~It‘s a MAGICAL WORLD~
夢を見ていてた。
記憶というには曖昧で、記録と呼ぶには朧げで。
どうしたって思い出せはしないのに、そのくせ余韻だけは残ったイメージのかけら。
だからたぶん、それは夢。
俺は夢を見ていた。
真っ黒な場所だった。
一寸先も見えない深い深い闇。
質量も濃度もともなわない、ただの闇。
暗いとも怖いとも思わなかった。
熱くも寒くも感じなかった。
窮屈でもなかったし、かといって快適というわけでもなかった。
というよりも、何でもなかった。
何もないじゃない。
何でもない場所だ。
場所とはいったものの場所ですらなかったかもしれないし、そんな場所ですらない場所という表現でさえ、なんとなく不適切なような気がするくらい、とにかく何でもない。
俺自身が何者でもなかったのと同じくらい、そこもまた何物でもなかったということなんだろう。
ともあれ、俺はそこにいた。
小さな体を、さらに小さく縮め。
深い闇を、一層深めるように目を瞑り。
朝を待ちわびるでもなく、夜をやり過ごそうとするでもなく。
闇に抱かれ、闇にくるまれるようにして。
ただ静かに、静かに、眠り続けていた。
これは眠っている俺が見ている夢なのか。
それとも眠っている俺を見ている夢なのか。
正直、定かじゃない。
終わりのようで始まりのよう。
すべてを失ったようで、すべてをこれから獲得していくよう。
黒く黒く、もう取返しなんてつかないくらいに真っ黒に塗りつぶされているようにも見えるし。
白く白く、どんな色にも染め上げることができそうなくらいに真っ白なままのようにもまた見える。
どこかに行きついた先にようやく勝ち得た安息なのか?
これから何かを成し遂げようとする覚醒の前の微睡なのか?
その静かな寝顔からは判断できない。
どうとでも解釈ができるような、どちらとも取れるような、そんな眠りの為の眠りだった。
けれど、俺は知っている。
その眠りが永遠ではないことを、俺は知っている。
たぶん、もうすぐ。
そう、もうすぐ。
お前は目を覚ますことになるだろう。
朝は明るくて、夜は暗くて。
優しくて、でも同じくらいに恐ろしくて。
暖かくて、冷たくて。
窮屈なところももちろんあって、順風満帆な快適さとは決して言えなくて……。
それでもやっぱり素晴らしい、そんな世界へと繋がる扉が開かれて。
そこから零れ出る金色のあまりの眩しさに、お前はゆっくりと目蓋を上げることになるだろう。
―― おはよう、お寝坊さん ――
ほら、目覚めの時だ。
@@@@@
夢に見ていた。
こんな穏やかな日常が、ずっと続いていけばいいのにと。
そんなことを改めて思わなくてもいいくらいに弛緩し、当たり前にそこにあった穏やかなあの日々を。
俺は夢に見ていた。
陽が昇れば目を覚まし、陽が沈めば目を閉じる。
そうすればまた新しい朝がやってきたし、そうして夜もまた変わらずにやってきた。
それまでの、目的もなく昏々と意識を沈めるだけだけでよかった眠りとは違い、確かに明日へと向かう眠り……。
おはよう……そう迎えてくれる人がいたから。
おやすみ……そう送ってくれる人がいたから。
俺は安らかに眠ることができた。
誰かに何かを言い表すための言葉を覚えていった。
誰かに何かを訴えるための文字を覚えていった。
そうして、誰かとの繋がりを細々とでも紡いでいくうちに。
自分の内側にモヤモヤとしているボヤけた何かが、感情なのだということを覚えていった。
負うべき責任も、背負うべき宿業もないゆるみきった生活の中で。
縁側に腰掛け、ボンヤリと空の移ろいや、巡る季節の美しさを眺めていた毎日の中で。
何者でもなかったはずの俺が、ゆっくりと少しづづ。
何者かになっていく予感を感じていた。
その予感がそこはかとない不吉さを孕んだものであったことにも。
その平穏な日々が、所詮は脆くて危うい砂を土台とした、夢のように儚げなものであったことにも。
