118.警告1
強い風が私の頬を撫で、扉にいた使用人の髪の毛を攫う。彼女は目を細めてやり過ごしていた。
窓辺に置いていた紙が部屋中に舞う。シシリーが慌てて窓辺に駆け寄り、窓を閉じた。彼女の後れ髪が風に
窓を閉めた時には既に紙は床に散らばってしまった。点々と散らばった紙を拾い上げているのを横目で見ると、私は使用人に視線を戻しす。
「レジーナ嬢がここに来たって聞こえたけれど」
ここは北の領地。王都ではない。ちょっとそこまで、とはいかない筈だ。聞き間違いではないのかしら。
「はい。レジーナ・リーガン様とお聞きしております。ロザリア様にお会いしたいと、応接室でお待ちです」
使用人は、困ったように眉尻を下げる。この別荘に来て、お客様なんて初めてだもの。それに、彼女は教育の行き届いた公爵家の使用人とは違う。当然と言えば当然か。
「ロザリア様に、ですか? クリストファー様ではなく?」
床に散らばった紙を拾っていたシシリーが顔を上げる。
「はい。間違いなく、ロザリア様にお会いしたいと」
シシリーは眉根を寄せた。シシリーの言いたいことがわかって、私も一緒になって眉を寄せる。
そうだ。今までレジーナと接していたのは、私であって私では無い。『クリストファー』だ。レジーナとロザリアは殆ど面識がない。私が記憶している限り、ただの一回だった筈。アンジェリカ、レベッカ、マリアンヌを呼んだお茶会の僅かな時間だけ。しかも、会話はほんの少し。だと言うのに、なぜロザリアに会いに来る必要があるのか。
答えは一つしか無いのではないか。
喉が鳴った。私のものかと思いきや、シシリーのものだったらしい。彼女の瞳が不安げに揺れている。彼女の手にある紙がくしゃりと皺を作った。
こんな時は、私がしっかりしないと。
私はゆっくりと息を吸い込んだ。
「レジーナ嬢には、お茶を用意して待って頂いて。もし急かされたら、『突然の訪問でしたので、何の用意もできておりせん』と頭を下げておけば大丈夫だから」
「か、畏まりました」
使用人が不安げに扉の奥に消えていく。彼女の背中を見届けたシシリーは、ようやく顔を真っ青にした。今までどうやって我慢していたのか分からないくらいに真っ青だ。
「ど、ど、どうしましょう?!」
「シシリー落ち着いて」
シシリーに大きな深呼吸を三度させれば、少しは落ち着くかな。私は慌てるシシリーの背中を撫でる。彼女の肩がふるふると震えていた。
「ロザリア様、……まさかお会いになるんですか?」
「うん、そのつもり」
「駄目です。追い返しましょう? 突然のご訪問です。理由等、何とでもなりますから」
シシリーが悲痛な顔で私を見る。そんな顔で見られたら、思わず「うん」と言ってしまいそう。
「大丈夫。とりあえず、お兄様と相談しよう? 私が会うか、お兄様が会うか。どちらかになるだろうから。ね?」
私はシシリーの頭を撫でる。けれど、彼女は安心するどころか今にも泣き出しそう。どうにか堪えたようで、彼女は唇をきゅっと結び、小さく頷いた。
変なの。シシリーが動揺しているからか、落ち着いていられる。不安がないと言ったら嘘になる。けれど、だってもう、こうなったら、立ち向かう他無いのだもの。
◇◇◇◇
私とシシリーは真っ直ぐお兄様の元へと向かった。お部屋にいたお兄様は、
私とシシリーでは良い案が出なくても、お兄様が入れば全て上手く行くような気がする。
だって、昔から私がお転婆なことをしても、お兄様がいればお父様やお母様を言いくるめてくれたのだもの。私だけだとそうはいかない。
けれど、私達の話を聞いたお兄様は神妙な顔つきになった。仕方ないことだと思う。だって、レジーナにまで秘密が知られてしまったのかもしれないのだから。私の失態だ。私は肩を落とした。
けれど、お兄様はゆっくりと息を吐くと、にっこりと私に向かって笑った。
「彼女が会いに来た理由として考えられるのは、今のところ二つかな」
私は小さく頷く。一つ目は『クリストファー』の秘密に気づいてしまったこと。
