106.青薔薇の貴公子1

 小さな頃、読んで貰った「昔々」から始まる物語は、いつだって「めでたしめでたし」で終わっていた。幸せな物語は、楽しい夢を見せてくれる。だから私は、小さな頃に読んでもらう物語が大好きだった。


 けれど、アルフレッドとシェリーの物語は、彼女が自害して終わってしまう。初めてこの物語を読んで貰った時、私は朝まで泣いてしまった。


 「二人が可哀想」と泣く私の頭を、お母様とお兄様は何度も何度も撫でてくれたけれど、私の涙は止まってはくれなくて。結局陽が昇るまで二人を付き合わせてしまったのだ。


 お母様は泣きじゃくる私に、「これは、二人の人生をほんの少し切り抜いただけ」と言った。けれど、孤独に戻ったアルフレッドが幸せとだは思えない。その先に続く孤独を想像して、私はお兄様をぎゅっと抱きしめていた。そう、陽が昇るまで。


 陛下や王妃様、お父様とお母様はなぜこの物語を演劇に選んだのか。その疑問は何度も何度も浮かんだ。聞けば解決することなのに、何となく言葉にできなくて、気づけば芸術祭を迎えていた。


 もしかしたら、大した理由などなく、「なんとなく有名な話だから決めた」だけなのかもしれない。深く考えすぎだと笑われてしまったらと思うと、なかなか口には出さなかった。


 アルフレッドを愛したシェリーは、自ら毒を飲む。アルフレッドが駆けつけた時には彼女は思い出の小さな教会で、ひんやりと冷たくなっていた。


 永遠に眠るシェリーをアルフレッドが抱きしめた所で幕が降りる。


 決して「めでたしめでたし」と続けられない物語。


 稽古の間、殿下は最後の場面で必ず手を震わせた。これは、私以外は誰も知らない秘密だ。けれど、今の彼の手は決して震えなかった。それがなんだか嬉しくて、幕が降りるまでの間、私は必死に緩む頬に叱咤する。ここでだらしのない顔を晒したら舞台が台無しだもの。


 幕が降りた瞬間は、大きな拍手の音に包まれたた時は、安堵のため息が漏れた。


 目を開ければ、殿下がふわりと笑う。舞台袖からアンジェリカが駆けてきて、私達の肩を抱いた。殿下は嫌そうに眉を寄せたけれど、ほんの少し口角が上がっている。


 私達は三人で笑い合った。いつの間にか周りには人が集まって、舞台の上は笑顔で溢れている。いつも真剣に働いていた人が、無口な人が笑っている。準備の間お茶目だった女の子が、涙を流しながら笑っていた。


 この日の笑顔を忘れないように、私はもう一度ぐるりと周りを見回した。



 ◇◇◇◇



「シシリー、アカデミーまでありがとう」

「はい。私も呼んで頂けて嬉しいですわ。何せクリストファーのお手伝いは、私の大切な仕事ですから」


 アカデミーの一室を借りた私は、最後の舞踏会に向けて女物のドレスを脱ぎ捨てた。慣れないドレスは肩が凝る。私がぐるぐると腕を回したり、首を回したりしていると、シシリーはクスクスと小さな声で笑った。


 何となくシシリーの笑う意味が分かって、非難の目を向けると、シシリーは小さく舌を出して肩を竦める。口を尖らせながら、私は真新しいシャツ袖に腕を通した。


 演劇が終われば舞踏会が始まる。間は十分に空いてるものの、王妃様やお父様、お母様と話し込んでしまい大分時間を使ってしまった。


「演劇は大成功だったとか」

「シシリーにも見て貰いたかったよ」


 眉を下げる私に、シシリーはドレスを片付けながら、にこやかに笑う。シシリーを招待することは敵わず、この部屋で一日中待たせてしまっていた。折角なら、シシリーにも見て貰いたかったのだけれど、侍女に一席設けるのは難しくて、私はがっくりと肩を落とした。悲しむ私を慰め、「舞台袖でも」と我儘を言った私を嗜めたのは、他でもないシシリーだ。


「一介の侍女がおいそれと見られるものではありませんから。それに、素敵なドレス姿も拝見できましたし、話を聞くだけでも素晴らしいことは伝わってきますわ」


 優しく笑うシシリーを見ると、私はついつい頭を撫でてしまう。今日のシシリーは、何も言わずにそれを受け入れてくれた。しっかりと後ろで結ばれた髪の毛を乱さないように気を遣う。私の冷たい手が、シシリーの頬をかすめると、彼女はほんのり肩を震わせる。私が慌てて謝ると、シシリーは頭を横に振った。


「喜ばしいことですのに、これで最後だと思うと寂しい気もしますね」


 燕尾服の形をしたジャケットを羽織りながら、私は肩を竦めた。私もシシリーと同じ気持ちだ。本当なら両手を上げて喜んでいい筈なのに、なんだか寂しいと感じてしまっている部分がある。


