1960年春(4/5)
この日は幸い残業もなく定時で仕事が終わった。
女子更衣室で着替えると守衛の人に挨拶して通用口から外へ出た。
夕暮れの空がきれいだなと思っていたら後ろから声を掛けられた。
「尾見さん?」
会計課の古城係長だった。ちょうど仕事が終わって出てきたらしい。小走りで来たのか少し息が荒かった。
「今日は本当に悪かった。うちの連中、ちょっと短絡的でなあ。早く気付いていれば止めたのだが」
「いえ、古城さんは悪くないと思いますけど」
むしろさっさと解決してくれたし。
「お詫びの印に良かったら珈琲でもご馳走させてもらえないか」
そう言われて市役所から少し離れた場所の喫茶店へと連れて行かれた。
別についていく必要はなかったと思うんだけど、この変わった人に興味があったから後をついて行った。
その喫茶店は本通りの方にあった。
一本横道に入ったところの小さなお店だった。ものすごく見た目は普通。
「職場の連中には教えてない喫茶店があってね。ちょっと離れているからまず来ない。そして珈琲は美味いから教えるのが惜しい」
この人はそんな事を言う。うちはそんなに珈琲は好きではなかったんだけど。
店の人が無愛想に、でも丁寧に出してきた珈琲を口にした瞬間、思わず
「美味しいです」
と言ってしまった。
「来てもらった甲斐があった」
そういって古城さんは微笑んでいた。
「この店は英軍さん相手に商売していた人がやっていて、何故か紅茶じゃなくて珈琲を極められてる」
奥から無愛想な店のマスターが口を挟んだ。
「古城さん、別に英軍さんだってコーヒーは飲むからな。コーヒーがとても好きな基地司令さんがおってローストから研究させられた成果だ。ま、彼らは紅茶はもっと好きな人が多いけどな」
二人の会話を聞きながらチセはもう一口珈琲を飲んだ。
「ほんと、美味しいです。珈琲って苦いだけだと思っていたから」
「そう言ってもらえるとうれしいねえ」
美味しかったのでもう一杯頼んでしまった。
マスターはニコニコしながらサイフォンをアルコールランプにかけた。
「尾見さん、本当に今日は申し訳なかった。調べ方が悪いだけだし、そもそも金庫の中になきゃ他にあるぐらい考えるべきだったんだが」
「いえ、私も二人が書類を倒してしまっていたのを前の夕方に見ていたからすぐ見当がついただけですから」
「いや、尾見さんは色々とちょっとした問題をすぐ解決してくれるって聞いてるけどなあ。今日のは流石やと思うたよ」
それは横手さんから聞いてるんじゃないかと疑った。
そもそもあの子が入った時に騒動を起していてそれをうちがたまたま解決してあげただけなのに。
その後あの子は何かあるとすぐうちを巻き込んでくるようになった。
「それ、誰から聞きました?」
「……尾見さんの所の女の子だよ。よ、横手さんって言ったっけ。とても口数の多い子。今日も尾見さんをうちの連中が会議室に呼び出した時、他の用事で別の階に行っていたんだが、席に戻ったら会議室でなんやら封筒行方不明事件の打ち合わせをしているというから行こうとしたら彼女に声を掛けられてな。尾見さんが呼び出されたって聞いて慌てた。違うと思っていたからね」
「やっぱり」
「?」
「いえ。横手さんは勝手な事言ってるだけなんですよ。彼女が変なトラブルに巻き込まれたり目撃したりするとなんでかうちが巻き込まれてしもうて」
「頼りにされてるね」
いや、先輩を便利使いしている厚かましい後輩が一人いるだけですから、古城さんって思っていたら彼は続けていった。
「他の部署からも尾見さんからヒントとかもらったとか、謎解きなら尾見さんに聞けとか話は聞いているよ」
ああ、そういうの全部横手さんが絡んでる事じゃないかなあ。
いろいろと尾ひれがついてそうだし。
言っても中々理解してもらえそうにないので説明は諦めた。
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