ど根性中岸おさむ土方半生記改訂版

よしいふみと

第1話 むらさきのけむり


むらさきのけむり


 夜半に雪雲が通ったのか、その朝は辺り一面うっすらと雪化粧。すっかり明けた真冬の空はすでに一片の雲もなく、きれいに晴れ渡っていた。山あいの寒さはことのほかきびしく肌を刺すようだ。

 こんな朝は、いつもきまって風も立たず、太陽が顔を出すまでの、わずかな時間は、草も木も、すべてが息をつめて、なにかを待っているようなけはい。ふしぎに、小鳥たちの鳴き声もない。まるで時が止っているようないっとき。

「もとゑさぁ、きょうは、あんまり、動かんほうがええで……まぁ、だいじょうぶじゃろけどのぉ」

 きのうの夕方、急に産気づいた中岸もとゑに一晩中つきっきりで、無事産婆の大役をはたしたおたつ婆は、そういいながら帰りじたくをして立ち上がった。歳のわりにはカン高い張のある声だ。

「村岡の姉に、いうとくさかのぉ」

 おたつ婆は、ふろしき包を脇に抱え、玄関の戸をいきおいよく開けた。たてつけのわるい板戸が大きな音をたてる。静かな早朝の空気がブルブルふるえた。

 庭に積もった雪が白く光る。

 村岡とは、もとゑの実家のことで、家がおたつ婆の近所だった。

 玄関の戸が開くと、それまで薄暗かった家の中が、雪のせいで明るくなった。

 家の一番奥に、唯一そこだけ戸(と)襖(ぶすま)で仕切った四畳半の部屋がある。いつもは板だけの床にゴザが敷かれていた。

 戸襖がすこし開いて、いま玄関を出ようとするおたつ婆に、声がかかる。

「おおきによ。よっぴと世話してもろて、すまなんだのぉ」

 もとゑは、ふとんのなかから礼をいった。夫の松一が、おたつ婆のあとから外に出た。

「まったく、すまなんだよ。お婆のおかげで、うまいこと生まれて、まっことよかったよ。おおきによ。あとで礼に行くさかいにのぉ」

 松一は、庭の端までおたつ婆を送った。強い冷気で高くもりあがった霜柱がガシュガシュと、小気味いい音をたてて足の下でくずれる。

 そのとき、家のなかから元気な赤子のなき声が起こった。眠っていたのが玄関のもの音で目をさましたのだろう。休みなしに泣きつづける。

「まったく、元気な赤子じゃ」

 この在所では、たいそう腕のいい産婆として、みんなに、たよりにされているおたつ婆は、そういいながら石段につもった雪を草履のつま先で、かきおとしながら、ゆっくりおりはじめた。

 中岸家は、村の一番高いところにあった。それで、屋敷から眼下の熊野川沿いの国道まで石段がついていた。村で一番長く、また、一直線にのびた石段は、たいそう急なものだった。ただでさえ、用心しないと危険なのに、雪が積もっているので、なおさら大変。

「婆ぁ、気ぃつけてな」

 庭の端に立って見送りながら松一が声をかける。

「あゝ、だいじょうぶじゃて。それよか、早よ家(うち)行(い)て、かかあ見たれよ」

 おたつ婆が、やっとのことで石段の中ほどまで、おりたとき、にわかにまわりが明るくなり、オレンジ色の光が、真正面から顔をつつんだ。熊野川をはさんで対岸の、七越峰(しちこしのみね)頂上から太陽が顔をだしたのだ。

「おゝ、初日の出じゃ」

 おたつ婆は、柏手をパンパン打って合掌した。彼女が、初日の出といったのは、ほかでもなく、その日は、新暦の正月、つまり、昭和十三年一月一日の早朝であった。

 中岸おさむは、この一年中で、もっともめでたい日に産声をあげた。

 このときすでに、父松一、母もとゑには、長男惇(あつし)、次男司(つかさ)、長女美千代(みちよ)、三男要(かなめ)がいて、おさむは、四男で五番めとして誕生したのである。


「あんた、ちょっと休んだら……、昨夜(ゆんべ)寝てないやろ」

 出産を終えたばかりのもとゑは、ふとんのなかから首だけまわして、気だるそうに松一に声をかける。

「おう、お粥(かい)炊いといたら一服じゃ。こいつらに食わさなあかんよってな」

 松一は、炊事場の土間に立って、そこから間仕切なしにつづいている八畳ほどの広さの板の間で、みの虫よろしく、ふとんにくるまっている四人のわが子を、あごでしゃくった。そのあと、湯気の立つ粥ナベのふたを取って、杓子をつっこみ二、三回かきまわし、茶袋をつまんで汁をしぼった。その手元(てもと)はなれたもの。

