いた頃に、ワシがまた新たなカプセルをプールに放り込むから、それを奪ってクォーター魚人状態を保ちながらバトルするのじゃ。

 プールの中にはいろいろな武器や道具も用意されているから自由に使うと良い。

 これといってルールは無い!この中がバトルフィールドじゃから、どんな手を使ってでも相手に降参させれば勝ちじゃ!!

 制限時間は1時間!お互いカプセルを飲んだら試合開始じゃ!!」


 僕と浪花さんは目を見合せ、同時にカプセルを飲み込んだ!!


「では行くぞ!レディーゴー!!」


 覚悟を決めて勢い良く飛び込んだ僕とは対照的に、浪花さんは温泉にでも浸かるかのように恥部を隠しながらゆっくりとプールの中に入っていった。

 僕は重りのせいですぐに底までたどり着いたが、本当に水中で息が出来るのか怖かったので、まだ息を止めたままだった。

 ほぼ同時に底に着いた浪花さんは、当たり前のように徘徊して武器を物色していた。

 あの様子だと、普通に呼吸をしているんだろうか……?

 ちょっと怖かったけど、プールの隅に命綱があるのを横目で確認出来たので、僕も一度息をしてみようと思い軽く息を吸ってみた。


 凄い!!確かに呼吸が出来る!!


 体内に取り込まれる酸素の量が少ない感じはしたので、常に息が切れている状態に近い感じではあったが、正直問題なく水中に居られるレベルだった。

 動く事も思った以上に容易で、確かに地上とほとんど変わらないくらいの動きが出来た。

 まずは水中での動きに慣れようと思い、浪花さんから距離をとって自分の動きを確かめつつ、使えそうな武器を選別してみる事にした。

 プールの底には、本当にいろいろな物が置いてあった。


 斧、チェーンソー、そして与作……。


「ヘイヘイホー!?」


 自分でも訳の分からないつっこみをしてしまった……。


 いや……他にもいろいろな物があった。

 電子辞書、マフラー、指サック、花柄のエプロン、小学2年生の時の通信簿、そして武男から夏子に送られたラブレターなど、役に立ちそうもない物がほとんどだった。

 浪花さんは迷わず花柄のエプロンを身に纏い、武男から夏子に送られたラブレターを野太い声で音読し始めていた。


【夏子さんへ

 お元気でしょうか?

 私は今年で82歳になり、そろそろプリキュアを卒業しようと思っている今日この頃です……】


「82歳でプリキュアー!?」


【先日、私の地元ではクラシコが行われ、2対1でバルサが勝ちました】


「武男さん、スペインに住んでんの!?」


【夏子さんは日本での暮らしにもう慣れたでしょうか?

 あなたと初めて日本で会った日のデートで、迷わず広島カープの応援に行った時の事を昨日の事のように思い出します】


「つっこみづらい!日本での初デートでカープ戦は、微妙に悪くもないからつっこみ難易度高いです!むやみにつっこんでカープファンを敵に回したくないし!」


【夏代さんは今でも、将棋のプロ棋士として活躍しているのでしょうか】


「武男!名前、間違ごうとる!夏子!夏子!

 それに夏子さんプロ棋士なんだ!凄いな!」


【またいつか生きてる内にお会い出来る日が来たら、一局お願いしたいと思います。

 夏代さんが最後に祐也に会ったのは、いつだったでしょうか。

 まだ幼かったうちの祐也も、今ではすっかり大きくなり、もう毛がボーボーです】


「だから夏子です!!それに子供が成長したという表現を、毛がボーボーは恋文としてはマイナス点でしょ!!」


【そういえば祐也は最近、ドッグレースに出るようになりました】


「犬なのね!!じゃボーボーだよ!!」


【では、また………。 武男】


「そんな終わり方ある!?武男、文章下手過ぎでしょ!!そのラブレター絶対ダメだよ!!」


 僕はつっこみ過ぎて息が続かなくなり、自分でも何をやっているのか分からなくなってきた。


「ナギマチ!ちょいと早いがサービスでカプセルを投げ込んだぞ!一度立て直せ!浪花さんのペースにはまり過ぎじゃ!!」


 何か今日の瀧崎さんは、朝から浪花さんにビビっているせいか僕寄りになっている気がする。

 この状況で助け船を出してくれるのは本当にありがたい。


 僕と浪花さんは瀧崎さんが投げ入れたカプセルを何とか手にし、とりあえず酸素を確保した。

 浪花さんは、どこで見つけたのか分からないが、今度は夏子から武男へのラブレターを読み始めた。


【武男さんへ

 いかがお過ごしでしょうか?

 先日はお手紙を頂きまして、ありがとうございました。

 とても嬉しくて、毎日何度も読み返しています】


「夏子さん!何度も読み返してるのって意味が分からないからじゃないよね?

 愛ゆえにだよね?」


【武男さんがプリキュアを卒業した事は大変残念に思いますが、武男さんも大人の階段を登っているのですね。

 私も来年で高校生になるので、タバコを辞めようと思っています】


「夏子さん中学生なの!?タバコ吸っちゃダメでしょ!っていうか中学生プロ棋士って天才じゃん!!武男さんも孫とか曾孫の世代を相手にしちゃマズイでしょ!!」


【武男さんは、あの日の事を覚えていてくれたのですね。私が武男さんに肩車されながら観戦した、大野 豊の引退試合。あの時の私は大野 豊が誰なのか知りもしませんでした】


「あの試合の時、居たの!?それに肩車されてたって事は、かなり幼かったよね!流石に野球は分からなったでしょ!?」


【私はてっきり高木 豊だと思って野球を観戦していました】


「そっちの選手は知ってんだ!想像するに、当時は2〜3歳くらいだよね?スーパーカートリオ知ってるって、やっぱり天才児!?」


【ではまた…………夏子】


「だから、そんな終わり方ある!?

 良くその詰めの甘さで、将棋勝ててるね!武男さんとの相性は良いと思うけど、いろんな意味で犯罪の臭いがプンプンするんですけど!!」


 2通の手紙を読み終えた浪花さんは、迷う事なく3通目を読み出そうとしていたので、流石にそこはストップをかけた。


「浪花さん!もう手紙はいいでしょ!僕、つっこみだけで終わっちゃうから!!」


 今さらだが、こっちのプールに入ってから呼吸が出来るようになった事は勿論だが、僕の声や瀧崎さんの声がしっかり聞こえている事が不思議だった。

 浪花さんは徘徊している内に見つけたのか、水中でも書けるフリップボードを持って会話しようとしていた。


【それは負けを認めたって事なの?】


「違います!ちゃんと戦って特訓した方が良いと思いまして!」


【戦いは戦いよ!どんな手を使ってでも勝てば良いのよ!結局の所、歯医者は商社に……いや、敗者は勝者にひざまづくしかないのよ!】


 確かにこの世は弱肉強食。

 つっこみの性を利用されて負けたとしたら、ただ僕が弱かっただけの話だ……。


「でも浪花さん。僕は今の言葉は納得いかない!どんな手を……いやどんな手紙を使ってでも勝てば良いなんて間違っている!世の中はそんな汚い世界じゃない!!」


 僕は何だか腹が立ってきた!いつもやられてばっかりだけど、何故か今日だけは浪花さんに負けたくないという気持ちが凄く強かった!

 浪花さんは明らかに目の色が変わり、本気で戦う気になったようで、初めて空手の組み手のように、面と向かって構えをとった。


「いいぞナギマチ!!いつも浪花さんにやられてばかりじゃ情けない!10回に1回……いや100回に1回……いや101回に1回で良いから浪花さんにギャフンと言わせてみせるんじゃ!!」


 何かプロポーズでも言わされそうな雰囲気だったが……

「今日の僕は何かが違う!!何が違うかは分からないが、いつもの僕とは明らかに何か違うんだ〜!!」


【くまさんパンツが前後ろ逆よ】


「そこかい〜!!」


 結局いつもの僕だった。


 バックプリントだという気もしていたが、履いた感じの違和感がなかったから間違っていないと思ってたのに、まさかの2拓を外すなんて………。


【いいわ。そういう心意気嫌いじゃないから、今日だけ特別に私の本気を見せてあげる!】


「挑発したのはアンタ達だからね!!私の本気を見て死ぬんじゃないわよー!!!」


 野太い声でそう言った浪花さんは、体を低くして沈み込み、プールの底を思いっきり蹴ってデンプシーロールのような動きをしながら、トマホーク並みのスピードで僕に向かって来た!!

 浪花さんが目の前まで来て僕と目が合った瞬間、僕は即死したと思った!

 渾身の力で放たれた浪花さんのアッパーは僕の顎をとらえ、僕はプールの水と一緒に空中に放り出された!!

 その威力は、オールマ○トかサイ○マかと思うほどの強烈なパンチで、薄れゆく意識の中で見えたのは、一緒に吹き飛ばされていた瀧崎さんの姿と、パンチの風圧と一緒に外に水が放り出されて水が空っぽになったプールだった。



 気がつくと僕は、プールサイドに横たわっていた。


「うっ……ううっ………」


 まずは自分の顎があるか確かめてみたが、なんとか無事に付いているようだ。

 あれだけの衝撃を受けたので、アンパ○マンのように丸ごと顔が無くなってもおかしくないと思っていたが、驚く事に僕は全身無傷だった!

 夢でも見たのかと思っていたが、空っぽになったプールと、飛び込み台にぶら下がっていた瀧崎さんを見たら、あれは現実なんだと実感した。


 正直、浪花さんの本気がここまで凄いとは思わなかった僕は、このまま実家に帰ろうかと思ったりもしたが、ガチな所その選択肢は無かったので、昨日よりも今日、今日よりも明日、強くなっていれば良いと思い、とりあえず浪花さんに楯突く事を諦めた。

 かろうじて右足首に引っ掛かっていた『くまさんパンツ』を、今度は前後ろ間違えずに正しく履き直し、10mある飛び込み台にぶら下がっている瀧崎さんを下ろしに行こうと思った。

 それにしても浪花さんは何処へ行ったんだろう……?


 飛び込み台の上まできて下を見下ろしてみたが、浪花さんの姿は見つからなかった。とにかく気絶している瀧崎さんを起こそうと思ったが、良く考えたら高所恐怖症だから起こした後もおんぶして連れて帰らないといけないのかも知れない……。

 プールの水も既に空になっているから、突き落とす……いや飛び込ませる事も出来ないし、誰かに相談したいと思っていたが本当に困ってしまった。


「私ならここにいるわよ」


「!!?」


 振り向くと僕の真後ろに浪花さんが居た!


