107.青薔薇の貴公子2

 ネーム・コールマンが私の名前を呼ぶ。着替えや準備に時間が掛かった私は、遅い入場となった。開かれた扉をくぐれば、もう既に皆、楽しそうに輪を作って話し込んでいる。


 私が扉の前で立ち止まれば、多くの人が視線を向けた。


 舞踏会は大人達の社交の場。新参者の私達は、いつも人脈作りや恋の相手を探す為に必死だ。親の期待も大きい。多くの人と言葉を交わし、顔と名前を覚え、そして覚えて貰わなくてはなくてはならない。


 今回初めてアカデミーで行われる舞踏会は、まだデビューして間もない新参者ばかりのパーティとなった。華やかに彩られた会場、良くある飾り付けよりも一段明るめの配色。そして、いつもは大人達の間で、背伸びして微笑んでいる少年少女の明るい笑い声。


 芸術祭の集大成がここにあるような気がして、私は会場の空気をめいっぱい吸い込んだ。


 入り口近くにいた人々が、サッと左右に分かれる。次第に奥に伝わって、階段の上までの花道が出来上がった。デビューの日を思い出しながら、私はゆっくりと花道を歩く。あの時はお父様とお母様の後に付いて歩いていった道。心臓が破裂しそうなくらい緊張していた。


 今日も綺麗な花が咲いている。華やかな花も、可愛らしい花も。初めて見た景色はどれも新鮮で、胸が高鳴っていた。今は見たことのある花ばかり。私は彼女達に笑いかけた。どの花も私に笑顔を返してくれる。


 デビュー当時は可愛らしいドレスに憧れて、花道を通る間夢中だったというのに、今は何層も重なったシフォンのドレスよりも、王子様みたいな服装がしっくりくるなんて、少し笑ってしまう。


 時折立ち止まり、一言二言交わすものだから、花道を渡り切るまでに随分と時間が掛かってしまった。皆、舞台の感想や、舞踏会の開催を祝ってくれる。私は何度も「ありがとう」を返した。


 笑顔が張り付くくらい、ずっと口角は上がりっぱなしだ。明日は頬が痛くて大変かもしれない。それすらも嬉しくて、私の心は踊っていた。


 階段を登った先には、殿下が椅子に座っていた。若者だけの舞踏会なのだから、王族用の席など不要と殿下は頭を振ったけれど、それをアンジェリカが即座に却下したのはつい先日のこと。殿下にずっと立たれると、皆が困ってしまうとは、アンジェリカの言だ。


 上に立つ者の宿命と諦めたのか、殿下は渋々席を用意させることを是とした。あの時の眉の間に描かれた綺麗な皺は、酷くくっきりとしていたのを覚えている。


 舞踏会の端には、軽食や菓子、ケーキなどが置いてあるという。皆飲み物や軽食を手に、談笑している。挨拶をしながら、そんな彼らの間を通って殿下の元に到着するのには、結構な時間が掛かってしまった。


 王族用に用意された席に加え、私やアンジェリカ、レジーナの席も用意され、もう既に三人は座っている。舞踏会を一望できる特等席だ。私は今しがた通った道を振り返り、会場を見渡した。


「女の私より準備が遅いってどうなの?」


 席に腰かけると、アンジェリカは口を尖らせる。私はそんな彼女の言葉に、肩を竦めるしかなかった。女役から男に、男役から女に。私達の条件は同じだ。それ以上にドレスや髪の毛を結ったりすることを考えれば、アンジェリカの方がずっと時間が掛かりそうだというのに、随分前に到着していたようだ。だからと言って、手を抜いている様子もない。どんな魔法を使ったら、素早く準備ができるのか今度教えて貰おうと、私は心に決めた。


 レジーナの出番は最初だったからか、準備をする時間は幾らでもあったらしい。舞踏会開催前の確認は、レジーナが請け負ってくれた。そんな彼女は、アンジェリカの言葉に耳を傾けることもなく、殿下の後ろ姿を見つめている。


「このような席は初めてなので、新鮮ですね」


 高みの見物のようだ。私は思わず感嘆のため息をこぼす。けれど、殿下にしてみれば良く座る席だ。私の感動は伝わりそうもない。彼の方を見れば、彼もまた小さくため息を吐いた。


