異世界在住の男が召喚されてきたJKを手懐ける話

ナヤ

1話 冬も終わろうかというその日……



 冬も終わろうかというその日、俺は師匠と153回目の喧嘩をし、師匠は8回目の家出を敢行した。


 取るものも取らず、玄関の戸を吹き飛ばすように飛び出た師匠は、振り向きざまに、


「これでも喰らって苦しむがいい!!」


 そう唾を飛ばして、樫の杖を高々と振り上げた。


 にわかに杖の先から魔法陣が浮かび上がって地に投射され、その真上に点から線へ、そして面へと広がるようにして、身の丈ほどもある鏡が顕現する。俺と師匠が二人で住む山奥の荒屋には似合わない、流麗な銀細工の縁に収まった、曇り一つない大鏡だ。


「せいぜいこの私を怒らせたことを後悔するのだな!」


 ギラリと残忍な眼光を残し、師匠は転移術で姿を消した。


 そういうわけで。

 一人残された俺は、小さく舌打ちをした。


「……またでかいものを置いていきやがって」


 仕方なく、鏡を家の中に運ぶことにする。こんな魔道具(と見て間違いないだろう、師匠が出したものだし)を外に置いておいて、魔族に興味でも持たれたら、たまったものではない。


 鏡を暖炉の脇に立てかけると、俺は椅子に腰掛けて背を預け、深く溜息をついた。


 古びた椅子が軋む音さえ耳に残るほどの、静寂であった。先ほどまでは、口論の怒鳴り声で頭が痛くなるほどだったのに。

 なにか大切なものが壊れてしまった後のような虚しさが、こみ上げてくる。


 いや、と俺はかぶりを振る。こういうことは今までに七回もあったではないか。今回だって、明らかに師匠が悪いのだ。だからむしろ、ほとぼりが覚めて師匠が帰ってくるまで、この静けさを楽しむべきではないか。


 そうやって、罪悪感にチクチクと苛まれる心を慰めていると、突然、鏡がまばゆく光りだした。


「あー、分かった分かった、少し黙ってくれ」


 あの師匠が置いていったものだ。ちょっとやそっと光ったくらいで、動じる俺ではない。


 杖は、と首を巡らす。……ああ、玄関に起きっぱだ。見える所にあるが、わざわざ立ち上がって取りに行くのは、今の精神状態では億劫に過ぎる。

 そこで、すぐ脇のテーブルから代用できそうなものを探す。丁度、リンゴを剥いた後のナイフが出しっぱなしになっていた。


 俺はテーブルに頬杖をつきながら、ナイフを取って鏡の方に向けた。師匠に見られたら殴られること請け合いの無作法だが、そもそもこの面倒を置いていったのは師匠自身だ、と自己弁護しておく。


「はいはい、鎮まれ鎮まれっと」


 くるくると切っ先で小さな円を描き、放たれてくる魔力を中和してやる。

 数秒経たず、違和感に突き当たった。


「お?」


 魔力が、中和されない。鏡から放たれる魔力があまりにも強大すぎて、俺の魔力では太刀打ちできないのだ。


 ガタガタと鏡が揺れ、虹色に輝く鏡面からは無数の白い光の筋が踊るように飛び出してくる。桁違いの魔力だ。まともに喰らえば、そうだな、まあ、骨が残ったらラッキーという具合。


「おおおっ!?」


 待て待て待て。師匠の残していく魔道具は、普段なら嫌がらせ目的で『ちょっと騒ぐ』程度が関の山であったはずだ。なのに今回はレベルが違う。あの師匠、まさか本気で俺を殺るつもりでコレを置いていったのか!?


 なんだ、なんの恨みがあるんだ、おい鏡、お前もお前だ。そりゃ召喚されたばかりだし騒ぎ出したくなる気持ちは分かるが、俺だって師匠が出てっちゃって正直ちょっと心細いんだから少しは空気読んで大人しくしてくれたっていいだろう!?


「このヤロー!?」


 怒りと恐怖にかられた俺は、吹き荒れる嵐のような風の中、椅子を蹴飛ばすように立ちあがり、ありったけの魔力をナイフに込めて振り上げる。無理だと分かっていても、とにかく抵抗だけはしなくては。諦めの悪さは俺の数少ない美点だ。


 一際大きな光が、弾ける。


 目を瞑りながらも、肚に力を込め、顕現させた魔力と共に、俺はナイフを振り下ろした。


 手応えは、なかった。

 ついでに、俺が吹き飛ぶことも、なかった。


「…………ん?」


 魔力が霧散して、風も光も止み、辺りに静寂が戻ってくる。

 瞼を開けた俺は、そのまま硬直した。


 大鏡の前に、人間族の女が呆然とした顔で突っ立っていた。


 見たこともない格好をした、少女だ。

 紺色の上衣は金のボタンで止められ、白いブラウスの首元には赤いリボンが下がっている。

 それだけ見れば貴族のようだが、しかし、ひだのついた格子柄のスカートは太腿が丸見えになるほどに短い。栗色の髪も、肩ほどの長さまでしかない。

 胸にやられたその手には、石鹸ほどの大きさの、謎の銀色の物体を握りしめており。


 そして、彼女の目線は俺のナイフの切っ先に釘付けだった。

 ――そう。彼女の鼻の頭すれすれを通っていったであろう、俺のナイフに。


 悪かった。そう謝罪する間もおかずに。


「……ふう」


 どさり。

 少女は、その場に倒れこんだのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る