『葵さん』

やましん(テンパー)

『葵さん』

 『このお話は、基本的に、フィクションです。』


    ・・・・・・・・・・・

 

 葵さんのことを書くことは、とても難しいのです。


 それは、いくらか昔のことだから、という理由もありますが、なによりその事実自体が、ぼんやりと霞んだ様なお話であり、あったんだかなかったんだか、というところが、大変怪しいことだからなのです。


 もう百年近くも前のことだったような気がします。


 でも、もしかしたら、まだ、数年前だったのかもしれませんが。


 ぼくは、メンタル面から来る体調の不調から、この世の中にいることができなくなって、ある、こんもりした森の中の施設に入っておりました。


 それは、トーマス・マンさまの『魔の山』の主人公が入っていたような場所だったかもしれません。


 人里離れた、雲の中にあるような施設です。


 実際は、都会のすぐ脇でしたが。


 それでも、とてもよい環境で、奇麗で住みやすい個室の中に、ひとりで静かに住んでいたのです。


 週に一回、お医者様のカウンセリングがありましたが、あとは適度な運動や軽い作業などが日課になっていた他は、基本的に自由だったのです。


 体調が落ち着いたら、だんだん社会復帰を目指す、コースもあったのですが、ぼくは、あまりそのことには、まだ拘っていませんでした。


 それよりは、まず、落ちついて生きていることの方が、大切だったのです。


 そのころのぼくは、生きていると言うよりは、生きていないと言った方が、まだ、正しかったのですから。


 つまりは、幽霊のような存在だったのです。


 それでも、病院での、まるで、監獄のように窮屈な生活からは、ようやく脱出できて、ぼくはここの自由が気に入っておりました。


 でも、入所してすぐに、不思議な事に気が付いたのでした。


 ひとりの美しい女性が、施設の中を日傘をさして歩いていたのです。


 大正ロマン時代のような、おしゃれな装飾がいっぱいの傘でした。


 服装も、やや時代がかった、ちょっとだけ和風なドレスだったのです。


 まるで、漫画の世界から、抜け出してきたような面持も、ありました。


 「美しい」と、形容はしましたが、じつはお顔は、まったく見えていなかったのです。


 全体的に、「美しい」と感じたのです。


 不思議な事に、彼女はドアも、壁も、自由自在に通り抜けてしまいます。


 人間のからだでさえも、そうでした。


 でも、その姿は、はっきりと見えていたのです。


 当然の事ながら、ぼくはその事実を、なかなか誰かに話すようなことは出来ませんでした。


 新しい病名を贈られるなんて、あまり楽しくないように思ったからです。

 

 それでも、その方は、毎日のように、施設の中を、自由に、歩き回っておりました。



   ************   



 その日もぼくは、彼女と同じように、この広い施設の中を散歩しておりました。


 『公共広場』という場所がありました。


 ここは、入所者が自由に、いろんなことをやれる場所です。


 天井は、とても高く、丸く広大なガラス張りになっていて、明るく開放的な場所です。 


 計画を立てて、施設に申し込みをして、内容が認められたら、日程の調節や物資の用意や、いろいろな段取りをとって、実行するのです。


 楽器の演奏を行う方もありましたし、講演会や、自由討論会、さらに模擬店舗を出して、古本や、自作のぬいぐるみの販売、とかなど、いろいろと、ありました。


 ただ、食べ物は、ダメでしたけれども。


 お金は、施設の中だけで通用する『ドリム・チケット』という小さな紙片を使います。


 1ドリムが10円くらいの換算になっておりました。

 個人に与えらえる『ドリム』には決まりがあって、使用期限がついているので誰かだけがお金持ちになるということにはなりません。


 ここらあたりは、施設長さんであり、院長さんである、名倉先生のポリシーが反映されていたのでしょう。


 彼女は、ここの3代目の院長さんです。

 毎週ぼくの話を聞いてくれるのも、名倉先生でした。


 ぼくは男性の怖いお医者さんが苦手なので、名倉先生はとても良かったのです。


 職場指定の、男の管理医の先生は、良い方でしたが、当然に厳しい側面もありました。


 休職にあたっては、6か月たったら、職場復帰しなければならない、という、お約束がありました。


 職場からみれば、当然の言い分でしょうが、ぼくには、やや、重圧感がありました。



 また、診察室の心理カウンセラーの方は女性の方でしたが、なんとなく敵対的な雰囲気の、ややきつい対応をされる方した。


 あきらかに、『こいつは怪しい』、と睨まれていたような雰囲気で、何かお話すると、すぐ反論されてしまい、それに上手く答えられなくなるので、ぼくには、どうも、苦手だったのです。


