第一章・いきなりバトルの異世界生活~ICHIJI‘S view④~

 完全……というわけではないけれど。

 

 目に見える傷がほとんど塞がったところで、アルルは改めて居住まいをただした。

 

 また、例の真面目モードだ。

 どうにも、苦手なんだよな、この背伸びした感じが。


 「……遅くなりましたが、イチジ様、魔物を倒していただき、ありがとうございました」

 

 彼女が恭しく頭を下げる。


 「そして申し訳ありませんでした。わたくしの詰めの甘さから魔物を倒しきれず、イチジ様のお手を煩わせてしまいました」


 「やめてくれよ。面映ゆい」


  ……いや、そんなものじゃないか。

  ……正直、とても気持ちが悪い。


 「いいえ、これだけは譲れません」


 「……生真面目」


 なんだ、これは?

 せっかく命が助かったのに、なんなんだこの苛立たしさは。



 「先ほども申し上げましたが、今のあなたはこちらの世界ではまだ存在が危うい状態。仮縫いのそのまた仮縫いだけでプラプラと辛うじて繋がっているだけの状態。そんなあなたを……いいえ、もしもキチンとした『洗礼』を行い、ここで確固とした存在として縫い付けられた状態にあったとしても、わたくしが勝手に巻き込んでしまった以上、あなたのすべてをお守りしなければならない立場でした……」

 

 心が冷める。


 「……ちゃんと守ってくれたじゃないか」


 元から温度など持ち合わせていない、俺の心が。

 急激に冷めてくる。


 「過程はどうあれ大事なのは結果。仕留めきれなかったわたくしの落ち度です」


 「過程はどうあれ大事なのは結果。なら結果が良かったんだからそれでいい」


 「それではわたくしの気がおさまりません!」


 「おさめろよ、頑固者……」


 俺が冷たく言い放った言葉に、頭を下げたままのアルルの肩がピクリと震える。

 

 「またそうやって、何でもするとか言いはじめるのか?……ふざけるなよ」

 

 ああ、いやだ。

 

 本当にこの娘は強い。

 強くて清廉で高潔で……。


 落ち度などないのに。頑張ってくれたのに。

 

 強すぎるが故に、負けた自分が許せない。

 清廉すぎるが故に、失敗に対してひどく潔癖的で小狡さがない。


 高潔で理想を常に高くもっているのはいいけれど、その分、妥協というものを知らない。

 

 似てるなぁ、うん。

 昔、こういう奴がいたっけな……。

 

 100点以外の残り99はまったくの0。

 80点や90点でも、そいつにとってはただの落第点。

 

 基本的にプライドが高く、傲慢だった。

 自信家であるし、野心家でもあった。

 ただそのどれもに根拠があった。

 

 努力、努力、また努力。


  あらゆる分野において誰よりも優れた天賦の才を持ちながら、誰よりも努力と探求を怠らない勤勉さも兼ね備えた本物の天才。

 

 自ずと結果は付いてきたし、その結果に甘んじることのない向上心もあった。

 

 凡人がトライ・アンド・エラーの繰り返しで一歩ずつ前に進んでいくのなら。

 

 天才はトライしては成功、またトライしては成功を何度も重ねて前へ前へ邁進する。

 

 そして、今回。

 彼女はエラーをした。

 

 彼女の中ではバケモノを倒し切るまでが唯一の正解。

 たとえ瀕死まで追い込んだとしても。結果として倒せたのだとしても。

 自分一人で倒し、自分一人で解決してこその結果だった。

 

 ……それでも、彼女のことだ。

 いつまでも引きずり続けることはないないだろう。

 

 決してこれで潰れるようなことはなく、今度、同じような機会があった時のために、きっとこの99点のエラーも、次の100点のための糧にすることだろう。

 

 凡人と同じトライ・アンド・エラーの法則も、場合によっては許容だってするさ。

 

 そうしてもっと強くなる。

 

 一人勝手に、一人孤独に自問と自答だけでどうにかしてしまう閉じられた狭い輪の中で。


  一人勝手に、一人孤独に強くなってしまう。


 だから……。


 だから、俺もムッとなんてしてないで放っておけばいい。


 適当に許すとか言って話を合わせ、その代わりにちょっとセクハラな要求でもして。

 

 真に受けた彼女が真っ赤になったところで、冗談だとからかって怒らせて。

 

 そうやってウヤムヤにしてしまえば、この場は丸く収まるのだ。


 真剣になる必要はない。真面目になんてならなくてもいい。

 

 俺は彼女の教育係でも。

 偉そうにご教授を垂れられるほど立派な人間でも。

 

 一生を添い遂げる大事なパートナーでもないのだから……。

 

           ………

           ……

           …

 

 「そうやって頭を下げられたり、償いをさせてくれと頼まれたりしてもさ。……何?俺があのバケモノ倒したらマズかったの?こうやって二人助かったことは悪いことなの?」

 

 そう、呟いてしまった。

 

 「い、いいえ!まさか、そんなことは……」

 

 「そう、もちろん君はそんなこと思ってやしない。よくわかないけれど、君には君の立場があるんだろうし、俺は俺で、多分、今は赤ん坊並みに頼りなくて、誰かの庇護がなければ簡単に死んでしまうくらい弱い存在なんだろう」

 

 「……はい……」

 

