1960年春(1/5)
呉市庁舎は最近竣工したばかりのまばゆいばかりの近代高層建築だ。
うちが高校を卒業して市役所に就職した時にはまだ計画の段階で建ってなかったけど、無事西日本でも有数の市役所庁舎と市民会館が出来上がり、町の人も中で働く私たちにも自慢の建物になった。
実際、建築の専門誌にも特集ページが組まれたとかそんな話も聞いた。
そうはいっても働いているうちらは以前通りなのでやる事にかわりがある訳ではなかった。ただ新しい目映い建物で働けるのは気持ちの良い事ではあった。
閉庁時刻前、1階フロアでは書類を所定の棚に戻したり収納した金銭を金庫に戻して確認するといった作業が各部署で行われていた。
向かい側の会計課では若手の徳田主任と2年目ぐらいの女子職員が親しげにその作業をしていて、誤って書類の山を崩して大慌てで、でも笑いながら片付けていた。
そんな向かい側の様子を見ながらうちは自分の仕事の片付けをしていた。今日は家の夕食炊事を作る日だったのだ。
すると課長が側にやってきた。嫌な予感しかない。
「尾見さん、ちょっと」
結局、この日はうちがその部屋で一番最後に仕事をあがる羽目になった。
課長の指示で急な残業仕事を押し付けられ1時間以上遅くなってしまったのだ。
1階の最終退出者になったので窓の施錠確認をしてドアをしっかり施錠した。
更衣室で大急ぎで着替えると通用出入り口の守衛のおじさんに声を掛けた。
「市民課の尾見です。私が最後だったので」
そんな事を言いながら壁掛け時計を見た。7時20分。鍵の管理簿に時刻と名前を書き込んだ。
「尾見さん、また残業させられたの?」
「うちの仕事ではなかったですね。しっかり付けるからいいですけど」
「それはそうしたほうがええわな。お疲れ様でした。気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
大慌てで市営バスで家に帰ると幸いおばさんが「残業だったのでしょ」と言ってご飯やみそ汁は作っていてくれていたので助かった。
サッとおかずだけ作って伯父さん、伯母さんとの夕食となった。
「また課長にいない人の担当分の仕事回されて残業になったわ」
伯父さんは溜息。うちの上司の課長とは現役時代あまり仲が良くなかったのだ。
「すまんな。チセ」
「別にタダで残業させられてる訳じゃないから気にしないで」
うちが市役所に勤めているのも伯父さんの伝手だった。
そういう人のつながり、しがらみで多少のいざこざはある。
うちの課長の場合、叔父との関係とうちが古手の女子職員だから便利使いされているという自覚はあった。そういう時代だったから気にしても仕方ない。
伯母さんが朗らかにお箸の手を止めて聞いてきた。
「あら、チセちゃん。今日のお肉、美味しいけどどこで買ったの?」
伯母さんがうちと伯父さんに気を遣って話題を変えてくれたのだった。
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