第76話 彼もまた
貴族街と市井との境にある少し古めかしい教会。そこに今まで聖女という肩書を持っていた老女は眠っている。
その貴族も利用する教会は、ある程度お金を出せば、挙式や洗礼や葬式ができるため、庶民上がりの貴族や商家に人気の教会であった。だが決して国の関係者が葬られていいような場所ではなかった。
そんな教会の敷地内の墓地。人目に触れないような奥の方に置かれている小さな墓石には、前聖女である女性の本名が記されている。そこに聖女という肩書きはない。歴代の勇者や聖女と同じ墓地にも入れられることもなく、平民と同じように葬られていた。
この墓を見た人間は、ここにまさかこの国の聖女が葬られているなんて思わないだろう。葬式が挙げれる程度の裕福な平民、そんな程度の印象しか抱かないだろう。
季節がら吹く強い風にあおられて、木々の葉が風にのって飛んでゆく。
芝生の草が飛び、木の葉が舞う中、聖女の墓の前には自然の法則に逆らって微動だにしない枯草の山があった。それはレオナルドが積んできた
何かに守られているように、強い風が吹こうとも少しも揺れ動かない野花たち、それを不思議に思う人間はいない。もとよりこの墓に会いに来るのは、レオナルドと聖女のファンであるスズ、そして
きっと風に吹かれて山が崩れてしまえばレオナルドは慌てて野花を拾い集めただろうが、何も起こらない事の違和感に気づける者は少ない。
墓を訪れるもう一人 ――
上等な厚手の布に包まれているのに、布の下にある筋肉の形がはっきりと分かるほどに分厚い胸板、上着を脱げばその年齢を覆すように凸凹とした腹筋が見える事だろう。
王都近郊の森から今しがた帰ってきた男。その手には小ぶりではあるが、どんな野花よりも美しい花が握られていた。
彼はいつも、たくさんの野花の中から、少しの汚れもない美しい花をここに眠る女性のために選んで持ってきていた。
両手に抱えきれないほどのたくさんの花より、つつましやかな聖女はたった一輪の野花を好いていると、レオナルドだけでなく彼もまた知っていたから。
男は墓の前に立つ。
顔に深く刻まれた皺は一見すれば五十代ほど、このスズノキ王国では老人と呼ばれる年齢だ。だがその年齢に似つかわしくなく、身体にはがっしりとした良い筋肉がついており、年老いていてもなお整った顔が見て取れた。
彼の名はゴーク・マドッグ。
歴戦の英雄、ゴーク将軍と慕われている男。変な思想にまみれていない限り、誰もが彼に敬意を払い、敬愛する存在。彼こそまさに先の戦争を止めた人であるのだから……
人々は彼がハーフエルフという存在であるにも関わらず彼を尊敬する。種族差別主義者ですら「人間の血が混じっているのだからゴーク将軍は人間だ」と主張するくらいだ。
「エリー……」
優しい
優しい青白い魔力発光が野花の山を包み込むと、光が染み込むように花たちに吸い込まれてゆく。彼は風が吹いても野花がどこかに飛ばされないように魔法をかけたのだ。
彼女はたくさんの花が供えられるほど愛されていたと主張するように。聖女を想って置かれた花がどこへも飛んでゆかないように魔法をかけていた。
魔法をかけ終わると、ゴークはその太い軍人の武骨な手で墓に刻まれている名前を触る。
「昔から、君に聖女という肩書きは似合わないと思っていた。君は安らげるような場所を選んだんだね」
ゴークは優しげに双眸を細める。
優しい声色でまるで目の前にまだ生きている聖女がいるように話しかける。
「私はずっとエルフに生まれたことを呪っていた。あなたに会うまでは――」
ざざっと強い風が吹くが、野花の山は微動だにしない。代わりに巻き上げられた芝生が宙を舞って空に消えてゆく。
「エルフであったからこそエリー……あなたに出会えた。もっと共に過ごしたかったよ。何人も見送ってきたが人の生はなんとも短い。あなたと過ごした日々が今でもまるで昨日のことのようだよ」
細められた双眸の奥に見えるのは薄い紫色の美しい瞳。エルフ特有の瞳の色を綺麗だと言ってくれた人はもういない。
「エリー私はエルフであってよかったと思うんだ。
エルフは愛しい人を忘れない、忘れられない。
あなたとの日々をずっと忘れずに覚えていられる。
顔も仕草も君の匂いも優しい声も、エリーのきれいな指先も、全て覚えていられる。この国がどうなろうと、私だけはあなたを覚えていられる……」
何も言わぬ静かな墓標に語り掛けていたゴークの顔がくしゃりと歪み、口からは「あぁ…」と小さな嗚咽が漏れ出た。
「ッ……エリー、どうして、どうしてあなたはいつだって私になにも言ってくれないのだろう……
私がいない間に何があった。
私が国を守ってる時、エリー、君は幸せだったんだろう?
この国から一緒に逃げようと言ったのをダメだと言うくらい、君は幸せであったんだろう?
ずっとそう思っていた、だから――」
藤色の美しい瞳がぐらりと揺らぐ。涙声が混じったような低い声はそこで言葉を紡ぐのをやめた。泣き言ばかり言うのをここに眠る女性が求めていないことは分かっていたから。返事のない墓標に疑問を投げかけたところで、ただの独り言にしかならないと分かっていたから。
ゴークは泣きそうな顔で微笑むと、太い指先で頬をなでる様に墓の文字をなでた。
「あなたを愛している」
ゴークという男―― 彼もまた聖女を愛していた。
- 第2章 完 -
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お読みいただきありがとうございます。
次の章もお楽しみください✨成長したレオが登場します。
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