生まれたばかりで真っ白な俺は気がつかなかった。
生まれながらにして真っ黒な未来が定められていることになんて、気が付きようもなかった。
……だから、気づいた時には夢に見ていた。
多くの者を傷つけた。
たくさんの物を破壊した。
色々なモノを奪い続けた。
この世を血という血を流して赤く染め。
この世を死という死をもたらして赤く塗り。
そうして誰かの死を踏みつけて、がむしゃらに生き続けてきた結果。
ふと周り見渡せば、俺には何も残っていなかった。
浮雲の流れを飽きもせず眺めた空はもうそこにはなかった。
その時、その時で違った顔を見せてキレイだと感じた季節はもうどこにもなかった。
『イチジ、やんのかてめぇ!』と何かにつけて絡んできた軽薄な男。
『アニキぃ、一生ついて行きます!』と何かにつけてまとわりついてきた動物みたいな少女。
『イチ、お前は大したやつさね』といつでも俺を認めてくれた気だるげな女。
『イチジさん、それは浅はかかと』といつでも俺に厳しかった鉄のような女。
みんないなくなった。
『イッくん、大好き』と何かにつけて絡み、まとわりついてきた金色の女。
『イッくん、大好きだよ』といつでも俺という存在を認め、徹底的に甘やかした青い眼の女。
朝とともに『おはよう』と迎えてくれる姉のような女。
夜とともに『おやすみ』と送ってくれる母親のような女。
『イッくん……大好きだよ……』と最後まで言い続けた愚かな女。
『イッくん……ありがとうだよ……』と最後に言い残した大切な女。
そして彼女も、いなくなった。
俺がこの手で、この右手で、彼女を殺した。
他に解決方法はなかった。
そうしなければ、俺にも彼女にも、他のあらゆるものにも、もっと最悪な災厄が訪れていた。
仕方がなかった。
仕様がなかった。
殺された方は最後までそう納得していた。
殺した方は最後まで……最後のその先まで納得はしていなかった。
誰もいなくなったその場所で。
いつまでも動くことのできないその赤い街で。
気付いた時には、俺は夢に見ていた。
ああ、あんな穏やかな日常が、ずっと続いていけばよかったのにと。
俺はすっかり失ったはずの心で、心から思い、心底から願った。
もはや何一つとして残っていないこの世界で叶うべくもない、叶えようもない願い。
切望している反面で、それ以上に諦めてしまっている願い。
だからこれは夢。
何もその手に掴んでおけなかった俺に唯一見ることが許された、甘くて美しいばかりの、ただの逃げ場所みたいな夢想だった。
@@@@@
そしてまた、夢を見ている。
記憶というには曖昧で、記録と呼ぶには朧げで……。
それでも確かな既視感があった。
確かな既知感を感じていた。
いつか見た、いつかいた、何物でもない真っ黒な場所。
だからたぶん、これは夢。
俺はまた、夢を見ている。
相も変わらず俺は眠っていて、相も変わらず真っ暗で。
何でもなさまでいつかのまま変わらなくて。
けれど、真っ白なところはどこにもなくて。
あの黒い空白にはもう、確かに何かがみっちりと詰まっていて……。
ああ、そうか。
俺はもう、目覚めない。
俺はもう、ここから出られない。
これはもう、終わりに向かう眠りなんだと、そう思った。
どこにも辿り着けなかった。
何も成し遂げることができなかった。
黒くても真っ白だった空白を今埋め尽くしているものは『無』。
俺がまだ俺ではなかった十年。
たとえ『バケモノ』と呼ばれても、それでも俺が俺として生きた十年。
そして俺が俺のまま、死んだように生きてきた十年。
その間、必死になって集めてはせっせと詰め込んでいったモノは。
他人にも自分にも、誰のためにもならないガラクタばかりだったようだ。
……もう……いいか……。
なんだかとても疲れた。
幾つかの約束があった。
幾つもの責任があった。
だからここまで、頑張って生きてきた。
どんなに辛くても苦しくても悲しくても、生きていくしかなかった。