 それが、たぶん、カウンセリングの手法なのだろうと、ぼくは解釈しようとしておりましたが。


「だから、休んでいいのは6か月だけです。それ以上になったら、職場が回らないですからね。」


 ぼくは、約束どおり、職場のメンタル管理医の先生から、そう言われました。


 しかし、普段通院している病院の院長先生は、理解のあるかたで、実際は、10か月経って、復帰の許可がでました。


 でも、結局仕事は、その後、上手く続けられることはありませんでした。


 なんとなく、『怠けもの』、と背中にスタンプを押されてしまったように、感じておりました。


 仲の良かったほとんどの同僚からも(例外はありましたが)、声がまったく、かからなくなりました。


 でも、自分なりに闘って努力はしたつもりでしたが、周囲から見ると、あきらかに、怠け者以外のものではなかったでしょうし、それは、きっと、本当の事だったのでしょう。


 まあ、仕方がなかったかと思います。


 じぶんでも、明らかに、低レベルでしたから。


 以前のようには、うまく、お客様とも、話ができなくなっていたのです。


 実際に、要求される水準で働けない人間は、職場や、社会の役には立ちませんでしょうからね。


 しかも、給料は、だいぶ下がったけど、職場は、ぼくに、まだ、払わなければならないわけです。


 彼らの怒りは、ぼくの怒りでもあり、それは、それなりに、理解はできるものでしたから。


 だって、過去に、ぼくと同じように、メンタルを崩した方に対する、その時点での、ぼくの感想からいっても、まあ、そうだったからです。


 ひとは、自分がその立場に立たなければ、なにごとにつけ、なかなか理解はしがたいものなのです。 


    ・・・・・・・・・・・・・


 ある日、ぼくは、所長室に呼ばれ、上司4人にとりかこまれました。


『いつになったら、ちゃんと、出来るようになるの?』


『給料だけ、もらって、済むと思うな。』


 そのように、言い渡されました。


 それは、自分が自分に言ってやりたいセリフです。


 また、現場の部下からも、厳しい批判や、いやがらせが始まりました。


 しかし、かれらは、正義感から言ったり、やったり、していたのです。


 だから、いよいよ、社会から身を引くのは、もう、当然の事であり、本当のところを言えば、実際に、すべての姿を、この世から、消すべきだったのです。


 つまり、すっぱり、自決すべきだったのです。


 それが、社会の要求だろうと、思いました。


 ほかに、解釈はできません。


 でも、それは出来ませんでした。


 自決は、あまりに屈辱的です。


 矛盾はしますが、ぼくにも、多少は、ひなびたプライドがあります。


 まだ生きている、という、プライドです。


 もっとも、自決出来なかった、という、そのこと自体が、実は、社会の暗黙の、罰なのでしょう。


 社会は、暗黙のうちに、最終的に、身をきちんと、自ら処すことを、脱落者に求めるのです。


 だから、こうして、半分幽霊のように世の中から遠ざかってきているのですから。


 でも、これだって、それなりの経済的負担が社会にはあるわけなのですから、申し訳のないことなのです。 


 ぼくは、そうした自責の念と、争いごとから避難出来た安心感との、境目に挟まっていたのです。


     ・・・・・・・・・・


 

