85.赤薔薇の蕾3
クリストファーはまるでゲームを進めるかの様に、計画について語っている。外に出ないのだから、彼にとってはゲームと代わりないのかもしれない。だが、できて当たり前とでも言わんばかりの物言いに、俺は眉を
確かに、クリストファーの提案は、俺の悩みを解消する良い案だ。しかし、アカデミーの生徒を大々的に巻き込むことになる。それはそんなに簡単なことなのだろうか。
俺は顎に手を当てて考えこむ。毛足の長い鮮やかな絨毯が目に入った。クリストファーの提案通りに上手く事が運ぶイメージがつかない。しかし、一人で悩んでいると、クリストファーの大きなため息が襲った。顔を上げれば、人を蔑むような冷たい視線に射貫かれる。
「殿下、本当はわかっているでしょう? どうすれば上手くいくか」
クリストファーは、キングの駒を手に取ると、俺に手渡した。思わず受け取ったキングは、所々が剥げている。何か言いたげな目を向けられてはいるが、それ以上のことをクリストファーは何も言わなかった。
本当は、俺も何となしに彼の言いたいことはわかっているのだ。しかし、それを今言葉に出すことは、弱音を吐き出すことと同意の様に感じた。まだ自身の中で感情が整理できていない俺は、静かに頷くだけに留める他無かったのだ。
「一つだけ聞きたいことがあります」
沈黙を破るように、クリストファーは口を開いた。俺は話を続けるように、静かに目で促す。
「何故、私に相談を? 他にも選択肢は沢山有った筈です」
クリストファーの質問に俺は、思わず目を見開いた。自信満々に屋敷の前で待っていた男の台詞とは思えない。今更そんな質問をされるとは思わなかった。
俺は答えを考えあぐねいた。正直なところ、明確な理由と言われると難しい。自然と足が別邸に向いたとしか言いようがないからだ。寧ろ、クリストファーの方が答えを知っているのではないか、とすら思えてくる。
理由があるとすれば――
「信用していたから。だろうな」
俺が自嘲気味に笑うと、クリストファーは眉を
六年前の今日、ロザリーはウィザー家の庭園で俺を庇って傷を負った。幼い彼女の負った傷は、きっと俺が想像するよりもずっと深いものだろう。
忌まわしい事件の後、俺が聞かされたのは、俺の無事を喜ぶ声と、庇った『クリストファー』を称賛する声だけ。一人で行動した俺を非難する声は一切なかった。俺が守られるのは当然のことだと言う大人達の声は、今でも俺の耳に残っている。
しかし、クリストファーだけは違った。幼い真っ直ぐな瞳がだけが、俺を咎めた。たった一言だったが、確かに彼は「貴方がロザリーの笑顔を奪った」と俺に言ったことがある。もしかしたら、もう彼は忘れてしまっているかもしれないが。
「お前のことは昔から嫌いだ」
「知っていますよ。ロザリーが私の名を呼ぶ度に眉を寄せていた貴方は、昔から感情を隠すのが下手でしたから」
クリストファーは肩を竦める。人を小馬鹿にしたような物言いも、ロザリーの前では優しい兄の仮面を被っている所も、やはり全てがいけ好かない。
「嫌いだが、信用はしていることもある」
クリストファーは、「へぇ」と小さく笑った。
「お前はロザリーだけは決して裏切らない」
「それは勿論。私の唯一無二の片割れですから」
そんなこと、クリストファーにとっては当たり前の事なのだろう。「何を今更」とでも言いたげな態度だ。だからこそ、安心してロザリーのことを相談できるとも言える。
「そして、お前は私には上辺だけ取り繕った言葉を言わない」
あの事件で唯一、俺を咎めることができたのは、クリストファーだけだ。子供故の言葉だったのだろう。それでも幼い俺の心には十分過ぎる程に響いた。一番嫌いな男を一番信用しているとは、可笑しな話だ。
「今はわかりませんよ」
「だからと言って、媚びへつらうようなたまでもあるまい?」
「ご希望とあらば、
「そういう分かりにくい冗談は辞めてくれ」
