第58話 OKOGE

「マシューごめんな、結局送別会ができなくなってしまって」


 飛行場に、みつきさんと玲奈と三人でマシューを見送りに来ていた。

 母が亡くなって、それなりにいろいろあって、宴会というわけにもいかなくなったのだ。


「ソンナン、ゼンゼンエエネン。アトランタナンテAirplaneデスグヤシ」


「そうだな。このグローバルな時代、どこに行ったってすぐに連絡は取れるしな」


「Yes! シュッチョウミタイナモンヤ」


「そのうち遊びに行くから、ちゃんと案内してよね」


「Oh yeah! モチロン! ヨロコンデ!」


「あっ、そろそろ時間だな。じゃあマシュー気を付けて。あと、おこげたちをよろしくな」


「Sure. アニキモ、カラダニキヲツケテヤ。アト……、レナヲダイジニシテヤッテヤ」


「ん? 玲奈を? うん……、わかった大事にするよ」


「どうして、それをマシューが頼むのよ!」


「エエネン、エエネン。ジャアアニキ、タノンダデー」


 そう言って、マシューはアメリカに帰って行った。



 そしてその一か月後、ネットを中心に全く予想だにしなかった噂が流れ始めた。


【抗癌剤で本当にアンチエイジングできるのか?】


「これ、どういうことだと思う? なぁ玲奈!」


「ちょっと待って! 今調べてる」


 仕事の合間に何げなく開いたネットのページ。


 僕の目に入るくらいなのだから、ネットの世界ではすでに広まっていることなのかもしれない。


「はっきりはわからないけど。もしかすると……、私たちが作った新薬のことかもしれない……」


「確かに、OKOGE Type Squadは細胞分裂を活発にする、だから細胞は若返るのかもしれない、でもそんなこと……。あっ、そういえば――」


「そういえばどうしたのよ?」


「母が亡くなって少し経って、むくみなんかが落ち着いてから、納棺師さんにお化粧をしてもらったんだ。そうしたら掛けていた遺影の顔そのもので、でも、その写真は十年以上も前に撮ったものだった……」


「私も癌が完治してから一度お見舞い行かせて頂いた時、お母様凄く若々しいな、とは思った」


「でも、もし万が一そんな作用があったとしても、投与しているのは六十歳以上の末期癌患者限定なんだから、こんな方向に話題が進むわけがない。実際、臨床試験でも製造販売後調査でも、そんな報告は受けていないし……」


「待って! ここに書いてある、アメリカのセレブ達の間で密かに流行してきている、って」


「アメリカのセレブって……。玲奈! アトランタは今何時だ?」


「えーっと、時差が十三時間だから、朝の四時」


「まだ眠っている時間か……。じゃあ、この件を調べてくれって、マシューにメールを頼むよ」


「うん、わかった……」


 そんなはずはない。

 絶対にあってはならない。


 僕達の薬は、どうしても他の治療法では助けることがでにない末期癌の患者さんのため、だけの薬で、しかも60歳以上にしか投与してはならない薬なんだ。


 それがアメリカのセレブ達に、しかも癌を治すためではなく、アンチエイジングのためになんて。


 もしも、そんな効果があったとしても、命を助ける目的以外で、ウィルスをわざわざ感染させるなんてことは、絶対にあってはならない。


 OKOGE Type Squadはとても安定したウィルスで、形を変化させたことは一度もない。

 でも、長期的な経過についてはまだ何一つわかっていないのだから……。


 ただのデマであってくれ……。

 もしくは、ほかの薬の話であってくれ……。



 モヤモヤした気分のまま眠りに入った夜中の一時に玲奈からメールが送られてきた。


 僕がのんびり待っていられない体質なのを知ってくれているのだろう。


 すぐに起きて、メールを開いた。


【調べてみたんやけど、やっぱりセレブを中心にモデルや女優達の間で、話題になっているらしい。OKOGEという通り名で。実際に使用した人の名前や情報は掴むことができへんかったから、本当のところはわからへん。そこで知人を頼ってCDCに問い合わせてみたら「情報はキャッチし注意はしているが、今のところ憂慮はしていない」という返事やった。また何かわかり次第連絡します。 マシューより】






 翌朝、会社に着くとすぐに報告書を作成し、佐々木次長のところに持って行った。


「どうしたんだ、御影君。そんな顔をして」


 手に持っていた経済新聞を机に置き、今日も機嫌がよさそうな佐々木次長が聞いてきた。


「昨日、変な噂がネットに流れているのを見つけて、気になったので調べてみたら、どうもOKOGE Type Squadの話みたいで……」


「変な噂?」


 一枚だけの報告書を手に取って読み始めた佐々木次長の、眉間の皺が徐々に深くなっていった。


 すぐに読み終えたようなのだが、目線を見るともう一度読み返している。


 そして、目を閉じ、どう対処するべきかを考えているようだ。


「御影君」


「はい」


「とりあえずこのことは口外しないように。まだ我が社の薬だと断定されたわけではないし」


「いやでも、CDCでも確認しているようですし、OKOGEという名前もあがっているわけですから」


「それはそうだが、公式発表されたわけではない。全て今の段階では噂にすぎないのだから」


「でも……」


「わかっている。これが我が社のものだとしたら、あってはならないことだ。上に報告をあげて必ず検討するから、全て我々に任せて、君は研究に集中をしてくれ」




「どうだった?」


 研究室に帰ると、玲奈が待ち受けていた。


「上に報告をして検討するから君は研究に集中しろ、ってさ」


「上にって、またうちのオヤジか……。じゃあ今度会ったら直接言ってみるよ」


「いいや、正式に報告書としてあげたんだし、会社としてちゃんと対処してくれるだろう、だから個人的には話さなくていいよ」


「そっか、気を使ってくれて……、ありがとう」


 せっかくご両親が健在なのだから、できれば仲良くいて欲しい。






 僕はだいたい週に一回のペースで、元の自分の部屋に帰っていた。


 それは、健康な男性にはどうしても必要なことで、みつきさんと一緒にはできないことで。


 みつきさんに、その理由を言ったことは一度もないのだが、なんとなく察してくれているようだ。


 最近は、世間の一時の熱気も冷めてくれて、僕が自宅に帰らないこともわかってきたためか、報道陣が待ち受けていることもなくなった。


 土曜日のお昼前、女性には決してわからない気怠さとともに目が覚めて、コーヒーを飲みながらテレビをつけた。


 見ると、どこかで見たことのある薬液の詰められたディスポのシリンジが映し出されていた。


「これが今話題になっている、OKOGEです。雑誌Nature とCell に同時掲載され、一躍有名になった画期的な抗癌剤その一部です。この薬は、ウィルスの力で人の細胞の治癒力を上げ、そこに強力な抗癌剤を投与して、癌細胞を死滅させるわけですが、OKOGEはそのウィルスが封入されたものです。これが今、その副作用と言いますか、副効果? が注目されているのです」


 どういうことなんだ。


 何故、あのシリンジがテレビ局のスタジオにあるんだ。


 投与対象の患者がいれば、医師が医薬品卸に発注し、そこを通して田神製薬に発注され、再び医薬品卸を通して薬剤が病院に届けられる。


 この薬に関しては、病院も医薬品卸もストックを持たない決まりになっているのに……。






・CDC(アメリカ疾病管理予防センター。保健福祉省所管の感染症対策の総合研究所)

・ディスポのシリンジ(使い捨ての注射器)


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