2-014 知るということはそれをいかすということで


 2人が悲鳴を上げたと思ったら、バシャバシャと激しい水音を引き連れて、衝立の向こうから飛びだしてきた!

 眩しい肌色が目に入る。

 それも束の間、僕に密着するまで近付いて、クルリと泉の方を向いた。


「ボーグ! 何か居たの!!」


「足元がにゅるっとしました! 気持ち悪いです!!」


 裸で僕にくっ付いていることも気に出来ないぐらいに、驚いたのだろう。

 張ったままにしていた『物理防御フィジカルディフェンス』の効果で、2人の肌の柔らかさが分からないことが本当に悔やまれる……

 いやいや、そんなことを言ってる場合では無く。


 大きなバスタオルを2人分精製しながら、状況を確認する。


「感知出来なかったのかな?」


「良く分からないの。魚ぐらいは居ると思ったから、水の中まで気にしてなくって」


「明らかに魚とは違いました! もっと大きいような……でも、触れたのは一部だけでしたから……」


 それぞれをバスタオルでフワリとくるんで、僕の後ろに下がらせる。


「触れられたところは大丈夫? かぶれてたり、噛み跡とかついてないかな?」


 泉を見据えたまま、更に質問を重ねる。


「魔石のおかげですぐに治ったから、どんな状態だったか分からないけど、少し『熱い』ような感じがしたわ」


「ぬるっとしたのが気持ち悪くて、それ以外なにも……」


 やっぱり、防御系の魔石を切ってる状態は危ないね。

 早急に補助系の強化が必要だ。

 ちゃんと回復系の魔石も常時発動してくれてたから、大事に至らずに良かったけど……

 ミレル=ミリエールを傷付けるとは、許せん。


 でも、泉を見ていても、何も動く気配はない。

 遠ざかる気配も無ければ、近付く気配もない。

 水中に捕食対象が入ったときに動く系の生物かな?

 ……というか、小魚一匹見当たらないのが、まずおかしいよね?


 ぬるっとしてて、攻撃が熱い。

 対象が射程に入ったときに、機械的に捕食する。

 これって、ファンタジーでは良くあるあの生物だよね?


 机に用意していたお昼ご飯から、骨付き肉を1本掴んで泉へと投げ入れる。

 待つほどの時間も無く、ゆっくりと気配が動いた。

 一瞬、泉の中で大きな動きを捉えたけど、すぐに落ち着いてしまった。

 骨付き肉はそのまま……いや、ゆっくりとした変化だから分かりにくいけど、少しずつ崩れていっている気がする。


 この感じは恐らく、不定形で水のような魔物──


「スライムかな?」


「うえぇ! そんな凶悪な魔物が!?」


 スヴェトラーナの答えが早かった。

 ミレルから言葉はなく、ただ僕にしがみ付く面積が増えたみたい。

 『物理防御』の所為で詳しくは分からないけど。

 いずれにしても、この世界では、スライムは凶悪な魔物と認識されているようだ。


 スヴェトラーナに詳しく話を聞くと、僕の知っている特徴と大体一致した。

 ただ、可愛らしい顔のついた最弱の魔物でもなければ、魔黒連邦を作るわけでもないらしい。

 いわゆるアメーバみたいな生態らしいだけど、サイズが大きすぎるので、人や動物も食べてしまうとか。

 水中に居て分かりにくいし、簡単には倒せないようで、普通の人では食べられて終わりらしい。


 専門家じゃないと、対応出来なさそうな魔物なんだね。

 そうなると、まずは安全確保が優先だね。


 とりあえず、泉の水ごと『物理防御』で囲って、スライムを森の奥へと隔離する。

 泉と同じ成分の水を精製して、代わりに泉を満たした。

 これで、危険は去った。


「これで大丈夫だけど、水浴びしてくる?」


 2人はちょっと不安そうにしていたけど、コクリと頷いて、また泉に戻っていった。


 また暫く待ち時間になりそうだから、僕はスライムのお相手をしておこう。


 まず、視認できないことには対処できないんだから……『赤外線診断サーモグラフィ』では、水温の揺らぎと区別がつかないか。

 他に見えないものを見る方法というと、レントゲンとかMRI?

