76.芸術祭のジンクス

 珍しい組み合わせも有るものだ。と、私はゆっくりと全員の顔を見た。朝からアンジェリカのにこやかな笑顔で脅された私と殿下は、王室専用サロンに三人の令嬢を迎え入れた。


 アンジェリカは堂々としたものだったけれど、彼女の後ろから着いて来た二人の令嬢は、物珍しそうにサロンをキョロキョロと見回している。どこか落ち着かない様子だ。殿下の眉間には少しだけ不機嫌さが滲み出ていた。


 アンジェリカと共に仲良く腰を下ろした二人の令嬢は、緊張しているのか出された紅茶にも手をつけない。それどころか、膝の上で両手を握りしめていた。


 仕方ないと言えば仕方ない。この部屋に入ったのは私以外では三人が初めてだもの。


「ここの紅茶は美味しいから、良かったら飲んで」


 少しでも彼女達の緊張をほぐそうと、二人に声をかけたら肩を震わせてしまった。逆効果だったみたいだわ。


「あら本当、美味しいわね」


 アンジェリカだけはいつも通りで、入れたばかりの紅茶を味わっている余裕があるようだ。その余裕、少し二人にも分けてあげたいくらい。


「それで、私達への『お願い』って何かな?」


 一言も話さず震える女の子を怖がらせないように、いつもより優しく微笑んでみた。けれど、これも逆効果だったみたい。彼女達は悲鳴にもとれる高い声を上げて、二人で手を握り合った。なんだか悪魔にでもなった気分だ。アンジェリカはそんな二人を見て、ため息をつくだけ。誰も彼女達を救いはしない。殿下も眉を少し寄せるに留まった。


「まあ、いいわ。私から話すつもりだったし」


 アンジェリカは私と殿下を順番に見ると、口角を上げた。微笑みというには恐ろしいものを秘めているそれに、背筋が凍る。


「私、回りくどいのは嫌いなのよね。ですから、単刀直入にお願いしますわね。殿下、クリストファー様。お二人には今年の芸術祭で演劇をして頂きたいの」


 アンジェリカの唐突な『お願い』に、私は二度程瞬きをした。彼女は変わらず笑みをたたえている。殿下の眉間の皺が一本増えたことを視界の端に捉えながら、私はどうにかアンジェリカに笑顔を返した。


「まず芸術祭っていうのは、何だろう?」

「貴方にはそこから説明が必要なのね」


 ちらりと殿下を見れば、あまり興味はなさそうだった。彼は芸術祭のことを知っているのかもしれない。


 アンジェリカは紅茶を一口飲むと、芸術祭のことを詳しく話してくれた。社交シーズンの終わりに合わせて催される芸術祭は、アカデミーにとって最も重要なイベント事の様だ。その中でもアカデミーの生徒が有志で行う演劇は、毎年話題となっているらしい。この演劇に参加する為に入学を決めた令息令嬢がいたとかいないとか。普段観劇はしても演劇をする側になることはまずないから、演劇に興味があるならば、この機会を逃す手はないのかもしれない。


 二十年前、私達の両親はその芸術祭で演劇を最初に始めたらしい。何でも恋物語を熱演し、当時の話題になったのだとか。


「つまり、二十年前と同じ演目を再演するということ?」

「ええ、この有志による演劇が始まった演目をその息子達が演じる。話題性として大いにあると思わない?」

「そうだね」

「今回の演劇を成功させるには、お二人の力が必要なの」


 アンジェリカの真っ直ぐな視線が向けられる。勝手に「いいよ」と返事するわけにもいかず、私は殿下の方に視線を移した。彼は難しい顔をしている。何やら考え事をしている様だった。


「配役は?」


 殿下の短い一言に、静かに様子を伺っていた令嬢が二人、肩を震わせた。威嚇しているわけではないとは思うから、そんなに怖がらなくても良いのだけれど。


「父上と母上、そしてウィザー公爵がその演劇で重要な役どころを演じていた筈だ。私とクリスだけでは一人足りないだろう?」

「さすがですわ、殿下。内容もご存知ですのね」

「昔、寝物語によく聞いていた。それで、質問に答えて貰えないか? 配役、いや、母上が演じたヒロイン役を誰がやるのか」


 アンジェリカと殿下が見つめ合う。否、そこには甘い雰囲気など一切ないのだから、睨み合うと言った方が正しいのかもしれない。


 つまり、国王陛下と同じ役を殿下が、父上が演じた役を私がやる場合、ヒロインが不在というわけか。このアカデミー内で言うならば、アンジェリカやレジーナが適任だと思うけれど。私にとってはどこか他人事の様な気分で二人を眺めていた。


