脱出
ラスが嵌め殺しの格子を切り裂き、銀の髪をなびかせて眼下の整備室へと飛び込んでいく。
驚きの声と怒号は一瞬で過ぎ去り、静寂が生まれた。
準備を終えたムジカは、ロープを使い一気に降下する。
ムジカか整備室内の床を踏んだ時には、研究員達も
「なっ師匠!? なん、なんでここに。それにあいつ、腕から剣みたいなのだして、一気に」
「話は全部あとだ」
ファリンの言葉をムジカは遮るとラスへと向く。
彼は入り口に陣取り、異変に気付いた
酒類は胴体が荷台となっている馬に似た
ムジカは
そして無機物の彼らに向けて、朗々と声を張り上げた。
指揮歌は高く低く、語りかけ響かせるように紡ぎ、ささやき、強制する。
ムジカの声を感知した
それを腰に手を当てて迎え入れたムジカは、ラスに訊ねた。
「ラス、ほかの装置に入ってる子供は生きてそうか」
「半数が生存していますが、薬品によって昏睡状態に陥っています。救助しますか」
「頼む」
ラスは研究者たちの操作を完璧に覚えていたらしく、次々に装置を解放していけば、ぐったりとした子供達が現れた。
入院服のような簡素な服を着せられ、安らかな息を立てていることにほっと息をついたムジカは、緑のアイサイトを向け指示を待つ
「この子供達を運んでついてこい」
一斉に動き出す
「う、歌っただけで、
目の前の状況がうまく呑み込めていない様子のファリンに、ムジカは苦笑して見せた。
「これをお前にばらしたくなかったんだよ」
ファリンは、それで緊張が解けたかのように、急き切ったように話し始めた。
「師匠、俺、おれ……馬鹿だった! 研究所のやつらが実験に付き合ってくれれば、自由に探掘坑内を歩かせてくれるからって、ついて行っちまったんだっ。ほかの奴らもたくさん稼げるって言うからうらやましくてっ」
嗚咽を漏らすファリンの頭をムジカは乱暴になでてやる。
その言葉でファリンが第3探掘坑にいた理由を察したが、いま追求することではない。
「後悔もあとだ。ほかに捕まっている奴らはいるか」
「俺が入れられたとこは大部屋で、あと20人くらい居るよ」
「案内しろ、ファリン。追っ手が来る前に逃げるぞ」
「うんっ」
ムジカ達は子供を抱えた
行き当たりばったりとなってしまったが、ムジカにはどうしても見捨てられなかった。
「ラス、馬鹿なことをしてると思うか」
「不合理、であると考えます。未熟な個体を多数引き受けることは大変にリスクを伴います」
「だよなあ」
道すがらラスに問いかければ、予想通りの答えが返ってきてムジカは苦笑する。しかしラスは淡々と続けた。
「ですが蛙型の前にためらわずに飛び込んだ、ムジカらしい思考だと考えます」
「なんだよそれ、けなしてるのか」
「事実です」
ラスの軽口のような言葉がおかしくて、ムジカは笑いをかみ殺した。
幸いにもファリンの道案内で無事にたどり着いた軟禁室には確かに十数人の子供が居た。全員大きくとも10を1つ2つ超えているか、という年齢層だ。
胸くそ悪さを押し殺して、ムジカはまだ状況を把握できていない子供達に向けて語る。
「ここで死ぬかあたし達についてきて地上に戻って生き延びるか。今すぐ選べ」
彼らの血色はそれなりにいい。栄養のある物を食べさせてもらっていたのだろう。ここに残ろうとする子供も居たが、
比較的スムーズに話が進んだと思ったが、それでも遅かった。
ラスが
舌打ちを一つしたムジカは、背嚢を降ろして武器になるものを次々ととりだしていく。
「しかたねえ、ファリンこれとこれとこれ、使い方は分かるな。レバーを押したりピンを引き抜いたりすると、4秒後に爆発する。いつも遊んでるスリングと併用しろ。あーナイフもあったほうがいいな」
「え、え!?」
「いいか、行き先は全部この
ムジカが証拠を探すためにどこの探掘坑へ潜るかは知らせていない。だが彼が自分の言葉を守るのなら、悪いようにはしないはずだ。
手投げ弾やナイフを山ほど持たされたファリンは目を白黒させながらも、我に返って叫んだ。
「師匠はどうすんだよ!」
「あたしは、あんた達が逃げるための時間を稼ぐ」
「でも、だけど……」
目に後悔やうしろめたさが混じるファリンの葛藤を断つために、ムジカは乱暴に笑って見せた。
「てめえら足は鍛えられてるだろ?
