第19話

「福山君、背景の画像はどうしたらいい?」

「表の世界の背景は、近所の写真を撮ってそれを簡略化して絵に落とすやり方でいい。本の世界の方は……専用の資料がいるな。ヨーロッパの古い街並みとかが載ってる資料」


 順調だった吉川さんは早くも立ち絵の作業を終え、背景に入った。

 本の中、本の外、イベント画像と種類はあるものの、実質この作業で吉川さんの仕事は終了である。この分だと夏休み前には終えられそうだ。


「イメージ的にはかなり風化が進んでいて塗装とかもない石造りの建物。その代わりに草花で装飾された家……って感じかな」


 とはいえイメージはあくまでイメージである。具体例なしにイメージを伝えるのはかなり難しい。となれば資料の中で一番イメージか近いもので妥協するしかないのだが。


「ヨーロッパですか、分かりました。実家にそんな本があったと思うので探してきます」

(あるんだ……)


 実は吉川さんの親も絵描きの関係者だったりするんだろうか? でなければ街並みや風景の資料なんてまず持ってないと思うのだが。


(と、とにかく早めにイベント画の絵コンテにも入らないと……)


 しかし今やっている仕様書作りはまだ半分と言ったところだろうか。どのシーンをイベント画像にするのかもまだ決めてないし、まだまだやる事は山積みだ。絵コンテが遅れたらその分吉川さんの作業も遅れる。監督としてそれだけは避けたい。


(他に懸念事項と言えば……)


 吉川さんは順調。早ければ夏休み前に終わるだろう。佐久間さんは遅れ気味だけど許容範囲。問題は……。

 ちらと、隣に座る少女に視線を向ける。

 昨日確認した限りだと、まだ全体の五分の一と言ったところだろうか。ひと月以上の時間をかけてこの量と言うのは、スケジュール的にはかなり遅れている。頑張ってくれているのは分かるし、書くのは初めてという事でこれまで何も言わなかったが、このままのペースであれば何らかの対応を考えなければならない。

 今日の進み具合を確認してみる。どうやら考えている時間の方が長いようで、見ている間、一文字たりとも進む事は無かった。


(やはり素人に書かせると言うのに無理があったか?)


 以前冗談めかしてメロンに書かせるなんて話をした事があったが、そろそろ本当にそれを視野に入れていく必要があるかも知れない。けれども仮にそうなった場合、花宮さんは一体どう思うんだろう。場合によっては花宮さんを悲しませる事になるかもしれない。

 可能であればそんな事はしたくないし、いずれそうなったとしても今はまだその時ではない。今の僕に出来る事と言えば、そうならないように最大限のサポートをするくらいのモノだった。



「よ……ようやく終わった……」


 たった今作り終えた仕様書を閉じると、そのままテーブルに突っ伏した。

 作り始めて三週間と言ったところだろうか。遅いのか早いのかは分からないが。

 とにかくこれで改めて会長にスクリプトの作業を依頼する事が出来ると言う訳である。後はイベント画のコンテと各種アイコンでも作って僕の仕事は終了だろうか。

 もちろんみんなの相談役は続けるし、仕様書とシナリオの整合性も序盤しかとってないから随時変更もあるだろうが、重要なのはこれでようやく完成の目処がたったと言う事である。

 まだやる事は残っているとはいえ、ようやくひと山を終えられたのは間違いない。

解放感にしばらくテーブルと抱き合っていたが、作業に打ち込んでいる他のメンバーを見ると、いつまでもそうしている訳にもいかない。

 僕は上体を持ち上げてイスに座り直すと、一呼吸の後にオタ研ガールズに声をかけた。


「みんな少し耳を貸してくれ。たった今仕様書なる物が完成した訳だけど……」


 そう切り出すと、三人の少女はまばらに作業を止め、僕に視線を合わせた。僕はみんなの中心に、完成したばかりの仕様書、そのノートを差し出す。


「これは画面やシーンごとに必要なファイルと、ゲーム全体の流れが書かれたモノだと考えてくれればいい。例えばこのノートの一ページ目が、ゲームを起動して最初に立ち上がる画面、その説明になっている。いわゆるトップ画面と言う奴だ。この時流れる音楽が『main』、表示される画像が『Title』という名前のファイルになっている。立ち絵、シナリオはない。トップ画面には『始めから』『続きから』『おまけ』『終了』の四つの選択肢があって、終了を選ぶとゲームは終了、それ以外を選ぶとそれぞれ対応した別の画面が開く事になる。どの画面に移動するかはノートの上半分にイラストと一緒に書いてある。つまりこれがあれば、今から作ろうとしているゲームの『動き』が分かる。ここまではいいか?」


 三人は各々頷いて見せるが、例え分かっていなくても三人の作業には実の所あまり関係が無い。話半分でも構わないだろう。


「で、ここからが本題なんだが、佐久間さんと吉川さんは一度仕様書に目を通して、作成依頼の出てないファイル名が書かれてないか、もしくはその逆。リストにあるのに使われていない曲や画像が無いかどうか確認して欲しい。次にカノが仕様書に書かれているシーンの流れと、今までに書いた分のシナリオとの整合性をチェック。仕様書は今後会長が使う事になるから、会長を呼ぶ前にそこまではやっておきたい」