「びっくりした〜!!」


「ずっと柳町君の後ろに居たのに」


「僕の後ろですか!?」


 瀧崎さんはまだ気絶していたが、浪花さんは自分が京子先生だとバレないように野太い声で話続けていた。


「そうよ!新右衛門君がパンツを履き直す辺りから、ずっと真後ろにいたわ」


 言われてみれば、少しだけ変な違和感を感じていた。自分の影がデカイというか、影の移動が遅いというか、自分の動作よりも影だけが遅れて動いているような感じだった。


「私はずっと柳町君の後ろで、背後霊のようにへばりついていたわ。これぞ名付けて『なんちゃって背後霊』」


「なんちゃって背後霊?」


「何それ?」


「浪花さんが言ったんでしよ!!」


 何て怖い人だ……。

 自分がスベった事を人に擦り付けようとしている……。

 僕は昔から思っていた……。

 スベった空気を押し付けられる事ほど、怖いものは無いと……。


「全くしょうがないわね〜」


 そういうと浪花さんは瀧崎さんを軽々と持ち上げた。


「サッキーは私が担いで降りるから、新右衛門君は先に下で待ってなさい」


「?………はい………」


 飛び込み台の降りる階段側に居るのが、瀧崎さんを担いでいる浪花さんで、飛び込む側に居るのが僕なんだけどな〜……。

 疑問はあったが、嫌な予感を感じる前に僕は浪花さんに蹴り落とされた。


 やっぱりね〜


 まさか僕まで飛び込む事になるとは………って!!


「プールの水、無いんだった!!」


 ヤバい!!

 このままじゃガチで死ぬ!!


 そう思った瞬間、視界に入るもの全てがスローモーションになった。

 これが噂の走馬灯か……。

 死ぬ間際はこういうものなのかと思っている内に、昔の忘れられない思い出がフラッシュバックしてきた。


 これは小学2年生の時だ。

 学校の授業が終わった雨上がりの帰り道で、道路を横切るカタツムリを見た。それも2匹。

 カタツムリはその移動スピードの遅さから、なかなか出会う事が無いらしい。だから出会った時にオス同士だったりすると困るので、カタツムリは本来オスもメスも無いようだ。出会ってからどちらかがオスに、そしてどちらかがメスになるって何かで聞いた事がある。

 そう………『めったに見れない2匹のカタツムリが出会う』そんな珍しい光景を見たという幼き頃の思い出………。


 ……って、どうでも良い〜!!


 僕の人生の中で、全然印象にも残ってない記憶〜!!カタツムリとか興味無いし!逆に良く思い出したな〜俺!!

 小学2年生だったら運動会の借り物競争で、両足の前十字ぜんじゅうじ靭帯断裂じんたいだんれつした時の方がよっぽど思い出深いわ!!


 そして、そうこうしている内に次の思い出が蘇ってきた……。


 これは小学4年生の時、同級生の早苗ちゃんに初めて告白された時だ。


「柳町君。私……先々月から柳町君の事が好きなの」


「せ……先々月から!?」


「そう。先々月から柳町君のが好きなの!」


!?」


 生まれて初めての突拍子もない告白だった。

 幼い頃からムエタイをやっていた早苗ちゃんは、先々月からどうしても僕の太ももにローキックを入れたかったらしい。

 ローキックを入れさせてくれたら、付き合っても良いと言われたので、泣く泣く受け入れたが、早苗ちゃんは迷いなく僕の延髄にハイキックを炸裂させた。

 気絶して倒れている僕の太ももに、ローキックを入れ続ける早苗ちゃんを、幽体離脱したまま見ていたのを昨日の事のように思い出した。


 ……って、これって何の思い出〜!!

 どっちかというと思い出したくない思い出じゃん!!

 走馬灯ってこんなフラッシュバックじゃないと思うんですけど!!


 一瞬現実に戻り、自分の状況を見てみると、僕は落下してから2mくらいしか落ちていなかった。

 嘘でしょ!?

 走馬灯ってスローモーションになるのは知っていたけど、1エピソードで1mくらいしか落ちてないの!?


 これから何エピソードの思い出が蘇るのか分からないが、僕はそのまま落下を続けた。


 あぁ……また変な思い出が蘇ってきた………


 これは中学1年生の時だ。

 まだ小学生臭さが抜けず、ダボダボの制服を着てた頃に僕が初めてヤンキー達にカツアゲされた時だ。


「よう!お前、金貸してくれよ!」


 ガラの悪い3人組に呼び止められた僕は、ヤバいと思って逃げようとした。運悪くこの時は、EXILE のATSUSHIと同じサングラスを買う為にお年玉でもらった3万円持っていたからだ。


「おいおい逃げんなよ!俺達に無駄な体力使わせんな!」


 そう言ってヤンキー達は僕を囲み、逃げられない状況になってしまった。

 諦めた僕は、暴力を振るわれるくらいならと思い、ポケットにある物を全て渡した。


「これしか持ってないんです!」


 僕は、小銭の320円とホーンランバーの当たりを3本渡した。


「こいつ舐めてんのか?」っていう顔をしていたが、僕の顔があまりにも真剣マジだったからなのか、途中から「こいつちょっとヤバい系か?」という表情に変わった。


「くだらない事やってんじゃねーよ!」


 後ろを振り返ると、そこにはレディースの特攻服を着た美人なお姉様が2人居た。

 1人はバイクにまたがり、1人は木刀を持っていた。


「なんだテメェは!?」


「シゲさんヤバいっすよ!あれ破廉恥女楽団グラビアエンジェルスの奴らですよ!」


破廉恥女楽団グラビアエンジェルス!?」


「そうです!ここら一体をシメている暴走族、阿修羅寝癖隊ガーデニングサタンのレディース連合軍の奴らですよ!」


「ヤバいじゃねーか……」


 僕にはネーミングのヤバさしか分からなかったが、ヤンキー3人組はビビって逃げて行った。


「アンタみたいなボンクラが、こんな所を彷徨うろついてんじゃないよ!ここはアタシ達みたいな奴らの溜まり場だから、アンタみたいのはすぐカモられるよ!」


「あ……ありがとうございます」


「……で、いくら持ってんの?」


 結局カツアゲされるみたいだ……。


「3万円です」


 美人に弱い僕は、今度は本当の事を言った。


「3万か……。アタシ達はムリヤリ金を取る事は好きじゃないからね。それなりにギブアンドテイクで行こうじゃないか」


 レディースのお姉様がギブアンドテイクなんて言葉を知っている事にも驚いたが、まさかそんな提案をしてくるなんて思っても見なかった。


「しょうがない。サラシを巻いているけど、アタシの胸を揉ませてあげるから、それで3万円もらうよ。良いね?」


「はい!」


 僕が迷わず即答すると、お姉様は特攻服を広げてサラシを巻いた豊満なおむねをさらけ出した。色白だけど筋肉質なその体型は、インドアスポーツをやっているようなアスリート体型だった。

 お言葉に甘えて、両手でおむねを1揉みした瞬間、木刀で殴られた僕は頭と鼻から血を流し、黙って3万円を手渡した。

 そして、財布の中に残っていた4000円でタモさん風のサングラスを買い、翌日は友達にマジックで髭を書かれて、ではなく2の鈴木雅之として鮮烈なデビューを飾る事になった。


 ……って、何のエピソード!?

 実話だけど、こういう時に思い出すのって、もう少しほっこりするような愛する人に感謝する的なエピソードじゃないの!?


 ちょっとずつ走馬灯の扱いに慣れてきた僕は、いつの間にか思い出を呼び起こすタイミングをコントロール出来るようになっていた(今後、何の役にも立たないと思うが……)


 そして、4回目の思い出が蘇る……。


 目の前には道に迷っていそうなおばさんが、メモに書かれた地図を見ながら蕎麦屋の前をうろうろしていた。


「目印って言ってたのは、ここの蕎麦屋じゃないのかしら?」


 ぶつぶつ言いながら、うろうろしていた上品なおばさんの横を、小学校低学年くらいの女の子が不思議そうに通りすぎた。


「ラクロスっていう喫茶店が、お蕎麦屋さんから見えるって言ってたのに、ここじゃないのかしらね〜」


 わざと人に聞こえるように喋った独り言を聞いて、その女の子が立ち止まり、おばさんに駆け寄った。


「ラクロスならあっちでやってるよ」


 そう言って女の子は、後ろに見える大学を指差した。


「あら、ありがとう!助かるわ!

 お礼にあなたには、この金の斧をあげるわ!本当にありがとうね!」


 こうして2人は、お互いで満足しながら去って行った。


 ……だから何のエピソード!!?

 ほっこりしてる風だけど、大前提として僕の思い出ではない!!

 それに女の子の言っていたラクロスは喫茶店じゃなくて、本当にやってる大学のラクロスでしょ!!

 おばさんもお礼に金の斧をあげるって、童話じゃないんだからあり得ないっしょ!!


 走馬灯をコントロール出来るようになったと思い上がった為に、走馬灯に痛いしっぺ返しを食らったようだ。

 その後、ご機嫌ナナメになってしまったせいか走馬灯が発動する事はなかった。


 ヤバい!!

 現実世界に引き戻された僕は、目の前に迫ったプールの底を見て死を覚悟した瞬間、接触した部分が柔らかくなったのを実感した。

 僕の体とプールの底が同時に柔らかくなり、僕は軽く弾んで着地した!!


 驚いた!!

 過去に何度か同じような事があった時は、気絶していたから何が起きていたのか分からなかったけど、今のは初めて自覚した!!

 僕は知らない内に自分の能力を発動させて、身を守っていたんだ!!


