拉致

 


 午後、許可を得てラスを早引けさせたムジカは、統括役であるウォースターとの打ち合わせを終えて帰路についていた。

 時刻は夕方、すでに下層の通りは暗くエーテル街灯がそこかしこで灯っていた。夜に出歩くのはムジカも遠慮したかったためありがたい。

 もちろん銃をちらつかせればだいたい問題ないのだが、それを強奪しようとする不届き者も居るのである。

 奇械アンティーク自律兵器ドールももちろん怖いが、人間の怖さも骨身にしみているムジカだった。


 久方ぶりに人の出歩く時間に帰宅できることに足取りも軽く、レンガをくみ上げたいびつな高層建築が影を落とす大通りを歩いて行く。

 街頭に立つ、胸元が大胆に開いた派手なドレスを着た少女たちは努めて見ないようにする。だが、ふとムジカは立ち止まった。


「なんか、子供が少ない……?」


 鉄馬車駅につながる大通りには、この時間でも花売りの少女やくず拾いの子供などが大人に交じって働いているものだ。

 しかし、今日はいつもより少ないように思えた。


「いや、今日だけじゃねえな、ちょっと前から変だった」


 理由は何だ? 思案しつつ歩いていていたムジカは、ちりちりと首筋の産毛が逆立つような感じを覚えた。こういうかすかな違和を無視してはいけないと、ムジカは経験則で知っていた。 

