et puis

中野あお

第1話 mon amie

 昔から人と話すことが得意ではなかった。できることなら避けたい程度に。それは人見知りというわけではない。見知らぬ人とだけではなく、相手が誰であっても同じだから。

 会話という行為そのものにどこか苦手意識を覚えていることに気が付いたのは物心がついてすぐのことだった。普通に話していてもいつの間にか相手の言葉が聞き取れなくなってきて、最終的には何を言っているのか理解できなくなる。会話への集中が続かないと言ってもいいのかもしれない。


 「話を聞く」ことが苦手だというわけではない。

 教師が一方的に語る授業やテレビを見る分には何も問題はなかった。面と向かって相手と話すときにのみそれが起こる。相手の言う事はわかる。ただ、それに応えようとした途端わからなくなると言った方が正しいのかもしれない。この感覚を言葉にするのは難しい。


 そんな俺を心配した両親に病院に初めて連れてこられたのは小学三年生の時のことだった。他人と会話ができなくて周りから孤立しかけていた俺を医者も発達障害だと思ったのだろう。いくつかの検査をさせられたが結果は異状なし。聴力の検査に関しては悪いどころが良すぎるという結果になった。だが、それで問題が解決するという事はなった。

 他人との意思疎通という点を除けば同年代の子供と比べても人並に、もしくはそれ以上に何事もできたので発達障害ではないだろうという診断を受ける。それが三ヶ所の病院で続いた。

 俺としては親に連れられるがままで何をしているのかあまり理解していいなかったが、ただ言われるがままに、いや、実際に会話をすることは少なかったが従っていた。


 会う人、会う人、皆が同じような反応を示すことには慣れ始めていた小学四年生の秋、柊梨沙ひいらぎりざと出会った。

 彼女と知り合ったのは四件目に掛かった大学病院での医者の紹介によるものだった。正確に言えば、俺の親に同じような境遇の柊の親を紹介したという話である。子供が同じようなことを訴えて会話ができないという悩みを持った親同士を合わせることで解決にはつながらなくても何かしら不安は取り除けるとでも考えたのだろう。


 実際、俺と柊を引き合わせたことは正解だったと言える。親同士が話して解決策が見つかったというわけではないが、意図していなかったところで効果が出た。

 同じ症状を持つ俺と柊がお互いとなら普通に話すことができたのだ。

 ただ普通に人と会話が続けられる。そのことが俺にとって、俺たちにとってどれほど衝撃的なことだったかということを普通の人にはわかってはもらえないだろう。他の人と話すという楽しみを感じたことがなかった俺たちは、今までの十年間を埋めるように話し続けた。

 昨日見たテレビのこと、学校のこと、漫画のこと、自分のこと。今まで話したかったことをすべて吐き出すかのような勢いで会話が溢れてきた。放っておいたら朝から晩まで話していそうだったと親は振り返る。

 年齢こそ同じだったものの学校が異なる俺たちは会えても週に二日ほど。その間は以前と変わらず、依然孤立気味。それでも彼女と話すことを楽しみに過ごす分だけ気が楽だった。医者もようやく普通の会話ができる俺たちをなるべく合わせるように親に言っていたらしく、お互い両親は協力的であったことも仲を深めていく手助けになった。


 親たちの思惑がどうであったかは当時の俺たちにはあまり関係なかった。他人と話したいという気持ちを始めて感じて、それに突き動かされるがままに会話をしていた。そこには友達だとか男女だとかを超えたものがあり、最初のうちは言葉のキャッチボールと呼べなかったかもしれないが回数を重ねると会話へと成長していった。

 相手が何を伝えたいのかということを言葉の抑揚や相手の表情から感じ取るということを覚えたのは柊との会話の中だった。そして、普通に会話ができない俺たちにとって他人と会話するということが何よりの治療だったのだろう。



「ねぇねぇ、聞いて、聞いて。」


 俺の顔を見ると柊はきまってそう言って近づいてきた。病院で会う時には廊下を走って来ては看護婦さんに注意されることも度々あった。今日みたいに公園で会う時には誰にも咎められないので全力で走って来る。

 顔を合わせる挨拶もなしにと話し始める俺たちを親たちは少し後ろから眺めている。


「どうしたの?」

「今日学校でね、寧々ねねちゃんって子がね―」


 おそらく今日ずっと話したいと考えていたであろうことを楽しそうに語る。親ではなく俺なのは、自分の話したいことを最後まで伝えられるがお互いだけなのだから当たり前なのかもしれない。

 会話の特徴は他愛もない内容が大半を占めていること。


「―ね。変でしょ。」


 そして、きっと学校での数少ない友達には話すことができない長い内容であること。


「面白いね。」

「そうでしょ。ゆう君は何か面白いことあった?」

「昨日なんだけどね―。」


 今度、柊に会ったら話そうと思っていたことを俺も話す。

 だが、その話が終わる前に屈託のない笑顔を見せたまま、彼女は俺の手を引いてどこかへ向かう。

 公園に来ても俺たちは遊ぶというよりも話していることの方が多かった。せっかく広い公園にやって来ているのにと父親は笑っていたこともあったが、体を動かすよりも柊と話すことの方が楽しかったのだ。


「こっち、こっち。」

「梨沙ちゃん速いよ。」

ゆう君が遅いんだよ。」

 小学校の高学年になると女子の方が成長は早く、この頃には柊は俺よりも背も高く、身体能力も高いように思えた。

 わざわざ親から少し離れたところのベンチに着くと、そこに座り、隣に俺を促した。


「さっきの話聞かせて。」

「何の話だっけ?」

「運動会のお話。」


 相手の話を聞き、それに対して応答をする。そんな当たり前のことができる相手が限られている。

 俺たちはそういった意味で運命の相手であった。



 彼女と楽しい会話をするようになってから俺には少し変化が見られた。親と会話できる時間が増えたのだ。それは親の時間的余裕が増えたとかそういったわけではなく、俺が親との会話に集中してられる時間が増えたのだ。自覚はなかったがそう言われた。

 親以外との会話においてはあまり変化が見られなかったのは「親しい人」との会話を覚えただけだからだろうと考えられていた。

 同様の効果が柊の方にもでていたようで、俺たちが会話するという事がより一層推奨されることとなった。

 もちろん当時の俺たちにはそんなことを気にするような頭はなく、大人たちの事情や思惑など露も知らず、ただ生まれて初めて友達と呼べる相手ができたことが嬉しくて、まだまだ新鮮な会話というものを楽しんでいた。

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