「本来なら、殿下が主演を、クリストファー様には恋敵の役をやって頂くのが順当。ですが、今回はクリストファー様にヒロインの役をやっていただきたいのです」

「……え?」


 私の小さな声が、部屋中に響いた。同時に殿下の目が大きく見開かれる。どうやら殿下にとってもこれは驚くようなお願いであったらしい。他人事と高を括っていた罰が当たったようだ。私は気を取り直してアンジェリカの方に視線を向けた。


「このアカデミーには多くの令嬢がいるのに、わざわざ私をヒロインに据える必要があるのかな?」


 何より『クリストファー』として女性の格好をするのは問題があるような気がする。もしもアカデミーに通っているのがお兄様だったとして、「ヒロイン役をやって下さい」とお願いされたら快諾するのかと問われると難しい。確かに、お兄様は女性の姿も綺麗だけれど、それとこれとは別の話だ。


「私も突飛なお願いだとは思いますわ。勿論、理由はございます。これは、陛下と王妃様の馴れ初めに起因いたしますの」

「お二人の馴れ初め?」

「ええ、二人はあの演劇で惹かれ合い、愛し合ったとか。その年から、主演とヒロインを演じた二人は結ばれるというジンクスがございます。ですが、殿下はもう心に決めた方がいらっしゃるご様子。そんな中、ヒロインを他の令嬢が演じれば、必要のない争いが起きる可能性が生まれますもの。クリストファー様がヒロインを演じるのなら、誰も文句は言わないでしょう」


 今、頷けば「承諾」と取られてしまうだろう。私は頷くわけにもいかず曖昧に笑った。きっとアンジェリカは殿下と『ロザリア』のことを考えてこの配役を提案している。けれど、ヒロイン役を即断する程の勇気は私にはなかった。


「断る」


 殿下は私が悩んでいる側で、きっぱりと言い放った。眉間に皺は寄っていないけれど、機嫌は悪そうだ。残念ながら考えていることは読み取れない。


「何故か、理由を聞いてもよろしいでしょうか?」

「私の婚約はジンクスに左右されるものではない。そのジンクスとやらでいらぬ争いが生まれるならば、いっその事私達は不参加の方が良い。そうだろう? クリス」

「ええ、私もさすがに女性の格好をするのはちょっと」


 私は殿下の言葉に頷いた。大役から逃れられることにホッと胸を撫で下ろす。二人の令嬢は落胆の色を隠せていないようだった。主演探しを一からとなると、やはり大仕事なのだろうか。ほんの少し、胸が痛んだ。


「ロザリア様に瓜二つのクリストファー様なら、女性の姿もきっとお似合いになりますわよ。それに、こんな子供じみたジンクスでも、利用しようという者も現れるやもしれません。先手を打った方が良い場合もございますわ」


 アンジェリカは静かに立ち上がると、礼を取りにっこりと笑った。隣の令嬢達が慌てて立ち上がる。


「お時間を取らせて申し訳ございません。殿下、クリストファー様。すぐにお返事は必要ありませんから、よくお考え下さいませ」


 彼女は私達の返事を待たずに、サロンを出て行った。慌てて付いて行く令嬢達。私はそれを目で追うことくらいしかできない。難しい表情の殿下。サロンには重たい空気だけが残った。


「ジンクスを利用しようとする者なんて、いると思いますか?」

「無いとは言えないな」

「やはり、出た方が良いのでしょうか」


 手を打つならば早い方が良い。私がヒロイン役を引き受けることで不安を解消できるのであれば、それも一つの手に思えた。


「いや、駄目だ」

「なぜ?」

「ヒロインなんてやれば私と――……」


 殿下は言葉を止めて、忌々しそうに唇を噛んだ。私は訳もわからず小首を傾げる。


「いや、男同士で仲良くダンスなんて嫌だろう? それに、ダンスなんてできないだろ? 男のお前には」


 私は二人でダンスをする姿を思い浮かべた。そして、殿下の一言でようやっと気づいたのだ。主演とヒロインが触れあわずに終わることなんてないということを。

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