 すべてのことに、器用な彼は、杓子や箸、その他なんでも自分で作った。できばえも、職人顔負の立派なものだ。器用なうえに、こまめな性格で、家事一切も、苦にせず楽々やってのける。そういう雑事が、彼の性によく合っていた。

 近所の人々は、彼のことを〝松一おじ〟と呼んで親しんだ。事実、親しむという表現がぴったりの性格だった。

 人柄のいいのは天下一品。他人のきげんをそこねるなど、まるでなかった。いつも、人のよろこぶのを見て満足しているというタイプ。そのため、だれからも、好意をもたれているのだが、ただひとつ欠点は、金もうけに、とんと縁がないことだ。そのぶん、もとゑは大奮闘しなければならない。

 性格がなまくらだ、というわけじゃないが、せっかく仕事に出て、人並に金をもらっても、仲間にさそわれると断ることをしらず、つい花札バクチに手をだし、すってんてんになるのが常なのだ。

 人に、仕事をたのまれると「いや」といえない性格。悪い因縁(いんねん)は積まないが、彼を唯一(ゆいいつ)頼りとしている家族、とりわけ、もとゑは、それこそ死ぬ思いでこどもたちを養うことになる。

 そんなわけで、バクチのあとは、きまって夫婦の大たちまわりが始まった。


「もとゑ、お粥食うか……、今朝のは米、ようさん入っとるよって、ウマイぞ」

 松一は、妻の枕元に、小鍋に小分けした、茶粥を運んだ。今日の松一は、いつになくやさしい。

「おおきに……。あんた。先に、いただいても、いいんかのぉ」

「おう、食えよ。大仕事の後じゃさか、ようさん食えよ。足らなんだら、また炊くよってな」

 もとゑは、夫の用意してくれた茶がゆをすすった。食べながら、なぜか涙がでてきた。満ち足りた思いでいっぱい。彼女には、夫のやさしさの意味がわかっていた。

 ……おとうさんは、自分のしたことを悔いとる。

 そう思った。

 それは、ほんの一か月前のこと。約六か月間の、泊(とまり)山(やま)から帰ってきた松一は、いつものことながら、かせいだ金を、あらかた、なくしていた。バクチで負けたのだ。

 出産を間近にして気が立っていたもとゑは、我慢も限界とばかり大声をあげて、夫を責めたてた。

「この、かいしょなし!」

 負けバクチで、内心は、すまんと思って帰ってきた松一だったが、売り言葉に買い言葉で、

「なにおっ、お前こそ、オレのおらん間に、何しとるか、知れたもんじゃないわい。腹の子も、誰のもんか、分かるか!」

 と、とんでもない方向に、ケンカの台詞(せりふ)を転じた。

「あんたが……、あんたが……」

 もとゑは、極度の興奮で、まともに声も出ない。手あたり次第物を投げつけて、大あばれ。松一も、やり場のない怒りで、妻の大きなお腹を力一杯なぐりつけた。あげく、もとゑは一週間ほど床についた。

 それからというもの、さすがの松一も気が気でないとみえ、

「だいじょうぶかのぉ……」

 終日、妻のからだを、気づかっていたが、昨夜(ゆんべ)、おたつ婆の尽力で無事五体満足な赤子が生まれて、安堵(あんど)の気持が態度にでたのだった。


 おさむの生まれた本宮町は、和歌山県紀伊半島最南の小さな町。新宮市から熊野川をさかのぼること三十七キロ。山また山に囲まれたところ。

 だが、古い歴史のある郷(さと)で、とくに、村内の高台にある、熊野本宮大社は、日本全国の熊野神社総本山として君臨。名古社として天下に知れ渡っており、平安時代に起こった皇族・貴族・庶民などの壮大な参詣風景を表現して“蟻の熊野詣で”と言われるほど、この地を訪れる人々が後を絶たなかった。

 また、となり村には、湯峰(ゆのみね)・川湯(かわゆ)といった、由緒ある温泉郷があり、四季をとおして湯治客などで賑わっていた。


 山奥ではあるが名の知れた、訪れる人の多い、それでいて静かな雰囲気をもつ小さな村。中岸家は、そんな村の高台にひっそりと建っていた。

 古びた木造の粗末な家。杉皮葺(すぎかわぶき)の屋根には、大小さまざまな形の石が置かれている。屋根をおおっている杉皮が台風などで、はがれ飛ぶのを防ぐための重石なのだ。

 屋根の真ん中に、けむりを抜くための、けむり通しがある。そこからは、朝に夕に、竈(かまど)からたちのぼる、むらさきのけむりが立って、それらが長い尾を引いて、裏山の木立に吸い込まれるように流れては消える。

