第11話 ほんとの訓練



 暖かくなるころ、姉は家を出て行った。

 そんな世間話を図書館へ送ってくれる御者は世間話のように僕に教えてくれた。この家もずいぶんと寂しくなった。多くいた御者も今や2人程度しかいない。使用人の数もずいぶんと少なくなっていた。


 家を出る日が明朝みょうちょうに迫った日、最後に顔を見せたのは、家族ではなく、今まで何のボランティアかたまに稽古をつけてきていたゾーダ先生であった。


「茶くらい出せよ」


 相変わらずの先生の態度に少しだけ辟易へきえきしながら、僕はお茶を淹れる。高級な茶葉はとっくになくなってしまったから、使用人たちが飲むようなハーブティーを淹れる。


「思ったより元気そうだな、明日だって?追い出されんのは」

「はい」

「最後だし教えてくんねーかな、聖女様の最期の様子をさ」


 この男もしつこい、聖女様の何が気になるのか、何度聞かれようとも、それなりに世話になろうとも、彼女との思い出を、彼女が死んでから興味を示したような人間に教える気は、一切無い。

 イライラとした気分で、ゾーダ先生を眉を顰めて僕は言い放つ。


「彼女との思い出を、他人に分け与える気はない」

「だと思ったよ、ったく聖女様の話になるとコレだ……まぁレオナルド様がそれほど慕ってるなら聖女様は素敵な人だったんだろうな」


 突然聖女様のことを褒められて、僕はなんだか照れてしまい、口元が緩んだ。

 聖女様を褒められるのは自分が褒められるより嬉しい。僕を見て聖女様が素敵な人と分かるなんて、頑固な教師と思っていたが、改める必要があるかもしれない。僕のゾーダ先生への評価はちょっと良くなった。


 ふにゃふにゃと照れ笑う僕を見て、ゾーダ先生は頬を引きつらせた。

 無表情だった子供が突然嬉しそうに笑ったのだ。それも今まで見たことも無いような、温かかい笑顔で……


 気まずくなったのか、ゾーダ先生は話題を変えようと、テーブルの上に置かれている花瓶に目を落とした。

 花瓶には枯れた野花が、もうずっと挿されている。ゾーダはそのことに首をかしげた。


「そういや、几帳面なお前らしくもない……花が枯れたままじゃねーか」

「何も変えたくないんだ。聖女様がいた時のまま何も変えたくなかったから、花はそのままでいいんだよ」


 聖女様が僕がつんできた野花を喜んでくれたときのことを思い出すと、自然と顔が綻ぶ。指先で花弁に触れれば、乾燥しきった花びらは崩れるようにテーブルの上へと落下した。

 僕の表情とは真反対に、ゾーダ先生の顔はこわばっていた。


「聖女が、こんな部屋に居ただと……!?」

「うん、そうだけど……何を今更……」


 ゾーダの顔は強張りながら青ざめていた。その大きな手で口を覆うと小さく


「なんてことだ……」


 そう呟いた。僕はわけが分からず首をかしげるだけだった。

 なぜなら、この家では聖女様が敷地内の隅の小屋に住まれていることは公然の事実で、そのことを知らない人間なんて今まで周りには居なかったからである。


「小僧、お前なんで親父様をここまでブチ切れさせてここに居る?」

「こっ、こぞう!?一応僕はモリス家の」

「うるせぇ、明日には放り出されんだろ、答えろ」


 いきなりのぶっきらぼうな言葉に、僕は頬を膨らませるが、肌に何かヒリヒリと焼け付くような空気を感じ居心地が悪い。

 別に隠すようなことでもないし、僕のした行動は正しいと思っているので胸を張ってゾーダ先生に答えた。


「儀式をつぶした」


「それが聖女の願いか」


 射殺すような鋭い目に睨まれる。肌がまるでひどく火傷した時のようにヒリヒリと焼きつく、きっとゾーダ先生の殺気だ。

 聖女様の最期の願いだということを、言うことは出来ない。言ってまえば彼女が悪者にされてしまうからだ。僕はたぶらかされたんじゃない。全部納得して理解して行動したんだ。


「聖女様のことを、彼女が亡くなってから興味を示したような人間に、言うことは何も無い」


 ゾーダ先生の鋭い目に負けないように、僕も睨み返す。


 僕は怒っていた。

 聖女様の当時のこと知り、口調が荒れてしまうほどに、驚いているなら、おかしいと思えるなら……

 どうして最期の時、周りに僕しか居なかったのか、少しでも彼女が死ぬ前に誰かが彼女に興味を持っていたなら、彼女の周りにはきっと彼女を愛する人がもっと居たはずなのだ。



 知らない世界に無理やり連れてこられ、こんな小屋に閉じ込められ苦しい想いをした彼女を、憐れむ人も手を差し伸べる人も誰もいなかった。誰か1人でもいれば彼女は僕と出会ってないだろう。僕しかいなかったんだ。

 聖女様を想う人は、僕以外には、この世界にたった一人だって居なかった。



「……そうだ、その通りだ

 外に出ろレオナルド、最後に特別な特訓をつけてやろう」


 そういってにっこりと微笑んだ無精ひげの男に、僕は何故かぞわっと肌が粟立った。なんだかすごく嫌な予感がする


「え、いいよ。なんか怖いし……」

「俺の親心だ」


 ニコニコと笑いながら、僕を外へと引きずり出し

 彼の言う訓練が始まった。




 そして僕は、今まで彼は一度だって僕に訓練を付けていなかったことを知った。



 あまりのキツさから、吐きまくっている僕の前でゾーダは、詰まれたまきの上に座り、眺めながら次の指示を出す。

 一番最後に文句をつけにやってきたのか、チラリと兄の姿がよぎったのを目尻が捉えたが、僕には久しぶりの兄の顔を見る余裕もなかった。


「おー久しぶりだなァ稽古つけてもらいたくなったか?小僧と一緒にやってくか?」

「ヒィィイ!」


 謎の声を上げて走り去っていく兄の背中だけ、唯一目で捉えることができた。家の中なのに剣を携えていた。きっとゾーダが居なければ僕に何かするつもりだったのだろう。

 吐き続けている僕の前に居るゾーダからは、ほのかに殺気が感じられた。

 地面と仲良くしている僕の前で、ゾーダは無表情で僕を見て話し出した


「明日から俺と同じ庶民になるクソガキに、ためになる助言をしてやろう」


 さっきから僕に対する言葉がひどい。


「今日やったことを毎日続けろ、飯を食った後にやると吐き出しちまうから朝にやれ

お前は顔がいい、だから肝に銘じろ、ニコニコして近づく大人は敵だと思え。、

治療魔法はなるべく使うな、攫われるぞ。あと他の魔法もあまり使うな。攫われる。

元の身分をひけらかすな、これも攫われる。あまり他人に笑顔を見せるな、お前の顔だと攫われる。

周りを見て、庶民に溶け込め、そして何かあったときのために訓練は欠かすな」


 真剣な物言いに、僕は素直に頷いた。


「それと……12かそこらになったら軍に入れ、最初は使いっぱしりでも、俺みたいにそこそこ上に行ける」


 軍に入る、だなんて考えたこともなかった。ゾーダの勧めに、僕は「考えとく」と小さく返事をした。

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