「やっと開花してきたようね」


「浪花さん!」


 飛び込み台の階段から降りてきた浪花さんは、片手で瀧崎さんを放り投げた後、瀧崎さんを踏みつけながら女王様のように振る舞っていた。

 いつの間にハイヒールを履いていた浪花さんは、コスチュームも若干変わっていて、どことなくドロンジ○様に寄せていた。(ここのシーンの声優さんは小原乃梨子さんでお願いします)


「新右衛門君に死の恐怖を味わってもらったのは、あなたの能力を開花させる為なのよ!」


 完全なる悪意だけだと思ってお仕置きを受けていた……。


「結局の所、B級能力者もスーパーサイ○人も死の淵から這い上がる事でしか、強くなる事は出来ないの!だから私はあなたを殺すしかないの!!」


「殺すしかないって事はないと思います!!」


「正確には、柳町君に本気で死んだと思ってもらうくらい追い込まなくちゃいけないの!!」


「それなら話は分かります」


「殺すしかないっていうのは、私の願望なの!!」


「だったらそれは心の中にしまっておいて下さい!!」


「そんな生き方して何が楽しいのよ!!」


 ある意味深い話ではあるが、人を傷つけてまで楽しみながら生きる必要があるのだろうか……。


「私はあなたを傷つけたいのよ……」


 浪花さんの心の底から出る本気の叫びだった。

 そして彼女は泣き崩れながら、延々と叫び続けた。


「自分を偽って生きてて何が楽しいの!?」


 それが大人になるって事だと思ってますけど……。


「柳町君を傷つける事以外に、私が生きる意味なんてあると思ってるの!?」


 いろいろあると思いますよ………特に思いつかないけど……。


「どういうつもりで私に近づいて来たのよ!?」


 美人先生が居るって聞いて就職を決めました。


「私を自由に生きさせてよ〜!!」


 かなり自由に生きてるように見えますが……。


 大声で泣き叫んで落ち着いたのか、情緒不安定な悲劇のヒロインのようになっていた雰囲気から一変して、浪花さんは「あ〜スッキリした」といった感じで急にケロっとして我に返った。


「久々に取り乱してごめんなさいね」


 いつもでしょ。


「どっちにしても柳町君は、自分で能力を発動する時の感覚が、少なからず分かったはずよ」


「確かに分かりました」


「すぐ出来るようになるのは難しいと思うけど、こういう感覚を積み重ねて行く事で、自分の能力が思い通りに使いこなせるようになって行くわ」


「分かりました!頑張ります!」


「でも新右衛門君が傷つくと思って今まで言わなかったんだけど、あなたの能力で一番大変な所は、超有名漫画の主人公と異能力が似てしまっているという所ね」


「ゴムゴ○な麦わら先輩ですよね………」


 正直分かってはいた。

 僕はあんなに優れた能力では無いと思っていたから気にしてなかったけど、能力を使いこなせるようになったらカブってしまう気はしていた……。でも今気にしててもしょうがない。

 逆に考えれば、あの人くらい強くなれる可能性もあるって事だからそれはそれで1つの目標として捉えよう!

 最悪、麦わら先輩のスタントマンとしてやっていけるかも知れない!!

 そう思って僕は、前向きに物事を捉える事が出来るようになった。


「流石じゃな」


「瀧崎さん!気付いてたんですか?」


 さっきまで死んで……いや、気絶していた瀧崎さんが目を覚ましていた。


「ナギマチ!お前はワシが思っていた以上に見込みがあるのぉ」


「そうですか?」


 誉められて嬉しかったが、あまり意味が分からなかった。


「ここでの特訓は、能力を開花させてレベルアップし、新しいステージとして能力を使いこなせるようにしていくのが本来の目的じゃが、やっぱり勝負の鍵を握る上で一番大事なのはメンタルじゃ!追い込まれても、追い込まれても、ポジティブに考え続けて何とか打開策を見つけ、それにぶつかって行く姿勢をどれだけ持てるかじゃ!どんな状況でも前を向ける事こそ、そいつの本当の強さじゃ!!」


「この段階でそれに気付く事が出来たのは、私の予想よりも早かったわね。流石、いじられ上手の柳町君」


 少しだけ感動した……ちょっとは認めてもらえたのかな……。


「たまには素直に誉めて下さい……」


「甘ったれてんじゃねーよ!クソガキが!!これからもっと地獄を味あわせてやるから覚悟しとけよ!!」


 浪花さんの豹変ぶりには、いつまで経っても慣れない……。

 傷つかなくなる事なんてあるんだろうか……。

 流石のMっ気もここまで来ると通用しない気がする……。

 そういう意味では先が思いやられるが、その反面、特訓を続けていくモチベーションを上げる事も出来る出来事だった。



 そして時は流れ、異能力ドラフトが始まる2週間前に、裏社会に衝撃のニュースが流れた。


『犬飼 治五郎 死去』


 裏社会で圧倒的な力を持つ3大組織『ブレイブハウンド』『イボルブモンキー』『テラフェズント』。

 その中でも実質トップと言われていたブレイブハウンドのボス、犬飼 治五郎の突然の死である。

 詳細は謎のままだが、僕は浪花さんと一緒に泊まっている部屋で、この突然のニュースを聞く事になった。

 何より、浪花さん……いや京子先生の事を想うと、どうして良いのか分からないくらい辛かった……。



第4話 犬飼 治五郎とネーミング師


異能力ドラフトが始まる2週間前。

 僕は、ブレイブハウンドの特訓施設であるファルセットの中の宿泊場所で、同部屋の京子先生(浪花さん)と一緒に生活をしていた。

 就寝前にプロレスごっこをしていた僕達は、浪花さんのジャーマンスープレックスが綺麗に決まった瞬間、臨時で入ったニュースとして勝手についたテレビモニターから、衝撃のニュースを目にした。


『犬飼 治五郎 死去』


 僕を投げ捨てた浪花さんは、スマホを手に取り、裏サイトのニュースを数分眺めた後、苦笑いしながらため息をついた。


「大谷翔平 メジャーでも20奪三振か………」


「何のニュース見てるんですか!?」と、つっこみたかったが、流石にそんな雰囲気ではなかった……。


「せっかく頑張ってボケてるのに、柳町君もヒドイわね………ほったらかしにするなんて」


「す……すみません」


 こんな時くらい頑張ってボケなくても良いのにと思ったが、これがいつもの京子先生と言えば京子先生か……。


「このニュース、本当なんですか?」


「私もここのモニターで見るのは初めてだけど、緊急時や臨時ニュースが入った時は、無条件で電源が入ってテレビから速報が流れるようになっているのよ。

 今、信憑性のある裏サイトのニュースでも確認したけど、本当らしいわね」


「そうですか………残念ですね」


「明日はおそらく、ブレイブハウンドに関わる施設は全て休業になるんじゃないかしら」


 そりゃそうか……。葬儀の準備とかもあるだろうし、組のトップが亡くなったとなっては、いろいろな問題が起きるだろうから、対応に追われてバタバタするだろうな……。


「新右衛門君。明日一緒にお出掛けしない?」


「何処にですか?」


「それはこれから決めるんだけど、心当たりがある所がいくつかあるの」


「心当たり………ですか?」


「とりあえず今日は寝なさい。私は一ノ条に連絡して、お風呂に入ってから寝るから」


「分かりました」


「明日は、6時出発予定だから5時には起きててね」


「了解しました」


「じゃ、良いお年を」


 10月のこの時期に訳の分からない事を言って、部屋から出て行った京子先生は、スマホを忘れた事に気付き、すぐ帰って来て僕にワンパン入れてから再び出て行った。心当たりの意味が良く分からなかったが、強がっている京子先生の姿が何とも痛々しかった。

 寝付けそうにもなかったが、僕はとりあえず布団に潜り、犬飼さんの事を思い出しながら目を瞑っていた。



 翌朝目が覚めると、京子先生は既に出掛ける準備をし終わっていて、後はマスクを被るだけという感じで僕の寝顔を見下ろしていた。

 時計を見たら、5時45分。

 6時出発と言っていただけあって、僕の顔を見つめる視線は明らかに冷たく「準備出来なかったら、全ての髪の毛をむしりとるわよ!!」と威圧感だけで語っていた。

 左手にはストップウォッチを持ち、右手には金の斧を持って素振りをしている姿を見て、僕はすぐに飛び起きて、とにかく急いで出掛ける準備をした。

 たいした身支度も出来なかったが、何とか6時までに間に合い、京子先生と一緒に出掛ける事になった。


 エリアBの外に出てみると、そこには黒塗りの車が準備されている。京子先生の車だろうか……。


「柳町君。とっとと乗りなさい」


「は……はい」


 通常よりも少しだけ着飾った服装の京子先生は、マスクだけ被り運転席に座った。

 僕は助手席に座り、普段よりきつめにシートベルトをして、京子先生のご機嫌が戻るのを待っていた。


「新右衛門君。私に何か言う事ない?」


「………………いつにも増してマスクがお似合いです」


「…………」


 お……怒られるかな………。


「ふっ………。何、ガラにもなくボケてんのよ」


 正直、京子先生の事が心配だった。

 普通だったら寝坊した事を謝れば良いんだろうけど、突然お父様を亡くしたという辛い気持ちを、少しでも紛らわせてあげたいと思って、ガラにもなく無理にボケてみた。


「ありがとう。そんなに私の事が心配?」


「心配です」


 車はエリアBを出て、犬飼家の敷地から外に出た。


「あの人とはもう何年も会ってないし、そもそも数えるほどしか会った事ないの。実の父親ではあるけど、あまり思い入れのある人じゃないから、そこまで落ち込んではいないわ」


「そうなんですか?」


「まぁ他にも理由はあるけど……」


 どういう意味だろう……?