 「どこぞともしれない場所に立っていて、相変わらず事情だって何一つ聞いていない。交番はどこだ?コンビニはどこに消えた?ゲート?マソ中毒?なんだそれは。あのライオンみたいなバケモノはなんだ?このバカでかい樹はなんだ?回復薬?自己治癒能力を高める?なんだそれは。理解が追い付かない。わけがわからない」

 

 「……はい……はい……ですから……ですから、わたくしは!」

 

 回復薬とやらでも拭いきれない、全身のいたるところにこびりついた血。

 目のやり場に困るくらいまでボロボロにされた服。

 

 「俺はそんな状況にあり、そしておそらく状況の全部を知っている君がいる。赤ん坊みたいな俺はさ、君しか頼る人がいないんだよ。……大の大人が情けないと思う。一回り以上も年下であろう女の子に庇われなくちゃ生きていけないなんて、本当に恥ずかしい話なんだ」

 

 ああ、本当に恥ずかしい。

 

 この娘はまだ少女。

 

 オッサンの説教じみた小言というか愚痴というか八つ当たりみたいなものを受けて、うつむき、肩を震わせているようなまだ顔に幼さの残る少女。

 

 「体つきはもう立派な女性。頭脳も明晰の天才肌。王族という種類の人間が幼少期をどんな風に過ごすのかは想像もできないけれど、一般家庭のそれよりもきっと厳格で、年不相応な厳しい躾をされてきたのだろうと君の凛とした在り方を見ればよくわかる。俺なんかよりもよっぽどしっかりしているし、強く、正しいんだろう」

 

 ……けれど。

 

 「けれどね、アルル?君はまだ子供なんだ」

 

 また、彼女の肩が大きく震える。

 

 「どんなにしっかりしてても。どれだけ心が強くても。どんな時でも正しくても。まだまだ、大人が前を歩き、守り、導いていかなければいけない子供なんだ」


 「…………」


 「本当なら逆の立場なのに申し訳ないけれど、君には俺のことを守ってもらいたい。俺のこれからを導いてほしいと心からお願いをする。……だけど……だけど、これだけは譲れない」


 「…………」


 「絶対に前にだけは出ないでくれ。背中の後ろに俺を庇わないでくれ。そんな小さな背中に、何もかもを背負い込まないでくれ」


 「…………」


 「前じゃなく、横にいてくれ。いつでも横にいて、俺にいろんなことを教えてくれ。迷った時は相談してくれ。何かあったら二人で話し合って答えを出そう。またバケモノが現れたら協力してどうにかしよう。もしも俺が呑気に寝ていたら、スタンガンでもなんでも使って叩き起こしてくれ。責任は等しく半分ずつだ。どちらが上とか、どちらが下とかそんなものは存在しない」


 「…………」


 「俺たちはチームだ、アルル」


 ポン。


 ちょうど良い位置にあったアルルの頭に、俺は知らず手を置いていた。

 

 「君が体中ボロボロになりながらもアイツをあそこまで追い詰めてくれた。守ってくれた。だからこそ俺はアイツにトドメをさせた。そして君を守れた。……ほら、どうだ?とてもシンプルな答えだろ?」


 ポン、ポン。

 頭を撫でる。

 

 固まった血糊がポロポロと剥がれ落ちていくのも構わず。


 自分の弱さを全部棚上げにしてまで、俺がこの強すぎる少女に言いたかったことが。


 その明晰な頭に入ってくれるように。

 その清廉な心に届いてくれるように。

 

 そう、願いながら。

 

 「だからこういう時、ごめんなさいはいらないんだ、アルル」


 「……グス……」


 「ありがとう……そう言えばいい」


 「……グス……グス……」


 「あとは『やった~』とかなんとか言って、ニッコリ笑ってハイタッチすればそれで万事オーケーだ。……ほれ」


 そう言って俺は、うつむく彼女の目線にも映るように、低い位置で手の平を広げた。

 

 「……ハイタッチというより、パイタッチの高さだなこれ(ボソリ)」


 「……グス……」


 「……ツッコんでくれよ、相方」


 ツッコミはなかったけれど、彼女は下を向いたまま、恐る恐る手を伸ばし、ピタリ、俺と手の平を合わせてくれた。


 思った通り、俺より二回りも三回りも小さな、女の子らしい可愛い手の平だ。

 

 「やったな、アルル」


 「……(コクリ)」


 「頑張ったな、アルル」


 「……(コクリ)」


 アルルの指が俺の指の隙間に入ってきて、キュっと握り込まれる。


 「怖かったな、アルル」


 「……グス(コクリ、コクリ)」


 「……それとやっぱりありがとうだ、アルル。本当に助かった」


 「……うううううう」


 「う?」


 バッ!と彼女が顔を上げる。

 

 乙女としての尊厳を尊重できる紳士な俺だから、詳しい描写はしないけれど。

 それはそれはもう、くしゃくしゃでグシャグシャな顔だった。

 

 「……大丈夫。ちゃんとまだ、美少女だ」


 「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁんんんんんん!!!!!」

 

 アルルの鳴き声が高らかに響く。


 溜め込んできたもの……それまでの人生のものか、ここまでの数時間だけのものか。


 そこら辺は本人にしかわからない。

 

 だけど、これだけは言える。

 

 強くて清廉で高潔な少女は。


 その生涯において初めて、『弱さ』というものを身に着けたのだった。

 

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