 で、その日もいくつかのお店が出ていました。


 珍しい事に、中古CDの模擬店舗が出ていたので、ぼくはそこに立ち寄りました。

 音楽は大好きですが、ここにはあまりCDも持ち込んではいません。


 そうした元気も、実のところ、それほどは無かったからですし、CDを持って尋ねて来てくれるような人も、ほとんどいなかったのですから。


 そこで、久しぶりになつかしい、レコード屋さんに入るような気分で、そのテントの中に入りました。


 そこに、葵さんが、いたのです。


 その時は、ぼくは彼女の名前を、まだ知りませんでした。

 彼女は、相変わらず日傘をさしたままで、中古のCDが詰まった段ボール箱を見下ろしているようでした。


 でも、やはりお顔は見えません。


 おぼろげな視線だけが、箱の上に落ちていたのです。


 その出店のご主人は、まるで有名な漫画家さんのようなベレー帽をかぶり、顔中おひげのおじさんでしたが、その目はなんとなく優しそうでした。


「いらっしゃい。」


 彼はそう言いました。


「自由に見て下さい。どれも20ドリムですよ。ぼくの下界の家の在庫から出してきたものです。ジャズと、クラシックと、あと歌謡曲が少し。あんた、ジャズ好き?」


「ああ、ぼくは、大体、クラシックです。」


「そりゃあいい。掘り出し物があるかも。」


「はあ・・・」


 ぼくは、すぐ横にふわっと来ていた彼女の事を、もう、とても尋ねたかったのですが、まさか真横に来ている人の事を、「あの、この人、見えてますか?」とは、とても聞けません。


