第75話 ロエタニーザ・ゼルフ


 ハンデルではなかなか買えない寒い地域で獲れる薬草の入った革袋を握りしめて、僕はタニザさんの薬草屋へと向かう。

 空がゆっくりと橙色に染まり始め、暗くなる前には宿に帰りたいと僕は速足になっていた。


 店じまいの準備をしていたのか、表で掃き掃除をしているタニザさんが見えた。顔や身体に深く刻まれた老人を思わせる皺、そのわりにしゃんと背筋をすませて立っているその姿は一瞬見かけた程度では老女には見えないだろう。


 視線に気づいたのか、タニザさんはゆっくりとこちらに視線を向けて微笑んだ。

 紫色のきれいな瞳が弧を描く。図書館の天井画の色と変わらない美しい色だ。エルフである彼女を象徴とする耳は、今は黒い厚手のベールに覆われており、彼女はどこからどう見ても人間に見える。元々エルフは人と外観が違い分余計にだ。


「あらレオ、久しぶりだね。いつ帰ってきたんだい?」

「ついさっきですよ。タニザさんにも王都でお土産買ってきたので、お渡ししたくて」


 「どうぞ」と王都の貴族も通う薬草店の革袋を見せつけると、タニザさんは驚くように目を開けたあと、にっと目を細めた。目の周りにはくしゃりと年齢を感じさせるシワが深く刻まれるが、確かに天井壁画の美しい女性の面影が見え隠れしている。


「おみやげ……懐かしい響きだね、入りな」


 そう言ってタニザさんは閉店準備を済ませた店内へ僕を入れてくれた。

 いろんな草の匂いが充満する部屋の中で、今日のタニザさんは上機嫌なのか「茶を入れるからそこで待ってな」と言い引っ込んでいった。棚の上の薬草を取るための台のような椅子に、僕は行儀よく座ってタニザさんがやってくるのをじっと待つ。


 しばらくしてやってきたタニザさんの頭にはもう黒いベールはかけられてはいない。美しい緑がかった金色の髪を揺らして、上等そうなガラスのティーポットとカップをお盆に乗せて持ってやってきた。タニザさんはレジ前の椅子に腰を下ろしてテーブルをトントンと指で叩く。

 お土産をよこせ、という事なのだろう。僕に今優しく接してくれているのもお土産を持っているからかと、ふっと笑ってしまう。僕は彼女の命令に従う騎士のように丁重に、王都で買ったそれなりに高価な薬草をテーブルの上に置いた。

 ガラスの透明なカップに新緑色のハーブティーが注がれる。ふわりと匂う香りはあの小さなボロ教会のスズの部屋の匂いに似ていた。


「王都は楽しかったかい?」

「まぁまぁですね……それよりも驚くようなことがたくさんありました」

「へぇ、たくさんね。それで、何に一番驚いたんだい?」


 にやりと年齢に似合わず少女のように悪戯っぽくタニザさんは笑った。

 その顔を見ながら僕はガラスのカップの中に注がれた黄緑色のハーブティーに口をつける。味もスズに出されたものと似ている。きっと流行りのハーブティーなのだろう。


 お茶を味わいながら、僕は…


 -あぁ、-


 と思った。


「一番驚いたことは、あなたがとんでもない有名人だった。ということですかね」


 ふんふんとタニザさんは含み笑いを浮かべる。あぁやっぱり僕が彼女の正体に気付いたことを、気付かれている。


「一体いつ僕がタニザさんの過去を知ったって気づいたんですか?」


「あんたが高級薬草店の袋を見せた時だよ。

 あんたに金がないことくらい知ってるのさ。それなのに私のためにあんなもの買ってくるんだから、そりゃぁ私に対して失礼のないようにとか、貴族ならではの考えでお土産を選んだんだろう?」


 年の功というか、その観察眼に驚かされた。ドンピシャの大当たりだったからだ。

 たしかに僕がタニザさんの正体を知らなければ、あぶく銭が入ろうがちょっとした薬草をお土産にしただろうが、彼女の正体を知ってしまった以上“ちょっとしたお土産”を渡せるような相手ではなくなった。なにせ、この国の建国に関わった人物だ。貴族平民関係なく、誰もが彼女に対して尊敬の念を抱くだろう。僕の姉なんて大ファンだ。


「それで、そんなものを持ってくるってことは何か聞きたいことでもあるんだろう?」

「はい。聞きたい事、というよりお願いです」


 エルフのお姫様ロエタニーザ・ゼルフ

 悲劇のお姫様。初代勇者の最初の仲間にして伝説の魔法使い――


 そんな人と幸運にも出会ってしまった。無理は承知の上だ。けれど僕にはまだまだ足りないことが山ほどある。王都に行ってスズと出会って分かった。独学で行ける限界がきっとすぐそこまで来ている。だからこそ、僕は彼女にすがるつもりだ。


「断られることは覚悟のうえです!!どうか僕にまほ――」

「いいよ」

「そんな早く断らなくても……って、え?」


 ぽかんと口を開けてタニザさんを見れば、また彼女は少女のように楽しそうに笑っていた。


「元々、あんたに教えを乞われれば教えるつもりだったよ。筋はいいし、このまま腐らせるのはもったいない。

 水さえあげれば高級な薬草になる草を日照りに晒しておく意味もない」


「草って……」


「今のあんたは枯れかけの薬草と同じだよ。確かに今のままでもそれなりの値段で売れはするけれど、それだけだ。一級品になるにはいい水がなくちゃあね」


「そのいい水の役割をあなたがしてくれる、っていうことですか」

「あぁそうだよ」


 ほほ笑みながらタニザさんは淹れたてのお茶を口に含む。僕もそれにつられてお茶を口に含んだ。

 あのタニザさんが何もごねずに無償で僕に魔法を教えてくれるとは思い難い。本当にたまたま見かけた”草”を枯らしたくないのかどうかはわからない。けれど、無理に問い詰めて伝説の魔法使いから魔法を教えてもらうというとんでもない機会を逃したくはない。


「よろしくおねがいします」


 ぺこりと僕は深々と頭を下げた。彼女にどういう思惑があろうと、僕は自分のえきとなるなら構わない。僕のつむじを眺めているタニザさんの含み笑いのような声が聞こえる。やっぱり何かあるんだろうな、と思う。逆に何かあるなら多少失礼な事をしても師匠を辞めるなんて言われないかもしれない。

 僕は頭を上げてタニザさんのアメジスト色の瞳を見つめた。


「これは、本当に好奇心で聞くんですけど、建国の初代勇者様と同じ人間になりたかったから、耳を切っちゃったんですか……?」


 ちょっとした好奇心と仕返しのような気持ちで聞いたその言葉に、タニザさんは少しだけ驚いたように目を開くと、眉尻を下げ、無理に唇だけで笑顔を作った。


「一番になりたかったのさ。人と同じようになれば、私があの人の一番になれると思っていた。

 そんなことはなかったけれど……」


 老女の顔が一瞬、美しい天井壁画のように見える。愛した人を思いながらタニザさんは説得するような真剣な声色で続ける。


「ねぇレオナルド……エルフはかなしい生き物だよ。

 私はエルフになんて生まれたくなかった。こんな長い人生をたったひとりで過ごさなくちゃいけない。エルフはね、一度好きになった相手をずっと忘れられないんだ。人間みたいに切り替えられない。

 私の中には私を選んでくれなかった人がずっといる。エルフはかなしい生き物だよ――」


 涙はこぼれてはいなかった。はっきりとした声で話しているのに、僕には目の前の女性が顔を覆って泣いているように見えた。


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