「あの〜……所でこの車はどこに向かっているんですか?」


「ラブホテルよ」


「……………早朝ですけど」


「新右衛門君、つっこみの質が落ちてるわよ」


「すみません……」


「何でさっきからアンタが落ち込んでんのよ!」


「だって………」


「私とラブホテルに行きたくないの!?」


「行きたいです!」


「落ち込んでる暇があったら、しっかりつっこみなさい!!」


「分かりました!」


「どうでも良いけど、調子を狂わせないでちょうだい!状況は状況だけどいつも通りで良いのよ!気を遣われている方がやりにくいわ!」


「すみませんでした!」


「そうそう!!そういう立ち直りが早い所も柳町君の良い所なんだから、辛気臭い顔してないでしっかりしてね!!」


 犬飼さんと会ったのは一度きりだけど、僕の方が思い入れが強かっただけのかも知れない……。

 京子先生は、僕が思っていたよりは落ち込んでいなかったようで少し安心した。とりあえず今の所は、出来るだけ普段通りに振る舞おうと思った。


「これから銀行強盗ですか?」


「それは昨日終わったわ」


「行ったんかい!!」


「これから行くのは私の実家よ」


「じ……実家ですか!?」


「そう。母さんの所」


 京子先生のお母様……。

 ちょっと怖い気もするけど、ご挨拶がてらに1度会ってみたいとは思っていた。でもそれが今日だなんて………。心の準備が全く出来ていない………。


「緊張してんの?」


「まぁ……それは……少しだけ……」


「別に怖い人じゃないけど、例の挨拶だけはしっかりやってよ」


「例のって………娘さんを僕に下さい的なやつですか?」


「違うわよ!『オッス!オラ野沢雅子!!』よ!」


「そっちですか!?」


 そんな挨拶が、例の挨拶として通じる訳ないでしょ……。


「あの〜もしかしてなんですけど、お父様は自分の死期を悟って僕達の所に来たんですかね?」


「でしょうね」


「京子先生は、ご兄弟居るんですか?」


「どういう意味?」


「いや……ブレイブハウンドって後継ぎとか、2代目をどうするのかなぁと思って」


「以前、一ノ条が初めてB級能力者相談所サテライトキングダムに来た時、一ノ条の他に若い男が居たの覚えてる?」


「あっ!覚えてます!ちょっと性格悪そうなホスト風な奴ですよね!」


「あれが私の腹違いの弟。血統的にはブレイブハウンドの正統な2代目なのよ」


「そうなんですか!?」


「まぁ、向こうは私の事を知らないだろうけど、確か柳町君と同い年だった気がするわ」


 僕と同い年で2代目……。

 印象の薄い人だったけど、一応は後継ぎが居るのか……。


「正直言うと、新右衛門君の言う通り性格は悪いわ。今の状態であの子が後を継いだらブレイブハウンドは終わるでしょうね」


「それってヤバいじゃないですか」


「だから心配して、あの人も私達の所に来たんでしょ」


 そういう事か……。


「実家まではもう少しあるから、寝てて良いわよ。睡眠、足りてないんでしょ」


「は……はい」


 寝坊はしたが、京子先生が心配で全然眠れず、寝ついたのが5時頃だった気がする。


「では、お言葉に甘えて……」


「本当に寝るのね」


「えっ?」


「どういう神経してんのかしら?」


 そんな……そこまで言葉の裏は読み取れませんよ………。

 そう思っている内に、目にも止まらぬスピードで殴られた僕は、気絶して眠ってしまった。



「着いたわよ」


「えっ?あっ……はい!」


 どれくらい眠らされていたのか分からないけれど、車から降りると目の前には比較的大きな一軒家があった。高級感のある家ではあったが、どちらかというと和風の家で中流階級と上流階級の間くらいの人が住むくらいの、ちょうど良い感じの家だった。

 表札には確かに『柊』と書いてある。


 ここが京子先生が育った場所か……。何か不思議な感じだな……。


「何、アホみたいな顔してんのよ!行くわよ!」


「は……はい!」


 家の周りは全体的に綺麗になっていて、隅々まで掃除が行き届いてる。お母様は凄く綺麗好きのような気がする……。


「ただいま!母さん居ないの?」


 僕達は玄関を開けて中に入った。

 目の前には、雑巾がけをするのが大変そうに思えるほどの長い廊下があり、一見旅館のようにも見える内装だった。廊下から見える庭には盆栽などが置いてあり、少し都会から離れたイメージすら感じさせる古風な感じを醸し出していた。

 奥の部屋で障子が開く音がしたと思ったら、着物を着た上品なおば様がこちらに向かって歩いて来た。芸能人で例えると、岩下志麻か吉永小百合かというくらい綺麗な人で、一目見ただけでこの人が京子先生のお母様だと確信出来るほどだった。


「母さん、玄関に鍵かかってなかったわよ!物騒なんだから気をつけてね!」


「たまに帰って来たと思ったら、いきなり説教かい?そんなんじゃいつまて経っても、嫁のもらい手がない…………!?

 京子!!何だいその生き物は!?」


「一緒に働いてる、助手の柳町 新右衛門君よ」


「柳町 新右衛門です。京子先生には、いつもお世話になっています」


 《寝ている間に顔にパンダの落書きをされた柳町が、お母さんに挨拶している挿し絵》


「あ……あんたの彼氏なのかい!?」


「ただの下僕よ」


 ヒドイ……………間違ってないけど……。


「間違えた。ただの下僕じゃないわ。ド変態の下僕だったわ」


「言い過ぎです!間違ってないけど言い過ぎです!!」


「今日はブラジャーしてないの?」


「いつもしてないです!!」


「携帯用のローションは?」


「持ってないです!!」


「パンツは履いてるわよね」


「履いて……………………ないです。……………急いでたんで」


「ふふふっ………本当に変態なのね」


「いやいや!お母様!勘違いしないで下さい!今日はとてつもなく急いでいたので、たまたまパンツを履くのを忘れただけです!」


「たまたまで、パンツを履くのを忘れる人なんか居る訳ないでしょ!」


 ヒドイ………本当は昨日の夜のプロレスごっこで、京子先生が意味も無く僕のパンツをから、履くのがなかっただけなのに!!


「京子もそこそこの変態だから、良いコンビかも知れないわね」


「一緒にしないで欲しいわ」


「京子の相手がまともに出来る人なんてそうそう居ないから、京子の事を末永く頼むわね!」


「は………はぁ………」


「はぁ……じゃないわよ!!」


 京子先生に頭を叩かれたが、何かお母様には気に入られた感じがした。


「立ち話もなんだから、奥の部屋でゆっくりして行きなさい」


 そういって僕達は奥の居間に通された。

 そこは畳が敷かれている和室に、8人ほど座れそうな大きめの机が置かれていた。

 並んで座布団の上に正座した僕達は、お母様がお茶菓子を用意してくれるというので、大人しく待っていた。


「何キョロキョロしてんのよ」


「いや………京子先生の実家ってしっかりしてるなぁと思って」


「何よ!私がしっかりしてないみたいじゃない!」


「いや!そういう意味じゃなくて、意外とちゃんとした生活が出来てたんだなぁと思って」


「どういう意味よ!」


「母子家庭だって聞いてたんで、もっと大変そうなイメージがあったというか……」


「もう少し貧乏だと思ってたって事?」


「それもありますけど、グレてこうなってしまったのかと…………ぐぁ!!」


「父親があんなだから援助はしてもらってたみたいだし、お金にはそんなに困らなかったわ」


「何か悲鳴が聞こえたけど大丈夫?」


 お母様がお茶菓子を用意して持って来てくれた。


「大丈夫よ。ちょっと関節が逆に曲がっただけだから」


「もう、京子ったらいい加減にしなさい。今日はそんな事をしに来たんじゃないんでしょ」


 お母様は、持ってきたお米の磨ぎ汁と生野菜を僕達に出してくれた。到底、お茶菓子と呼べるものではなかったが、一応礼儀として一通り手をつけてみた。


「母さん………何でベルのエサを持って来たの?」


「ごめんなさい。間違えたわ」


 一通り食べてから言わないで下さい……。

 お母様も動揺してるかも知れないけど、この間違え方は無いと思います……。


「母さん…………あの人の事なんだけど、何か聞いた?」


「何かって?」


「……………」


「何よ………何かあったの?」


「実はあの人………………………………死んだのよ」


「あぁ本人から聞いたわよ」


「「本人から!?」」


 僕と京子先生は一瞬止まってしまった。


「あの人、久々に帰って来たんだけど、今お風呂に入ってるわよ」


 京子先生はいきなり立ち上がってお風呂場に向かって走り出した!僕も京子先生に続いて後を追いかけた!

 京子先生がお風呂のドアを開けると、そこには呑気に湯船に浸かっている犬飼 治五郎の姿があった!!


「ど………どういう事ですか!?」


「やっぱりそういう事だったのね」


「えっ!?何がどうなってるんですか!?亡くなられたんじゃないんですか!?」


「情報を操作して、死んだ事にしてたんでしょ」


「京子か。久しぶりだな。そろそろ来る頃だと思ってたよ」


「どういうつもりなの?」


「こんな事でもしなきゃ、京子が会いに来てくれないと思ってな。

 ………というは冗談だが、ちょっと話しておきたい事があってな。今、風呂から上がるから居間で待っててくれ。すぐに行く」


 状況が飲み込めず納得は出来なかったが、とりあえずお父様が生きていた事に安心した僕達は、居間で待つ事にした。

 僕は湯船から上がる瞬間のお父様をチラ見したが、普通にしているのが不思議なくらい腰から下が焼け爛れたようになっていた。


 居間に戻って待つ事数分、犬飼さんがスパッツ1枚でお風呂から出て来た。江頭というよりは力道山といった体型だったが、上半身にもかなりの傷痕が残っていて、相当の修羅場を潜って来た風格が漂っていた。

 僕と京子先生の目の前に座って胡座あぐらをかき、お母様が注いでくれたビールを一気飲みした。


「京子はいくつになった?」


「26よ」


 初めて知った………。僕と3つしか変わらなかったんだ……。


「そうか………26か………。私が美玲に出会ったのもそれくらいだったな」


「あなたと母さんの馴れ初めの話なんてどうでも良いわよ!それよりあんなデマを流したのはどういうつもりなの!?返答次第じゃ、ただじゃおかないわよ!!」


「実は強ち嘘でもないんだよ」


「どういう事よ」


「ワシは既に末期の病でな。あと2ヶ月以内に死ぬ事は確かなんだ」


「………」


 言葉が出なかった………。


「散々好き放題やったから、自業自得ではあるんだが、ブレイブハウンドの事や家族の事が気がかりで、このままじゃ死ぬに死ねん。かと言って立場上、自由に動く事も出来んから、表面上だけ先に死ぬ事にしたんだ」


「それで?」


「京子には先に言っておいても良いとは思ったが、会ってくれないと思ってたからな」


「当たり前でしょ」


 本当に複雑な親子関係だ……。


「ワシが死ぬ事で、裏社会の構図はかなり変わるぞ」


「私達には関係ないでしょ」


「そうだが、素性がバレれば京子達が危険な目に会う可能性はかなり高い」


「だったら会いに来なければ良いじゃない」


 そんな、元も子もない事言わなくても………。


「まぁそうなんだが………」


 犬飼さんと京子先生は本気の話し合いをしていたが、お母様は先に事情を聞かされていたようで、素っ気ない態度で話半分で聞いていた。

 そしてその後、お昼ご飯を用意すると言って席を立った。


「気にかかるのは、やっぱりブレイブハウンドの事なんだ」


「そうよね。結局2代目はどうすんのよ」


「京介にはまだ早い。2代目は司が継ぐ事になってる」


「一ノ条さんなんですか?」


「今の京介はトップに立てる器じゃない。ワシが育て方を失敗したのもあるんだが、あいつは正直、元々の素養があまり良くなかった。ちょっと道徳観に問題があって、あまり人の痛みが分からん奴なんだ」


