第三章・赤い異世界生活~ICHIJI‘S view②~

 チリチリチリ……


 俺を中心として二つに分かれた炎が地走りのように石畳の上を巡っていく。


 勢いよく扇状に広がったそれはやがて瓦礫の山にぶつかったところで行き場をなくし、追い打ちのように更なる破壊をかつて建物だったものに与えたところでピタリと止まる。


 火種らしい火種もないというのに執拗にくすぶり続けることも。

 これだけの熱量であるにも関わらず息苦しさというものを感じないことも、ことごとく不可解。

 

 やはり『魔素』由来……ということなのだろう。


 酸素ではない何かを糧に。

 くべる何かを必要ともせずに単体のみで燃えることのできる炎。


 『燃焼』というごくありふれた事象ではあるけれど、眼前のこれに限っていえば俺の知りうるどんな物理法則も通用してくれないようだ。

 

 「…………」

 

 そしてトカゲの方でも目の前で繰り広げられた摩訶不思議に、戸惑っていたのかもしれない。

 

 全体的に切れ長なパーツばかりを配置した表情には目立った変化は見られない。

 

 けれど次弾を装填するでもなければ、他の攻撃手段を用意するでもなく。

 キュロロロと、水の入ってしまったホイッスルみたいな独特の鳴き声を上げることもなく。


 固まったままジッとこちらを見据えるばかりだ。

 

 どうしてコイツは焼かれない?

 どうして自分の炎がただの剣一つで切り裂かれた?

 

 顔の筋組織一つ動かさないその様子は、処理機能を越える負荷を加えられてフリーズしたコンピューターを思わせた。

 

 『炎を吐く=燃える』というトカゲにとってごくごくありふれたはずの計算式が成り立たない事象。

 自身の法則や常識、システムに組み込まれた原則の埒外にある現象。

 

 理解不能。解析不能。演算不能。

 

 それはバグ。

 どこまでもバグ。


 検出されるエラー。

 それを解決しようとするたびに蓄積され続けるエラー。エラー。エラー。

 

 生物として不自然に思えるくらい融通の利かない思考回路が、このトカゲをその場に縛り付させているようだった。

 

  「いっってぇぇぇ!!死ねる!!死ねるほどいてぇ!!」

 

  「…………」


  「いや、死んだ!!もう死んだ!!こんなに痛ぇんだから俺はもう死んだ!!」


  「…………」


  「ぜってぇ死んだ!!きっと死ん、だぶしっっ!!」

 

 そして第三の存在。


 それが生物として実に自然で実に正しい……というか実に生々しくて人間くさいことを訴えながら、ゴロゴロと地面を転がった挙句、大きな瓦礫の塊に後頭部を強く打ち付けて苦悶している。


 なんだかえらくデジャヴだなぁ……。


 つい最近、どこかのゴスロリ少女が寸分たがわぬ姿勢でコンビニの駐車場でワナワナとしていたような気がする。


  「いてぇよぉ……前も後ろもまじでいてぇ……。死んだ後もこんなに痛い目にあうだんなんて、死とはなんと救いのないものなんだ……」


 痛みのあまり、おそらく普段の性質からは大きく逸脱した哲学的なことまで言い始めた。


 うん……ホント、人間くさい。


 例え人工知能が人間を越える頭脳の幅をいつかもったとしても、決してこんな状況下で急にそんなキャラ崩壊した台詞をのたまうことはないだろう。

 「……そして火事場泥棒した分はちゃっかり回収済みか。……つくづく人間くさい」

 

 そんな錯乱状態の中にあっても、男は盗品と思しき金貨や宝石の類を後生大事に抱えこんでいた。

 

 俺は九割以上の呆れを感じるとともに、そんな錯乱状態の中にあって、それでも損なわれることのないその人間性に少しだけ感心しながら、男の方へ近づく。

 

  「雑に扱ってごめん。緊急事態だったからさ、あれが一番手っ取り早かったんだ」

 

  「……天使様?迎えに来てくれたんですか?……」


 死後の世界へ導く天使がこんなムサイ男でいいのか?

