第四章・雨色に染まる異世界生活~ARURU‘s view③~
「え?」
――にょっほっほ。驚いとる驚いとる――
声です。
――いやぁ~こうインパクトのある登場をする頃合いを見計らっとったんじゃが、あれじゃな?我ながらベストなタイミングだったようじゃ――
そう、声です。
声なのです。
イチジ様の心地好い低音でも、ドラゴンの甲高くも奥行きのある鳴き声でもなく。
カラカラとどこまでも軽く。
ケラケラと無邪気に邪で。
ペラペラと紙切れよりもまだ薄っぺらな。
とにもかくにも。
なにはなくとも。
この場においてはただ場違いでしかない調子の楽し気な声が聞こえてくるのです。
――これでもこの丁度良い塩梅の潮目を読むのにはそれなりに苦労したんじゃぞ?――
雨音が聞かせた空耳か。
はたまた遂に壊れた心が聴かせた幻聴か。
――『いざ、ここで!』と思う自分と『いや、まだだ!』という自分との間で巻き起こるせめぎ合い?駆け引き?みたいな感じの葛藤がもうすごかったんじゃから――
「…………」
……ええ、そうです。そうです。そうに違いありません。
これはきっと空耳と幻聴。
――天使と悪魔のチキチキケンケン猛レース、互いに譲らぬデッドヒートを繰り広げとった――
「…………」
こんなにも天使とはほど遠い邪悪な声なんて。
こんなにも悪魔的に空気の読めない声なんて。
まともな神経を持った人間であれば、この状況で絶対に吐くことはできないはずですの。
――誰が飛ばした赤甲羅。ポンコツドンケツ、いやいやよ。的な?――
「古め!さっきからレースもののたとえがイチイチ古め!!」
あ、思わず幻聴にツッコんでしまいました。
――古いとは失敬じゃのぉ。我の葛藤、マッハでゴーゴーじゃぞ?――
「更にお古く!?エアロなジャッキが飛び出す葛藤ってなんですの!?」
――サイバーなシステムも搭載しておる――
「少しだけ未来に!?それでもまだ古め!!」
……えっと……。
わたくしは何をしているのでしょう?
傷つき、雨に打たれ。
無力で無様で。
様子がおかしいイチジ様に掛けるべき言葉を見つけられず。
彼が伝説のドラゴンを無慈悲に虐げる一部始終をただ見ることしかできず。
正体不明の声に律儀にツッコミをいれているわたくし……。
――ふむ、ナイスなツッコミじゃぞ、小娘。世代も世界も違う文化を軸にしたボケはツッコミの理解があってこそナンボのもんじゃからな。我、素直に脱帽。被っていない帽子も脱いじゃうし、無い袖だって振っちゃうレベル――
そして、その正体不明の声に手放しでツッコミスキルを称えられているわたくし。
……ホント、一体何をしているんでしょう?
――何を打ちひしがれとるんじゃ?ポンポンか?ポンポン痛いのか?――
「……強いていうなら頭が痛いですの……」
――優しさ半分で出来ているらしい薬、飲むか?――
「言い方!!それ優しさ成分が優しく聞こえない言い方!!」
――芸能人は歯だけが命――
「言い方!!そしてまたしても古め!!」
――にょっほほ。実にイジリ甲斐のある小娘じゃ――
一際、楽しそうに挙がる笑い声。
性別でいえば間違いなく女性。
人としてはもはや一つの到達点に達し、すっかり完成されたような老成した口調。
それでいて、妙に若々しく……ともすればわたくしよりもまだ年下、年端のいかない少女のような無垢な響き。
わたくしもよくキンキラした声だと言われますが、それ以上に濁りのないソプラノです。
……この感覚はなんでしょう。
この既視感というか既聴感かというか。
無邪気にして邪気だらけ。
善良そうにして悪意まみれ。
軽いのに重くて、重いのに軽い。
冷たいのに熱くて、熱いのに冷たい。
人を食ったような物言いはほとほと適当なのに、妙に精密ですべての言動がきっちりと打算的で。
けれどすべてが計算され尽くされているようなのに、結局はまったくの適当で。
何も知らない子供のようでいて、何でも知っているとでもいう風な全知感。
矛盾し、相反し、本来なら対極に位置するであろう様々な二極を全部一抱えにしたような全能感。
