第56話 告白
一心にお祈りした後、もう一度頭を下げ、玲奈の方を振り向くと「長いなマシュー」とすぐにツッコミを入れられた。
「そんなにたくさんお願い事があるの? 贅沢者だなぁ」
「いや、お願いは一つなんやけど……」
「一つ? あんなに長かったのに? そんなに一生懸命何をお願いしたのよ?」
「それは……」
うん。
今や、いま言おう。
「俺の唯一の願いは、玲奈、君と一緒にいたい、ってことなんや」
「ん? 今も一緒にいるじゃない。仕事も一緒にやってるし」
「実は……、近々アメリカに、アトランタに帰ることになったんや」
「えっ? そうなの? どうして?」
「予定されていた視察研究の期間はとうに過ぎているし、OKOGEの研究も一段落したから、アトランタに帰ってきて指導をして欲しいって」
「でも、そんなの会社に掛け合えばなんとかなるんじゃないの? いっそのこと日本の本社に移籍しちゃえばいいじゃない」
「それは……、俺にも家族や友人がアトランタにいるし、それに……」
「それに、何?」
「もう、これ以上……、好きな人が恋していくところを見ていられへんねん」
「……」
「だから……、玲奈、俺と一緒にアトランタに来てくれへんか」
「えっ?」
「そして、もし玲奈さえよければ、なんやけど……、俺と、結婚して欲しい。必ず玲奈を俺が幸せにするから」
「ちょっ、ちょっと待って。そんなの……、急に言われても……」
「結婚の話はゆっくり考えてくれてええから」
「いや、でも……」
「俺は玲奈に幸せになって欲しいんや。玲奈が幸せになるなら、俺は喜んで身を引く。でも玲奈の好きな人は……」
「わかってる、そんなのわかってるよ。リーダーの気持ちは一途で、その相手が私ではないことも……。でもね、二人は結婚しているわけじゃないし、時間が人を変えることもある。それに……」
「それに?」
「それにはまぁいいよ。だから……、気持ちはすごく嬉しいんだけど……、マシューと一緒には行けないよ……」
結果はわかってた。
玲奈の感情はもうすでに確かなものになっていて、彼女が打算で動くことはないということも。
わかってはいたけど、もしかすると、という思いは、彼女のことを考えれば考えるほどに膨らんでいって。
でも、今すでにもう、告白したことを後悔し始めている。
じっと待ってたら、
いい人のまま、じっと待ってさえいたら……。
でも、これ以上、恋をしている玲奈を見てることができへん。
どうしても、できへんねん。
自分はそんなに強い人間じゃないから……。
「OK! レナチャン!」
「ん? どうして日本語?」
「ニホンゴデ、キモチヲツタエヨウトオモテ」
「うん。言ってみて」
「ガンバリスギタラアカンデー。Meハ、フラレテモ、レナチャンガ、スキヤシ」
「好きやし、って、意味わからへんし」
「エエネン、エエネン」
最後まで憎まれ口を叩く玲奈。
泣きながら憎まれ口を叩く玲奈。
やっぱり、腹が立つほど可愛い……。
自分のものにしたい。
自分だけのものにしたい。
心の中に出てくるそんな感情を打ち払おうと、常香炉に近付いてその煙を何度も何度も頭に浴びせかけ、出てしまった涙を煙に咽たふりをして必死にごまかした。
「さみしくなるな」
製造販売後調査も一段落した。
その結果は僕たちの期待以上のもので、更に売り上げは生産が追い付かない程、驚異的なものとなった。
このため、OKOGE Type SquadとPAA with sugarの研究チームは一旦解散となって、またSquadの四人で新たな基礎研究に取り組む、はずだったのだが。
佐々木課長はうわさの通り次長に昇進し、伏見常務は何人いるのかわからない役員を飛び越えて副社長になったらしい。
そして、みつきさんがその副社長の専属秘書に抜擢された。
僕は主幹に、玲奈も主幹補佐に昇進し、本来みんなでお祝いすべきことなのだが、完全にさみしさの方がまさってしまい、四人でおこげの部屋に集まっていた。
そんな中、今度はマシューが帰国すると言い出した。
玲奈もみつきさんも、下を向いて黙っているところをみると、すでに知っていたのかもしれない。
「残念だけど、Squadはもう解散だな」
「No! ソンナコトナイデ! アトランタデモOKOGEノケンキュウハ、スルデー」
「そうですよ。私も社内にいるのだし、いつでも、どんなことでも言って下さいね」
「私はもちろん補佐としてリーダーの隣にいるわけだし。これからもSquadは存続するよ。分裂はするけど、消滅するわけじゃない。だからさ、そんなに落ち込まないでよ」
「そうだな。またそれぞれの場所で頑張ればいいか」
「アニキー! ソコデヒトツ、タノミタイコトガアルンヤケド」
「なんだよマシューあらたまって。言ってみろよー、マシューのためなら何でもするからさ」
「オコゲヲアズカラセテホシイネン」
「えっ?」
「オコゲヲ……、アトランタ二、ツレテイキタイネン」
「おこげをアメリカに? どうして?」
「Long‐term follow‐up シタイネン。モットクワシク、シラベタイネン」
「……」
「タノムヨ、アニキ。ゼッタイ、タイセツニスルカラ」
「オーケー、わかった! じゃあ、あんこも一緒に連れて行ってやってくれ。マシューならおこげ達を可愛がってくれることもわかっているし。元々、実験動物として生まれてきたんだから、心行くまで調べてやってくれ。いいよな? おこげ」
僕がそう、おこげに向かってたずねると、あんこの方が「クック、クック」と返事をした。
体はあんこの方が小さいのだが、決定権は女性の方にあるらしい。
「あんこも、行くって言っているし。じゃあ盛大に送別会でもしようか。どこでする?」
「じゃあねぇ――」
玲奈が、いくつかのお店の名前をあげて「どこにする? どこにする?」と、ようやくみんなに笑顔が戻ってきたその時に、突然、白衣のポケットに入れていたスマートフォンが振動を始めた。
ポケットから取り出して画面を見ると姉からだった。
通話ボタンを押すと、もしもしと言う前に、姉の声が聞こえてきた。
「すぐに来て! お母さんが血を吐いて……、救急車で運ばれたの……」
「どこの病院? すぐに行く!」
顔を上げると、皆が心配そうに僕を見つめていて、みつきさんはタクシーを呼ぶために電話をかけていた。
「アニキ……」
「母が、血を吐いて、救急車で運ばれたらしい。今から行ってくる」
母の癌は再発することもなく、体調も明らかに改善された。
しかし、OKOGE Type SquadとPAA with sugarの組み合わせは、やはり万能薬になることはなかった。
一度線維化を起こしてしまった母の肝臓が元の機能を取り戻すことはなく、C型肝炎ウィルスをやっつけてくれることも、もちろんなかった。
このため、母の肝硬変は少しずつ進行していった。
タクシーを降りて、病院の玄関ホールを走り抜けた。
病院内は走るべきではない。
そんなことは分かっているが、走らずにはいられなかった。
母の病態はどうなのだろうか?
もしかして、もう……。
エレベーターのボタンを押しはしたが、やって来るまで待っていられない。
病室は五階だ。
階段を駆け上がった。
二段飛ばしで駆け上がる。
何かのホルモンが出ているのだろう、苦しさは全く感じない。
ただただ、待っていてくれ、そう願うばかりだった。
張り出されていた案内図を見て廊下を走り、部屋に向かった。
途中、看護師さんとすれ違ったが咎められることはなかった。
部屋のドアは開いていて、僕はそのまま走り込んだ。
「お母さん!」
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