 それは確かに救いがない。

 

  「……って、あ!!てめぇ、昼間のヤツじゃねーか!?」

 

 死後の世界と電波通信していた男は、俺の顔を認識するなり、痛みと羞恥の記憶から正気を取り戻し、つぶらな瞳を懸命に見開いてこちらを睨みつけてくる。

 

  「その節はどうも」

 

  「この野郎っ!!一度ならず二度までも俺をボコりやがって!!」

 

  「だからごめんってば」

 

  「めちゃくちゃ痛ぇじゃねーかよ!!」

 

  「でも、助かったでしょ?」

 

  「それはありがとうだ、コンチクショー!!」

 

 案外、律儀だ。

 

  「マジで……マジで怖かったんだよぉ……コンチクショー……」

 

 そして今度はフルフルと、男の目からは俺を睨みつける鋭さが消え、明確に弱々しいものとなっていく。


 怒るのか怯えるのかハッキリしてほしいところだけれど、まぁ、無理もないのかもしれない。


 無際限に広がる炎の海にあえなく溺れた人々。

 消し炭になって倒壊した家屋。

 淡々と、ただ機械的に街を焼き尽くすオオトカゲ。


 まともな神経で直視するには、いささかこの現実は刺激的に過ぎた。

 

 たとえそれが、泣くも泣かない子も無慈悲に殺すらしい山賊の頭領の目を持ってしてもだ。

 

  「……なんなんだよ……」

 

 各種感情をある程度吐き出したところで男はようやく落ち着きを取り戻し始めたのだろう。


 自分がとりあえず一命を取り留めたという実感に安堵したためか、気が抜けたようにガクリと地面に膝をつく。


  「なんだってんだよ……なんでこうなったんだよ……」

 

  「…………」


  「一体よぉ……今、何が起こってるんだ?」


  「…………」


  「なぁ、あんた……」


  「うん?」

 

  「あんたにはわかるか?……わかるなら……教えてくれよ?なんなんだこれは?」


  「そりゃ、わかるさ」

 

 俺はグルリと周囲を見渡す。

 

  「わからないわけがない」

 

 押し寄せる赤。

 引いていく赤。

 

 取り巻く赤。

 取り巻かれた赤。

 

 赤。朱。


 赤。紅。


 赤。銅。


 その光景を噛みしめるように目をつぶる。


  「街が一つ……死んだんだ」


  「あああ、ああああ……ああああああああ!!!!」


 男のその慟哭が。

 心の奥底から自然にこみ上げた痛切な叫びが。

 ドナという小さな街そのものが発した悲鳴でもあるかのように、焼けただれた夜空へと吸い込まれていく。


  「……キュロロロロ……」

 

 その嘆きに呼応した……というわけでもないだろう。


 災厄の訪れを告げる不吉な笛の音のように、甲高く震える鳴き声が再び聞こえてきた。

 

 そちらの方に目を向けると、固まっていたハズのトカゲが、色を取り戻した二つの細長い瞳でしっかりとこちらを見据えている視線とかちあった。


 どうやらシステムの修正と再起動は滞りなく完了。

 改めて俺たちを排除すべき対象として認定し、それをつつがなく履行しようとしている。


 「ひとまず、ここを離れようか」

 

 未だ混乱の中にいる男に向かい、俺はそう提案する。

 

 「あいつと距離が開いてる今がチャンスだ」

 

 「……あ、ああ……」


 「ほら、しゃんとして」


 「……ああ、あああ……」


 「気持ちはわかる。パニックになるのも仕方がない。……だけど、俺たちはまだ生きている。どれだけ街が死んでしまっても、俺たちは生きている。それをちゃんと噛みしめて、自覚しなくちゃならない」