「私もあいつは嫌い」


「そんなはっきり言うな」


「3代目には京介に継いでもらおうと思っているから、司の下に付けていろいろ学ばせてはいるんだが、なかなか難しくてな。2代目にされなかった事で、下手すると司の命も狙い兼ねないような奴なんだ」


 確かにそれは危険だ……。


「京介は私の事知ってるの?」


「いや、教えてない。昔、娘が居た事は知ってるが、もうとっくに死んだ事になっているし、本当の事を知っているのは、司と静香ちゃんと司の側近である烏丸からすまるだけだ。ファルセット所属の箕さんや瀧崎や井森の3人は、何となく気付いている気もするが、あの3人はワシと家族同然の付き合いをして来たから、野暮な事はしないだろう」


「やっぱりバレたらまずいんですか?」


「まぁいろんな意味でな。猫子ねここも今だに京子が死んだと思ってるしな」


「猫子さんですか?」


「あぁワシの妻だ」


 犬飼 猫子………スゴい名前だ。


「あいつも病弱で、今はほぼ寝たきりだからな。跡目相続の事には口出しして来ないだろ。ただ、京介が本気で探り出したら京子にたどり着くかも知れん。京子の存在がバレたとしても、命を狙って来る事はないだろうが、警戒だけはしておいた方が良い」


「相続問題は私達には関係ないから、そっちで勝手にやってよ。こっちに火の粉が飛んできたら、蹴散らすだけだし。

 柳町君を盾にして……」


「僕じゃ盾にならないです!」


「そうね。紙エプロン程度よね」


「はい!紙エプロン」


 そう言ってお母様が僕に紙エプロンを渡してくれた。お昼から焼き肉を用意してくれたこの食事が、結果的に京子先生にとって両親と食べる最後の食事になった。

 それを知るのはもう少し後の事だが……。


「ワシが気にしている事はもう1つあって、裏社会の戦力分布図が変わる事なんだ」


「戦力分布図ですか?」


「裏社会は良くも悪くも、ワシが居た事で3勢力のバランスが保たれていた。ワシが居なくなる事で、そのバランスが大きく崩れるだろう」


 そんな強い影響力を持っていたんだ………。


「正直な所、ワシが力だけで実権を握っていたと思っている奴等も多いだろうが、実際はいろんなパワーバランスを考えて、3組織の力を配分し、間を取り持って良い関係を築いてたんだ。そこでだ。ワシの代わりになる人物を、どうしても今回の異能力ドラフトで獲得しておきたいと思ってる」


「誰よ?」


「せせらぎ 面太郎めんたろうだ」


「せせらぎ 面太郎めんたろう!?」


 こいつもなんて変な名前なんだ……。


「来月に行われる異能力ドラフトで、ダントツの1位指名候補だ。何十年に一度の逸材であるこいつが、何処の組織に所属するかで今後の力関係が一変するだろう」


「そんなに凄い人なんですか?」


「ワシの若い頃にそっくりだった」


「じゃ、たいした事ないじゃない」


 京子先生は、お父様に対しても毒舌だ……。


「ま……まぁ……京子にとっちゃたいした事ないかもな………」


 犬飼さんも京子先生の前じゃタジタジだな……。


「何か嫌な予感がするんだけど、もしかして私達にそのドラフトに参加しろとか言うんじゃないでしょうね?」


「まぁそういう事なんだが」


「どういう事ですか!?」


 僕は、異能力ドラフトについてあまり詳しい事は知らなかった。裏社会にとって、年に1度のビックイベントだという事は知っていたけど、野球のドラフトみたいに順番に指名していく形じゃないんだろうか?

 京子先生は、うんざりした様子で僕に説明してくれようとした。


「新右衛門君。勉強不足もいい加減にしてよね」


「すみません」


「裏社会の異能力ドラフトは指名制じゃなく、各組織で選抜した数名でバトルして、勝者が獲得権を得られるのよ」


「もしかして、そのバトルに参加しろって事でしょうか?」


「このオヤジはそう言ってるわね。そんな事より早くカルビ焼きなさいよ!」


「す……すみません」


「それでいくらくれるの?」


「出るんですか!?」


「出せて200万だな」


「やるわ」


「やるんですか!?裏社会のバトルって言ったら命を懸けてやるんでしょ!?安くないですか!?」


「さっきからうるさいわね!早くロースを焼きなさいよ!」


「は……はい」


「冗談だ。1億出そう」


「いらないわ!お金の事で後でゴタゴタするのも嫌だし、500万で良いわ」


 増えてるし。


「誰にも知られていない金だから、後でゴタゴタする事はないぞ」


「そこまで言うなら、間を取って9900万もらうわ」


「全然、間じゃない!!」


 僕は音速で殴られた。


「黙ってハラミを焼きなさい!!」


 普段、ほとんど焼き肉を食べないので、ハラミがどの肉だか分からなかったが、京子先生の顔色を伺いながら5種類の内の1つをホットプレートに置いた。

 京子先生は「よし」という感じで軽く頷いた。


「異能力ドラフトでのバトルは3戦だ。1戦目と3戦目がシングルで2戦目がダブルスになっている。3組織で行うバトルだから、今年も9名の新人が入る事になる。去年まではワシが1戦目に出て、司と烏丸が2戦目のダブルスに出て、3戦目はその年に組織で1番活躍した奴が出ていた」


「やっぱり全勝してたんですか?」


「いや、1戦目2戦目は何とか勝っていたが、3戦目は負ける事も多かったな」


「やっぱり他の組織も、それぞれトップが出て来るんですか?」


「去年まではそうだったが、ワシらがあまりにも勝ち過ぎるから、他の組織が異を唱えて今年からルールが変わったんだ。

 組織のトップが出られなくなった事と、同じ人は3年間しか出られない事になった」


「その矢先に、アンタがこんな事になったって訳ね」


「まぁそういう事だ」


「あの〜……当然の事として確認しておきますけど、僕は出なくて良いですよね」


「出るに決まってるでしょ!1人2億よ!!」


「だから増えてる!!」

 

「柳町君は私の異能力として出れば良いのよ」


「京子先生のですか!?」


「そうよ!私の能力は『柳町 新右衛門君を自在に操る』というB能力で登録するわ」


「B〜級〜!!?」


「残念ながらダブルス以外は1人と決まっているんだ」


「えっ!?もしかして新右衛門君を人としてカウントするつもりなの!?」


「当然でしょ!!」


「こんなパンダみたいなのに?」


「どこがパンダなんですか!!」


「鏡を見て見なさいよ」


 お母様が鏡を持って来てくれた。


「あ〜っ!!」


「何で京子先生が驚くんですか!!寝ている間に、落書きしましたね!!しかもこのテカり具合、油性マジックで3度塗りくらいしてるでしょ!!」


「3日は落ちないわね」


「4日は落ちないだろ」


「いや、5日はいけると思うわ」


「家族みんなで何を予想してるんですか!!」


 1つオチがついた所でお父様が話を元に戻した。


「柳町君が参加するかは置いといて、京子には1戦目で出てもらいたいと思ってる」


「当然でしょうね」


「そして、何としてでも勝ってもらい、せせらぎ 面太郎をブレイブハウンドに加入させたいんだ。最悪、2戦目3戦目は捨てても良いくらい、この1戦目が重要なんだ」


「ちなみになんですが、3組織ありますけど、相手はどうやって決まるんですか?」


「良い所に気がついたな。そう!この戦いはバトルロイヤル形式になっている」


「バトルロイヤル形式!?」


「最近は毎年そうなんだが、必ずと言って良いほど2対1の構図が出来上がってしまう」


「イボルブモンキーとテラフェズントが手を組むって事ですか?」


「まぁそういう事だな」


「そいつらはどんな奴を1戦目に出して来るか、目星はついているの?」


「それが分からんのだよ。去年までだったらイボルブモンキーは猿正寺 光秀、テラフェズントは鳥谷 紫園という組織のトップが出て来ていたが、さっきも言った通り今回からはトップが出られなくなったからな。自分より強い奴が組織に居ないと思ったら、トップの座を他に譲ってでも猿正寺や鳥谷のおばさんが出て来てもおかしくない」


 テラフェズントのトップは女の人なんだ……。


「まぁ私が出る限り、誰が何人出て来ようが関係無いけど」


 京子先生の場合、実際にやれるだろうから怖い……。


「私が出るのは良いとしても、ブレイブハウンドとは関係無い私の立場は、周りにどう説明するのよ」


 確かに……。組織のメンバーや血縁者だったら、まだ周りを納得させる事が出来るかも知れないけど、京子先生や僕の事はどうするんだろ?