「濃厚なのは、私達の秘密を知ってしまったからかな。ロザリー、殿下関連という可能性は?」
そう、二つ目は殿下に関して。ロザリアとレジーナの間に何か関係があるとしたら、それは一つしかない。殿下だ。彼女は殿下に恋をしている。それは誰が見ても明らかで、そして彼女はそれを周りに隠していない。何なら、いつでも殿下に近づく機会を窺っている節がある。殿下本人にさえ、恋心を示している程だ。
「うーん。アレク関連で私に用があるなら、もっと早くに来てそうだと思うけれど」
わざわざ北の北まで必死に来る必要はない。今まで近くに暮らしていたのだから。それとも、殿下に何かあったのだろうか。けれど、それならそれで、お父様から連絡がある筈だ。
「確かに一理あるかな。ただ、目的がわからないね。私達の秘密に気づいたことを確認するのが目的なら、それこそ私達が王都に戻ってからでも良いわけだし」
「確かに」
私が納得の声を上げると、シシリーも頷いた。お兄様の言いたいことは尤もだ。つまり、レジーナには『クリストファー』の秘密を知った上で、それに付随する目的があるということ。
「それに、何故今なんだろう?」
「何故?」
私が首を傾げる。シシリーも三度長い睫毛を瞬かせた。
「レジーナ嬢がここまで来るくらいだ。きっと確信を持っている筈だろう? 確実に彼女が判断できる材料は肩の傷だけ。世間的に肩の傷は私が持っていることになっているよね?」
「つまり、レジーナ嬢はどこからか、肩の傷はお兄様ではなく私が受けた物だと知ったということ?」
「そう、多分ね」
お兄様が神妙に頷く。
「そんなっ! ロザリア様の秘密を知る者が、外部に秘密を漏らすとは思えません!」
声を荒げたのは、シシリーだった。私の肩のことを知っているのは、お父様やお母様、王家以外はシシリーやクロード達だ。一緒に働いている仲間を疑われたと思ったのだろう。
けれど、彼女達がウィザー家の秘密を漏らすとは思えない。彼女達は私にとって大切な家族と変わりない。辛い時も苦しい時も側に居てくれたのだから。
「シシリー、私もロザリーもそんなことを疑ってはいないよ」
お兄様が落ち着いた様子で諭したけれど、シシリーの瞳には、涙が溜まっていて、今にも溢れてしまいそうだった。思わず私が彼女の頭を撫でると、彼女はきゅっと唇を固く結ぶ。私はお兄様の言葉を肯定するように、一つだけ頷いた。
ぷつんと緊張の糸が切れてしまったのかもしれない。とうとう我慢できなくなったシシリーは、大粒の涙を零してしまった。慌てた彼女が何度も袖口で涙を拭う。思わず私は彼女の頭を引き寄せて、胸元に沈める。
シシリーは、初めこそ腕に力を込めて離れようとしていたけれど、私が宥めるように背中を撫でるとゆるゆると力を弱めた。
お兄様は少し困ったように眉尻を下げる。
「あの日我が家には沢山の来客があった。私はあの場に居なかったし、ロザリーは怪我を負ってその辺の記憶はない。だから正確なことは言えないけど、近くに居た誰かがロザリーだと気付いていた可能性があると思っている」
お兄様は淡々と考えを述べていく。まだ、シシリーは私の胸で涙を零している。私はお兄様をジッと見つめた。
シシリーに優しい言葉を掛けてあげて欲しい。シシリーは今とても不安定な状態だ。今まで私達の多くの秘密を彼女は全部抱えている。相談できる相手も殆ど居ない状態で、私達のことを支え続けてくれているんだもの。
お兄様は私の言いたいことが分かったようだった。小さく息を吐くと、お兄様はシシリーの頭をそっと撫でる。
「ごめん、シシリー。泣かせたかったわけじゃないんだ」
「そうだよ、シシリー。それに、私達にとって皆、家族みたいに大切だよ」
私達の声に、シシリーは小さく頷く。返事は貰えなかったけれど、強張った肩が少しだけ下がった。私達はホッと胸を撫で下ろす。けれど、まだ落ち着いたわけではない。私とお兄様は一緒になって必死に頭や背中を撫で続けた。
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