第70話 ようやく訪れた平穏

「そうだな……。できれば、肝臓、腎臓、肺、血管などが、OKOGE Type Squadの感染によってどう変化していくのかを調べてみたい。既に感染している人を定期的に検査できればいいのだが……。アリア、現在のOKOGE Type Squadの感染率は分かるか?」


「明らかな事は分かりませんが、先月のデータから予測したところでは、先進国で2%、合衆国では3%程かと思われます」


「三十人に一人くらいか……。有病率とすればとても高いが、集めるとなるとなかなか難しいかもしれないな」


「アニキ! それなら大丈夫たやで」


「えっ? どうして? 一人や二人じゃダメなんだぞ?」


「俺の所属はまだ田神製薬なんや。俺は反対したんやけど、田神の従業員は結構な確率でOKOGE Type Squadを打っている。アメリカ支部はみんな仲がええし、快く協力してくれると思うで」


「そっか。じゃあマシュー頼むよ。交通費程度は出せるようにするから、できるだけ沢山の人を集めて欲しい」


「オーケー、アニキ! 任せといて」


「検査って、どんなことをするのですか?」


「そうだな……、三か月に一度くらい、血液検査と尿検査、肺活量などの肺機能検査、血圧測定というところかな」


「それなら、私、肌年齢も測ってみたいのですが、やらせてもらえませんか?」


「肌年齢?」


「はい。血色、水分量、たるみ、角質のターンオーバー等を測定できる器械があるので、それを使って」


「うーん、美容目的の使用はいくらなんでも避けたいところだが……。でもその器械なら、毛細血管の機能評価や表皮細胞の水分量、細胞分裂の頻度もわかるかもしれないな。よし、やってみよう。アリア手配してくれ」