 歩幅は変えず、周囲の気配を探る。

 背嚢が軽いのは助かる。ラスが居ないことは心もとないが、こういう事態はムジカにとっては慣れたことである。

 なにせ明らかに探掘帰りとわかる大きな荷物と装備を持った少女なのだ。

 装備の一つ一つが金になる上、遺物でも持っていれば最高。ついでにおいしい思いもできるかも知れないという、一粒で何回も甘い品がムジカだ。

 ラスが隣を歩くようになってからはぱたりとなくなったが、それ以前は週に1度は頭の悪いごろつきに狙われていた。

 なんとなく感じる視線が、確認できただけで3人分。

 このあたりはすでに自分の知っている区画のため、いくらでも逃げようはある。


 だからムジカは、橋の一つにさしかかったとたん、その欄干から身を投げた。

 慌てて手すりに駆け寄ってくるのは制服姿の男達だ。


「はあっ!? 公認探掘隊!?」


 予想外の相手に後ろ向きに落ちていたムジカは目を剥きつつも、適当な壁を蹴って、落下の勢いを殺す。

 そして物干しひもをたぐって着地したのは、別の道路だ。

 遺跡にへばりつくようにいびつに建物が建っている関係上、建物の上に道路が通っていることがこの街での常識だ。

 こういった道路を渡る橋、というのもそこかしこに存在しているのだった。

 怒声をあげながらも探掘隊の男達が迫るのを無視して、ムジカは走り始めた。

 追っ手を妨害するために、手近なゴミ箱や荷物を転がしておくのも忘れない。

 駆け足程度であればムジカは荷物があっても一時間以上は走れる上、地の利が違う。


「というか、なんでいまさらあいつらが追ってくるんだ!?」


 ムジカが探掘隊とやり合ったのは、ひと月以上前である。

 こちらに非があったとも思えないため、逆恨みにしても追われる理由がわからなかった。

 ともあれ家に着く前に絶対まけるだろうと、完全に姿が見えなくなった探掘隊の制服にほっと息をついて、路地を曲がったところで足を緩める。

 家からはそう遠くはないものの、逆方向だから戻らなければいけない。


 厳しく目をすがめ、ムジカは腰からナイフを抜いて振り返った。

 さすがにエーテル銃をぶっ放して殺しでもしたら、罪に問われるからだ。

 だが構えた後ろには誰も居ない。


「いい反応だ。軍人でもそうはいかねえ。女にしておくのが惜しい」


 低い男の声でざっくばらんに話しかけられ、ムジカは背後に向け直して、目を見開いた。

 なぜ、ここまで接近されて気づかなかったのかわからないほど、大きな男がそこに居た。

 探掘隊の制服を無造作に着崩し、傷が刻まれた巌のような顔立ちに人なつっこい表情を浮かべている。

 大きな熊を思わせるその男に、だがムジカは全身の警戒を緩めずナイフを構えたままだった。

 軍人というよりも傭兵といった雰囲気だったが、驚くほど存在感がない。

 手にも腰にも何も武器らしきものが見当たらないのが不気味だった。


 ムジカの対人戦の腕は護身術程度である。

 それでも探掘屋シーカーの一人に仕込まれた護身術は何度も身を助けてくれたが、ここまで接近された時点で、男がムジカよりも数段上の実力を持っていることは明白だった。

 動揺を無視やり押し殺したムジカは、ナイフを構えたまま問いかけた。


「人をつけ回して、なんの用」 


 するとますます男は愉快げに笑みを深める。


「判断能力も優秀。ほんと惜しいな。まあ、アルーフに目をつけられた不幸を恨めよ」


 アルーフ。イルジオ風の名前だ。

 一体誰だと考えたとたん、目の前の大男が動く。

 ムジカは迷わず、一歩踏み出した。

 自分より大きなものばかりを相手してきたため、対処法はわかる。

 全力で姿勢を低くして上から来る腕をよけ、膝を狙った。

 相手がよけようと体勢を崩せばそれで十分。脇をすり抜けて逃げられる。

 ナイフで一閃すれば、間違いなく痛みにひるむ。

 致命的な傷にはなりにくく、だが再び追いかけるには難しい場所だ。

 男の足は動かなかった。


 キンッと、硬質な手応えにムジカは驚いた。

 人間の足ではあり得ない金属音と、何よりこの手応えにはなじみがありすぎる。


「悪いな。ナイフは通らねえんだ」


 一瞬の動揺が命取りだった。

 男の声が響き、傷つけ損ねた膝が振り抜かれ、ムジカのみぞおちをえぐる。

 ムジカは強制的に息を吐かされ、汚い路地裏を転がった。

 ナイフが手からこぼれ落ちる。

 蹴り上げられた強烈な痛みにうめきながらも、近づいてくる男の裂けたズボンから見えたのは、人の肌ではなく金属のなめらかな質感だ。

 力を振り絞って動こうとしたが、男に首筋に手をかけられる。

 だが、ポーチに手が届いた。


「ちょいとついてきてくれや」


 これは、拉致って言うんだと、ムジカは遠のく意識の中で考えたのだった。




 *




 豪奢な部屋だった。

 窓には重厚なカーテンが優雅にドレープを成し、美しい壁紙が張り巡らされている。外は寒さが忍び寄るようになったにもかかわらず、室内が春のように暖かいのは、暖炉の代わりにエーテル動力のヒーターが常時熱をもたらしているからだ。

 高い天井には煌々と明るいシャンデリアがぶら下がり、板張りの床には鮮やかな絨毯が惜しげもなく敷かれていた。

 そして広々とした部屋の中央には生花が飾られた長テーブルが鎮座している。その椅子の傍らでムジカは立ち尽くしていた。


『ドウゾ、オ座スワリクダサイ』

「いや、もうちょっとまって」


 綺麗な紺のワンピースと白いエプロンを身につけた、使用人型奇械アンティークに椅子を勧められているが、ムジカはそれを曖昧に引き延ばしていた。

 そんなムジカの服装も倒れたときとは全く違い、大量のフリルとレースによって彩られた一目で贅沢だとわかるドレスだ。

 コルセットで締め上げられた腹は苦しく、結い上げられた金茶の髪は整髪剤をつけて整えられたせいで重い。さらに桃色というのがなんとも少女趣味で、鏡で見た時は何の仮装かと思ったほどだ。ムジカの機嫌はマイナスにしかならない。

 気を紛らわすために見上げた先には、美しい少女の絵画が飾られていた。

 ムジカと同年代で、もう少しムジカの髪を明るくしたような金の流れが美しい。

 この絵画の少女であれば、似合うのだろうが。


 ムジカはこの屋敷の一室で目覚めたとたん使用人型の奇械アンティークによって服を剥かれ、湯殿で体を磨かれたあげくこの衣装を着せかけられていた。

 奇械アンティークのスムーズな動きは状態の良さを伺わせ、高く売れそうだとやけのように考えたものだ。

 装備をすべて取り上げられればムジカになすすべなどなく、されるがままに身支度を整えられ、この部屋に放り出され……もとい、案内されたのだった。


 ここはカーテンを閉められているが、廊下を歩いてくる間に見えていた窓の外は暗かった。それほど時間は経っていない様子だから上層部にある屋敷だろうとは思ったが、それ以上のことはわからない。

 この部屋へ歩いてくる間にも、いくつかの奇械アンティークがおり、こうしてかいがいしく世話を焼こうとする使用人型がいるため、逃げ出すことも難しかった。


 椅子に座るしかないか、とムジカが思いかけたとき、重厚な扉が開かれる。

 現れたのは、見るからに上流階級の男だった。仕立ての良さそうなズボンに、シャツ、ジャケット。明るい色合いの髪を綺麗になでつけていた。

 少し砕けた装いだったが、いつもムジカが見る労働階級の男達よりは断然品が良い。だが、バセットとはまた違った品の良さだ。

 あまり貴族に縁がないムジカだが、どこか貴族と言うよりも医者や研究者のたぐいのような気がした。

 警戒しながら見つめていれば、上流階級の男は嬉しげにほほえみながら歩いてきた。


「やあ、会えて嬉しいよ、ミスムジカ! まずは食事にしよう。座るといいよ」


 イルジオなまりの、少々気取った発音だった。

 これほどまでに友好的に声をかけられる理由がわからず、ムジカはますます警戒に顔をこわばらせた。

 だが、名前を知られている。どんなに理不尽な扱いに腹を立てても、ここで責め立てるのは無駄でしかない。相手の目的を知るのが先だ。

 だからムジカはゆっくりとコルセットで苦しい中でも呼吸をして、言葉を発した。


「あーミスタ。あたしはあんたを知りません。なのにあんたがあたしを知っているのは不公平じゃないか」

「ふむ。それもそうかな。僕はアルーフ・グレンヴィル。元イルジオ帝立喪失碩学研究所所長なんて肩書きがあったけど。君にわかる表現を選ぶのなら政府公認探掘隊の統括役ってところかな」


 あっさりと身分を明かした男アルーフだったが、ムジカはその口調に少々いらだちを覚えた。

 確かに前者の肩書きはわからなかったが、上からの物言いがなんとも鼻につくせいだろう。

 しかしながら公認探掘隊の責任者とわかり、ムジカはなんとか自分との接点がわかり警戒を強める。


「探掘隊のお偉いさんが、あたしに何のようだ」

「そんなに警戒しなくてもいい。僕は君を歓迎する。あの蛙型を倒した君にね」


 妙にその言い回しが気になったが形にはならず、ムジカはじっとりとアルーフを見上げる。


「なんでそれを」

「さあ夜は長い。食事をしながら語ろうじゃないか」


 唇を弓なりにするアルーフの傍らに使用人型が進み出て、椅子を引き出す。


『オ客様、オ座リクダサイ』


 今度こそ、ムジカは黙って座るしかなかった。

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