1960年秋(3/4)
伯母さんと台所に行って月見団子の用意をしていた時に右ひじで私の左脇が軽くつつかれた。
「いい人じゃないの。年齢がちょっと上かなとは思うけど」
「いや、だから伯母さん、そんなの分からないよ。職場の隣の部署の上の人というより気の合うお友達かなと思う事はあるけど。だから誘って頂いてるだけだと思うし」
そういったんだけど伯母は微笑んでそれ以上の追求はして来なかった。
お月見は応接間の縁側で行った。満月が南東方向の空に君臨して夜空を、地表を照らしていた。
ゆっくりと日本酒を呑みながら見る月夜はとても美しかった。
もうこの頃には言葉もさほど必要としなかった。
ただただ美しい夜空を愛でながら時折言葉を交わしつつお団子を食べたり酒を酌み交わしたりした。
23時前、「そろそろお暇しないと」と彼が言った。
「もうそんな時間でしたか。楽しい時間は早く過ぎるもんですな」
そう言いながら伯父さんと伯母さんは玄関で彼を見送った。
「また是非来て下さい、古城さん。チセから招待させますから」
「ほんと。久しぶりににぎやかな夕食になって良かった」
と伯父さん、伯母さんが言った。
「いや、こちらこそご馳走になって恐縮です。たいした店は知りませんがまた呉か広島で私の方からご馳走させて下さい」
古城さんも楽しめたようだった。
伯父さんと伯母さんが彼の事をよく思ってくれた事をうれしく思った。
バス停まではうちが一緒に送って行った。
「今日は来てくれてありがとうございました」
「いや、こちらこそ大変歓待頂いたので本当にごちそうさま。牛タンの塩釜焼は初めて食べたけどとても美味しかった。作り方を教わりたいな」
そういえば古城さんは一人暮らしが長く自分で料理もする人だった。
うちはわざと怒ったふりをして見せた。
「それは教えん」
「えーと、それは何故?」
「他はともかく牛タンの塩釜焼はまたうちが作りますから。古城さん、人の一番の得意料理を教わろうというのはダメです」
「じゃあ、またチセさんの腕を楽しみにしてます。けどね、食べて作り方を盗んでみるのはいいよね?」
彼は笑いながらそう返してくれた。
バス停の近くに空き地があった。二人でその前を通りながら空き地を少し眺めていた。
「ここは?」
「最近引き払われて更地にされちゃって。売りに出てるんです。でもここって見晴らしはともかく他が不便でしょ。中々買い手がつかないみたいで」
「なるほど。勿体ないね。こんなに素晴らしい眺望なのに」
バス停に着いた。ほどなく呉市内へ戻る最終バスがやってきた。
「じゃあ。また明日。お休みなさい、チセさん」
そう言うと彼はバスに乗り込んだ。
「古城さん、今日はありがとうございました。また明日!」
うちも手を振って呉市内の自宅へ帰る彼を見送った。
そしてようやくある事に気付いた。
彼がうちの事を名前で呼んでいたのだ。「チセさん」って。
顔が真っ赤になった。
そして自分でも意外なほどにそれがうれしかった。
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