第1話 聖女の願い

「レオナルドはまた、役立たずの聖女のところか!!」


 父の怒号を扉越しに聞きつつ、僕は自分が朝食に残したオレンジを隠すように布に包み、離れにある小屋に小走りで向かう。

 屋敷から隠れるようにして出ると、父が居た部屋を地面から見上げ「べー」と舌だしてあざけたあと、急いで聖女に会いに行く。



 役立たずの聖女――


 それが僕の家族の、敷地内に住まう聖女への呼び名だった。

 そこに尊敬の念は微塵もない。ただ邪魔者として扱い辛いがために、目の届かないところに放りやった彼女に対しての言葉だった。


 この国、スズノキ王国では初代勇者が亡くなって以来、ずっと勇者や聖女が召喚されてきている。

 異世界から召喚された勇者や聖女は特別な力を持つらしい。


 けれど彼女はそうではなかった。

 そして国に尽力できないだけならまだしも、当時の王と揉めた結果、召喚した家であるモリス家――つまり我が家の敷地内にいるらしい。


 召喚を代々になってきたという理由で押し付けられたらしいと、父は愚痴っぽく言っていたが、僕は彼女がこの家にずっと居てくれることが嬉しかった。




 薄い木製の扉をノックすれば、中から優しいげな声色で僕に答えた。鍵すらない木の扉のドアノブを背伸びして開ければ、ベッドに横たわる彼女が居る。

 ……最近元気がないのだ。


 窓際の机に積まれている本にすら、少しずつ埃がたまっている。彼女の仕事として与えられたもので、埃の様子からしばらく起き上がることも出来なかったのだろうなと思うと、ぎゅっと胸が苦しくなった。


「聖女様、聖女様、食べたいとおっしゃっていたオレンジを持ってきました」

「ありがとう。けれど無理に持ってこなくてもいいのよ、あなたが来てくれるだけで嬉しいのだから」


 ゆっくりと体を起こして微笑む彼女が、無理をしているということは、子供の僕にでも分かっていた。

 僕はティーテーブルの横に置かれている椅子に座り、持ってきたオレンジを食べやすいように剥いてゆく。

 テーブルの上には食べかけの米粥がある。あまり食欲もないようで、不安を助長させた。その不安を払拭するように、僕はつとめて明るい声を出した。


「ぼく剣術を先生に褒められたんですよ! 才能あるって」

「それはすごいじゃない。将来は騎士さまかしら?」

「うん! ドラゴンと戦いたいから剣術怖いけど頑張ってるよ」

「レオは頑張り屋さんね」


 微笑を向けてくる彼女を見ると、僕の心の中に暖炉が出来たみたいにポカポカとする。

 ”レオ”という彼女しか呼ばない愛称すら大好きだった。彼女が口に出す全てが価値のあることのように思えた。


 二人きりの部屋の中、少しすっぱいオレンジを食べながら僕らだけの時間が過ぎてゆく。このゆるやかで優しくて暖かい時間がたまらなく好きだった。

 けれど、彼女が時折見せる少しだけ影を含んだような表情が、僕を不安にさせる。


「これから言う話を良く聞いてね」


 あまり見たくない彼女の暗い表情に、なんとなくだが覚悟を決め僕は静かに聞き入った。


「もうじき私は死んでしまうでしょう。

 私が死んでしまったあとのことを、あなたに頼みたいの」


「そんなっ…弱気にならないでください聖女様! きっと元気になります」


 きっと病によって心が弱ってしまっているのだろう。勇気付けるために彼女の細く弱弱しい手を取れば、まるで金属か何かのようだった。以前の温もりが消え去ってしまっていることに、絶句してしまった。

 なんとか彼女を勇気付ける言葉をかけようと思うのに、何も浮かばず「ちがう」と何度も繰り返した。


「そんなわけない、聖女様が死ぬなんてちがう、そんな……」

「いいえ自分のことですもの良く分かるの。

 だから私のお願いを聞いて」


「なんですか、ぼくなんでも、ききますっ……聖女様が、げんきに、なってくれるなら、なんでも……」


 彼女の冷たい指先が僕の頬を撫で、水滴を掬ってゆく。僕を元気づけるためか、微笑む彼女からは死への恐怖なんてものは、感じられなかった。



「もう……私たちのような人間を、この世界にばないで」



 彼女の瞳から、ぽろりと美しい真珠のような水滴が零れ落ちる。雫はころころと転がってゆくこともしないで、彼女の膝へ掛けられた布団へと吸い込まれシミを作ってゆく。


 初めて見る聖女の涙に、僕は泣きながら首を縦にふることしかできなかった。



 頬を撫でる弱弱しく小枝のような指。その手の甲には僕の目からポタポタと涙の粒が落ちてゆき、彼女の手の甲に深く刻まれた、年齢を思わせるシワに川を作っていった。



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