新しい現場
夜間パトロール実施のための特別チームが編成されると聞いて誰より驚いたのは安心警備保障の蒲郡部長だった。
「ほんとにやるんですか」環境事務所にやってきた蒲郡は目を輝かせた。
「チームゼロだそうですよ」本課に出向した宮越に先を越されたとしても夜パトが実施されるのは伊刈にしてもうれしかった。
「かっこいいじゃないですか。やるもんですね。それとも鎗田課長が名前のとおりやり手なんですかね」
「最初は本課だけでチームを編成するつもりだったみたいですが、所長がかけあって事務所も参加することになりました」
「そりゃあやっぱり事務所のほうが現場は何倍も詳しいですから一緒にやるべきですよ」
「詳しいといったら安警が一番でしょう。夜の不法投棄現場ってどんなところなんでしょうねえ」
「まあ昼間とは全然違いますね。猛獣が跋扈する夜のサファリってところですかね」
「なにか未知の世界に飛び込むような心境です。作戦を立てたいんですがターゲットはどうしたらいいですか」
「ありすぎて困るくらいありますね」
「一網打尽にできますか」
「そんなこと考えちゃだめです。人間てのは夜は心理状態が違ってきますからね。昼間の百倍、千倍慎重にならないといけません」
「仙道技監も同じことを言ってましたね」
「連中だってなんのかんのと理屈を言ったって犯罪だと承知してやっているわけだから殺気立ってますよ。犯人検挙は警察に任せて触らないことが一番です。警備の基本は犯人を捕まえることじゃなく未遂で逃がしてやることです。懲りてくれればいいんですよ」
「ムリはしないって技監にも約束してますから」
「でも伊刈さんの性格じゃ犯人を見たら捕まえちゃうんじゃないですか」
「それは成り行きでね」
「やっぱりそのつもりなんでしょう。いいんじゃないですか、役所なら権限があるんだからやっちゃってくださいよ」平常は柔和な表情の蒲郡だが皮肉を言うときだけはガマの面構えが戻った。「それはそうとまた新しい捨て場を見つけましたよ」蒲郡はにやりと笑った。
「どこですか?」
「岩篠の交差点の近くなんですがね、ダンプを誘導しているのは女なんですよ」
「もしかしてサングラスの女じゃありませんか。オープンカーに乗ってダンプを先導していたのでちょっとだけ追跡しました」
「そうそうその女ですよ。早々とロックオンとはお目が高い」蒲郡は語気に力を込めた。
「素性はわかりそうですか」
「オープンカーなんかに乗って目立つわりに意外と用心深いんで、まだ尻尾をつかんでいません。路上に立ってる姿を一度見かけましたが、背のすらりとしたいい女でしたね。とにかくすごい女なんですよ」蒲郡の感嘆は深まるばかりだった。
「夜の女王ってところですかね」
「うまいこと言いますね」
「モーツァルト(魔笛 夜の女王のアリア 復讐の炎は地獄の如く我が心に燃ゆ)ですよ」
「ほうさすがインテリは言うことが違いますね」
パトロールチームはさっそく蒲郡部長が発見した岩篠の新しい現場に向かった。森井町から高岩町とは反対方向の西側の谷津を隔てた岩篠は江戸時代まで崖下に広がっていた湖を見下ろす丘陵に拓かれていた古村だった。坂道を登りきり岩篠交差点を過ぎるとすぐに路面に生乾きの泥が引き出されているのを見つけた。
「ここが現場の入口のようですね」助手席に陣取った長嶋が言った。
「行ってみましょう」自らハンドルを握っていた伊刈が言った。
普通なら軽トラしか走らない未舗装の細い農道が大型ダンプの通行で壊されていた。突き当たりには豚舎が見えた。そこから右奥の松林に沿ってさらに農道が続いていた。豚舎前のカーブには路肩が崩れないように鉄板が敷かれていた。農道の行き止まりからは谷津に向かって林を切り通した仮設道路が拓かれていた。坂道の途中に青トタンの扉が見えた。