何から何までが規格外。
どこからどこまでもが反則級。
単なる声だけの存在なのですが、その声一つの存在感がドラゴンにも負けないくらいに圧倒的です。
そんな伝説と双璧をなすような人外、知り合いの顔を思い浮かべても心当たりありません。
こんな印象的な声、一度聞けば強烈に記憶の中へと焼き込まれてしまうでしょうから、忘れたなんてことはあり得ません。
なので、この声の主とわたくしの間には、確かに面識はありません。
ええ、知りません。
全然、まったく、これっぽちも知りません。
……ですが、やっぱりどこかで会ったことがあるような気がしてなりませんの。
それも、ごくごく最近に更新され。
絶対に会いたくはない人物といった分類に分けられて記憶に格納されたはずの……。
「…………」
あまり想像したくはない想像から目を逸らすように、わたくしはイチジ様の方へと視線を向けます。
距離は随分と離れています。
見えるのは背中。
わたくしが何度も見つめては桃色の嘆息をこぼした大きな背中。
そして一度見失ってしまった知らない背中。
こちらがバカげたやり取りをしている間も、イチジ様は自身の一蹴りで殺めたドラゴンの死骸の前に立ち尽くしています。
イチジ様が今、どんな顔をしているのかはわかりません。
どんな感情を抱いて、その場に佇んでいるのか知る由もありません。
この目で確かめたいような……しかし、見るのが怖いような。
情けないことに、すっかり臆病になってしまったわたくしには、立ち上がって傍に駆け寄る気力一つも湧いてはこないのです。
コロッ……
……ん?
そんなイチジ様の足元に何かが転がっています。
……玉?でしょうか。
遠目からはよくわかりませんが、何か黄色の球体が、イチジ様のズボンのポケットから零れ落ち、その勢いのままコロコロとこちらに転がってきます。
――さてさて、それではここら辺りで……――
再び、声が聞こえます。
どうやら発生源はその球体。
イチジ様のところからわたくしの方に向かって、瓦礫や石畳の凹凸など苦にもせず、真っすぐに転がりながら、声が近づいてきます。
――この狭苦しいところからオサラバしようかのぉ――
ゴーン……ゴーン……ゴーン……
声が言います。
ピタリとわたくしの前で止まった黄色の球体から。
唐突に鳴り出した荘厳な鐘の音をバックにして。
声がそう言います。
――そろそろ今宵の宴もたけなわに差し掛かる頃合い……――
ゴーン……ゴーン……ゴーン……
声が告げます。
終焉の訪れを予感させる鐘とともに、とある小さな街を舞台にした、ただ一夜の物語の終わりを。
――悲劇的にして喜劇的。劇的にして劇にもならないありふれた話。……どこにでもいそうでどこにもいない。そんな一人の男を主役にすえた物の語り。……有象無象に埋もれても、不浄不精に揉まれても、決して褪せない宝玉の君……――
ゴーン……ゴーン……ゴーン……
声は語ります。
それはまるで魔術の詠唱。
どこか芝居がかった口調ではありますが、ゆえに術式に記された物語をそらんじてでもいるかのよう。
言葉の一言一句に、思わずわたくしの体がビリビリとくるくらい、かなりの量の魔力が込められています。
――朱の砂漠。翠の森。鈍の海原。群青の空。わたしはどこにいても貴方だけを見つめている――
ゴーン……ゴーン……ゴーン……
キィィィィィィンンンンン……
そこで目の前に転がる黄色の球体が発光します。
内側からゆっくりと……それでいて確実に。
雨色と夜色が満たした視界に、黄色い光が混じり込みます。
ええ、黄色。
宵の暗闇の中で一際輝くその光は、黄金のようにも白光のようにも例えられそうですが、やはりどこまでも純粋な黄色。
その『黄』という色自体に、何某かの譲れぬ意味合いでもあるかのように、愚直に光は黄色く瞬きます。
――虚ろなる銀。徒然なる金。忘却の白。孤高の黒。深淵なる無。深長なる有。貴方がどこにいてもわたしは見つけてあげる……――