 こちらから全体が見渡せるような、全体からも私達が見えているのだろう。沢山の視線を感じる。


「こんな席、無くても良いのにな」


 殿下はまだ根に持っているのか、アンジェリカに物言いたげな目を向ける。けれど、アンジェリカはしれっとした顔をして、取りに行かせていた軽食をつまんでいた。今回の勝負はアンジェリカに分があったようだ。殿下はこれ見よがしにため息を吐いて見せたけれど、アンジェリカはワインをくいっと傾けるのみだった。


 私が席につくと、会場にいた皆がぞろぞろと集まってくる。習わし通り、挨拶に来るつもりらしい。どうしたものかと、アンジェリカと目を合わせている間に、殿下は立ち上がり、一歩前へと出た。アンジェリカとレジーナに目配せをし、私達も彼の後ろに立つ。


 殿下は右手を天へと上げた。すると、ざわついていた会場がすぐに静かになる。物音一つしない会場に私は感嘆した。殿下がゆっくりと、左から右へと視線を巡らせる。


「挨拶は良い。今日は私達だけの舞踏会だ。堅苦しいことは抜きにして、楽しんでくれ」


 殿下の声が会場中に響き渡った。殿下の言葉に皆が礼を取る。まるで国王陛下にするように。この会場に居る皆が、次期国王の存在を認めた瞬間に立ち会ったような気分だった。殿下の合図で音楽鳴り響く。


 集まってきた皆が、音楽に合わせて四方に散った。また新しい小さな輪を作り出す。


「面倒な挨拶を一言で回避したわよ」


 音楽に掻き消えると思ったのか、はたまた聞こえても良いと思ったのか、アンジェリカは大きな声で私に耳打ちした。近くにいた殿下には、勿論届いていて、物言いたげな目が向けられる。アンジェリカと殿下の間に挟まれて、私は眉を下げた。


 音楽が始まっても、誰もダンスを始めようとはしない。きっと誰かがダンスホールの真ん中に出るのを待っているのだろうか。


「私達の誰かがダンスを披露するまでは、舞踏会は始まらなさそうですよ」

「ここは殿下が披露するのが一番よろしいかと」


 レジーナの言葉に、私の胸がぎゅっと締め付けられる。最初のダンスは、なんだか特別なもののような気がしていた。だから、その特別なダンスを他の誰かと踊る殿下の姿を直視できるだろうか。


 私の胸に渦巻く不安を払拭するように、殿下は眉を顰めた。レジーナの意見は極々当たり前で、誰もが頷きそうなものだ。けれど、殿下だけでなく、アンジェリカも難色を示す。


「殿下に婚約者の一人でもいれば悩む必要無かったのよね」


 アンジェリカは、私に同意を求めるように視線をぶつけてきた。私は曖昧に笑うことしかできない。


 殿下は顎に手を当てて、眉を寄せる。暫し考えた後、私とアンジェリカに視線を巡らせた。


「クリス、アンジェリカ嬢。ここは二人に任せてもいいか?」

「ま、それが妥当よね。弊害といえば、私が妹に恨み言を言われることくらいかしら」


 アンジェリカは頷くとすぐに立ち上がった。私が訳もわからず呆然と彼女を見つめていると、彼女は眉を寄せる。


「私が相手じゃお嫌かしら? それともまだルドルフごっこを続けましょうか?」


 アンジェリカは、わざとらしく私に手を差し出した。すると、周りから高い声が聞こえる。辺りを見渡すと、頬を染めながら熱心にアンジェリカを見つめる令嬢が数名群れになっていた。


 すっかりルドルフは人気者だ。演劇が終わった後、アンジェリカは沢山の令嬢に囲まれて、身動きが取れなくなっていた。


 けれど、アンジェリカはあまり嬉しいわけではないらしい。眉を顰め、小さなため息を吐いた。


 ルドルフごっこも楽しそうだけれど、私は首を横に振る。もう衣装もかつらも取ったのだから、私はクリスで彼女はアンジェリカだ。


「折角だけど、美しいご令嬢にエスコートして貰うのは気が引けるかな」


 私は肩を竦めて笑った。アンジェリカは、「あら、そう」とでも言いたげに、差し出した手を引っ込める。代わりに私は立ち上がり、アンジェリカの前に手を差し出した。


「一番に手を取る栄誉を頂けますか?」


 アンジェリカはにっこりと笑う。そして、そっと手を重ねた。


「ええ、勿論よ」

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