 葵さんは、ぼくの気持ちを見抜いたかのように、じっと、寄り添うように、ぴったりと、くっついてきました。


 とはいえ、肉体的な感覚は、まったくありません。


 ぼくは、冷や汗でいっぱいになりました。


「あんた、大丈夫?もし、気分悪かったら看護師さん呼んであげるよ。ここならそれが、普通なんだから。」


 店主さんには、どうやら、彼女は見えていないようです。


「ああ、いえ。特には・・・」


ぼくは、ちょっと口ごもりました。


葵さんは、そのぼくの中を、通り抜けて、お店から出て行ってしまったのです。


ぼくは、シューベルトさんの『ピアノ三重奏曲第2番』のCDを頂いて、お店から出ました。



 *************



 そうして、あの晩のことになりました。


 ぼくは、昼間買った『CD』を小さなプレーヤーにかけ、イアフォンで聞きながら、ベッドに横たわっておりました。


 良い音楽なのです。


 とくに第2楽章が、ほんとに、素敵です。


 ただ、ぼくには、最後まで聞いている気力がありませんでした。


 途中で、夢の中に吸い込まれて行きました。


 夕闇の中のような薄暗い職場で、若い係長さんあたりから、また、叱られておりました。


「いつになったら、いったい、出来るようになるの!」


 ぼくは、職場の建物の中を逃げ回りました。


 掃除用具の収蔵庫に逃げ込みます。


 でも、そこにも人がいて、ぼくの居場所はありません。


 どこに逃げ回っても、ぼくのいるべき場所はないのでした。


 やがて、空から、針の雨が降り注ぎます。


 頑丈な建物の中でも、その雨はますます激しく、僕の体に、撃ちつけられるのです。


 『会場案内』とかかれた、看板を持ち上げて防ごうとしましたが、その看板くらいは、軽く突き抜けてしまって、もう、ますます体中に針が突き刺さるのです。


 裏のボイラー室の陰に隠れても、あらゆる方向から撃ち抜かれてしまいます。


「痛い痛い!」


 ぼくは起き上がりました。


 汗びっしょりで、からだ中が冷たくなって、緊張しています。


 はあはあ言いながら、ぼくは部屋中を見回しました。


 しんとした、ぼくの自室です。


 もう、音楽は鳴りやんでいました。


「ああ!・・・・」


 ぼくは絶句して、天井を仰ぎました。


「また、同じような夢か・・・」


 毎晩、怪獣や宇宙人や、元部下や、天変地異たちに、攻撃される夢ばかりです。


「おトイレに行こうかなあ・・・」


 そこで、ぼくは見たのです。


 ドアから、彼女がすっと入って来るのを。


 日傘を、指で軽くつまんでさしたまま、彼女はうつろな感じで、部屋に侵入してきました。


 カラフルな色が浮き上がって見えているようにも、またセピア色の写真のような感じでもありますし、とても微妙な感触なのでした。


 ぼくは、その姿を、ベッドの上から見つめていました。


 彼女は、ぼくのすぐ横に来ました。


 うつむいているので、やはりお顔はもう一つよく見えません。


 しかし、その直後、彼女は突然、そのお顔を上げたのです。


 血の気のない、まったく表情のない、真っ白なお顔。


 あきらかに、死人のお顔です。


 でも、なぜか、美しい。


 明らかに、美しいのです。


 まるで、美というものが、そのままある瞬間に凍結したような、そういう風な、ものでした。


「ここは、あなたのお部屋?」


 そう聞こえました。


「あ、はい・・・。」


 ぼくは、答えました。


 これは、きっと、夢の続きなのだろう、と考えていました。


「あの方を、ご存知ない?」


「え? どなたですか?」


 彼女は部屋の中を、ゆっくりと見回しました。


「いらっしゃらない。」


 そうつぶやいたようでした。


 それから、また、まるで彷徨うように、ゆらゆらと、向こうの壁に向かって彼女は歩き始めたのです。


「あの、あなたは、どなたですか? お名前は?」


「・・あおい・・・」


 浮かぶように歩きながら、彼女は言い、それから壁の中に消えて行きました。


 もう、凍えそうな大気だけが、残っていたのです。



 ****************



 葵さんと話をしたのは、後にも先にも、その夜だけです。


 その後も、葵さんの姿は、施設のあちこちで見かけましたが、ぼくなどには、まったく関心を寄せていないようでした。


   ・・・・・・・・・・・・・

 

 それから、先生のカウンセリングの日が来ました。


 ぼくは、思い切って、葵さんのお話を切り出したのです。

 名倉先生は、じっとぼくの話を聞いてくださいました。


 看護師さんがおひとり、ぼくに付き添ってくれていましたが、彼女もなんとなく、普段よりも、にこやかに聞いてくれておりました。


「そうですか。」


 先生は立ち上がって、向こうにある重厚な木製の本棚の、ガラスの扉を開けました。


 それから、一冊のアルバムを取り出したのです。


 先生は席に戻ると、ぱらぱらと、その厚い表紙のアルバムをめくりました。


 まだ、最初の方のページで、先生はぐっとアルバムを押し広げたまま、ぼくに、ある古い写真を見せてくれたのです。


「とても古い写真です。初代、つまり、あたくしのおじいさまが現役だったころのものです。この方、見覚えがありますか?」


 先生が指さしたその女性は、ちょっと小さいけれども、あきらかに見覚えがありました。


 あおい、さんです。


 日傘も、ドレスも、そのままです。


「まあ、個人情報ですから、どこまでお話していいものかですが、もうご遺族もないようですしね、このかたは、『葵さん』と言います。ここの初めの頃の入所者の方でした。あなたには、見えたのですね?」


 先生は、そのお名前を、漢字で紙に書きながら、ぼくに尋ねました。


 ぼくは、肯きました。


「じつは、あたしくしには見えません。でも、多くの人が見たと言います。だから、見える方には、実際に見えているのでしょう。科学的には肯定できませんよ。この方は、恋人を戦争で失って、ここに来たらしいのです。そうして、ここでお亡くなりになったようです。死因は、はっきりしておりません。かなり、昔の事ですから。でも、自殺だったという古い先輩のお話しもあります。それ以上のことは伝わっておりません。」


 先生からは、このことで、ぼくの健康状態が、どうのこうの、というようなお話は、まったく出ませんでした。

 

 葵さんは、その後も施設の中を、恋人を探して尋ねて回っているのでしょう。


 ぼくは、その後一か月くらいでそこを出て、自宅に戻りました。


 社会復帰はしていませんが、自決は当面、思いとどまったのです。


 葵さんの、あのお顔は、一生忘れられない事でしょう。




 *****************


            おしまい


 











  





 



















 







 







 










 


 



 





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