クリストファーの媚びる姿などどう頑張っても想像できない。きっと、クリストファーも本気ではないのだろう。寧ろ、媚びるつもりもないから出た言葉とも言える。
クリストファーは、肩を竦めるだけでそれ以上は答えなかった。そして、俺が何かを言う前に、時計を見上げる。
「さあ、殿下。そろそろお時間です」
クリストファーが立ち上がった。手付かずの紅茶は、すっかり冷めている。確かにそろそろ戻らなければならない。さすがに長く離れれば、誰かが探しに出てくるだろう。
クリストファーに促されるままに、俺も立ち上がる。聞きたいことは聞けた。後は俺がどうにかすれば良い話だ。別邸の扉をくぐりながら、俺が「お前の案を、横取りしてしまうみたいで悪いな」と言うと、クリストファーは鼻で笑った。
「この案は、王太子殿下の発案で最大の効果が発揮できるのですから、上手く演じて下さい」
「演技か。俺の苦手な分野だ」
「それくらい、やってのけて下さい。王になるのなら」
別れ際に言われたクリストファーの言葉が重くのし掛かる。
「王になるのなら、か……」
空を見上げれば、変わらず星の花は輝いていた。
俺の命は、どうやら何よりも代えがたいらしい。
ロザリーの肩を犠牲にして得られたものはたったのそれだけだ。俺を守る為に誰もが犠牲になるのだとしたら、一人になれば良い。ウィザー家の双子が表舞台から消えた後、俺の前には何人も「御学友候補」が現れた。それを遇らうこと六年。気づけば一人であることにも慣れた。いつからだろう。食事すら一人で摂るようになったのは。
ただ、傷つきたくなかっただけなのだろう。あの日俺は、全てから逃げただけだ。ロザリーの様に、俺の代わりに傷つく者を見たくなかった。大切な人を守る力を持たない俺はただ、逃げてしまったのだ。しかし、そろそろその落とし前を付けなければならない。
もうそんなことを理由にウジウジとしているな、と皆が言う。母から、ロザリーから……そして六年間会ってすら居なかったクリストファーからも言われてしまった。
「格好悪いな」
夜空に浮かぶ月夜に話しかけたところで、返事は返ってこない。しかし、少しだけ揺らめいた気がした。それが後押しの様に感じるなどというのは馬鹿らしいことだろうか。
「やってみるか」
小さな呟きは、闇夜に溶けた。その決意は、誰にも聞かれてはいない。それでも、今は前を向いて歩いていられる気がした。
決意をしてしまえば早いもので、足取りは軽くなった気さえする。本当はこれからだというのに、何もかも解決してしまったような気持ちにさえなるのだ。
本邸に戻る間、俺は長い休憩の言い訳を永遠と考えていたが、誰からも理由は聞かれなかった。肩透かしにあった様な気分だ。元々社交場には殆ど顔を出していなかったのが幸いしたのか。それとも、ロザリーが上手く立ち回ったのか。もしかしたら、その二つが合わさった結果なのかもしれない。
人知れず屋敷の中に戻った俺の元にいち早く訪れたのは、ロザリーではなくアンジェリカだった。
「何だか、憑き物が取れた様な顔をしておりますね」
「そう、かもな」
アンジェリカの言う通り、どこか気が楽になった様な感覚だ。一人で背負うことの難しさを今更ながらに感じる。
「良かったですわ。これで明日から芸術祭についてお話しできますわね」
アンジェリカは、口角を上げる。目が笑っていない。「嫌だ」とは言わせないと言うことなのだろう。
いつもなら、眉を寄せて「ああ」と一言答えれば良い。しかし、それではいつも通りだ。俺は口角を上げた。驚いたのか、アンジェリカの目がほんの少しだけ、大きくなった気がする。
俺は、苦手な『演技』をしてみることにした。思い浮かべたのは、母の笑顔だった。外では決して見せない笑顔ではあったが、あれには強い強制力がある。
「ああ、そうだな。アンジェリカ嬢、君にはやって貰いたいことがある。芸術祭に向けて」
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