第65話 スズの治癒魔法




 僕が殺した方とは別の、もう一匹のオークを相手にしている方の騎士達の方から叫び声が聞こえる。その声に僕は驚いてその方向を見た。


 腕に怪我を負い血を流しているウィル。剣が真っ二つに折られ、両腕が変な方向に曲がり地に伏せている一人の騎士。

 せめぎ合うように巨漢のオークと切り合っている。こん棒を交わしてオークの分厚い皮膚に剣を差し込むが、オークも上手なのか浅い傷で避けてまたこん棒を振るう。


 たった一人、剣を握った騎士は身体魔法を使い、素早くオークと打ち合ってはいるが、後方に幼い子供と怪我を負ったもう一人の騎士が居てうまく動けていないようであった。


「不意打ちに対応できなかったのか」


 オーク二匹が来る直前、ウィルはオークの子供をいたぶっていた。その叫び声が止んだ瞬間にやってきた雄オークに僕は対応できたが、騎士たちは子供オークのとんでもない音量の断末魔を間近に聞いていたのだ。茂みが動くわずかな音に気づけず対応が遅れたのだろう。

 そうして今、一人の騎士は使い物にならず地面に伏せ、怪我をした貴族の子ウィルを守って騎士は一人で戦っているという状況だ。


「ウィル様! どうかお立ちになって離れてください!!」

「いたい、いたいんだ……たてないんだ」


 大きなオークを前にしてウィルは腰が抜けてしまったのかがくがくと震えている。その足元には地に伏せている騎士が作る赤い水たまりが広がってゆく。


「おい子供!この方を頼む!!」


 オークに傷を作りながら、一人でオークを抑えて必死に叫ぶ騎士。目に涙をいっぱい貯めてウィルは小さく震えていた。

 ウィルを引き離せば騎士は思うように動けるのだろう。けれどそれでは血だまりを今も作っている男がどうなるかは分からない。終えるなら一刻も早い方がいいだろう。


 きっとこの騎士たちはオークとの戦闘に慣れてはいない。その証拠に胴体ばかりを傷つけている。僕とトーズも頻繁にオークと戦うが、不意打ちが基本で正面からは戦ったりしない。


 首を狙いにくいからだ。

 オークの魔力が通った皮膚は硬い。成熟した強靭な皮膚に刃を突き立てるくらいなら、確実に殺せるような場所を狙った方がいい。

 僕は急いで騎士が抑えているオークの方に駆け寄る。木を足掛かりに飛び上がり、騎士と張り合っている雌のオークの首に刃物を差し込む。

 ぐっと力を入れればオークは叫び声をあげる暇もなく首と身体は別々にされた。


 吹きあがる赤紫色の血とナタにまとわりついた血で、一瞬周囲が魔物の血色に染まる。僕はナタを空中で素振りをするように振ると、ナタに着いた血が綺麗に吹き飛ばされる。

 血を付けたままにしておくと、ただでさえ短いナタの寿命が短くなってしまうからだ。


 死骸の前には、自分を抑え込んでいた獲物を殺され、ポカンとしている騎士が居る。あっけにとられてる騎士に僕は声を掛けた。


「これで大丈――」

「……はっ、殿下っ!!!ご無事ですか!?!?」


 一瞬だけ状況を飲み込めず固まっていた騎士は、オークが死んだことを理解すると、守り抜いていたウィルに駆け寄った。


「申し訳ありませんっ私はっ…私はっ!」


 騎士は腕に傷を負ったウィルによって瞳に涙をたっぷりためて縋り付くように頭を下げた。


 ――殿下……?


 いま、この男、ウィルのことを"殿下"と呼んだか……?


 どくんと、心臓が波打つ。先ほどまで至って平常であった僕の心臓はドクドクと大きな音を立てだす。


 そんな呼び方をされるのはこの国ではたった二人だけ。

 王の子である第一王子と第二王子しかいない。

 そして、僕より一つ下の第一王子の名前が――


 ウィリアム――



「いたい!痛いんだ!! 腕がっ」

「あぁなんとおいたわしいっ!!! おい修道士っ!! 早くしないか! そのためにお前を呼んでいるんだぞ!!」

「っ――はい!ただいま」


 一拍遅れてスズが駆け寄ってくる。

 僕の心臓はまだドクドクと音を立てている。

 この目の前の小さな子供が、この国の第一王子……

 これからこの国を背負ってゆく存在、そして……


 召喚魔術をやめさせることができる、唯一の権力者――


 駆け寄ってきたスズはウィルの傷口付近に手を触れて治癒を行のだろう。

 僕は目の前で行われる行為をただ待っていた。治癒が終われば僕は彼に近づく。こんな機会めったとない。


 だが、スズは怪我をしている彼らに近づくことはなかった。

 すっと目をつむり、胸元で祈る様に両手を握り合わせる。


 ――いったい何をしているんだ……?

 騎士達やウィル、治癒魔法にそれなりに詳しい僕でさえも怪訝な表情をしている中、スズは美しい鈴を転がしたような声で一言、発した。


「神よ、愚かな私たちに救いを――」


 ぽかぽかと、身体が温かくなるような心地の良い感覚……

 流れ込んでくるのは幸福という感情。心地がいい、まるで寒い日にもぐりこんだ布団の中のような、そんな包まれるような優しい感覚。

 僕のドクドクと興奮して激しく鳴っていた心臓がゆっくりと落ち着いてゆく。


 きもちいい、ここちいい、何かに包まれているような幸福な感覚――


 僕はそんな感覚に包まれ目を細めながら、大けがを負った騎士や、腕に怪我を負っているウィルを見る。

 怪我を負っていたウィルの傷口がゆっくりとふさがってゆく。逆方向に折れた腕を持った男の方も、腕が正しい方向にゆっくりと戻りだす。そこに、魔術特有の青白い発光現象は一切なかった――


 寒い冬の日に無理やり布団から出されたような感覚がした。微睡のような頭から一気に冷や汗を背中に垂らしながら覚醒する。



 魔力特融の青白い発光現象もなにもない。


 それなのに、傷口がゆっくりとふさがっていっている。

 治癒されている側は先ほどの僕の感じていた心地よさを感じているのか、瞳をとろけさせ、今のあり得ない状況が分かっていないようだった。


 治癒魔法は通常、相手に手を触れて魔力を流し込まないと治癒できない。治癒に限らず眠り魔法や身体を傷つけることなく影響を与える魔法はすべて同じだ。

 なのに、この女は魔力の発光現象も起こさず、手も触れずそれをやってのけた。


 神に祈る。ただそれだけのことで――



 ぞわりと鳥肌が立つ。

 スズは中央教会に引き抜かれたと言っていた。貴族社会に孤児のそれも移民が引き抜かれるというのはよくよく考えてみればすごい事だろう。

 そう、中央教会側にすごいメリットがあったのだ。


 貴族社会に平民のそれも下層階級を入れるほどのメリット、それこそ、今おこなっている神への祈りだけの、奇跡にも近い治癒であろう。


 怪我をしている者のみを、神への祈りによって治癒する。こんな魔法聞いたことがない。見たこともない。聖女様の本にだって少しも書かれていなかった。

 スズが使っているナニカは今まで僕が目にしてきたどんな魔法よりも異質であった。


「さぁ、神への祈りは通じました。もう大丈夫ですよ」


 まるで天使のように微笑んで見せたスズを前に、きっとこの場に居る人間の中で僕だけが異質さを感じていた。



 ――スズ、いったい、この少女は何なんだ



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