「やったー!」


 その日から僕は、笑顔の増えたマシューと、やる気満々のアリアと共に、新しい研究の準備を始めた。


まずはレヴィのところへ行って、承諾を得なければならない。


 本来CDCは感染症対策を行う施設なのだから、今回の研究は趣旨が異なるように思う。


 だが、レヴィは「この研究は今後どう役に立つのかわからない。わからないからやればいい。ハルヤの思うがまま、存分にやってくれたまえ」そう言ってくれた。


 アリアは大手化粧品メーカーに掛け合って、肌のデータ共有を条件に、測定器械の無期限貸し出し契約を取り付けてきてくれた。


 マシューは七十人もの協力者を集めてきてくれた。

 田神製薬の職員のみならず、その家族や友人までもが含まれていた。

 年齢は二十三歳から六十二歳まで、その七割は女性だが健康状態も様々で、とても有意義なデータが集められそうだ。


 この、動物を殺すこともなく、未来を見つめられる研究は、僕に久しぶりの平穏を与えてくれた。


 三か月に一度の検査データを積み重ねていく。


 ゆったりとした時間の流れの中、レヴィに頼まれて、近くにある大学で特別講師として定期的に講義もおこなった。


 そこはアリアが卒業した大学で、未来の人類の為に、という使命感に燃えた学生を教えるのはとても楽しかった。


 そして月日の流れと共に、OKOGE Type Squadに感染している人のデータが、蓄積されていった。


 森は僕を街の音から守ってくれて、森の音を与えてくれる。


 風に吹かれる木々の音。

 数種類の鳥の声。

 落ち葉の上を何かが駆けてゆき。

 誰かが固い木の実をかじっている。


 そんな音を聞きながら、コンソメでボイルしたウィンナーと二種類のチーズ、そして浅漬けのキャベツをおつまみにして赤ワインを飲んでいる時に、一通のメッセージが届いた。


【今から行ってもいいですか?】


 主夫の経験がある御影は、人が来ても恥ずかしくない程度にはいつも掃除をしていたし、明日は休日。


【もちろん! おいで! おいで!】とすぐにメッセージを打ち返した。



 十分程経つと足音が聞こえてきた、そして話し声と。


 話し声? と思っているとすぐに呼び鈴が鳴らされて、扉を開けると、マシューとその横には、ほっぺを膨らませたアリアが立っていた。


「もー、せっかく二人で飲んでいたのに!」と言うアリア。


 アリアから、そんな文句を言われる筋合いは全くないのだが、こんなやり取りが最近の御影の密かなる楽しみになっている。


 すでに飲んできているせいなのか、元々アリアのブレーキは効きがとても悪いのだが、今日はそれすらも壊れてしまっているようだ。


僕が出したグラスに自らワインを半分程注ぎ込み、一気に飲み干す。


「やっぱりマシューは、私よりハルヤのことが好きなんでしょ!」


「いや、せやから、そんなことに順番とはかないし……」


「だってさ、こんな可愛い女の子と二人で飲んでいるのに、どうしてハルヤのところに行こう! なんてことになるのよ」


「それは……、このままやとアリアが危ないかと思て……」


「危ないって、どういうことよ? 私が襲われるってこと? いや違うよね……。えっ? 私に襲われるってこと? 私は女の子だよ? いくらなんでもそんなことしないわよ!」


 アリアはそう言うが、今日のこの勢いなら、ありえない話でもなさそうだ。


 アリアは本当に素直ないい子で。

 その分、気持ちがそのまま表にあらわれる。


 計算された好き好き攻撃ではなくて、アリアの好きという気持ちが、そのままマシューに襲いかかる。


「ここで一つだけはっきりさせておきたいんだけど、マシューは本当にゲイじゃないんだよね?」


「うん。何度も言うてるけど、それはない」


「バイセクシャルとかは?」


「それもないって!」


「でも、ハルヤのことは好きなんでしょ? 私といてもハルヤのことばっかり話しているし」


「もちろん! 好きに決まってるやないか!」


「じゃあ私のことは? 好き? 嫌い?」


「そりゃぁ……」


 マシューの心の中には、忘れられない女性がいまだいるようなのだが、アリアの屈託のない容赦のない攻撃が、そんなマシューの心を溶かし始めているような、そんな気がする今日この頃だ。






 マシューが集めてきてくれたOKOGE Type Squadに感染している七十人の人々。

 その中には様々な病気を持っている人もいた。


 肝機能障害を持っていた人の、そのほとんどは月日の経過と共に血液検査の数値が正常値に近付いていった。

 ただし肝炎ウィルスに感染している人はそれに当てはまらなかった。


 腎機能障害を持っていた人も、そのほとんどは尿検査、血液検査共に正常値に近付いていった。

 ただし、自己免疫疾患や元々器質的な障害がある場合はそれに当てはまらない。


 肺疾患を持つ人の肺活量は、喘息の人を除き、全例で改善傾向を示した。


 高血圧は、全て正常値に近付いていった。


 そして、驚くべきことに、肌の血色、水分量、たるみは、健康な人を含め七十人全ての人で改善が見られたのだ。



 噂にはなっていた。

 そして、研究を始めて半年後には、もしかしてとは思っていた。


 だが、これはもう明らかに「みんな、若返っている……」


 表皮のターンオーバーが活発になっていることが、それを裏付けていた。


 OKOGE Type Squadの感染によって細胞の生まれ変わりが促進されて、若い細胞に置き換わってゆく。


 機能を低下させた固い組織が、瑞々しく柔軟性を持った組織に戻ってゆく。


 病気や年齢で損傷を受けてきた臓器が修復されて、その本来の機能を取り戻してゆくのだ。



 マシューとアリアは、これを論文にし、次々と発表していった。


 その最後に「効果は認められたが、OKOGE Type Squadの長期経過がまだわからない現段階では、絶対に使用すべきではない」と、僕の言葉を付け加えて。



 世界の目が再び僕たちに集まり始めた。






・器質的な障害(臓器などの形態上、解剖学上の異常)

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