 今日が最後だと決まった日、私は『クリストファー』の最後の衣装を注文した。最後の日は、とびきり特別な日にしたい。いつもはシシリーやメアリーに任せっきりだった衣装に口を出すと、二人は顔を見合わせた。


「小説に出てくるような素敵な王子様になりたい」


そんな私の願いに、二人は笑顔を向けてくれた。王子様ならばと、白を基調にした衣装は、シシリーの提案だ。


 勿論衣装には、しっかりと青い薔薇が刺繍されている。中のベストは濃紺で、金糸で刺繍が施されていた。特別な夜にしてくれる最期の衣装にぴったりだ。


「どうかな?」


 シシリーの前でくるりと一回りして見せた。


「とっても素敵です。まるで物語から出てきた王子様みたいですわ」


 シシリーは何度も頷いてくれる。そして、かつらを被ったせいでぼさぼさになった髪を丁寧に整えてくれた。鏡に映る私は、次第にいつもの『クリストファー』に戻って行く。私はそんな自分と、真剣な眼差しでぼさぼさの髪の毛と戦うシシリーを眺めながら、今までのことをぼんやりと思い出していた。


 今日で最後だからだろうか。色々なことが頭を過る。長い髪とお別れをしたあの日から、何度月は形を変え夜空を彩っただろう。自分の手にあるものを守ることに必死で、周りなんか全然見ることができていなかった。私は色々な人の手を借りて、偽りの生活を続けてきたのだ。


「さあ、クリストファー様。できました。今日も、いいえ、いつも以上に素敵ですわ」


 シシリーの手がポンッと肩に置かれる。端正に手入れされた鏡には、お兄様にそっくりな王子様がいた。ついでに、お兄様みたいに笑えば、私ではないみたいだ。


 私は立ち上がると、シシリーの前まで歩いた。彼女はにこにこと嬉しそうに笑うのみ。私も思わず彼女の笑顔に顔を綻ばせた。


「シシリー、今までありがとう」


 ずっと小さな頃から、私達はシシリーに沢山お世話になっている。別邸に引き籠もっている間も、私達の側に離れず居てくれた。私が『クリストファー』になってからも、沢山の迷惑をかけたに違いない。それでも、嫌な顔一つせず、私達の側にいてくれたのは何を隠そうシシリーなのだ。


 時に姉のように、時に友人のように。彼女はずっと私の側に居て支えてくれていた。


 きっとこれから先も、シシリーは困った顔を見せながらも私達の側にしてくれるのだろう。それでも今日彼女にお礼を言いたかった。『クリストファー』として礼ができるのは、今日が最後だから。


「何ですか、急に。まるでお別れみたい」

「うん、今日でお別れだよ。明日から、また一緒にいてくれる?」


 シシリーの瞳に大粒の涙が溜まる。瞳に映る私が、溺れてしまいそうだ。まるで本当のお別れみたいで、私の胸もぎゅっとしまった。目頭が熱くなる。ただ、『クリストファー』から『ロザリア』に戻るだけだというのに、私達はなんて大袈裟なんだろう。きっと、アンジェリカが見ていたら、鼻で笑っていただろうな。


 頬に伝った涙を拭うために、私はシシリーの頬に触れた。真っ白なグローブが涙を吸い寄せる。シシリーは慌てたように一歩後ろに引いた。頬から離れた手が宙を彷徨う。小首を傾げると、彼女は自らの手で涙を拭いながら、困ったように笑った。


「汚れてしまいましたね。新しい物を」


 私に背を向けると、急いで鞄を開ける。私は染みのできたグローブを見て、もう一度首を傾げた。


「シシリーの涙は綺麗だから大丈夫だよ」


 乾けば染みにもならないような、綺麗な涙だ。代える必要など無さそうなのに。それでも、シシリーは頑なに頭を左右に振って、私に新しいグローブを押し付けた。それで満足するならばと、私は新しいグローブに付け替える。シシリーが満足そうに笑ったのを見て、私はホッと胸を撫で下ろした。


「さあ、クリストファー様。そろそろ出番ですわ。皆様の記憶に残る王子様を演じて来て下さいませ」


 涙の染みを作ったグローブを握りながら、シシリーは笑った。


「そうだね。行ってくるよ」

「行ってらっしゃいませ。クリストファー様」


シシリーが腰を折り、頭を下げる。後ろに纏められたお団子がしっかりと見える程のお辞儀に、私は眉を下げた。扉を開けば、舞踏会への道が真っ直ぐに伸びている。


 最後は、この国のどこにも咲かない青い薔薇のように、最後の時まで美しく咲いてみせよう。


私はゆっくりと深呼吸をすると、ぎゅっと手を握りしめた。

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