 後で『身体精密検査カラダスキャン』をかけたいので、放射線系の測定は、線量を抑えるためなるべく使いたくないよね。

 後は……超音波エコーか!


 対象の魔法をすぐさま検索して、閃術『超音波診断ソノグラフ』を見つけた。

 魔法を発動して超音波で見ると、境界の微妙な反射率の差から、スライムの形状がはっきりと見えるようになった。

 違っている部分に色まで付けてくれる親切設計。

 青っぽいアメーバ様の塊が、水の中に浮いている様子が見て取れた。


 こうやって見える状態なら、『動作補足モーキャプ』で捉えやすいみたいで、スライムが戸惑っていそうな不規則な動きが、分かるようになった。

 これは、補助魔法群に『赤外線診断』と『超音波診断』を追加かな。

 元々どちらも画像として捉えるものだから、『全球撮影機アルファシータ』との相性も良さそう。

 これで、360°×360°の目に見えない相手も、構造物越しの相手の動きも捉える、全周警戒網の完成だね。


 後は2人と実用実験をしたら本格稼働するとして、今はこのスライムの処遇だ。

 一体どんな生物なのか、このファンタジー生物について詳しく知りたい。

 『身体精密検査』は異種族や動物にも効くことから、きっとこの魔物についても詳しく教えてくれるはず。

 ということで、『身体精密検査』発動。


 すぐさま結果が返ってきて、スライムにAR表示が追加される。

 とりあえず……混乱するような内容と、お腹が減ってそうなことは分かった。

 このスライム、遺伝子情報の中に、人間の遺伝子と合致するところがあるらしい。

 捕食した相手の遺伝子情報を取り込むのかと思えば、人間以外は無視して良いレベルらしく、表示が小さい。


 そういえば、アメーバのような原生生物の中には、ゲノムサイズが人より遥かに大きい生物がいるとか。

 非アクティブな領域に、色んな遺伝子を保存しているということなのか……

 それなら、人以外の遺伝子情報が色々あっても良さそうだけど、このスライムは人の遺伝子に偏っている。

 そうなると……人がスライムになった……?


 何だかちょっと不気味な話だ。


 整形系というか、アバター製作系と言うべき魔法の中には、種族変更できる魔法も存在する。

 人がスライムになってヒトゲノムが残っているとしたら、遺伝子に魔法を書き込むような遺伝子書き換え魔法というよりは、異種族にするような種族変更系の魔法を使った結果、スライムになったと考える方が合ってる気がする。

 そうなると、異種族にする際に、亜人種を選ばないと、思考力や自由度が下がってしまって、思った生活が出来なくなる可能性がありそうだ。

 このスライムは、こうなりたくてなったのだろうか?