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
キィィィィィィンンンンン……
――小さな貴方のキレイな右手。小さなわたしの汚れた左手。それでも繋いでくれるなら。それでも愛してくれるなら。わたしは何も怖くない……――
……なんでしょう。
この詠唱……。
込められた魔力量の多さといい、質の高さといい。
詠唱に内包された深い深い世界観といい。
あらゆる魔術を知り尽くしたと自負している天才のわたくしの知識をもってしても初めて耳にするものです。
思わず聞き惚れてしまうほど、美しい言葉の連なり。
優美にして華麗にして、なんと広大で壮大な詠唱なのでしょう。
どんな事象が巻き起こるのか、わたくしごときでは想像も尽きません。
ですが……なんでしょう。
――あの日の夜空を覚えてる。儚く咲いた夜の花。燃えて散るのが定めでも。わたしは散らない花となり。永遠に貴方の中で咲き乱れましょう……――
この詠唱に込められた想いは。
物語の中や術者の感情云々というよりかは、『術』の一文字一文字に込められた想いは。
ただ『貴方』という人ひとりにだけ向けられた想いは。
なんとなく、わかります。
女として……そう、『術』の中に出てくる方と同じ女として、わかってしまいます。
これはひとえに『愛』の詠。
深そうで広そうで、その実、単にたった一人へと向けた『愛』の詠。
ええ、恋ではなく、あくまでも『愛』。
異性としての恋愛感情など軽々と超えた、もっと強くて、最も純粋な単なる愛情。
なんて切なくて、なんと一途な想いでしょう。
なにか抜き差しならない事情があって、傍にはいられなくなった。
いつまでもその右手を繋いであげていたいのだけれど、放さなくてはならなくなった。
それでも『わたし』はずっと『貴方』の傍にいる。
どれだけ離れても。二度とは触れ合うことが出来なくても。
――わたしはいつでも見ているから。……――
この『愛』だけはそこにあることを忘れないで。
――わたしはいつまでも傍にいるから……――
『貴方』は一人じゃないということを……決して忘れないで……。
――貴方を……――
あなたを……守ってあげるから。
キュイイイイイィィィィィィンンンンン!!!
バキィィィィィィンンンンンン!!
黄色の輝きが爆ぜます。
その瞬間、世界にはただその鮮烈な黄色だけしか存在しなくなります。
降りしきる雨も。
夜の帳に覆われた街も。
遠くに見えるイチジ様の背中も。
首がひしゃげたドラゴンの亡骸も。
転がる球体も。
寝そべるわたくしも。
嘆きも、痛みも、邪気も、無邪気も、悲劇も、喜劇も。
砂漠も、森も、海原も、空も。
虚ろも、徒然も、忘却も、孤高も、深淵も、深長も。
わたあめも、焼きそばも、金魚すくいも、射的も、花火も。
すべてが黄色に……そして、一つの大きな『愛』によって包まれていきます。
ああ、なんて大きな愛情なんでしょう。
わたくしが寄せる、『貴方』への想いがなんと矮小なものに見えるでしょう。
すがって、甘えて、泣きついて……。
彼が仰ってくれた対等でいようという言葉を歪曲し、いつの間にかすっかり依存していたわたくし。
少し彼の様子がいつもと違っていただけで怖がって、拒絶して、受け入れられなかったわたくし。
弱いわたくし。
卑しいわたくし。
……ああ、敵わないなぁ……。
……ええ、敵わない……。
……ねぇ……いったい貴女は……。
誰なんですの?
「じゃっじゃ~ん!!」
黄色の光が引いて。
世界がまた夜と雨に包まれた時。
「我、ここに復活っ!!」
まずわたくしの視界に飛び込んできたのは。
頭のてっぺんからつま先までを、宵闇にも負けないくらいに黒く染め。
安っぽい効果音を自分で口にしながら堂々とふんぞり返っている。
……幼女でした。
「リリラ=リリス=リリラルル。顕現であるっ!!」
はい……少なくともあなたではないですわね……。
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