死にたいのに死ねなかった。
死ねないから生きるしかなかった。
生きて、生きて、生き抜いて。
みっともなくても、意味なんかなくても、生きぎたなくても、それでも生きた。
失ったものをもう一度取り戻そうとあがいた。
取りこぼしたものをまた掬い上げようともがいた。
人でなしのくせに。
ヒトでなんてないくせに。
彼女がずっと言ってくれていたみたいに、俺は俺として、人間らしく生きていこうと頑張った。
頑張って、頑張って、頑張りぬいて。
生きて、生きて、生き抜いて。
そうして得られた答えは『無』。
俺は結局、この真っ暗な場所から、一歩も動いてはいなかったんだ。
だから……ごめん……。
もう、俺は頑張りたくない。頑張れない。
もう、生きたくない。生きれない。
どんなにあがいても、もがいても。
頑張っても、生きてみても、どうせまた、俺はここに帰って来る。
辛いのも、苦しいのも、悲しいのも嫌だ。
頑張っても、生きてみても、どうせまた、俺は大切なものを自分で壊してしまうだけだ。
もう、嫌だ。嫌なんだ。
だから、ごめん……ごめん……ごめんなさい……。
もはや、誰に向かっての『ごめんなさい』なのかも定かではないというのに。
壊れたように……いや、実際に自分が壊れていくのを感じながら。
俺は何度も何度も謝り続けた……。
―― イチジ様 ――
声が、聞こえた。
―― イチジ様 ――
真っ暗なだけで、音なんて一つも響かないところであるはずなのに。
凛とした、鈴の音のように心地よい声が聞こえた。
―― イチジ様 ――
頬に、何かが触れた。
真っ暗なばかりで、熱さも寒さも感じない場所なはずのに。
頬に暖かくて柔らかくて情愛に満ちた何かが触れた。
「……あ……アルル……」
俺は思わず声を出した。
か細くて、かすれていて。
自分の声には全然聞こえなかったけれど、それでも間違いなく、俺の口から出た声だ。
アルル?
なんだろう、その言葉は?
―― はい……はい、アルルです ――
―― あなたが可愛いと言ってくれたアルル=シルヴァリナ=ラ・ウールという名前を持った無力な女です――
アルル……名前……。
よくわからなかった。
アルルというらしい、その少女の名前に聞き覚えは無かった。
そう、聞き覚えは無い。
無いはずなのに、どうしてだかその声を聞くと、清らかな白銀の輝きが頭の中で連想された。
ドクン……
という音が響いた。
ドクン……ドクン……
それも一度や二度じゃない。
何度も何度も。
一定のリズム、一定の音量を保ちながら。
何度も何度も。
その音は響いた。
ドクン……ドクン……
俺は音に誘われるようにして、うっすらと目を開ける。
開けてみたところで、閉じているのと別に変わらない、深い深い暗闇があるばかり。
そんなことはわかっていた。
もう、そんな期待は持たないんじゃなかったのか?
期待して、希望して……そしてそれらを全部、自分で裏切ることになるんだと理解したはずだろう?
だから目を閉じろ。何も見るな。
だから耳を塞げ。何も聞くな。
……その頬に感じる温もりは、いつかは消えてしまうものなんだ。
……その胸を打ち鳴らす鼓動は、また辛さだけしか与えてくれない世界へとお前を一人放り出してしまう命の証しなんだ。
白銀の声が導くその扉……。
そこから漏れ出でる、そんな黄金色に魅かれるな。
「まり……ね……マリネ……」
―― わたしの方が後なの?なんだか妬けちゃうんだよ ――
「まりね……マリネ……マリネ……」
―― うん、お姉ちゃんは、ちゃんとここにいるんだよ、イッくん ――
まりね……マリネ……マリ姉ちゃん……。
ごめん……こめん……ごめんなさい……。
―― こっちこそ、ごめんなさいなんだよ、イッくん ――
―― さっき、あの子にも言われちゃったけど ――
―― ずっと一緒にいるって約束、勝手に破って、無責任にいなくなって ――
―― 一人ぼっちにして……本当にごめんね ――
もう、いいかな?
