1962年夏(4/5)
こうしてうちは広島市内にある松代自動車学校に通う事になった。
この話は流石に伯父さん、伯母さんも驚かれたけど「千裕さんなら割り増し料金だ」と千裕さんの中学時代の級友に言われているという話をすると千裕さんの運動音痴ぶりについてうちから聞いていた二人はそりゃあ仕方ないねとなった。
うちでは千裕さんが朝食と自分の弁当を作っていた。
うちも手伝っているけど朝は千裕さんが当番(その代わり晩ご飯はうちが作っている)というのがこの新しい家の決まり事だった。
そして運転教習に行くようになってから千裕さんはうちのお昼の弁当も一緒に作ってくれるようになった。教習や座学がある日はそれを持って学校へ行った(ない日は伯父、伯母の家に行ったり来てもら足りして一緒に食べていたんだけど、千裕さんが作っているという事を知った時は怒られるかと思いきや伯父さんからは「新しい時代の人で良かったのお」とまで言われてホッとした)。
学校に行っていると松代さんとその奥さんがたまにうちを食事に誘ってくれる。
うちがお弁当持参と知って奥さんがお重にお昼を詰めて持ってこられるので天気の良い日は校内の庭などで三人で食べていた。
松代さんの奥さんの礼子さんが重箱のおかずを取りながら言った。
「古城さん、通っている間、うちで働かない?事務の子が結婚で辞める事が決まっちゃって」
「うちだって結婚してますよ」
「そりゃあ知ってるわよ。その子、続けるつもりでいてくれたんだけど、新郎くんが転勤決まってるからって引き止められなかったのよ。古城さん、市役所の窓口とかやってたなら大丈夫だと思うし。手が足りないの。助けると思って是非」
松代さんも奥さんの礼子さんに加勢した。
「礼子もたまにはいい事を言うなあ」
「あなた?たまに?」
「うそ、うそだよ。礼子さんあっての松代自動車学校じゃけ。助けると思うて手伝ってつかあさい。これは僕からのお願いでもある。なんなら古城の奴を説得しても良い」
「それはちゃんと自分で言いますから。また夫と相談してご返事させて頂いていいですか?」
「もちろん。いい返事待ってますけ」
その日の夕食の後、うちは松代さんご夫妻から事務の仕事を手伝って欲しいと言われた事を伝えた。
「ちょっとチセさんの家事の量がはみ出そうやなあ」
うちは流石にダメかなと思いきやそうではなかった。
「わしが担当する家事を増やしていい塩梅になるようにしようか。そうすればチセさんも働きに出ても大丈夫やろうし」
「え、いいんですか?」
松代さんには次の教習の日にお会いして「お受けさせて下さい」と伝えた。
そして免許を取るまでの約束で運転免許の教習と座学の合間に受付事務の仕事をするようになった。
確かに市役所の窓口の仕事と似ている。教官の人達とも仲良くなれて教習も厳しいながらも親切に教えてもらえるようになった。
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