112.青薔薇の貴公子7

 窓から漏れる会場の明かり。星屑の飾りと、夏の暖かな風が鳴らす草木のコーラス。満月のスポットライトは特別製だ。


 扉を閉じればそこはマリアンヌと私の二人だけのダンスホールに早変わり。


 マリアンヌの手を取って、私は扉から少し離れた。続く石畳の真ん中に誘導すれば、彼女はポカンと口を開けて私を見る。


 何が起こっているのか分からない。と、いったところだろうか。私は彼女の頭を一つ撫でると、人差し指を唇に当てて笑った。


「魔法は人前では掛けられないから」


 私の言い訳にもなっていないような言い訳に、マリアンヌは何度も長い睫毛を瞬かせる。すっかり困ってしまった彼女の前で片膝を着くと、手を差し伸べた。勿論、物語の王子様がお姫様を誘うように。


 月明かりのスポットライト。観客は夏の花。夏の風が騒めいて、彼女と私の髪を揺らす。


 ダークグレーの瞳がゆらゆらと揺らめいて、私の目と手を行き来した。


「一曲、お相手していただけますか?」


 扉を超えて、音楽が鳴り響く。国内屈指の楽師達が奏でる音が草木の揺れる音と相まって、新しい音楽を作る。


 マリアンヌは、おずおずと私の手に手を重ねた。返事は無かったけれど、「はい」と取っていいだろうか。


 遠慮がちに乗せられた手をしっかり握ると、私は音楽に合わせて立ち上がった。ふわりと長い栗色の髪が舞い上がる。体制を崩しそうになるマリアンヌを抱きとめながら、私は微笑んだ。


「ここなら、転んでしまっても誰も笑わないよ」


 勢いに任せてくるりと回れば、覚束ない足取りでマリアンヌが追いかける。石畳に足を引っかけながら、何度か体制を崩す彼女を私はしっかりと抱きとめた。その度に不安に瞳を揺らす彼女に笑いかけていけば、次第に不安定だったステップも次第に軽やかになっていった。


 慣れてさえしまえば、勤勉な彼女はしっかりとステップを踏む。ダンスホールよりも足場の悪いい石畳の上でこれだけ踊れれば上出来だ。


 すぐにダンスホールに戻って披露できる程上達していることは明白で、二人っきりで踊っているのは少し勿体なかった。それでも、彼女が少しずつ自信をつけてくれるなら、月明かりのダンスも捨てたものではないだろう。


 次第に笑顔になっていく彼女を見ていると、胸がぽかぽかと暖かくなっていく。いつも下を向いている胸は、しっかりと前を向いているし、縮こまっている肩も外に開いていた。優しい曲に合わせてドレスがひらひらと舞い、柔らかな髪の毛も後を追う。


 月明かりに照らされた彼女は、とっても綺麗だった。すっかり呪いの解けた姿は、月夜に輝くお姫様だ。


 曲の終わりが近づいてくると、一つ彼女の瞳が不安げに揺れる。まだこの場に残っていたいと、彼女の瞳はしっかりと訴えていた。


 少しずつ、会場に通じる扉に近づけば彼女の足取りは少しずつ重たくなっていく。ついに彼女は立ち止まってしまった。


「もう大丈夫。これからはもっと輝ける筈だよ」


 呪いが解かれた彼女の前には、きっとすぐに素敵な王子様が現れて、彼女の手を取るだろう。だって、こんなにキラキラと輝いている女の子を、王子様は見逃したりしないのだから。


