123.特別な一日1

「アレク……?」


 本人の代わりに返事をするみたいに、プラチナブロンドは相も変わらずキラキラと輝いた。口角を上げ、ゆっくりと口を開く様を、今はボーッと眺めることしかできない。一瞬でも目を離せば、彼は霞の如く消えてしまうかもしれないのだから。


「久しぶり」


 殿下は目を細めて笑う。その笑顔が眩しくて、つられて私も目を細めた。声まで実物のようで、段々と夢や幻では説明がつかなくなってくる。


「本物……?」


 いて出た言葉が余りにも滑稽で、頬に熱が集まるのを感じる。それでも目の前にいる彼が本物だと信じることができなかった。


 夢、これは夢かもしれない。手紙を読みながら私は眠ってしまったのかも。会いたいばっかりに、こんなに真実味のある夢をみているのだ。


 だって都合が良過ぎる。彼は王族で、ふらりと王宮を出ることは難しい。各地を回る時は正式な手続きを踏んでからではないと。


 ならば、やはり私にとって都合の良い夢を見ているのが正解だろう。そうでなければ、説明がつかないもの。


「偽物に見えるのか?」

「だって、お兄様は『嘘』だって……」

「あいつは嘘が上手いからな」


 殿下は肩を竦めて苦笑した。お兄様の「嘘」が嘘で、殿下が来ていたのが本当?


 けれど、都合のいい夢は主人の都合に合わせて進むものだ。嘘の嘘を願った私に応えた形の夢かもしれない。


 私がうじうじと考えている間に、痺れを切らしたらしい殿下が、私の両手を掴んだ。


 思わず胸が跳ねる。彼の熱が手の甲から伝わってきた。その熱を私は鮮明に覚えている。殿下に持ち上げられた両手は、胸の高鳴りを抑えようとしている内に彼の頬まで導かれていた。


 自由にならない両手は、私の意思とは関係なく、彼の頬を捉える。ただ、成り行きを見守っていれば、殿下がふわりと笑った。


「信じる気になったか?」

「なった……なったから……」


 その手を離して欲しい。手の甲から伝わる彼の熱も、頬から伝わる彼の温もりも、今の私には刺激が強過ぎるから。


 瞳に映る私はあまりにも動揺していて、見ていられなかった。逃げるように手を引いても、ビクともしない。熱が徐々に伝わってきて溶けてしまいそう。その熱から逃れたくて、私は小さく身動みじろいだ。


「どうした?」


 分かっている癖に、意地悪だ。悪戯っ子みたいな顔をして、覗き込む目が憎らしい。私は何度も頭を横に振った。カツラが否応無しに左右に揺れたけれど、気にしている暇はない。


「何で、来たの?」

「馬」

「そうではなくて!」


 殿下がくつくつと笑う。手はまだ離して貰えなくて、私の少し冷たい手は段々と熱くなっていった。


「ロザリー」

「……何?」

「少し、座って話そう」

「え……?」


 ようやっと頬から離して貰えた手は、まだ彼の手の中。離して貰えたのは片手だけだった。離された右手にホッとしたのも束の間、優しく、けれど力強く腕を引かれる。我が物顔で歩き始めた殿下は、私の元いた部屋の中へとずんずんと入っていった。


 殿下に腕を引かれながら、シシリーの慌てた顔を呆然と見つめる。シシリーは慌てながらも一礼すると、部屋を後にした。


 あれよあれよという間に、私は元いた長椅子に逆戻り。先程との違いは殿下が隣にいることくらいだ。


 何だか距離が近い。気のせいでは無い筈だ。今は離れている筈なのに、彼の熱が伝わりそうなのだから。


 こんな時、何を話して良いのか分からなくて、見慣れた部屋をキョロキョロと、あちらこちらを見回した。


「ロザリー」


 私の慌ただしい動きを制すように、そっと頬に熱い手が触れる。びくりと方が震えてしまった。目元を撫でる指がくすぐったい。


「泣いていた?」

「泣いて……ないよ」


 嘘をついた。誤魔化すように、へらっと笑う。けれど、殿下は誤魔化されてはくれなかった。


「赤くなってる」

「化粧が失敗しただけ」


 下手な嘘に嘘を重ねる。きっと彼は気がついているだろう。それでも彼は、それ以上何も聞かずに、ポンポンと頭を撫でた。


「そうか。なら、良いんだ。ああ、そうだ。馬で来た話だったか?」


 彼は何事も無かったように話を続ける。まるで、『クリストファー』でいた頃みたいに、気軽な口調だ。気遣いを感じながらも、泣いたことを問い詰められなくて、ホッと胸を撫で下ろしてしまった。