「実は、今回から変更になったルールの1つにドラフトバトルの参加者にスカウト枠が設けられたんだ」


「スカウト枠ですか?」


「異能力ドラフトが行われる11月11日の前後6ヶ月間、正式な組織メンバーの他に、出場させたい人を3人だけスカウトして良いというルールが追加された。仮メンバーとしてドラフトバトルに参加する為だけに、6ヶ月間だけ組織に所属するという事だ」


「じゃ私達は、裏社会の均衡を保つ為に、6ヶ月だけブレイブハウンドに加入し、せせらぎ 面太郎を獲得してから脱退すれば良いって事ね」


「まぁ簡単に言うとそういう事だ」


「それで1人3億だったら悪くないわね」


「だからデイトレードか!!っていうくらい増えてます!!」


「京介はどうするの?」


「立場上、出さん訳には行かないだろうな。まだ2戦目に出すか3戦目に出すかは決めていないが、その辺は司ともう少し相談するつもりだ」


「みんな、話に夢中になりすぎよ。お肉はたくさんあるからどんどん食べて!」


 僕もさっきから食べたいと思っていたが、焼き上がった肉を片っ端から京子先生に持って行かれて、全く食べる事が出来なかった。いつの間に焼くのは僕の係で、焼き上がった物を分配するのが京子先生の役目になっていた。僕の取り皿には玉ねぎとナムルしか盛られておらず、まだ肉を1枚も食べる事が出来ていないのだ………。

 とりあえずご飯とナムルをひたすら食べながら、どうしても食べたかったカルビを京子先生に奪われないように、焼き上がるのを待つ事にした。


「そういえば柳町君。特訓の方は上手くいってるのか?」


「以前よりは強くなってると思います。能力も少しずつ使いこなせるようになってきてますけど、実際に戦ったらまだ勝てる自信はありません」


「能力名はあるのか?」


「能力名ですか?」


 僕は京子先生と顔を見合わせた。2人共、頭の上に?マークが浮かび、サンドウィッチマン並みに「ちょっと何言ってるか分かんない」といった感じだった。


「柳町君の能力名は『おっぱい大作戦』だっけ?」


「勝手に変な名前付けないで下さい!!」


「もしかしてお前達は、能力名を持っていないのか?」


「そんな事考えた事も無いです」


「じゃ、ネーミング師も知らないって事か?」


「ネーミング師って何ですか?」


 犬飼さんは、さぞ当たり前かのように「ネーミング師」なる単語を発した。


「そうか。ネーミング師を知らないとは盲点だった」


「能力名なんて勝手に付けるもんじゃないの?」


 僕も京子先生と同じように思っていた。

 犬飼さんは「これだから素人は困る」といった表情だった。


「能力名は人の名前と同じくらい大事だ。自分で勝手に付けている輩がほとんどだが、実際は自分の能力に合った良い能力名を付ける事が大事なんだ。そして能力を発動する時に、能力名を発する事で能力の効果が倍増するって事を、意外とみんな知らないんだ」


「そうだったんですね」


「確かに!黒い物を白いと言ったり、丸い物を四角いと言ったり、柳町君をハンサムだって言うのは違和感があるものね!」


 なくても良いんですけど……。


「やっぱり、ブサイクはブサイク!変態は変態!チンス以下のゴミ野郎には、2度と生まれ変わってくるな!!って言った方が力がみなぎるものね!!」


「言い過ぎー!!僕の事をけなしてる時、力みなぎり過ぎです!!」


 ちょっと興奮してしまった僕に、お母様が甘酒を注いでくれた。場の空気がおかしくなってしまったので、とりあえず大好物の甘酒を飲んで正気を取り戻した。


「その人の能力にしっかり合ったネーミングを付けられるネーミング師は、世界的に見てもかなり少ない。ワシらブレイブハウンドが、昔から世話になってる数少ない優秀なネーミング師を紹介してやるから、午後に2人で会いに行ってきなさい。能力名を付けるのは少しでも早い方が良いからな」


 そう言って犬飼さんは、誰かに連絡してくれていた。


「まぁネーミング師に会いに行くのは良いんだけど、6ヶ月という限定でブレイブハウンドに加入するにしても、私達は裏社会の事をあまりにも知らな過ぎるわ」


「確かに!僕も協力したい気持ちは山々なんですけど、これから関わっていく以上、もっといろいろな事を知っておきたいです!」


「では、案内役に誰か付けよう。この世界の情報通で、我々の組織の事情もそれなりに知っている奴の方が良いな」


「そうね。それなりに美人だと尚良いけど」


 賛同して良いものか迷ったが、京子先生がそう言うのなら僕的には願ったり叶ったりだったので、とりあえず大きく頷いた。


「それなりに美人か………みんな忙しいと思うが、あかねだったら少し手が空くかも知れんから、話をつけてみるか」


「茜ちゃん?確か、烏丸さんの妹さんだっけ?」


「そうだ。幹部の連中は、この後の葬儀やら何やらで動けないだろうからな。烏丸の所の茜だったら、大丈夫だろう。信用も出来るし、それなりに美人だしな」


 基本的に美人だったら、僕は何でもOKです!

 性格が悪かろうが殺し屋だろうが、美人に勝るものはないと思ってます!

 多分、京子先生も同じ考えの持ち主だから、僕達は相性が良いのかも知れないという気がしてきた。思い出してみると、黒川さんの時もどちらかというと積極的にB級能力者相談所サテライトキングダムに勧誘していた気がする。

 京子先生は元々1人でやっていたけど、僕が入ってからの2年間は、いろいろな人が来てもそういう勧誘はしなかったものな……。

 やっぱりお互い美人や可愛い子には目が無いのか……。


「茜と連絡がついたようだ。2時に稲穂坂の線路沿いにある梅宮という釣り堀で待っているそうだから、そこで合流すると良い」


「どんな人か分かりませんけど大丈夫ですか?」


「場にそぐわない美人だから、多分見れば分かるだろう」


 場にそぐわない美人………あまり聞き慣れない言葉だが、何故だか納得してしまった。


「ほら、もうすぐ1時だから早く食べちゃって。残したって誰も食べる人居ないんだから」


「分かりました!」


 僕は、残っていた肉や野菜を全てホットプレートに入れて焼き始めた。梅宮という釣り堀までどれくらいかかるのか分からなかったが、お母様の感じだと1時にはここを出た方が良いという口振りだった。焼き上がった物は全て京子先生が振り分けて、とりあえずお皿にあった物は綺麗にたいらげた。

 あれだけ焼いたのに、僕はお肉を1枚も食べられなかった……。野菜と甘酒だけでお腹を満たした僕は「ヘルシーな正月か!!」と言いたかったが、とりあえず美人が待っているという事で、怒りを抑えた。

 もぐもぐタイムが終わった僕と京子先生は、お母様から1人1房ずつのバナナをもらい、呼んでもらったタクシーに乗って梅宮という釣り堀に向かった。


 僕は甘酒を5杯ほど飲んだが、京子先生はビールを10杯くらい飲んでいた。見た目は全く酔っていなかったが、お母様が気を利かせてタクシーを呼んでくれたのだろう。


「京子先生、乗って来た車は置いておいて大丈夫なんですか?」


「私のじゃないから分からないわ」


 《瀧崎さんが、駐車場で呆然と立ち尽くす挿し絵》


 タクシーに乗りながら外の風景を見てる限りでは、場所が何処だか分からなかったが、30~40分ほど乗っていたら目的地である釣り堀に着いた。

 京子先生が先に降りてしまった為、当たり前のようにタクシー代を払わされた僕は、邪魔になると思ったバナナを運転手さんにあげてタクシーから降りた。


「何でタクシーを帰しちゃったの!?」


「えっ!?特に何も言われなかったので………」


「茜さんと合流したらネーミング師の所に行かなきゃいけないのに、足が無かったらどうするのよ!!」


「すみません………」


「本当にいつも考え無しね!!呑気になって中身までパンダみたいになってんじゃないわよ!!」


 そうだった………僕の顔はパンダのように落書きされたまんまだった……。


「新右衛門君に渡したバナナはどうしたの?」


「あっ………さっき邪魔になるかと思って、運転手さんにあげちゃいましたけどマズかったですか?」


「食べてないから分からないわよ!!」


「そういう意味のじゃなくて、あげない方が良かったんですか?っていう意味です!」


「当たり前でしょ!!え〜っ!!お腹が空いたから食べようと思ってたのに!!」


「さっき食べたばっかりでしょ!?」


「何なのアンタは!?私を餓死させたい訳!?」


「お腹一杯食べてたように見えましたけど、全然足りなかったんですか?」


「私のお腹が一杯かどうかを、なんでアンタが決めるのよ!!柳町君にそんな権限があると思ってるの!?バカな事ばっかり言ってるとパワハラで訴えるわよ!!」


 そっくりそのまま返したい………。


「早く2人分払ってよ!中に入れないじゃない!」


 また僕が払うのか………。


 僕はいろいろな事が納得行かないまま、釣り堀の参加料を2人分払った(1人1500円)。中に入ると、25mプールくらいの釣り堀に10人程度の人が参加していた。参加者の中に1人だけ尋常じゃない量の魚を釣り上げている、スーツ姿の女性がいた。

 眼鏡をかけたモデル体型のその人は、敏腕秘書といったようなイメージだろうか。釣りをしている姿勢も良くて、明らかにこの場にそぐわない美人だった。釣り堀の魚を全て釣り上げてしまうんじゃないかと思うほどのペースで釣りをしていたその人を、周りの人達は冷たい視線で見ていた。

 釣り上げた魚はバケツに入れられていたが、彼女の周りには魚が溢れているバケツが50個近く置いてあった。

 そう言えば入り口に書いてあったが、釣った魚は1匹50円で引き取ってくれるらしい。間違いなくあの人は元を取っただろう。

 僕がその女性の釣りっぷりに目を奪われている隙に、いつの間に京子先生が釣りを始めていた。既に食いついているその竿は、レーザービームのように糸が張っていて、かなりの大物がかかっているようだった。

 京子先生は、片手でスナップを利かせて軽々と釣り上げてしまった!マグロかと思うほどのその魚は、1mは余裕で超えている。その大きさにも驚いたが、良く見ると針が刺さっているのが口ではなく、魚の横っ腹の所だった事だ!釣り方を見ていた訳ではないので確信が持てないが、おそらく京子先生は竿を投げ入れる時にんではないだろうか……(おそらく京子先生意外には真似出来ないだろうが……)。

 自分以外の人間に注目が行ってしまっている事に、対抗心を燃やしたのかなぁ……。


「新右衛門君!早くさばいて!」


「早いでしょ!!もう食べるんですか!!っていうか、この魚食べても大丈夫なんですか!?」


「私のもお願いするわ」


 僕と京子先生が激論をしている間に、その眼鏡の女性が僕の後ろに立っていた。


「あなた達が、一ノ条さんが言っていた柊さんと柳町君ね」


「じ……じゃあ…………あ……あなたが茜さん……!?」


 何でそんな驚いたリアクション!?

 犬飼さんの話からすると、見るからにこの人が茜さんでしょ!!