 「……ああ、わ、わるい」


 生きている……俺のその言葉をうけて、男の目にわずかに生気が戻る。


 「……そうだな……まだ……俺は生きている……」


 「よし……それじゃどこか安全に身を隠せそうな場所まで避難しよう」

 

 「安全……そんなとこ……あるのか?……」

 

 「……わからない。……だけど、ここに突っ立ったまま、黙ってあいつにローストされるのはごめんだろ?」

 

 「……なら、少し遠いが、俺らがアジトにしてる廃墟が街のはずれにある。やつらのネグラとは逆方向だし、きっとそこはまだやられてないと思う……」

 

 「わかった……それじゃそこにしよう。護衛としては頼りないかもしれないけれど、俺も一緒について行くから」

 

 「そ、その前によ!!」

 

 「ん?」

 

 「ギ、ギルド会館に一度よってくれねーか?」

 

 「……この期に及んで、また空き巣?」

 

 「ち、ちげーよ!!さすがにそこまで欲は張ってねぇ!!」

 

 ……いや、そんな両手一杯に盗品を抱えたままで言われても説得力は皆無だ。

 

 「俺の手下どもが……たぶん、まだそこに残ってるんだよ……」

 

 「そういえば、一緒にいないと思った。……そのギルドっていうのはアジトの進行方向?」

 

 「キュロロロロ……」

 

 「……いいや、街のど真ん中……街から離れるどころか街の中心部だ」

 

 「……無理かな。時間がない」

 

 「キュロロロロ……」

 

 「……なぁ、頼むよ!!あいつらは……俺の大事な仲間……いいや、誰も彼も親の顔を知らなかったり、縁を切ったりした天涯孤独の身空の俺らにとっちゃ家族みてぇなもんなんだよ!!」

 

 仲間。

 

 家族。

 

 ……彼らが山賊なんてものを生業にしている以上、ただの空き巣だけで生計を立てていたわけじゃないだろう。

 

 この男がこれ見よがしに携えた四本の剣。

 それを己の我欲のまま振るって、一体、何人の人間を斬ってきたことかしれない。

 

 傷付き、殺された人々の中には掛け替えのない友達や仲間だっていただろう。

 幾ばくかの金銭の為に無慈悲な凶刃にさらされた人々にも大事な家族だっていたことだろう。

 

 泣いて、すがって、命を乞うて……。

 そんな人たちの願いを、この男はどれだけ踏みにじってきたんだろう。

 

 ……ああ、わかってる。

 わかりすぎてしまう。

 

 それはそれで。これはこれなんだろ?

 

 たとえ百人の他人の命を奪ってきても、たった一人のため。


 大事な人の命のためにならば、いくらでも自分の所業を棚上げすることができるんだろ?


 なんて傲慢。

 なんて醜悪。

 なんて不遜。

 

 人でなしのくせに、随分と人間臭いワガママをほざくじゃないか。

 

 ……いや……。

 

 ある意味では……誰よりも人間らしい人間なのかな。

 

 こんな不合理な解なんて、0か1かの羅列だけで書かれたプログラムでは絶対にはじき出せないだろう。

 

 人じゃない分だけ余計に人らしくあって欲しいと言った、とある少女の願いのように。

 その願いに応えようと必死に人らしくあろうした、とある少年の有り様のように。


 それが罪であることを承知したまま。

 それが許されざる業だと理解したまま。

 

 「キュロロロロ……」


 傷つけ、傷つき。


 「……わかった。いこう……」


 血に染め、血に染まり。


 「っ!!!こっちだ!!」


 俺たちは連れ立って走り出す。


 開き直ることも、目を背けるでもなく。

 

 矛盾も罪も罰も、そんなすべてを一つも取りこぼすことなく、ことごとく己の胸に内包しながら。

 

 歪んだ強さをもったまま、赤い街の中を駆けていく。

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