122.拝啓、まだ見ぬ君へ
『冬の寒さが厳しくなって参りましたが、お加減はいかがでしょうか。君が辛い時にいつも側にいることのできないこと、不甲斐なく思います。』
ほんの少し几帳面で角張った文字は、私の知っている殿下のものだ。丁寧な言葉遣いがなんだか
彼は、どんな顔をしてこの手紙を書いたのだろうか。眉根を寄せる殿下の顔を思い出す。きっとこんな顔。いや、それとももっと私の知らない顔をしているのかもしれない。
一年も前に書かれた手紙。これは、彼がレジーナに言い寄られて嫌気がさしている時だったかな。まだ彼が、本当のことを何も知らない頃だ。私のことを『クリストファー』だと信じていた頃の手紙。随分と前のことのように感じる。
あの頃の彼の中にいた私は、病に倒れたか弱い少女だったのだろうか。まさか、隣にいるとは思っていなかったのだろう。
『私の記憶が幼い頃の君のように、君の記憶も幼い私なのでしょう。君の中にいる、好きな女の子一人さえ守ることの出来なかった非力な私は、元気にしていますか?』
私は目を瞑って幼い日の彼を思い出す。大きな庭園で出会った王子様だ。太陽の光を浴びて、プラチナブロンドがキラキラと輝いていた。二つの宝石みたいな瞳をはめ込んだ、強い目をした男の子。
別れの日。ウィザー家の庭園で、月明かりに照らされたプラチナブロンドも忘れたりはしなかった。一年過ぎても二年過ぎても思い出す。あの日の二人きりの夜の庭園。大きな月と菜の花の香り。
この頃の殿下の中の私は、どんな女の子だったのだろう。気になったけれど、手紙のどこを読んでも見当たらない。少しだけ、がっかりした。
『五年ぶり会った君の兄、クリストファーは昔の面影を残したままでした。双子の君がどんな風に変わったのか、会える日が楽しみです。
昔の面影はあるものの、彼は随分と表情が柔らかくなったように思います。昔はもう少し取っ付きにくかったというのに。その代わり、時折見せる表情が、私の記憶の中の君と混同してしまうことがあります。君に会えたような気になって、胸が騒つくのです。双子だからかな?』
だって、殿下が見ていたのは私だもの。
私は小さく笑った。私を通して『ロザリア』を見ていただなんて。なんだか変な話。
『今のクリストファーは、君が好きだった物語の王子様みたいに紳士的で、皆からも好かれている。アカデミーでも夜会でも、いつもクリストファーの話題で持ちきりだ。これは、君の影響なのかな。』
だって、物語の王子様を参考にしたのだもの。それにしても、いつの間に殿下は私の好きな本を読んだの?
『彼と過ごす毎日は、悪くないなと思える程に充実していて、その度に君がここに居ないことが不思議に思うことがあります。クリストファーの隣には、必ず君がいたから。こんなことを書いたら笑われてしまうかもしれないけれど、クリストファーと共に過ごしていると、時々君と一緒にいるような気分になります。君に会いたいばっかりに、クリストファーの奥に君を探してしまう私を、笑って欲しい。』
本当はずっとずっと早く、彼は本能的に気づいていたのかもしれない。私の正体に。当時の私がこの手紙を読んでいたら、次の日から気が気じゃなかったかも。
二枚目も、三枚目もずっと『クリストファー』の話が続いていた。こんなことがあった、あんなことがあった。どんなことをしていたのか。そんな話ばかり。殿下のことはこれっぽっちも書いてはいない。
もっと、殿下のことが知りたいのに、この手紙の殆どは、『クリストファー』のことで埋まっていた。
『次に会ったら、六年分の思い出を交換しよう。眠くなるまでずっと。六年の間にどんな花を見た? どんな夢を見た? クリストファーとチェスは何回やった? 美味しかった食べ物は?
そして、充分に思い出を交換したら、真っ白な六年に落書きをしよう。あの頃みたいに三人で遊ぼう。まずは庭園の花を見て回ろうか。新しい花が増えたと聞く。きっと君は一日中飽きない。
その後は、かくれんぼをしよう。広い庭園だからきっと面白い。私は真っ先に君を見つけに行く。体を小さくして隠れている君に、私は花束を差して出して』
中途半端なところで止まった。次が最後の一枚だ。最後の一枚をめくる手が小さく震えた。胸が高鳴っている。次に続く言葉なんてそう多くないような気もするし、期待し過ぎも良くないと思うの。
一年前どころか、六年前に戻った気分。
今この部屋には一人なのに、段々と恥ずかしくなってきた。居ても立っても居られなくて、はずかしさを押し流す為に、私は長椅子にゴロンと横になる。読みかけの手紙で顔を隠して、小さく身悶えた。
「会いたい……」
ここは北の領地。簡単に会える場所ではない。たった一年半近くに居ただけで、すぐ側にいることご当たり前のようになっていた。
窓の外ではひらりひらりと黄色の葉が、冬の訪れを知らせながら仲間の元に落ちていく。秋の葉のように、私もひらひらと風に揺れながら彼の元に行けたのならば、どんなに幸せだろう。
物思いに耽っていると、扉を叩く音が部屋中に響いた。ほんの少し焦っているのか、叩く音が速い。私は慌てて座り直そうとしたけれど、返事を待たずに扉が開いてしまった。
「ロザリア様っ! 大変です!」
慌てた顔のシシリーが、息を切らして部屋に入ってきた。思わず小首を傾げる。
「何が大変なの?」
「殿下が……殿下がいらっしゃいました!」
『殿下』の単語に胸が勝手に跳ねた。私は跳ねた胸を押さえながら、シシリーに微笑みかける。そんな嘘は一度で充分。
「シシリーは演技が上手だね」
同じ手には乗らない。きっとまたお兄様が何か企てているのだから。私は手にしていた手紙を折り畳みながら、にこやかに笑って見せた。どこでそんな演技を覚えて来たのか。この迫真の演技を見たら、皆が息を飲むだろう。
けれど、シシリーは勢い良く頭を振る。
「本当なんですって!」
「うん、そうだね。お兄様が呼んできてって?」
「ですから、アレクセイ王太子殿下がいらしているんです。信じて下さい〜!」
シシリーは困ったように眉尻を下げる。お兄様ったら、こんな面倒なことシシリーに頼んで。普通に呼んでくれれば良いのに。これはさすがにやり過ぎだ。
お兄様に文句を言わなくっちゃ!
強い意思を持って、長椅子から立ち上がる。シシリーは尚も「本当なんです」と演技を続けていた。
「うんうん、分かったよ。アレクが来ているんでしょう?」
シシリーの肩をポンっと叩いて、私は扉へ向かった。手紙の続きは気になるけれど、後でゆっくり読もう。
「ロザリア様、ご準備をしてから!」
慌てたようにシシリーが叫んだ。お兄様に会うだけだというのに、何を準備するというのだろう。私は振り返って、にっこりと笑う。
「大丈夫」
シシリーの慌てた顔を見ながら扉を潜ると、人とぶつかってしまった。痺れを切らしたお兄様が、迎えに来たのだろう。
「あたっ……ごめんなさい、おに、い……さま?」
私はゆっくりと振り返った。
「うそ……」
これは夢か幻か。それともお兄様は本当に魔法使いで、不思議な魔法を使っているのかもしれない。
だって、紫水晶の双眸が目の前でキラリと輝いたのだもの。
私の手からは、ひらりひらりと秋の葉のように大切な手紙が落ちていった。
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