 風で乱れた髪の毛を整えてあげると、マリアンヌは擽ったそうに肩を震わせた。そして、困ったように眉尻を下げて私の顔を覗き込む。


「クリストファー様は、まるで魔法使いみたいですね」

「今回は良い魔法使いになれたかな?」


 以前は悪い魔法使いだったでしょう? 私が肩を竦めると、マリアンヌは意味がわからないと首を傾げる。


「『私とダンスをするまでは他の男とダンスをしては駄目だよ』」


 私は思い出しながら、あの日の呪文を唱えた。それは、彼女を初めてエスコートした時のこと。まだ春も顔を出していなかったような寒い日のことだ。


 私が大勢の前で唱えた呪文は、解けない鎖となって彼女の足を縛った。


 彼女の瞳に映る『クリストファー』は、申し訳なさそうに眉尻を下げている。


「君を守る為とはいえ、とても酷い呪いを掛けてしまっただろう?」

「そんなっ……こと……」


 マリアンヌは何度も頭を横に振った。折角整えた髪の毛がまた左右に遊び出す。それでも彼女は、頭を振ることを止めなかった。


 こんなにも酷い呪いを掛けた魔法使いでさえも、彼女は庇うのだろうか。本当なら、「貴方のせいで」と文句の一つや二つ言われてもいいものだ。


「私は……クリストファー様の魔法に助けられました。皆が『頑張れ』って言う中で、クリストファー様だけは、逃げる理由を用意してくれましたから……」


 マリアンヌは、両手を胸の前で強く握り合わせた。強く握ったせいで、指先が真っ赤に染まっていく。彼女の肩が小さく震える。彼女はぎゅっと目を瞑ると、大きく口を開けた。


「私にとっては、救ってくれた王子様ですっ」


 マリアンヌのこんなに大きな声は初めてで、私は目を丸くした。彼女は更に瞑っている目に力を込めたようだ。


 流れていた音楽の足が止まった。まだダンスの終わりには早い。まるで、私の返事を待つように、世界が止まっているようだ。


 夏の風が優しく私達を包み込んだけれど、すぐに静まり返ってしまった。草木も当然のように聞き耳を立てている。星屑達が「はやく、はやく」と急かすようにゆらゆらと踊り出す。


 耳まで赤く染め上げたマリアンヌは、まだ力一杯目を閉じていた。彼女の胸の前で握られている両手が、ふるふると震えている。


 彼女にも、告げなくてはならない。


 私は小さく息を吐いた。


「ありがとう」


 私を王子様だと言ってくれて。未熟な私も、少しは物語の王子様に近づけただろうか。


「でも、私は王子様じゃないよ」


 私はマリアンヌの王子様にはなれない。だって、私は偽りの存在だから。けれど、このことは誰にも秘密だ。勿論、彼女も例外ではない。


 真実を告げることができたのならば、少しは楽になれただろうか。そう、思うことがある。


 真実は時に残酷だ。目の前の王子様が偽物だったと知ったら、きっと皆卒倒してしまう。それに、偽りの『クリストファー』に恋をした女の子達の気持ちも踏みにじってしまう行為のような気がした。


 だから、私は演じ切らなければならない。


 最後まで、彼女の夢物語に出てきた王子様を演じようと、心に決めたのだから。


「私はただの、魔法使いだよ」


 私は、彼女の手を取って、彼女の瞳を見つめて愛の言葉の一つ紡ぐことのできる王子様ではない。私は魔法使い。物語の中盤で少女の背中を押す魔法使いだ。


 私は「ごめんね」の代わりに、優しく彼女の頭をポンポンと撫でた。


「魔法使いと恋をする物語が有ったら良いのに……」


 マリアンヌがぽつりと呟く。私はそれを聞いても、肩を竦めるしかない。


「お姫様には王子様が隣にいるものだよ」

「そう……ですね。私も……お姫様になれますか?」

「もう、充分魅力的なお姫様だよ。会場に戻ったら、沢山声を掛けられるかもしれないね」


 そんなこと。とマリアンヌは肩を揺らして笑った。けれど、今の彼女は、いつもよりも何倍もキラキラと輝いている。それは、会場に戻った途端にダンス待ちの列ができてもおかしくないくらい。だから、私の言葉はあながち嘘ではないと思うのだけれど、自身の魅力には気づけないもの。


 彼女はありえないことだと、小さく首を振って終わらせた。


 すぐにでも私の言葉を証明したいと、私は扉に手を掛ける。すると、彼女は慌てたように私の手に手を重ねて、頭を横に振った。


 もう怖がることなんて無いのに。まだ自信が持てないのだろうか。私は小首を傾げる。すると、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめて、少し躊躇った後に口を開いた。


「魔法使い様。今までのお礼に、今日は私が魔法を掛けさせてくださいませ」


 少し恥ずかしそうに私を見るマリアンヌに、私は「駄目」とは言えなかった。それに、どんな魔法か少し気になったというのもある。自然と私は、笑顔で頷いていた。


 私が頭を一度縦に振ると、彼女は嬉しそうにパッと笑顔の花を咲かせる。


 マリアンヌは、一度両手をドレスのスカートで拭うと、おずおずと私の腕に手を掛けた。腕から伝わる彼女の熱。私のよりずっと熱い彼女の手がぎゅっと私の袖を握る。


 彼女の魔法は、私が止めることも叶わない程、とても簡単でとても早いものだった。私が目を見開いた時には、彼女は私から離れ、自らの手で扉を開いてするりと会場へと入って行ってしまったのだから。


 私は頬に残る柔らかな感触を手で押さえる。


「魔法使い様が幸せになれる魔法です」


 彼女の可愛らしい声だけが耳に残っていた。

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