―― ……だめだよ ――
もう、終わらせても、いいかな?
―― だめ。だめなんだよ、イッくん ――
もう、誰もいないのに……。
もう、何にもこの手に残っていないのに……。
こんな姿になってまで、どうして俺は生きなくちゃならないんだよ。
バサァァァァァァァァァ!!
俺は背中に生えた大きな翼を広げた。
キュォォォォォォォォォォォォンンンンンン!!
『俺は尖った牙をむきだして高らかに咆哮した』。
ほら、もう正真正銘の『バケモノ』になっちゃったよ。
―― それでも、わたしはあなたに生きて欲しい ――
―― わたしはいないし、他のみんなももういない ――
―― 辛くて苦しくて悲しくて、そんなことばかりがまた、あなたを打ちのめすのかもしれない ――
―― わたしだって見たくない ――
―― あなたが苦しんでいる姿なんて見たくない ――
―― 変わってあげられるものなら変わってあげたい ――
―― あなたが泣くのをわたしはもう見たくない ――
―― だけどもう、わたしはいない ――
―― わたしは何もしてあげられない ――
―― うなだれるあなたに触れ、抱きしめてあげることもできない ――
―― 気休めの慰めさえかけてあげることも、涙をぬぐってあげることもできない ――
―― それでも、わたしは……あなたに、生きていて欲しいんだよ、イッくん ――
一本の筋のようにか細かった黄金色が、ゆっくりとそこを侵していく。
何もない。何でもない黒い場所に、柔らかな光りが満ちていく。
―― わたしはいないし、みんなもいない……だけどイッくんはもう、一人ぼっちじゃない ――
―― そこなら、その世界なら、きっとイッくんを優しく受け入れてくれる ――
―― ほら、見えるでしょ?この金色の先に輝く、あの汚れの無い銀色の光りが…… ――
俺は手を伸ばす。
鋭くて太い爪を生やし、赤くて紅いウロコに覆われた手を。
……俺は前に伸ばしてしまう。
相変わらず空っぽで、相も変わらない『バケモノ』のままなのに。
俺はまた懲りずに、世界へと飛び出そうとしてしまう。
……生きようと、してしまう。
―― それでいい……それでいいんだよ、イッくん ――
―― どうかあなたはそのままで ――
―― わたしが最後にかけた『呪い』を抱えたまま、どうか生きぎたなく生き抜いて ――
―― みっともなくても、意味がないと思っても、どうかあなたは生きていて ――
バサァァァァァァ!!バサァァァァァ!!
―― そして、いつか……その『呪い』を解く≪マホウ≫に巡り合って…… ――
―― わたしの為じゃない、過去に失ってきたものの為じゃない ――
―― 今と未来の為に生きられる、そんなイッくんになって ――
バサァァァァァァ!!バサァァァァァ!!
―― 大丈夫……大丈夫だよ、イッくん ――
―― 何も怖いことなんてないから ――
―― その翼をはためかせて、さぁ、行って ――
バサァァァァァァ!!バサァァァァァァァァ!!
―― 行って、行って、行って、さぁ、生きて ――
バサァァァァァァ!!バサァァァァァァァァ!!
―― その扉の向こうは≪マホウ≫の世界 ――
―― あなたに≪マホウ≫を掛けてくれる、そんな人が…… ――
キュオオオオォォォォォォォォォンンンン!!!!
―― きっと待っているんだよ ――
咆哮一つ、身一つ。
何かを得たわけでも、さりとて失ったわけでもなく。
もとからゼロだった俺は、変わらずゼロのまま、翼をはためかせて飛んでいく。
たった『1』でいい。
名前と同じ、たった『イチ』でいいから、何か確かなものが欲しい。
そんな想いが、俺をまた飛んで行かせる。
かつて確かな『イチ』であった眩い金色に向かって。
その金色が指し示してくれた、さらに奥の奥で輝く、銀色を目指して。
新しい『イチ』を探して。
……俺は
……飛んでいく
@@@@@
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