ムジカが挑発するように言えば、ファリンをはじめとする子供達の瞳に力が宿る。
「……当然だ。師匠がなにかする間もないくらい逃げ切ってやる。スラム暮らしなめんじゃねぞ」
「その意気だ。行けっ!」
ムジカが叫んだ瞬間、
子供達を向かわせた方向は生体反応が少ない方向だ。あとはこちらで引きつければ大丈夫なはず。
生かしておいたのであれば、そうそう殺されることはないだろうと希望的観測をして、ムジカはこちらにやってくる警備型の
恐怖に支配されるのは愚の骨頂。ならば虚勢でも口元には笑みを佩くのだ。
「ラス、とびきり派手に暴れよう。あいつらに注意が行かないように。あたし達は真逆の方向から出るぞ」
「了解です。ルートを選出します」
そしてラスが飛び出すのと同時にムジカは再び声を張り上げた。
ムジカの指揮歌によって一時的に味方にした
走って歌い、歌って走り、追っ手を振りきってたどり着いたのは、地下にあるとは思えないほど広々とした空間だった。
天井がかすむように小さいそこは、いくつもの通路の中間地点になっているようで、一部の通路には線路のようなレールが敷かれており、上階まで行けるように壁には昇降機がいくつも取り付けられている。
ムジカはその壁際にある枠だけしかない昇降機に転がり込んだ。
足下で
「大丈夫ですか、ムジカ」
「だい、じょう、ぶ。くっそ、まじめに練習してなかったからな、きつい」
歌いすぎで喉がひりつく。
ただでさえ、指揮歌は普通の歌唱とは異なる。体力以外のものを削られるような心地がするのもおそらく気のせいではない。
背嚢から取り出した水筒を空にする勢いで仰いだムジカは、今度から喉を鍛えることを心に誓う。
「これで、地上に上がれるか」
「はい。上階まで上がれば分岐はありませ――」
がくんと、床がかしぐ。
瞬間、ムジカはラスに抱えられていた。
昇降機の網を切り裂いたラスは、そのまま外へ飛び出す。
内壁を火花を立てて削りながら昇降機が落ちていくのを見送る間もなく、ムジカはエーテルの翼で上昇するラスへとしがみついた。
何があったのだ、と顔を上げればすぐに理解した。
「よう、
上階からこちらへと飛び込んでたのは、
確かに自分を拉致した男だと認識したムジカだったが、襲われている状況も忘れて叫んだ。
「てめえ変わりすぎじゃねえか!? というか何で空飛べるんだよ!!」
鉄腕ヴァルの右腕が倍以上太いのは以前見たとおり。だがあくまで普通の範疇に入っていたはずの男の両足は様変わりしていた。
無機質なふくらはぎからせり出しているのは小型の推進装置で、エーテルの緑の光が蒸気のように噴射されていた。その推進力で虚空に浮いているらしい。
ムジカに叫ばれたヴァルは、意外そうな顔をして律儀に応じた。
「何言ってんだよ、義足なんだから壊し合う相手に合わせて変えるのは当たり前だろうが。ほらいくぜぇっ」
「そんなでたらめがあるかぁ!?」
言い返しかけたムジカは、急加速するラスにしがみつくしかなくなった。
「くそう義肢の付け替えは確かにできるけど、義肢に慣れるのに数ヶ月はかかるもんだぞ!? こんな戦闘行動できるわけないだろ!」
「ムジカ舌をかみます」
ムジカが悪態をついている間に、ラスはエーテルの翼を大きく羽ばたき身をひるがえした。
瞬間、ヴァルが片腕に構えた巨大なエーテル銃を連射し始めた。
雨のように降り注ぐエーテル弾にムジカは顔を引きつらせたが、ラスは紙一重でかわし飛翔する。
エーテル弾を翼にかすめつつもヴァルを追い抜いたラスは、上階へとたどり着いたとたん、ムジカを下ろした。
「制圧してきます、ここで待機を」
「できるのか」
放心しかけたムジカがそれでも声を上げれば、ラスはいつも通り淡々と応じた。
「あの機体の性能は変更されていますがある程度把握しています。そしてやられたら倍返し、とおそわりました」
「ぷっ、そのとおりだ! 行ってこい」
思わず吹き出しながらも、ムジカは叱咤して送り出す。
再びエーテルの翼で飛び立ったラスは、鋼鉄の四肢を持つヴァルと対峙した。
奇襲を仕掛けてきた割に、律儀に待っていたらしいヴァルは虚空に浮かびながら、気楽に腕を回している。
「この間えぐった腹は元通りか。
「ムジカと俺に対しての脅威は排除します」
「一度負けたくせに大口叩くなあ? 背にかばったお姫さんに従うしか能がないやつが」
ヴァルの言葉は心底馬鹿にして、こちらを侮っているように思える口調だったが、ムジカが垣間見たまなざしは一切の油断がなかった。
明らかな挑発に、ムジカはラスが構わず攻撃を仕掛けると思ったのだが、意外にもラスは応じた。
「……このような状況に、適切な言葉があります」
そして、ラスは中指を立ててこう言ったのだ。
「かかってきやがれくそ野郎」
挑発し返されたヴァルは虚を突かれたように目を丸くした後、凶悪に笑った。
「へえ、ただのお人形だと思っていれば、上等だこらあああ!!」
たちまちエーテル光を散らしながら二つの影はぶつかり始めた。
すでに全く目で追い切れない応酬に、ムジカはあきれにも似た笑いを漏らす。
「あいついつの間にあんなの覚えたんだよ」
どんどんおかしな方向に染まっている気がして複雑だが、それでも自律兵器であるはずの彼が変わってゆくのだと愉快な気分だった。
あの間にムジカが入り込む余地はない、ならば身の安全を確保することが一番だ。
広々とした通路を突き進もうとした矢先、通路の脇からエーテル銃で武装した人間たちと、獅子型の自律兵器たち。そして顔見知りの人間が
そのうちのひとり、白衣を羽織り研究者然としたアルーフがムジカに向け手を上げる。
「やあ、ミスムジカ。約束よりもずっと早い来訪だったね」
嫌に朗らかにあいさつをされても、ムジカは応じることができなかった。
なぜならば、アルーフの隣にいる上等なフロックコートを着た壮年の男に意識を奪われていたからだ。
予感はしていた。しかし、できれば杞憂であってほしかった。
「オズワルドさん……」
バーシェの市民院の議員、オズワルド・バセットがそこにいた。
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