 画面数とシーン数で実にノート二冊分。丁度いいので原作を選ばせた時のように、佐久間さん、吉川さんにそれぞれ一冊づつ渡してみる。


「二人の確認が終わったら次はカノだ。シナリオの流れは把握しているな?」

「はいです」

「よし、じゃあ次に会長が来たら、今書いているノートは会長に渡して、続きは新しいノートに書いてくれ。会長を呼び出す事も忘れずにな」

「了解です」


 シナリオの進み具合はともかく、これで他の人の作業に影響が出る事は無いはずだ。


「最後に佐久間さんと吉川さん。二人は七月いっぱいまでに担当する作業を終わらせて欲しい。そして八月中に音声の収録とその他の雑用を行って貰う。音声収録の責任者は佐久間さんだ。俺も含めて手の空いている人はどんどん使ってくれて構わないが、その段取りは全て君が決めるんだ。構わないな?」

「え、ええ……」


 音声に関して僕はただの素人。だから佐久間さんに一任するのは妥当かと思ったが……。


(不安そうだな)


 とはいえ彼女は声優志望。声優になったら――もうなっているようなものだけど――いろんなタイプの音響監督と付き合っていかないといけない。今の内にこういうのを経験しておくのもいいかもしれない。と思う。

 さて今後の予定はそれでいいとして、現状一つ悩みの種がある。あまりこんな事は言いたくないのだが……。


「今後の方針についてはそんな所だが、カノ、お前にはもう一つ言っておかなければいけない事がある」

「え……な、何でしょうか?」


 僕の真剣な態度を花宮さんも察したらしい。改まって向き直る。


「今のペースだと正直、九月の学園祭までには間に合わないだろう。ペースをあげるか、そうでなければ他の人に書いて貰う事になるかもしれない」

「そんな……!」

「済まない。だがシナリオを書く事がカノの役割であるように、期限内に完成するように調節するのが俺の役割なんだ。分かって欲しい」

「……はい」


 何となくだが、こうなりそうな予感はあった。文章を書くというシンプルな作業ではあるが、素人同然の女の子が手軽にポンポン書けるようなら誰も苦労はしない。とは言え落ち込む花宮さんを見るのは個人的に辛いものがある、何とかしてあげたいとは思うが……。



 その日、僕らの部室にある訪問者の姿があった。この学園の生徒会長である。

 自分用のノートPCだろうか、それを専用のブリーフケースに入れての来訪。

 部員のみんなは緊張してはいたが、二回目と言う事もあって特に何が起こると言う事はなかった。多少離れているとはいえ、同じ校内。それをわざわざケースに入れて持ち運ぶあたりが会長らしいような気がしないでもない。

 会長はいつもの仏頂面で「ごきげんよう」とブルジョワ臭のする挨拶をすると、迷いのない足取りで吉川さんの隣、以前会長の席と紹介されたイスに移動し、座った。


「ええと……じゃあ作業の内容を説明するよ」


 会長がノートPCを準備する傍ら、僕はUSBメモリを取り出して会長の側に移動。PCが起動したのを確認してUSBメモリ、仕様書、そしてシナリオ用のノートを差し出した。


「とりあえずそのメモリのデータを全部ローカルにコピーしてくれ。中にはフリーのスクリプトソフトと、音楽、画像のダミーファイルが入ってる。使うファイルとゲームの動きは全部仕様書に書いてある。あとは使い方だけど……」


 これの説明が中々面倒臭そうだ。ソフト自体にマニュアルが入ってて、僕はそれで勉強してきただけだけど。


「マニュアルモードと言うモノがあるんですね。それが分かれば十分です」


 まだ言い終わらない内から、会長は早々に説明を打ち切ってしまう。


「えっ、いいんですか?」

「いいも何も必要なものは揃っているのでしょう? あなたも人に教えられるほど使い込んでいるように見えませんし、マニュアルがある以上あなたに教わるのは時間の無駄です」


(嫌われてるなぁ……)


 また効率とか言い出すかもと思って予習してきたんだが、会長にとっては僕に教わるよりマニュアルを見た方が早いらしい。段取りがちゃんとしていれば何も言わない人なのか、あるいはそれだけ僕と接したくないのか。


「ま、まあいいや、シナリオの添削は一応してるけど、他にも見つかったら修正しておいて下さい。加筆なんかは直接カノと交渉してくれて構わない」


 本来であれば監督である僕に話を通すのが筋なんだろうが、この二人に関しては僕が間に入らない方がスムーズに事が運びそうだ。


「ええ、理解したわ」

「そうか、それじゃあ他に何かあったら言ってくれ。後はよろしく」


 説明が不要となった事で、その分の時間が浮くことになった訳だが、監督と言うモノは進捗状況が順調であればある程やる事が無い。いや、現状シナリオが遅れてはいるが、まだ動くようなタイミングではない。必然的に僕の仕事は限られていく訳で……。

 前回と違って会長がスムーズに作業に入ったのが意外だった。意外すぎて拍子抜けしたほどである。

 ……まあそれだけ前回の段取りが悪かったと言う事でもあるか。今はマニュアルを読んでいるのだろう。その態度は至って真摯だ。


(会長だし、渡した分のシナリオ入力はすぐに終わりそうだな)


 それはいいのだが、シナリオが完成しない事にはスクリプトも、後に控える音声の収録も終えられない。周りの作業が進むにつれて、シナリオの遅れが浮き彫りになってくる。


(一体どうしたらいいんだ……)


 いずれにしても、僕が決断を迫られる日は、そう遠く無いような気がした。

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