作戦 1

 仕事を辞めた中原先輩は住んでいた会社の寮を6月1日に出て、その足で別れの挨拶をしに彼氏と私に会いにきた。

 携帯電話を持ち合わせていなかった先輩は、新居に越して落ち着いたら手紙を出すからと彼に話をしていた。

 この手紙というのは、先輩と私が同時期に居なくなったら彼氏が血相けっそうを変えてふたりを探すだろうと推測ができたので、それならばえて先輩から手紙を出すことによって私をかくまってはいないと思わせる作戦だった。

 その手紙には『いつでも遊びに来てください。返事を待っています。』と書いてはあるものの、先輩は肝心な新住所を書かないで出すため彼氏から返事を返せるはずもなく、けれどもそんな事態におちいっているとは知り得ない先輩は彼氏から返信がないことに軽蔑けいべつをしてしまい二度と手紙を出さない、という流れにもっていくみたいだった。

 これから訪れる明るい未来に嬉しさがこぼれ出そうになったけれど、平静を装いながら中原先輩を見送った。





 それから数日後のこと、私がバイトにいく直前に彼氏が喧嘩口調で詰め寄ってきた。

 どうやら私が反省文を書いていなかったことに腹を立てていたようだ。

 私は、もうこんな地獄から抜け出すんだから絶対に反省文は書かない!と決め込んでいたので、昨日から全くそれに手を付けないでいたのだ。










 実乃果 「遅刻しちゃうからもう行くねッ!」





 と大荒れになる前に私はバイトに行こうとした。

 すると彼は










 彼氏 「俺が仕事から帰ってきたらどーなるか分かってんだろうな!!

 覚悟しとけよ!! 」





 と凄い剣幕で脅してきた。

 今日は私が出勤したあとに彼氏が夜勤の仕事に行くことになっていた。

 よって帰りは私よりも遅くなる予定だった。

 いつもの事だと思っていても数時間後にはまた暴力を振るわれるのか…と思うと恐くて仕事がおろそかになった。

 バイトの休憩時間にキッチンで深い溜め息をつく私に店長が










 店長 「実乃果さんどうしたの?

 今日は何だか思い詰めてるようだけど家で何かあったの?」




 と聞いてきた。

 店長は40代くらいの男性で恵比寿様みたいな笑顔と体型とオーラをかもし出す人だった。

 店長はつづけて優しい声で










 店長 「ん?

 私で良かったら話しを聞くよ?」




 と言ってきた。

 それを聞いた私は自然と涙があふれてきて、気がつけばおいおいと泣いていた。

 彼氏から暴力を受けつづけていること、地元を出ようと思っていること、今日帰ったら暴力が待っていることをつまんで話をした。

 店長はそうか…と聞いていたかと思いきや










 店長 「今日はお店も暇だし、これから彼氏さんの家にある実乃果さんの私物を私が一緒に運び出してあげるよ!

 そんなこと出来るのって今しかないだろ?」




 と言ってくれた。

 こんなどうしようもない私に手を差し伸べてくれる店長の存在が温かすぎて私はまた大泣きをしてしまった。

 そして「ありがとうございます!」と言いながら大きく何回もうなずいた。

 感謝してもし切れないくらい本当に嬉しかった。






 大量の荷物をまとめ、実家に運び終わるまで2時間くらい掛かった。

 私はそのままバイトを上がらせてもらえる事となり、そのまま実家に留まる事にしたのだけれど、さすがにこの状況を親に黙っておくわけにはいかなかった。

 前の携帯電話を壊してしまった今では彼氏が焦ってここに来ることは目に見えているし、ちゃんと作戦を立てなくてはいけないと思った。

 彼から暴力を受けているからもうあっちの家には帰らないと親に打ち明け、そして彼氏が来たら私はここには来ていないと言って追い返してもらうよう協力をあおいだ。



 そして いよいよ彼氏が帰ってくる時刻を迎えた。

 家に着いたであろう時間からあまり経過しないで玄関のチャイムが鳴った。

 訪問者はもちろん彼氏で、玄関の方で息巻いているのが2階に居る私の部屋まで聞こえてきた。

 応戦しているお母さんの声も次第に大きくなる。



 ーーッ!



 ……怖いよぉ。



 た、助けてタカヒロぉぉぉ!! ………



 タカヒロと買いにいった携帯電話を抱きしめながらただただ祈った。

 そして20分くらいが経ってようやく彼氏は実家を後にした。

 お母さんは私に多くのことを聞かなかったけれど、彼氏の異常ぶりに娘の危機を悟ってくれたようだった。










 実乃果 「追い返してくれてありがとう…。

 ホント迷惑を掛けてごめんね。

 でも次の手は打ってあるから心配しないで。」




 とだけ言って私はまた自分の部屋にこもった。

 次の手とはもちろん中原先輩のところに行くという事だ。

 もうこの街に居るのは危険すぎる。

 明日彼氏の仕事中に先輩が待つ家に行こう!

 いつまたここにやって来るかも分からない彼氏の存在に怯えながら私は浅い眠りについた。

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