 京子先生は、たまたま働いていたコンビニで、実は店長が生き別れた父親だったと判明した時の演技をしている、広瀬すずのようなリアクションをしていた。


「初めまして。私、烏丸 茜と申します。一ノ条さんからの命令で、あなた達をネーミング師の所まで案内するように言われています。いろいろな事を知りたいとも聞いていますので、道中に質問していただければ、答えられる事は全てお答えします」


「ありがとう。助かるわ。私は柊 京子。こっちは助手のライトセーバー青木よ」


「違います!!柳町 新右衛門です!!そんなB級レスラーのリングネームみたいなのやめて下さい!!」


 最悪の第一印象を与えてしまったが、僕はとりあえず2人が釣った魚を処理したかったので、店員さんを呼んで引き取ってもらう事にした。そして換金したお金を2人に渡して、早々に釣り堀を後にした。

 僕だけが釣りを堪能出来なかったのは心残りだが、当初の目的はネーミング師に会いに行く事なので無理矢理自分を納得させる事にした。


「私は車で来ましたけど、あなた達も車なんですか?」


「私達はセクシー……いやタクシーよ」


「じゃ、ちょうど良いから私の車で行きましょう」


「柳町君は体重200kgあるけど、あなたの車、大事かしら」


「1時間もあれば着くと思うから乗って下さい」


 僕達は『の茜さん』の言う通り車に乗り込み、ネーミング師の所に向かった。

 ※透かしとは『ボケ』に対して『つっこみ』や『リアクション』をとらず、スルーする間で笑いをとる技術である。


「茜さん。あなたはいくつなの?」


「私は32です」


 お姉様………。


「スリーサイズは?」


「78、51、82です」


 お……お姉様……!?


「彼氏はいるの?」


「いません」


 あの〜………


「最近キスしたのはいつ?」


「答えるのは良いんですが、もっと別に聞きたい事があるんじゃないですか?」


「そうですよ京子先生!もっとブレイブハウンドの事とか、裏社会の情報を知っておきましょうよ!!」


「あなたが聞いてって言ったんでしょ!!」


「言ってません!!流石に変態の僕でも、初対面の人にそんな失礼な事聞きません!!」


 危ねー!!僕のせいにされる所だったー!!


「さっきキスの所だけは必ず聞いてって、私にお金をよこしたじゃない!!」


「あれは京子先生が釣った魚を換金した分のお金です!!もしそうだとしても50円で買収されないで下さい!!」


「8年前よ」


「茜さんも答えないで良いです!!」


 答えてくれて嬉しいけど!!


「私達は毎日してるものね」


「してないです!!」


 したいけど!!


「茜さん、あなたも異能力者なんでしょ?」


「そうです」


「あなたも、これから行くネーミング師に能力名を付けてもらったの?」


「はい。私の能力は『手の届かない所を痒くする能力』です。

 付けてもらった能力名は『孫の手泣かせインポッシブルラブ』」


 孫の手泣かせインポッシブルラブ!!


「私は最初、ブレイブハウンドに入った時は、烏丸の妹というだけで誰も私の事なんか気にも止めませんでした。全然強くもなかったし、毎日雑用だけをこなしていました。しかし、このネーミングを付けてもらってからは、戦いではほとんど負けなくなって、いつの間にか私に歯向かう者が居なくなるほど強くなりました。ブレイブハウンド内でもある程度の地位を与えてもらう事も出来たし、能力が上がる事は確かですよ」


 凄い………能力の質にもよるだろうけど、そんなに効果があるなんて……。


「簡単で良いんだけど、ブレイブハウンドという組織の歴史や内部のピラミッドを教えてくれるかしら」


「創設者は、先日無くなった犬飼 治五郎氏。彼の出現のより、ブレイブハウンドが裏社会の頂点に君臨する事になったの。元々、イボルブモンキーとテラフェズントの間で抗争が絶えない時期があったんだけど、ブレイブハウンドがトップに君臨する事で、大きな抗争は起きずに裏社会全体のパワーバランスを保つ事が出来るようになったんです。犬飼さんは圧倒的な力でトップに君臨しているように見えてたけど、本当は争い事はあまり好きじゃない人なのよ。好戦的なイボルブモンキーやテラフェズントに比べて、ブレイブハウンドはどちらかというと、友好的にやっていきたいと思っている組織なの」


「そうなんですね。争い事はしたくないけど、結果的には犬飼さんにビビって周りが手出し出来ないっていう形だったんですね」


「そうね。イボルブモンキーのトップ猿正寺 光秀とテラフェズントのトップ鳥谷 紫園はライバル同士だけど、手を組んででもブレイブハウンドを潰すべきか、いつも駆け引きしていたようね」


「暇だ事………バカじゃないかしら」


 そんな身も蓋もない事を………。


「犬飼さんはパワーバランスを考えて、いつもその2組織を気に掛けていたわ」


「どういう事ですか?」


「だから、そのどちらかが強くなり過ぎてしまっても、力関係が危うくなるって事でしょ?ちょっと考えれば分かるじゃない!本当に安定してバカなんだから柳町君は!」


 柳町………。

 京子先生の言葉はいつも間違っていないだけに、心に深く突き刺さる………。


「異能力ドラフトも犬飼さんが発起人になって始めた事で、各組織が同じくらいの力が持てるようにって考えたのが最初みたいです。異能力者がやって行くにはまだまだ難しい社会だから、異能力業界の可能性を沢山切り開いてくれた人でもあるのよ」


「あのオヤジがねぇ………」


 茜さんがバックミラー越しに京子先生と目線を合わせ「この人、犬飼さんの事知ってるのかしら」という表情で不思議そうに見ていた。


「ブレイブハウンドは犬飼さんの死後、一ノ条さんがトップに立ち、私の兄、烏丸 悟がナンバー2、そして犬飼 京介さんがナンバー3となっているわ。最近は京介さんの下に派閥が出来始めて、治五郎さんの意志を継ぐ一ノ条さんの派閥と2分する形になり始めているの」


「内部分裂しそうって事ですか!?」


「そういう事ね。亡くなった治五郎さんは人望も厚かったから、8割方は一ノ条さんについているけれど、2割位のならず者の武闘派達が一ノ条さんの2代目を良く思っていないのよ」


「面倒くさいわね………何よその内輪揉め。タイマンして勝った奴がトップで良いじゃない!!弱い奴が集まってグダグダやってんじゃないわよ!!」


 確かにそうだけど、武闘派っていうくらいだから、なかなか一筋縄では行かないんじゃないだろうか……。京子先生だから出来る発言ではあるが……。


「そういえば柳町君。さっき焼いてたのハラミじゃないから」


「今言う〜!?散々泳がせてたのに今言います!?」


 あの時否定してくれれば良かったのに、何で今!?


「道が空いていたから、思ったより早く着いたわよ。さぁ降りて」


 ハラミの下りが納得出来ないまま車から降りると、目の前には昔からやっていそうなアンティークショップがあった。

 茜さんを先頭にお店の中に入って行くと、50代くらいのおば様が1人で店番をしていた。


「いらっしゃい。………?お客様、以前にもいらしたかしら?」


「はい。烏丸 茜です。以前にお世話になりましたが、ミハネさんはいらっしゃいますか?」


「あぁ、ミハネさんのお客様の烏丸さんね……。ミハネさんなら奥に居ますわ。どうぞこちらへ」


 店の奥に通された僕達は、居間のようにも見える薄暗い部屋に案内された。

 魔女でも出て来そうな占い館のような雰囲気のその場所には、1人のお婆さんが座っていた。


「あら、お客さんかい?」


「ミハネさん。こちら、犬飼さんの所の人達よ」


「お久しぶりです。ブレイブハウンドでお世話になっている烏丸 茜です。以前お伺いしたのは8年位前だと思いますが、覚えてらっしゃいますか?」


「あぁ……犬ちゃんの所の子ですか……」


「はい。烏丸 悟の妹の茜です。その節はありがとうございました。ミハネさんのお陰で私の人生は変わりました」


「烏ちゃんの妹さんですか……。すみませんねぇ、ちょっと覚えてませんでした。ごめんなさいね」


 優し気でどこか上品なそのお婆さんは、ずっと目を瞑ったままで目が見えていないようだった。


「いえいえ、お伺いしたのはかなり前ですから、覚えていなくて当然です。お気になさらずに」


「あなたにはどんなネーミングを付けてあげましたかね?」


「私の能力は『孫の手泣かせインポッシブルラブ』と付けていただきました」


「あぁ~!思い出しましたよ!あの時の子かい!?かなり雰囲気が変わったので分かりませんでしたよ!!」


「覚えていてくれてありがとうございます。私にとってミハネさんは一生忘れる事の出来ない大恩人です。ミハネさんには感謝しかありません」


「嬉しい事を言ってくれるじゃないですか。長生きもしてみるもんですね。

 それで今日はどうしたんですか?以前にもお伝えしているかも知れませんが、私は毒リンゴだけは作れませんからね」


「今日はここに居る2人の方に、能力名を付けていただきたいのです」


「私は目が見えませんが、そこにお2人いらっしゃるのかね?」


「はい」


「気配で何となく分かっていましたが、1人は何か、地獄の大魔王みたいな大きなオーラを感じますが、恰幅の良い大きな男性ですかな?」


「いえ、肉付きは良いですが比較的スマートで上品な女性です」


「女性でしたか!?これは驚きましたね!大変失礼致しました。

 もう1人………いらっしゃいますか?」


「はい」


「………?あまりオーラを感じませんが………何か、死にかけの野良犬のような瀕死の小動物みたいに感じられますが………病弱な赤ちゃんですかね?」


「このお婆さん、信用出来るわね」


「京子先生!!僕は超健康な成人男性です!!」


「あら!男性の方ですか!?こちらの方が驚きましたね!成人男性でこんなにも死にかけのオーラを出せる人は、そうそういません!私もここまでの人は初めてです!生きているのが不思議なくらいのオーラですよ!」


「あの~………あまり嬉しくないんですけど」


「あら、褒められてるのよ!生きる価値の無い人間が、生きてるって言われんだから!」


「生きる価値はあります!!生きる意味が……いやオーラが無いだけです!!」


「では柊さんから始めましょうか」


 京子先生は茜さんに誘導されて、ミハネさんの目の前に座った。


「じゃ、始めますね。まずあなたのお名前は?」


「柊 京子です」


 占いみたいに、いろいろ聞きながらやるのか。


「おいくつ?」


「25です」


 サバ読んだ!!いきなりサバ読んだ!!


