109.青薔薇の貴公子4

 レベッカとのダンスは何回目だっただろうか。私は彼女の頭に咲く可憐な花を見ながら、指折り数えていた。


 彼女は社交に積極的で、色々な夜会で顔を合わせた。彼女と初めて会ったのは、舞踏会よりずっと前。まだ私が『クリストファー』になったばかりで、いっぱいいっぱいだった時だ。


 猫のマリーが女の子になってしまったのかと思うくらい可憐な少女は、あの日も桃色の花のようなドレスを着ていた。


 グローブ越しでも彼女の手の熱が伝わってくる。なかなか顔を上げてくれない彼女に、気を使いながら踊った。髪に飾られた花はどれも可愛らしい小ぶりの白の花。けれど一輪だけ青い花が混じっていた。


 今日で最後だというのに、髪飾りと会話をするのは何て悲しいことだろう。私はレベッカの耳元に唇を寄せた。


「今日の花の妖精さんは、花に隠れて顔を見せてくれないのかな?」


 レベッカは目を丸くしながら、顔を上げた。長い睫毛がふるりと震える。


「やっと顔を上げてくれたね」


 また隠れてしまわないように、私は意識して優しく微笑んだ。けれど、注意が足元から逸れたせいか、彼女は体制を崩してふらついてしまった。


 彼女の口から小さな悲鳴が漏れる。腰を支える手に力を込めてどうにか持ち直すと、レベッカは恥ずかしそうに頬を染めて謝った。


 彼女の熱が手を通して伝わってくる。


「ごめんね、ずっと女性のパートばかり練習していたから、ダンスが下手になってしまったのかもしれない」


 ここ最近はずっとシェリーとしてダンスの練習をしていた。昔取った杵柄とはいかず、随分殿下の足を踏んでしまっていたのだ。私が踏むと、痛みで殿下の眉がぴくりと動く。その度に何度謝罪したことか。毎回「いや、大丈夫だ」と頭を横に振る彼には、頭が上がらない。


 芸術祭の準備で、社交の方が疎かになっていた。その間全然女性の手を取ってダンスを踊っていなかったのだ。もっと上手くやれていたら、レベッカが恥ずかしい思いをすることもなかったのかもしれない。


 眉尻を下げると、レベッカは小さく左右に頭を振る。


「いえ、そんなことありません。クリストファー様はとってもお上手です。私が……久しぶりにお会いできたから、ちょっと舞い上ってしまって」


 このままでは責任の奪い合いになりそうだ。たった一曲の短い時間がそんなことで終わってしまうのは勿体なくて、私は彼女の言葉に甘えることにした。


「レベッカ嬢は優しいね」


 私が笑うと、レベッカはもう一度言う頭を横に振る。そして、頬どころか耳まで真っ赤にして、また俯いてしまった。


 折角上を向いてくれたのに、また髪飾りとの会話に戻ってしまう。


「顔を見せて。下ばかり見ていたら寂しいな」


 そろりと上げた顔は夕日を浴びたみたいに赤く染まる。琥珀色で、猫みたいなくりくりの瞳が二度瞬いた。暫くは、会話もせずに見つめあってステップを踏んだ。レベッカは何か言いたげに口を開いては閉じ、開いては閉じしてしたけれど、なかなか話を切り出さなかったからだ。


 なんとなしに、私から話題を振れば、彼女は喉の奥にある言葉を胸まで戻してしまう気がして、声を掛けるのを躊躇ってしまった。


 けれど、もうそろそろ一曲がおわる。最後の時間はあっという間で、印象的な琥珀色の瞳を見て終わってしまいそう。髪飾りよりは幾分かマシか。なんて思って、私は彼女の出し惜しみしている言葉を聞くことを諦めた。


「出会った時と同じピンクのドレス可愛いね。花の妖精みたいで好きだな」


 小さくて可憐な少女に、ピンクの可愛らしいドレスはとても似合っている。それは、小さな頃に「私も着たい」とねだったドレスに良く似ていた。くるりと回る度に広がるドレスが可憐で、お姫様みたいなのだ。


「覚えていてくれたんですか?」

「勿論。私が初めて出逢った妖精さんだからね」


 私が微笑めば、レベッカは大輪の笑顔の花を咲かせる。人の笑顔を見るのと、私も嬉しくなる。私は目を細めた。すると、レベッカは、唇をきゅっと結んだ。その代わり、彼女の大きな瞳が強い意思を持った。


 ダンスの途中、彼女は突然立ち止まる。突然のことに私は体制を崩しそうになりながらも、彼女に合わせて足を止めた。ちょうど中央付近にいた私達は、当然のように注目の的となっている。どうしたものかと頭を悩ませたけれど、良い案がすぐには浮かばずに、私はただ困惑を示した。


 周囲で踊る人が、上手に私達を避けながらステップを踏む。ちらりと視線が向けられる度に、冷や汗が流れた。


 こんな状況の恋愛小説を、今まで読んだことはない。いつもの参考書の知識は今回使えないようだ。


 終始、彼女の真剣な瞳が向けられていて、「移動しよう」と提案する雰囲気でもない。


 参考がないのなら、想像するしかない。こんな時、本物の王子様ならどうするだろうか。お兄様ならどうやって切り抜けるの? そんな風に問えば、お兄様が笑って答えてくれる。そうか、今の私はレベッカの王子様だ。彼女の言葉に耳を傾けて、彼女の瞳の中の声を聞けばいい。