 それは、山深い里を代表するところの、のどかで、透きとおるように静かな、まさに、平和そのものという情景であった。


 松一は、感謝の気持でいっぱいになりながら、本宮大社に礼参りした。彼にとっては、自分のこどもが、ひとりふえた以外は何も変わることのない平凡な一年の始まりであった。

 すくなくとも、彼の身の上には何も起こりはしなかった。


 だが、このとき、都会では、というより、日本全体が軍国主義一辺倒になりつつあった。

 前年夏に、日華事変が勃発、波にのった日本軍は破竹の勢いで、南京、漢口、広東へと進軍。国民は勝利に歓喜。

 古い静かな時代から急激に大転換するとき。歴史の歯車が、ガラガラ音をたてて回転をはじめていたのである。    

「おーい、おさむがまた、真っ黒になったぞー」

 次男の司が、息をハァハァさせて、急な石段をかけのぼってきた。その声で、母といっしょに、畑で土おこしをしていた長男惇(あつし)が、農具を放り出して畑からとびだす。

「どこじゃ、おさむは!」

「製材所じゃ」

 惇は、司(つかさ)のことばがおわらぬうちに、石段をころげるように、かけおりていった。一刻をあらそうことなのだ。水をかけるのが遅れると、悪くすると死ぬ。

 石段をおりきって、道路わきの製材所に飛び込む。見ると、木端(こっぱ)のなかで、おさむが、死んだように、ぶったおれている。顔が黒く、血液がとまっているようだ。

 辺りをみわたすと、さいわい、一斗缶の空になったのが、目にとまった。とっさにそれを持って、製材所の横を流れる谷川から水を汲み、とって返して、おさむの頭からザーッと一気にかける。全身ぬれねずみのおさむが生気にもどる。

「ええかげんにせぇ、どして、おさむは、こんなになるんや。ええか、本気で泣くな。あんまり泣いたら、しまいに、死ぬぞ」

 惇は、ぬれた服をぬがせながら、いいきかせる。四つになったばかりの、おさむは、兄の顔を見ながら、蚊のなくような声で、

「そやけど、みんなで、てがうん(●●●●)やもん」

 てがう(●●●)、とは、みんなしておさむを笑いものにすることだ。

「また、アーモーか」

「うん」

 おさむは、生まれてこれまで笑ったことがない。話しもあまりしない。兄や姉とは一風かわった性格なのだ。そのくせ癇(●)が非常に強い。それでよく泣いた。泣くときまってア ーモーという。その泣き方が面白いので村の子供たちが、

「また、アーモーか。おい! おさむ、どこのモー(牛のこと)なんや」

 とはやしたてる。そこでおさむは、ますます激しく泣く。そのうち感きわまって、ついに失神してしまうのだ。そんなとき、誰かが水をかけるまで仮死状態がつづく。これには両親も頭をいためていた。もし、誰もいないところで失神でもされたら、とりかえしのつかんことになるからだ。

 こんな状態が、約一年ほどつづいた。その間、さいわい、たいした事故もなかったが、五歳ぐらいになると以前のように、失神はしなくなったものの、こんどは、泣きだしたら、ちょっとやそっとでおさまらなくなった。

 意志が強いというか、悪くいえば大変なごうじょうっぱり、ということだ。

 

 このころ父松一は、たびたび、自宅の四畳半に山仕事仲間を呼んでは、負けバクチに精をだしていた。例によって、自分から仕事を、たのみに行くことをしない。ただ、ハエとり蜘蛛(く も)みたいに、自宅に網を張って、だれかが仕事の世話してくれるのを、いつまでも待つという生活だ。

 その間、家で遊んでいるわけでもなく、山仕事で使う道具を作ったり、農具の手入れをしたり、家の上と下に、約七畝(ななせ)の畑があるので、それに精をだしていた。だが、それらは、お金にはならない。こんなとき唯一の現金収入は、もとゑが藁草履(わらぞうり)を作り、それを売って得る程度だ。そのわずかな金が、バクチに消えることが多かった。こんな日、もとゑはたいへん不機嫌になり、こどもたちへの風あたりが強くなる。そこで、なにかのはずみで泣くのが、末っ子のおさむと相場が決まっていた。これが、いったん泣きだすと、止まることをしらない。放っておくと、一日じゅう泣いているという始末。

 四畳半では、花札開帳中だ。せまい家のなかのこと、ワーワー泣かれると、たまったものではない。松一は怒って、おさむを帯紐でしばりあげ、仏壇横の押入れに放り込んで、カンヌキをかける。おさむも、すこしは分別がついてきて、しばらくすると、おとなしくなる。こんなことが、くりかえされた。

 もとゑは、おさむが泣きはじめると、すぐ畑にでた。雨が降ると納屋で藁草履を作った。おさむが泣くことで、バクチをやめてくれればいいと思った。

 実際、そんな日は客のほうも、居心地が悪いとみえ、じきに帰っていく。

 客が石段をおり始めると、もとゑは物陰からそれを見て、ふっと胸をなでおろす。

 ……もう、うちにゃ金らありゃせんのに。

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