「誕生日を聞いても良いかしら?」


「10月20日です」


 今日じゃん!!「おめでとうございます!!」


「ありがとう。正確には今日の11時22分で26になったわ」


「そうだったんですね!」


「スリーサイズはいくつですかな?」


「83、52、80よ」


 やっぱりナイスバディ………


「ちょっと顔を触らせてもらっても良いですか?」


「ミハネさんは目が悪いんですけど、人相が読めるの」


 ミハネさんは京子先生の顔を触り始めた。


「えらい美人さんですね。醸しているオーラと言い、この面構えと言い、天下を獲れる相の持ち主ですね」


 あながち間違ってないと思います………。


「ちなみにさっきスリーサイズを聞いたのは、そこの若人が知りたそうだったから聞いただけで、ネーミングとは関係ありませんからね」


 ミハネさんは心も読めるんだろうか……。


「では最後に、あなたの能力を教えてもらえませんかな」


「私の能力は弾丸をも避けられる『尋常じゃない反射神経』よ」


「それは凄い!出ているオーラも凄いですけど、どことなく犬ちゃんに似た匂いを感じますね」


 やっぱり分かる人には分かるんですね!


「いろんなイメージが出てきました。柊さん、あなたの能力に1番適した能力名は『服従させるエレクトリック鬼女神アマゾネス』」


「『服従させるエレクトリック鬼女神アマゾネス』!?

 す………凄いネーミングだ!!京子先生のイメージにピッタリの名前ですよ!!」


「確かに!何か名前を聞いただけで、私の中に力がみなぎるのが分かるわ!元々、誰にも負ける気がしなかったけど、ここまでくるといよいよ私も神の領域に行くのかしら!!」


 ますます天狗になってしまった京子先生をどうしたら良いか分からず、とりあえずスルーしながら僕も見てもらう事にした。


「あなた、お名前は?」


「グラシオラス木下です」


「違います!!柳町 新右衛門です!!」


「おいくつ?」


「おんとし82歳です」


「違います!!23歳です!!」


「では、お誕生日は?」


「そんなもんは、とうの昔に忘れちまったよ」


「だから、さっきから勝手に答えないで下さい!!僕の誕生日は4月1日です」


「嘘をつきなさい!」


「嘘をつく日ですけど嘘じゃないです!!それにこの下り、入社の面接の時にもやりました!!」


「スリーサイズは?」


「は……測った事ないです」


「私が触った感じだと、75、56、10ね」


「どういう逆三角形!?ヒップ10って気持ち悪いから!!そんな体型維持出来ません!!」


「では、顔を触らせてもらってよろしいですかな」


 そう言うと、ミハネさんは僕の顔を触りだした。


「だから、京子先生も一緒に触らないで良いですから!!そこお尻だし!!」


「内緒にしてたけど、私はお尻占いが出来るのよ」


「出来ないで良いです!!出来たとしても今やらないで良い!!」


「柳町君のお尻は野球選手向きね」


「そんな良いお尻してません!!さっき10って言ったじゃん!!良い野球選手のお尻は、下手したら100ぐらいあると思いますよ!!」


「柳町さん。あなた、人相も珍しいですね」


「そ……そうなんですか?」


「人に馬鹿にされて、弄ばれて、罵られて、貶される運命にありますけど、決して折れる事のない強靭な心の持ち主ですね。オーラの方も風前の灯火のような小さな火種しか見えませんが、良く見るとその色は芯が青く、ガスでついている火のように、消そうとしても消えない力強さがありますね。あなたはどんな逆境にあっても、決して諦める事なく前を向く事が出来る人ですね。本当に素晴らしい!」


「ミハネさん。誰にお金もらったの?」


「いや!!買収されて言わされた訳じゃないから!!たまには良い気分にさせて下さい!!」


「では最後にあなたの能力を教えて下さい」


「はい。僕の能力は『触ったものを少しだけ柔らかくする事』が出来ます」


「やっぱりエロいわね」


(どうか、趣味で使っている事は見抜かないで下さい……)


「フフフッ………なるほどね。本来、異能力を使えるほど強いオーラを持っていないのに、異能力が使えるという事は、普通の人よりも強い何かを持っているという事ですね」


「そうですか?」


「降りてきましたよ。あなたの能力にピッタリの能力名は『欲望の氾濫リーリングアイズ


「『欲望の氾濫リーリングアイズ』!?」


「中2の性欲って事ね」


「あまり嬉しくないんですけど!!」


「新右衛門君は力がみなぎって来ないの?」


「み………みなぎっては来ます………(抑えの効かない違うエネルギーが……)」


「柳町さん。あなたのエネルギーの源は、性欲とつっこみです。今まで抑えていた、性欲とつっこみのエネルギーを解放してあげる事こそが、自分の力を最大限に発揮出来る近道となるでしょう」


 つっこみはまだ分かりますが、抑えている性欲を解放するというのは、今にも増して変態街道まっしぐらになると思うんだけど……。本当に解放しても良いものだろうか……。


「後は、あなた達2人の相性もバッチリ合っていますね」


「本当ですか!?」


「あなた達2人は、前世でも関わりがありますね」


 ミハネさんって前世も見えるんだ!やっぱり目が見えない人とかって、別の能力が長けてたりする場合が多いのかなぁ……。

 盲目の人でもR1を獲る時代になって来たし、僕も人より劣っている所がたくさんあるって事は、他に長けている能力がいろいろあるって事なのかも知れない……。


「前世でのあなた達2人の関係は、パイロットとスチュワーデスね」


「意外と近代!!転生すんの早すぎませんか!?ここ何年とかの話ですよね!?あと多分ですけど、僕の方がスチュワーデスですか!?」


「そうですね。前世では大体が現世とは逆の性別になりますから」


「やっぱり!」


「あなた達2人は本当に特殊ね。前世では2人共、豆腐の角に頭をぶつけて亡くなっています」


「実話であるんですか、そんな事!?」


「あなた達は前世でも異能力だったみたい。異能力も逆の能力が身に付く事がほとんどだから、柳町さんは触った物を固くする能力だったみたいです」


「それで豆腐を固くしてしまったという事ですか?」


「それとは関係無いみたいです」


「関係無いんかい!!」


「どうもありがとう」


 京子先生はミハネさんにお礼を言うと、ミハネさんから何も書かれていない1枚の紙を回収した。


「じゃ、行きましょうか」


 今の紙……なんだろう?


 京子先生が回収した紙を良く見ると、点字が書かれているようだった。


「も……もしかしてそれ、カンペですか!?」


「そうよ。私が書いた台本よ」


「え〜!!どこまでが本当なんですか!?」


「ネーミングの所までは、全部本当よ。前世の下りからは私の台本でお願いしたわ」


 いつ、そんな手回ししたんだ!?


「ミハネさん。本当にありがとう。何か私も新右衛門君も一皮剥けた気がするわ。あら!柳町君の前で一とか言ったらマズかったかしら!」


「別に変な意味でとってないので大丈夫です!そういう事を言うから、変な意味になっちゃうんです!!っていうかミハネさん、ありがとうございました!京子先生に何言われたか分からないですけど、忠実にやらなくても大丈夫ですからね!」


「ごめんなさいね。私もこういう事嫌いじゃないから、のせられちゃうとついついやってしまうのよ。

 では、また何かあったらいらして下さい。いつでもお待ちしていますよ」


「ありがとうございました!」


 僕と京子先生は先にお店の外に出て、茜さんの車の前で待っていた。

 茜さんが後から出てきて、一緒に車に乗り込んだ。


「一ノ条さんからの命令だったので、お代の方はブレイブハウンドから出しておきました。次回、個人的にミハネさんにお会いに行く事があるようでしたら、それなりのお代を準備しておいた方が良いですよ」


「ありがとうございます。そうですよね。タダな訳ないですよね」


「一ノ条もたまには気が利くじゃない」


 おごってもらうのが当たり前になり過ぎている京子先生を見ていると、最近怖くなる……。


「そういえば、この車何処に向かってるの?」


「あなた達は、ファルセットから来たんじゃないんですか?」


「そうですけど」


「そう思ってファルセットに向かっていますけど、何処か寄る所ありましたか?」


「さっきから柳町君がラブホテルに行きたいって、足をつっつくのよ」


「やってません!!京子先生が僕の足を、ずっと踏んづけてるんです!!」


「あなた達に聞きたい事があるんだけど、1つ質問して良いかしら?」


「何かしら?」


「一ノ条さんを呼び捨てにしていますけど、あなた達は一ノ条さんとどういう関係なんですか?」


 ヤバい……一応、京子先生の存在は内密だったんだ。それに、一ノ条さんを呼び捨てにしているのは、京子先生だけなのに一緒にされている……。


「一ノ条は私の弟子よ」


「弟子?」


 何言ってんのこの人!?


「私がパンツを脱げって言ったら、目の前で脱ぐわよ」


 それ、力ずくじゃないんですか!?


「ねぇ師匠」


「誰が師匠ですか!!こんなに弟子に使われてる師匠いません!!」


「2人居るわ」


「実名出しちゃダメですよ!!そういう師匠にも面子があるんですから!!」


「そうやってはぐらかされる所を見ると、話たくない理由があるみたいですね」


 茜さんは何気に勘が良い……。


「本当の事を言うと、一ノ条とは古い知り合いなのよ。今回、異能力ドラフトに参加して欲しいっていう依頼があったから、しょうがなく出るだけで、別に一ノ条と柳町君が変な関係である訳ではないわ………私の知っている限りでは」


「ちょっと!変な含みを残さないで下さい!!僕は純粋に女性オンリーですから!!」


「その感じだと、あまり詮索しない方が良さそうですね。一ノ条さんの命令とはいえ、知らない人達を信用しすぎるのもどうかと思いましたので、素性や経緯を何となく知りたかっただけです」


「そうね。人は秘密が多い方が魅力的なものよ。あなたも意外とミステリアスだし、大人しくしてた方がモテるわよ」


「ありがとうございます」


 その後、たわいもない話をしながらファルセットに戻ってきた僕達は、茜さんと別れてエリアBに向かった。最初は分からなかったが、途中で建物内の雰囲気がおかしい事に気付く事になる。

 葬儀の関係で人気がない事は予想出来たが、何かがあったであろう、ある一角の土地が丸々無くなっていた……。まるで何かに抉り取られたように……。

 後から京子先生に聞いたら、その場所は何か緊急な事が起こった時に、皆が集まる為の小さめの体育館があった場所らしい。

 敷地内に全く人が居なくなってしまったファルセットを目の前にして、呆然と立ち尽くす僕達は、状況が飲み込めずフリーズしたままだった。


 異能力ドラフトの2週間前に、ブレイブハウンドの施設を襲ったこの出来事を理解する事が出来ず、嫌な予感だけが心に残ったまま、ただただ立ち尽くすだけだった……。

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