第16話 大発見

 電車を降りてからも、リーダーは独り言を続けているようで、前から歩いて来た人が怪訝な表情をして振り返って行く。

 だが、本人はそのことに全く気が付いていないようだ。


 きっと学生時代モテなかっただろうなぁ、友達はいたんだろうか、そんなことを思う反面、外部からの音を遮断して、考えを言葉に出し、頭の中で集中して思考する変わり者の、もしかして天才? なんてありえないことも考えた。


 会社に到着し真っ直ぐ研究室に向かうと思いきや、正門を入るとすぐ右手に曲がり、塀沿いに足を進めて行った。


 どこに行くのだろうかと思っていると、歩道を外れ植込みの中に入って行く。


「あっ、もしかして」

 リーダーは鞄を下すと、その中から軍手を取り出し手にはめた。

 その前には、慰霊碑がある。


 年に一度、動物愛護団体へのアピールも含め慰霊祭が行われる。

 その時以外は、誰も訪れることのない慰霊碑と刻まれた石の周りの雑草をリーダーは抜き始めた。


 いくら研究者であっても、実験動物を殺す時には申し訳ない気持ちにはなるのだが、いちいち気にしてなどいられないというところが本音だろう。


 だから、常に感謝の気持ちを忘れずに、というお題目には無理がある。


 もし動物への気持ちを持ちすぎれば、良心の呵責にさいなまれ、自分の精神を壊してしまうかもしれない。

 それほど多くの命を奪っているのだ。


 おそらく多くの研究者は、その部分を「見なかったこと」にして、日々を過ごしているのではないだろうか。


 そのためか、日常は誰も慰霊碑を訪れることはない。


 そんなことを考えている間にも、リーダーは少しずつ移動しながら雑草を抜き続けている。


 私はじっとしていられなくなって、リーダーのもとへと駈け出した。


「リーダー、こんな朝から何やってるんですか!」


「あっ、伏見さん。おはようございます」


「おはようじゃなくて、ほら、膝のところが汚れちゃってるし」


「あっ、着替えを持ってきているので大丈夫。朝のうちにやらないと暑くなっちゃうから」

 そう言うとリーダーは私に背を向け、草引きを再開した。


「しょうがないなぁ」

 そう言って、リーダーの隣にしゃがみ込むと、すぐに「伏見さんはやらない方がいいですよ。パンプスだし、手も汚れちゃいます」と制止された。


「いいからいいから、二人でやってさっさと終わらせようよ」


 制止を振り切って雑草に手をかけると、目の前に軍手を差し出された。


「じゃあせめてこれを着けて下さい。大切な手に傷なんかつけないで下さいね」


 私は小さく頭を下げ、素直に軍手を手にはめた。


 軍手はとても大きくて、しっとりと熱をおびていた。






「キーキー、キュイーキュイー」


「おいおい、そんなに怒るなよ。水を換えているだけじゃないか」


 おこげの体を調べるために、特大の巻き簾を用意して、腫瘍があった場所とその周り、それ以外の正常な部位と、何度も針を刺して組織を採集した。


 それ以来、おこげは僕の顔を見るだけで威嚇モードに入ってしまう。


 頭を低く構え、僕をじっとにらみつけるおこげ。

「グルグルグル」と警戒音を出している。


「悪かったって! もうしないからさ、たぶん……」


 警戒を緩めることのないおこげ。


 僕はゲージの柵の間から、タンポポの葉を差し出した。


「おまえ、これ好きだろ? 朝摘みだからきっとうまいぞ。天然無農薬だし二度洗いしたから身体にも優しい。ほら、食べてみろよ。ほーらっ」


 ようやくおこげが「グルグルグル」をやめ、近付いてきた。


「アニキー!」


「うわぁっ、びっくりしたぁ」


 マシューが叫びながら、部屋に入ってきたのだ。


「もう、せっかくおこげと仲直りできそうだったのに、驚いて逃げちゃったじゃないか」


「Sorry but. ワカッタデ、アニキ。ワカッタンヤ!」


「あっ! おこげのDNAか! なんだ? どうだったんだ?」


 御影が興奮しすぎたせいで、さっきまで叫んでいたマシューに「マアマア、オチツイテオチツイテ」と言われてしまった。


「わかった、わっかたから。で、どうだったんだ」


「オコゲ is infected !」


「ん? なんだって? 感染? 何に感染しているんだ?


「Virus や。レトロウィルス二、カンセンシテルンヤ! オコゲハ」


「えっ?」


 レトロウィルスと言われても、いまいちピンとこない御影を見て、マシューはお笑い芸人がやるように、ガクッと右肩を落として目をまたたかせた。

 こいつ、どこまで関西人なんだ。


 正直なところ、僕は遺伝子やウィルスのことをよくはわかっていない。


「オーケーィ、アニキー」

 マシューは小さな子をなだめるようにそう言って、英語とカタカナと関西弁と絵まで使って教えてくれた。



 そもそもウィルスは、自分だけでは増殖することができず、他の生物の細胞を利用して、というか寄生して増殖する。


 ここまでは学生時代に習った記憶があるのだが、ここからがややこしい。


 私達生物は一般的にDNAの中に遺伝情報を収めている。

 そしてRNAの力を借りて、その遺伝情報を伝えていく。


 だが、レトロウィルスはRNAの形で遺伝情報を持っていて、他の生物の細胞に侵入した後、それをいったん逆転写酵素によりDNAの形にコピーをする。


 このコピーされたウィルスの遺伝情報が、寄生された細胞の遺伝子に入り込み、様々な影響をもたらすことになる。


 例えば、人の癌抑制遺伝子にウィルスのDNAが入り込み、その機能を阻害すれば、細胞は癌化してしまう。


 逆に、iPS細胞はこの特徴を利用することによって作られている。


 皮膚などの細胞をiPS細胞に変えるために必要な四つの遺伝子Oct3/4・Sox2・Klf4・c-Mycはレトロウィルスを使って人の細胞内に入れているのである。


 そして今回、おこげに感染していたのは未知のレトロウィルスだったのだ。


 生物の細胞は、適所で適したスピードで、必要とされる形に細胞分裂する。


 これは制御配列と呼ばれる特別な塩基配列が制御してくれているだが、この未知のウィルスは、どうやら細胞分裂を促進させる制御配列をおこげのDNA内に入れ込んでいるらしい。


 この作用によって細胞が異常増殖すれば、癌になってしまうのだが、おこげのウィルスは本来の秩序を保ちつつ、細胞分裂を促進させているようだ。


 最初にできていた扁平上皮癌が、このレトロウィルスのせいなのかどうかは分からない。


 だが、普通よりも腫瘍の増大スピードが速かったのは、この制御配列が関係している可能性が高い。


 それよりも、今回おこげに起こった最大の変化は組織再生力の飛躍的な向上だった。


 おこげは未知のウィルス感染によって、傷の治りが異常に早くなっているのだ。


 だから、P-SEによって癌の周りの正常細胞を少々痛めつけられても、すぐに再生し治ってしまった。



 これはおそらく世紀の大発見だ。


「オチツイテキクンヤデー」と言っていたマシューも説明を進めていくうちに興奮度がどんどん増してゆき、英語と関西弁がごちゃごちゃになってきて理解するのにとても苦労をした。


 だが、全てを理解した夜の十二時、僕はマシューと抱き合い、肩を叩き合い、笑い合いながら、歓喜の雄叫びを上げた。


 タンポポの葉を食べたせいなのか、二人の気持ちが移ったからかは判らないが、おこげも「クッククック」と嬉しそうに鳴いていた。

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