向こう傷の男
伊刈が執拗にこだわった岩篠の新しい捨て場の扉が開いているところにようやく遭遇した。期待と緊張が高まった。
「サングラスの女いるんでしょうか」喜多が伊刈を見ながら言った。
初めてXトレールを扉の先に進めた。葦の茂みに営巣していた野鴨がエンジン音に驚いてガサガサと飛び立った。仮設の道路を作るために谷津にもともとあった休耕田を残土で埋立てたため上流に池ができていたのだ。Xトレールの進入に気付いてがっしりした体躯の男が現場の奥からゆっくりと出てきた。パトロールチームも車から降りた。
「なんの用だ」これ以上奥には行かせないという気迫で男はチームの前に立ち塞がった。十針はありそうな刃物の醜い傷跡が右頬にあった。現場の主はサングラスの女王ではなく、向こう傷の仁王だった。
「市庁のパトロールです」
「ほう」男はじろじろとチームの様子を眺めた。「おまえら保健所か。それとも商工か」保健所というのは環境を保健所が所管している県もあるからで、県外で不法投棄の経験があるのかもしれなかった。商工というのは、砂利採取法や土採取条例の絡みだ。いずれにせよ言いぐさからして経験者である。
「環境事務所の産廃の担当です。場内を見せてもらえますか」伊刈が口火を切った。
「産廃なんて入れてねえよ。砂を出してるだけだ」男は白を切った。
「どこへ出してるんですか」
「俺の勝手だろう」
「土採取の許可はありますか」
「自分で使うだけなら許可は要らねえだろう」男は言い逃れの口実にも通じていた。
「どちらの業者さんか教えてもらえますか」
「言いたくねえな。作業の邪魔だから帰ってくれ」腕ずくでも阻止しようというのか、重さを確かめるように拳を振りながら男は一歩踏み出した。
「おいちょっとこっち来い」危険を察した長嶋が男を睨みつけた。男も長嶋が警察官だと察したのか拳を下ろした。数歩離れて二人だけで話し始めた。男は終始不服そうだったが逆らう様子はなく、しばらくして現場に戻っていった。
「今日は帰るそうです。こっちも引き上げましょう」長嶋は厳しい表情だった。トラブルを避けるため伊刈も深追いは諦めた。
「そうとうスジワルですか」伊刈が聞いた。
「コレモンですね。それも筋金入りですよ」長嶋がハンドルを握りながら言った。
「やめないでしょうか」
「あいつはやめませんね。これから所轄に寄ってみましょう。何かもう掴んでるかもしれません」
長嶋はチームを引き連れて国道沿いにある朝陽警察署に向かった。伊刈は赴任以来初めて所轄の三階にある生活安全課に入った。小さな部屋で課長以下課員は総勢四人、つまり伊刈のチームと同じだった。この人数で不法投棄撲滅といってもちょっとムリそうな気がした。しかも生活安全課は環境事犯専門ではなく経済事犯全般を所管しているのだから、いきおい片手間にならざるを得ない。不法投棄の監視だけで4人張りついている環境事務所のほうがまだしもましだ。賓客をもてなそうという深見課長の心遣いで折りたたみの椅子四脚が机と壁のせまい隙間に並べられ、男所帯ながらお茶も出された。
「岩篠の新しい不法投棄現場で向こう傷のあるヤクザ風の男を見たんですが人定が取れませんでした。こっちでなにか情報がないですか」長嶋が切り出した。
「うちもその男はマークしてます。人定も取ってますよ。たしかにスジモンですね」深見課長が答えた。さすがに警察はマルボーには敏感だった。
「教えてもらっていいすか」
「名前は本所です。山梨からの流れ者で傷害致死の前科があります。顔の傷は出入りで付けたものでしょう」
「やっぱり稜友会ですか」長嶋が聞き返した。
「元はそうですね。今は破門されて組織のない一匹狼のようです」
「破門てことはクスリかなにかやらかしましたね。犬咬の不法投棄の噂を聞きつけて一旗挙げにやって来たってところですか」
「でしょうね。なんとか阻止したいですが簡単にはいかないかもしれませんね」
「ロードスターの女はどうですか。どうもその女がダンプを連れてきているみたいで」
「女の情報はありません。本所とは関係ないのでは」
「ダンプを引っ張ってるのを見たんです。うちが夜パトを頼んでる安心警備でも本所の現場に女がいるのを確認してます」
「なるほど心にとめておきます。それはそうと夜間合同パトロールいよいよ来週ですね。みなさん参加されるのですね。頼もしいかぎりです。役所がその気になってくれるのは所轄としちゃあ大歓迎です。見ての通り人手不足でしてねえ」
「そうだ、うちの班長所轄は初めてでしたよね。県庁からうちの班長に来てもらってる伊刈副主幹です」いまさらになって長嶋は伊刈を深見課長に紹介した。
「深見です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。警察のご協力がないと夜間パトロールはムリですから」伊刈にしては珍しく社交辞令を口にしながら頭を下げた。
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