「どう見てもこれは処分場ですね」長嶋が言った。
伊刈は切り返すスペースもない坂道にXトレールを頭から突っ込んだ。両脇には削られた赤土がむき出しになっていた。車を降りて扉を確認したが南京錠でしっかり施錠されており、山林の中にも潜れそうな隙間は見当たらなかった。
「林の中まで鉄条網が張り巡らしてあります」遠鐘が報告した。
「車だけじゃなく人も立ち入らせないってことか。なかなかの警戒ぶりだな」伊刈が言った。
「これは素人の仕事じゃないですね」長嶋が言った。
「どうします? 中見てみますか?」遠鐘が今にも乗り越えんと塀の手ごたえを確かめながら言った。化石採取だけじゃなくロッククライミングも得意だったのだ。
「誰か来るとまずいですよ。それより北側の林へ回れば崖の上から様子を見られるかもしれないです」喜多が冷静に提案した。
「そうしましょう」
長嶋に運転を代わり、鉄板で滑る切り通しの坂道をバックミラーを見ながら器用に後退した。喜多の提案に従って林の北側の農道へ回りこんでみた。なだらかに起伏する丘に農家や畜舎が点在し、さまざまな方向に引かれた畝が黄緑色のキルト模様になった農地が、北海道の富良野の台地かと見まごうほどの美しさだった。未舗装の畦を壊さないように長嶋はXトレールをゆっくりと進めた。
「あのへんじゃないでしょうか」喜多が言った。山林に沿って続く畦はXトレールで入るには細すぎたので、目星をつけて車を降り徒歩で谷津の境界をたどった。
「やっぱりここだ」先頭を歩いていた喜多が叫んだ。崖の縁から青トタンの扉の裏側が見えた。手前の斜面がユンボで大きく抉り取られていた。一見したところ廃棄物は見当たらず、単なる土砂採取場のようでもあった。
「丁寧に被せてますが下はゴミですよ。間違いない」遠鐘が言った。
「わかるの?」伊刈が聞き返した。
「掘って積み上げた土とゴミに被せた土の違いは一目瞭然です。水分が違うし、凹凸感も全然違う」さすがに地質学の専攻だけあった。
「降りて調べてみよう」伊刈の号令でチーム全員が二メートル近い崖を飛び降りた。掘り下げられた地山は関東ローム層の赤土でマットレスのように弾力があり、たとえ飛び降りた弾みに転んだとしても怪我をする危険は少なかった。
「変な形に掘ってますね」遠鐘が削り取られた崖を見回しながら言った。「わざと壁を残してドッグレッグ状に曲げてますね」
「門扉の方向から掘削場所が見えないようにするためじゃないか」伊刈が指摘した。
「なるほどそうかもしれないですね」
「こっち来てみてください」喜多が現場の奥から叫んだ。足元の覆土を半長靴で蹴飛ばすと下から廃棄物がざくざく出てきた。やっぱり不法投棄現場だったのだ。「遠鐘さんの言ったとおりです。下は全部ゴミです」
「ユンボも置き去りにしてないし用心深いっすねえ」長嶋が現場の見取り図を手帳に描きながら言った。
「証拠になりそうなものはあるかな」伊刈が遠鐘と喜多に声をかけた。
「解体物みたいですけど、ちょっと証拠はすぐには出ないかもしれません」遠鐘はゴミの前にしゃがみこんでしばらく捜索を続けていたが証拠は出なかった。
「一筋縄じゃいかないみたいだな。また出直そう」伊刈が遠鐘の背に手を置いて立ち上がるように促した。
「ここも大きな山になりそうすね」見取り図を描き終えた長嶋がやれやれといったふうに肩を大きく回した。
パトロールチームは翌日から連日岩篠の現場に立ち寄ったが、なかなか動きが見られなかった。ロードスターに乗ったサングラスの女もあれきり見かけなかった。安心警備保障の蒲郡部長からも岩篠の現場は休止しているという報告が届いた。
「絶対動くよ。あのまま放棄するはずがない」伊刈はそう断言してパトロールを続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます