74.女王様と相談事1

 今日のアカデミーはどこか浮き足立っている。それもその筈、今日は久しぶりにあの男達が来ているのだから。


「クリストファー様、朝から素敵でしたわぁ」

「アレクセイ王太子殿下と並んでいるお姿はまるで絵画のようね」


 クリストファー・ウィザーと、アレクセイ王太子殿下。アカデミーの人気二本柱だ。朝から二人の姿を見ることができた子も、見ることができなかった子も話題はそのことばかり。


 私は浮き足立った室内をゆっくりと見渡した。


 どいつもこいつも……あらやだ、いけないわ。どの子も、二人が来ていると聞いた側からめかし込んで。何処から用意したのよ、その髪飾りは。


 私は青い花で豪奢に飾り立てた少女の横顔をまじまじと見つめた。


 隣では、何度も何度もお粉をはたいては、顔を白に染めていっている。そこまですると化け物のようだと誰か教えてあげて欲しい。


 どんなにおめかしをしたところで、あの二人は今日殆どの時間をサロンで過ごすでしょうに。それでも二人にいつ見られるかわからないと言って、入念な準備を開始する。女心は複雑だわ。


 一人で長い廊下を歩いていると、少し浮ついている二人の令嬢に声を掛けられた。


「アンジェリカ様、御機嫌よう」

「御機嫌よう。楽しそうね?」

「まぁ! わかってしまいます?」


 二人はキャアキャアと手を取り合って、笑いあった。含みのある言い方に、少しだけ面倒臭いと感じる。けれど、一人が思い出した様に声を上げることで、その雰囲気は一掃されてしまったわ。


「ああ、そうだわ。アンジェリカ様にご相談がありますの。よろしかったらカフェテリアでお茶でもいかがかしら?」

「そうね、今日は急ぐ用事もないし構わないわ」


 本当は断りたかったけれど、このアカデミーは小さな社交場。断るにも理由が必要なのよ。私はため息を飲み込んで、カフェテリアを目指した。


「それで、ご相談って何かしら?」


 カフェテリアは今日も賑わっていたけれど、丁度良い具合に窓際の良い席が空いていた。紅茶とクッキーを運んで貰えば、そこはまるでお茶会の様な雰囲気になる。けれど、私は早く終わらせたい一心で、本題を催促したのだ。しかし、うまくいく筈もない。目の前の二人の令嬢は相談とは全く関係のない話を始めた。


「アンジェリカ様、今日クリストファー様とアレクセイ王太子殿下がご登校されていたのをご存知?」

「ええ、今朝からその話題で持ち切りですものね」


 今日の話は長くなりそうだわ。私は喉を潤す為に紅茶を一口含んだ。あら、美味しい。


「しかも、今日は奇しくも、剣術の日でしたの」

「ええ、そう。でもクリストファー様は剣術の授業は受けていないから関係ないでしょう?」

「そんなことございませんわ! 剣術の日は、言わば『図書館の日』ですのよ」


 成程。と、私は頷くしかないようだ。目の前の令嬢は、大きく拳を握る。隣ではもう一人が強く頷いていた。


「そう言えば、彼は良く図書館にいるわね」

「ええ、今日も例外無くクリストファー様は図書館に現れましたわ。いつもと変りない笑顔を向けるクリストファー様に、親衛隊一同心が浄化される思いでしたわ」


 二人はうっとりと頬を染め、図書館で起こった出来事を思い出している様だった。私はその場にいなかったというのに、クリストファーが図書館で笑顔を振りまいている姿を思い浮かべる。容易に想像できたのは言うまでもない。困ったものだわ。クッキーを口に放り込みながら、二人が夢の世界に旅立っているのを眺めていたけれど、なかなか戻ってこなかった。そろそろ引き戻さなくては。『親衛隊』については変に質問しない方が良さそうね。それを、聞いたらもっと長くなる。


「それで、そのクリストファー様が図書館でどうしたのかしら?」

「あら、いけない。私ったら」


 現実世界に戻って来た二人が乾いた喉を紅茶で潤し始めた。これはまだ長く続きそうね。


「いいのよ、ゆっくりお話しになって」

「ええ、ありがとうございます。……クリストファー様は今日もいつもの様に本を手に、奥の間に行かれましたの」


 奥の間とは、ウィザー公爵家のみが使用を許されている書庫の奥の空間だ。アカデミーの図書館はウィザー公爵家の寄付で建てられたと聞いている。それは、クリストファーの父である、ウィザー公爵が入学をする際のこと。ウィザー公爵がアカデミーに在籍していたころは、夫人や今の国王陛下、王妃陛下と共にあの場所で過ごすことも多かったとか。今ではクリストファーが一人で使うことが多い。


 図書館に来ると昔話の様に、司書が話してくる。だから、奥の間はアカデミーに在籍している者なら誰でも知っている事実。クリストファーが利用しているのを見て、「昔を見ている様だ」と涙を流した司書の話はアカデミーでは有名だ。


「奥の間では、クリストファー様がいつもの様に長椅子に座ってゆっくりと本を――」

「ちょっと待って頂戴」

「……はい?」

「何故、奥の間の様子がわかるのかしら……?」


 奥の間というだけあって、あそこは死角。個室にはなっていないけれど、殆どを壁に囲われているのだ。彼自身から許されなければ入ることもできない場所の筈。


「あら、いやですわ。少し古くなって壁に穴が開いているところがありますの。そこからですと様子が見えますのよ?」


 おほほほ。なんて可愛らしく笑ってはいるけれど、その行動はいかがなものなのか。注意して回るよりも、穴を塞いだ方が良さそうね。


「そうなのね。それは知らなかったわ」

「ええ、私達は今日もその穴からご様子を伺っておりましたの。勿論、クリストファー様のお邪魔にならないようにひっそりと」

「ああ、思い出しただけでも夢の様な世界でしたわ。風に揺れる飴色の髪。時折クスリとお笑いになったり、難しいお顔をしたり。何より、本をめくる細くて長い指先。ずっと見ていても飽きませんわ」


 一々二人は夢の世界に旅立つ。クッキーを取る手が止まらないわ。


「最初は本をお読みになっておりましたのよ。でもクリストファー様、最近お忙しかったらしいでしょう? 本をお読みの間も時折眠たそうになさっておりましたの」

「アカデミーに来ることができないくらいには忙しかったみたいですものね」

「ええ、気づいたらクリストファー様ったら、長椅子に横になっておりましたのよ」


 二人はまた思い出したのだろう。手と手を取り合って「キャーッ」と甲高い声を上げた。広いカフェテリアとはいえ、大きな声をあげれば人の視線が集める。私がコホンッと咳払いすると、二人はサッとたたずまいを直した。


「それで?」

「長椅子のひじ掛けに長い足を投げ出した姿は本当に素敵でしたのよ。抱えられた本になりたいと何度思ったことか……」

「クリストファー様の寝顔のなんと麗しいことか……。あの方と結婚したら毎朝あの寝顔を見ることができると思うと、もう……」


 また夢の世界に入ってしまった。一々想像できるのが恨めしい。私は、紅茶を飲んでクリストファーの寝顔を脳内から押し流した。


「そう……それは素敵ね」

「そうでしょう? あの寝顔は本当に国宝級でしたわ」


 うっとりと頬を染めること二度目。国宝級なら王宮の宝物庫にでもしまっておきなさいよね。


 そろそろ本題に入って欲しいのだけれど、まだまだ続きそうだわ。


「それで……?」

「私達寝顔をじっくりと堪能した後、立ち去ろうとしましたの。そしたら、何ということでしょう!」

「殿下が、アレクセイ王太子殿下がいらっしゃいましたのよ!」

「私達、固唾を飲んで見守りましたわ。このまま行くと、寝起きのクリストファー様を見ることができるかもしれないと思ったのも事実ですけれど」


 この二人、欲望が駄々洩れね。私には全く興味のない続きだけれど、周りはそうでもないみたい。目の前の二人は興奮して気づいていないようだけれど、さっきからカフェテリアはシーンと静まり返っている。


「それで、クリストファー様は殿下に起こされてしまったの?」

「ええ、最初は声を掛けていらっしゃいましたわ。『クリス』って。でも、なかなかお目ざめにならなくて」

「それよりも、あの殿下の眼差し、見まして?」

「ええ、見ましたわ。あれは愛情の籠った眼差しでしたもの!」

「……どういうことかしら?」

「殿下がとてもお優しい目で、クリストファー様の寝顔を見つめておりましたの。きっと、ロザリア様の姿を思い浮かべていたのではないかしら?」

「ええ、きっとそうよ。まるで愛おしい恋人でも触るかのように、指の背でクリストファー様の頬を触れた時は、私達お互いの口を塞ぎましたわ」

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