 ただ単純に、誰かが、人の遺伝子をスライムゲノムの非アクティブ領域に書き込んだだけかも知れないけど……

 それが出来るとしたら、それはそれで目的が知りたいね。

 このスライム、どうしようかな……

 ミレルに危害を加えた犯人として、分かり合えない生物なら抹殺しても良いかと思ったんだけど。


 元人間が不慮の事故でスライムになってしまったなら、元に戻すことも考えたい。

 誰かが意図的に人をスライムに変えてしまったなら、より一層手掛かりを残しておかなくてはならない。

 スライムはみんな人間の遺伝子情報を持っている、っていうなら良いんだけど、そのためには統計を取らないといけないし。

 いずれにしても、このスライムはこの泉に返すのが良さそうだ。


「ボーグ、そのスライムがどうかしたの?」


 いつの間にか、水浴びを終えて戻ってきたミレルが、心配そうに後ろから声を掛けてきた。

 考えても仕方がない。


「このスライムを泉に返そうと思ってね」


 そう答えて、スライムを泉へと動かしていく。

 残念ながら、僕の水浴びはまた今度になりそうだ。

 僕の身体は魔法でキレイにしてるから、全然問題無いんだけどね。


「ボーグがそう思うなら、その方が良いと思うの」


 ミレルは笑って僕に同意してくれた。

 スヴェトラーナはスライムの危険性を知っているからか、少し眉をひそめていたけど。

 後で対処するから、今はそっとしておきたいと説明して納得してもらった。

 別に、反対する意味は無かった、とも言っていたけど。

 意見が正当ならいくらでも受け入れるし、感情的だったとしてもなるべく考慮するのに。


◇◆


 お昼ご飯を食べ終えて、新しい補助系魔石の身体慣らしもサクサクと終わらせた。

 死角からの攻撃も難なく対応できることが分かったので、これで安心、護衛に関しては何も問題がなくなった。

 そして僕は、課題のもう一つを思い出した。

 馬車のことだ。


 馬車が無く、荷物が少ないことに不信感を抱かせるから、その対策も必要だったわけで。


「魔石は上手く行ったけど、こんなところに都合良く馬がいるわけでもないし……」


「そうよね……この辺にはスライムしか居なかったわね」


 ミレルの言うように、他の生物にも会っていない。

 虫や植物はそりゃいるのだけど……


「スライムに遭って命があったんです、この泉で水浴びが出来ただけでも良しとしましょうよ!」


 いや、僕は水浴び出来てないからね。

 何がなんでも水浴びしたかったわけでも無いけど。

 つまり、人に言えるような目的が、食事と水浴びだけ……?

 スライムに遭ったことは言える?


 ああっ! それなら、護衛も無しに徒歩で旅をしないといけなくなった理由が成り立つのか!


 僕は思い付いたことを実行すべく、森の中で幾つか準備してから、夕方に間に合うように南の関所へ向かった。



◇◆◇◆


 ドレスの裾を邪魔に思いながら、関所前の行列に並ぶ。

 ここを抜ければ王都は目前、さすがに人出が多い。

 王族直轄地に不審者を入れるわけにはいかないからか、警備も検査も厳重なようで、一組一組の待ち時間が北の関所に比べて長かった。

 途中、早馬らしきものが来て、関所の中に急いで入っていったから、トラブルがあって時間がかかってたのかも知れないけど。


 この格好で視線に晒されるのは、ちょっとツラい。

 怪しまれてないか?とかバレてないか?とか、なんか無駄に緊張し続けていた気がする。

 ミレル=ミリエールに、バレるわけがないと励まされながら、長い待ち時間を終えて、僕たちの番が回ってきた。


「お、おい! そこの女3人! あ、怪しい、怪しいな……」


 関所なんだから、言われなくても止まると思うんだけど?

 役人の一人が、汗をかいたのか口元を手の甲で拭いながら、僕の目の前に立った。

 僕の足元から頭の先まで、遠慮なくジロジロと見て、怪しいところがないか探っているようだった。

 途中、僕の盛った胸と、首筋で視線がしっかり止まったけど……妙に目線は合わさない。


 偽物の胸とか、喉仏に気付いたのか??

 いや……なんか……ちょっと怖いよ?

 役人の視線って、こんな居心地の悪いものだったっけ?

 入国審査とかって調べられるわけだから、居心地悪いものなんだけど。

 女装がバレるかもという思いが、いつも以上に役人の視線への嫌悪感を抱かせているのかも……


 因みに今の僕は、貴族が外出時に着ていそうな服装になっている……はず。

 プラホヴァ領主の奥さんビータ夫人に仕立てたドレスとは違って、コルセットやパニエを使わないようなスッキリしたデザインのエンパイアドレスを、露出少な目で色控えめにしたものを着ている。