 今のところ、皆私達を気遣って少し離れた所に移動してくれた。私はゆっくりと息を吸い込むと、綺麗な琥珀色の宝石を覗き込んだ。


「私、ずっと前からクリストファー様にお渡ししたかった物があるんです!」


 レベッカが取り出したのは、一枚のハンカチーフ。青い薔薇の刺繍が施されている。それは、私の為にレベッカが刺した物だろうか。でも、何故私にそれを渡そうと思ったのかわからなくて、私は首を傾げた。


「私、何度もクリストファー様に助けていただきました。これは、そのお礼です」


 レベッカは、瞳を不安そうに揺らしながら私を見上げた。ハンカチーフを握る手が皺を作る。彼女の熱を帯びた瞳の中には、困ったように笑う『クリストファー』の姿があった。


 私はその熱を知っている。そう、恋をしている時の瞳だ。


 レベッカは、『クリストファー』に恋をしている。いつからだろう。多分、ずっと前からだ。彼女の瞳は前から私を追っていた。会話する度に朱に染まる頬も、『クリストファー』のことを好きだからだ。彼女の恋を気づけないなんて、王子様失格だわ。


 同性に恋心を抱かれるなんて、想像もしていなかった。けれど、今の私は『クリストファー』であって『ロザリア』ではない。今まで出会ってきた令嬢達は皆、私を男として見ているのだ。私はそのことを、分かっているつもりになったいた。けれど、本質では分かっていなかったんだ。とても、胸が痛む。


 私は、彼女の手にあるハンカチーフを見つめた。


 今なら分かるような気がする。きっと、この贈り物は『クリストファー』のために、彼女が真剣に用意したハンカチーフ。『クリストファー』のことを想いながら、一針一針刺したものだろう。これは、ただのハンカチーフではない。


 彼女にとっては、告白に近いものなのかもしれない。


「ごめんね、これは貰えないよ」


 ハンカチーフには、青薔薇の刺繍に載せて見えない文字が書いてある。


『貴方が好きです』


 彼女の気持ちを受け取ることはできない。だって私は本物の『クリストファー』ではないのだから。今、これを受け取って丸か納めたとしても、私はその責任を負えない。全てをお兄様に丸投げして、のうのうと『ロザリア』として過ごすなんてできないもの。そんなことすれば、遅かれ早かれ彼女もお兄様も傷つけてしまうだろう。


「ただの、お礼としてでも……駄目ですか?」

「ごめんね。君の気持には応えられないんだ」


 彼女から直接「好き」だと伝えられたわけでない。けれど、『クリストファー』として彼女の気持ちに返事ができるのは今日この瞬間しかないのだ。だから、私は小さく首を横に振るしかなかった。


 琥珀色の瞳が揺れる。


「クリストファー様には、今、大切な方がいらっしゃるのですか?」


 レベッカの小さな声が震える。彼女の言葉に殿下の顔が過った。けれど、その感情は『ロザリア』のものであって、『クリストファー』のものではない。だから、その問いに私は答えられなかった。


「だから、私の気持ちに気づいたんですね」


 私が答えないことで、レベッカは肯定と捉えたようだ。彼女が困ったように笑う。瞳にはじんわりと涙が溜まり、今にも零れ落ちてしまいそうだ。


 女の子を泣かせるなんて、本当に王子様失格。きっと本物の王子様ならもっとうまくやれた筈。早く彼女の気持ちに気づいていれば、違った結末があったのかもしれない。


 今、「ごめんね」ともう一度言えば、彼女を傷つけてしまう気がして、私は口を噤んだ。


「好きです。クリストファー様のこと。出会った時から、貴方は私の王子様です」


 大きな瞳から、大粒の雫が流れ落ちた。ふんわりと広がったドレスに染みを作る。レベッカは、ここがダンスホールの真ん中だと言うことを忘れて、さめざめと泣いた。


 手に持っているハンカチーフは握りしめられたまま、本来の仕事をさせては貰えないでいる。ぐしゃぐしゃに皺を作りながら、彼女の手の中で黙っていた。


 彼女の涙を隠すように、陽気な音楽が流れる。気を利かせた楽師が、彼女の為に演奏しているのだろうか。私達を隠すように、大勢の男女が楽しそうにダンスを踊り始めた。


 私はポケットにしまってあったハンカチーフを手に取り、そっと涙で濡れる彼女の頬に当てる。すると、彼女は驚いたように目を見開いた。


「使って。返さなくていいから」

「ずるい……こんなの、捨てられないじゃないですか」


 また、彼女の瞳から涙が溢れた。私が渡したハンカチーフが何度も雫を拭い取る。陽気な音楽が流れ終えるまで、彼女はずっと涙を流し続けた。


「クリストファー様、最後のお願い聞いて下さい」

「私にできることなら。言ってごらん」


 彼女は嬉しそうに笑い、目を細めた。その瞬間、最後の一雫が頬を伝い、首筋まで落ちていった。

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