 彼の優しさに甘えて、私は小さく頷いた。


「本当に馬で来たの? 馬車ではなくて?」

「馬車だと時間がかかるし目立つだろう?」


 しれっとそんな事を言うものだから、ポカンと口を開けてしまった。それにしたって、馬で駆けても殿下なら目立ちそうだ。


「その、陛下や王妃様はこのこと……」

「あー……今頃、大騒ぎかもしれないな」

「まさか、内緒で来たの?!」

「ああ、そのまさかだ。正式な手続きを踏めば、出立の頃には菜の花が咲いているだろうな」


 それでは意味がないのだと、殿下は眉根を寄せた。王太子殿下が領地に赴く為には、途方も無い手続きが必要なようだ。きっと骨の折れる手続きなのだろう。ならば、何故ここにいるの?


「大丈夫。七日分の仕事を前倒しで終わらせてきたし、しっかり置き手紙も残してきた。ロザリーが心配するような事は何も無い」


 彼は得意げに笑う。けれど、その内容は頭を抱えるようなものだった。王宮から悲鳴が聞こえたような気がする。


「何で? どうしてそこまでしてここに来てくれたの?」


 馬車で二日はかかるこの領地に、馬を走らせるのは簡単なことではない。七日分の仕事を終わらせるのだって骨が折れる作業だ。


「大切な人が苦しんでいる時に、暢気のんきに王宮で茶なんて飲んでいられないさ」


 殿下は肩を竦めた。私の為に来てくれたことに、胸がぎゅっと締め付けられる。嬉しさと苦しさが混じって喜びと申し訳なさが喧嘩を始めた。それと同時に、不思議に思うこともある。殿下は私の近況を知る手段等無い筈だ。


 お父様から聞いたの?


 けれど、お父様への手紙は彼に伝わるような、思わず王宮を飛び出すような悩みを書き連ねてはいない。別荘で起きたことを書いているくらいだ。「レッスンが大変」くらいは書いただろうか。


 たまたま、来ただけ……とは考え難いか。王太子という立場上、ふらりとこんな所まで来ることができる筈がない。今回は絶対無理を通しているように思えた。今頃王宮は大わらわだろうことは、安易に予想がつく。


 そもそもいつも側を離れない護衛官は、ついて来たのだろうか。


「ロザリー?」


 随分と長い時間、思案に暮れていたのかようだ。返事のない私に向かって、殿下は首を傾げていた。


「大丈夫、苦しんでなんかいないよ」


 二度目の嘘も、あまり上手くはいかない。真っ直ぐに向けられた紫水晶が、何もかも見透かそうとしているものだから、思わず目を逸らしてしまったのだ。これでは簡単に見破られてしまう。


「そうか。なら、勘違いかもしれない。君に会いたい気持ちがはやってここまで来てしまった」


 殿下が少し自嘲気味に笑った。そんな顔をさせたかったわけじゃないの。困らせたくないのに、気を遣わせたくないだけなのに。


 思わず、彼の袖を掴んで、頭を小さく横に振った。


「嘘……だよ」

「ん?」

「さっきのは嘘。本当は、苦しかった。だから、今とっても嬉しいの」


 袖を握る手に力が入って、また目頭が熱くなる。折角止まった涙がまた瞳を濡らす。


 彼の袖が皺になってしまう。なんて、頭の片隅で考えていたら、勝手にあふれた涙が、雫になって溢れて落ちた。


 袖口で拭うよりも早く、殿下の腕が私の肩を捉える。大きな手のひらの熱を肩に感じていると、気づけば彼の洋服を涙で濡らしていた。


「今まで、一人で悩ませてごめん」


 いつもよりも優しい声が頭の上から降ってきた。返事をすることも出来ずに、頭を横に振る。


「ロザリー。お願いがあるんだ」

「なに?」


 涙を拭いながら、顔を上げた。いつもよりも優しい顔が飛び込んで来る。たったそれだけで胸が跳ねた。


「俺も、ロザリーと一緒に悩ませて」


 私の大好きな紫水晶が優しく揺れた。

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