 どうしても身長があるので、胸は不自然にならないように、それなりに盛ってある。

 髪の毛は、長いとくすぐったいのでショートボブにし、輪郭線を隠す小顔効果を使って更に女性っぽくしている。

 当然声も、自然な女声になるように、魔法で変声してある。


 鏡を見る限りは完璧に擬態できてると思うんだけど……

 魔法を使っているのに、女装趣味の友人ほど完全ではないと思えるのが不思議。

 友人には、思い切りが足りないだけって言われそうだ。

 だからきっと、胸張って自信満々に、貴族のお嬢様らしく振る舞えば、問題無い筈。


「お、お前、な、名前は?」


 妙に上擦っている気がする声で、役人に聞かれた。


 あ……しまった……自分の偽名決めるの忘れてた!

 え、あ、どうしよ……

 冷や汗が流れる。

 汗では絶対に落ちないメイクで良かった……教えてくれた白鶴に感謝だな。

 って、元凶を作ったのもあいつだよね!

 いや、そうじゃなくて、早く答えないとますます怪しまれる!!


「ボ、ボグコ……です……」


 スゴく自信なさげに答えちゃったぁぁーー!

 さっきの意気込みは何処へ!!

 しかも、「子」を付ければ女の子っぽいみたいな、ボグダン+子で、ボグコという安直な名前ぇ!!

 近くの柱に頭をぶつけたい!! 思い切りぶつけたいぃ!!


「はぁ……?? ボグコ? 男みたいな名前だな??」


 なんか役人が、余りにも意外な名前を聞いたって顔してるし!

 この地域だと、最後が「コ」だと男性名っぽいのか!?


「ボグコリーナお姉様! いくら男勝りだからって、お名前まで男にしないで下さい! お綺麗ですのに!!」


 ミレルがフォローしてくれたぁ!!

 最高の嫁だよ!!

 ちょっと半ギレ気味なのが気になるけど、とっても助かる。


「ご、ごめんね、ミリエール。別にそういうわけじゃないんだよ、ちょっとこの人の目が怖くて伝えにくかっただけで……」


 僕がそう言うと、役人と僕の間にスッと割って入るスヴェトラーナ=ツェツィ。


「お嬢様が怖がっていますので、わたしが代わりに答えます」


 護衛兼使用人として、しっかりと仕事を果たしてくれるんだね、スヴェトラーナも偉いよ。

 でも、こういう関所の審査って、正しくは一人ずつするような……

 だから、彼らもそれぞれの仕事を全うしてるだけだから、そんなに役人を睨まなくても大丈夫だよ?

 北の関所では、グループのリーダーが代表してやってたような気がするから、別に良いのかもしれないけど。


「な、なんだ、盾突こうってのか?!」


 スヴェトラーナの視線に少しビビりながら、役人がなんとか対抗している。

 魔石の影響で弓の達人級になって、視線の凄みも増したのかな?

 別にそんな魔法効果は無いはずだけど。


「怪しい! 益々怪しい!!」


 叫ぶように役人が繰り返す。

 その叫び声に、他のキャラバンの対応していた役人達も寄ってくる。

 な、なんだ……なぜ、そこまで僕たちに注目する?


「ほほぅ……なるほど、これは怪しいな」


「これは、ちょっと奥でしっかり話を聞く必要がありそうだ」


 寄ってきた役人達にも怪しまれてる、更に近くの兵士も呼ばれてしまった。

 女3人の徒歩がそこまで怪しいか?

 怪しいだろう事は北の関所で学んだけど、こんなに大人数で対応する必要も無いだろう??


 ミレルとスヴェトラーナが、対応に困って僕の方に視線を送ってきている。

 僕は目配せで、従うように答えた。

 ここは大人しく従おう。

 理由はちゃんと出来ている、しっかり話せば分かってくれるはずだ。


 若い役人と若い兵士が他のキャラバン達の審査に残されて、ベテランらしき役人達と兵士達に僕たちは連行された。

 何となく、残された役人と兵士達が、こちらを睨んでいるような気がしたけど……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る