48.ある侯爵令嬢の疑念
もう、十三人目。
今日の夜会であの男――クリストファー・ウィザー――が手を取った女性の数。頬を染め、目を潤ませながらあの男を見上げる少女を、わたくしは冷めた目で見つめた。
ああ、つまらない。
あの日から、殿下は夜会には顔を出していない。王族なのだから、公式に参加することはないけれど、『お忍び』という名目で夜会に参加することなど多々ある。それが全くない。
アカデミーには時々顔を出しているけれど、毎日ではなくなった。それに合わせて、あの男もアカデミーに来ることが減っている。あの男の顔を見なくて済むのは最高だけれど、殿下のお顔を拝見できないのはとても残念。
あの男は、十三人目の少女の手から離れると、次はシャンパンの入ったグラスを手に取った。そうすれば、すぐに人に囲まれて、会話が始まる。
女達は、あの男の興味を引こうと様々な話を振る。彼は頷いたり、少し会話を挟んだり。そもそも彼は、大した話はしない。それでも会話の中心はいつもあの男だ。
今日既に五杯目のシャンパンを手に取りながら、わたくしは零れ落ちそうになるため息を喉の奥に引っ込めた。
あの男が、十四人目のダンスのお相手を選んだ頃に、あの群れから離れて来た友人のエレノアとクロエが、頬を染めながら私の所までやってきた。
「クリストファー様、今日も素敵でしたわぁ。次はレジーナ様もご一緒にいかがですか?」
エレノアは、うっとりと、思い出す様に宙を見つめる。上気した頬を冷やすように、両手で押さえ、夢の世界に旅立っていった。
「わたくしは良いのよ」
「レジーナ様は王太子殿下一筋ですもの。仕方ありませんわ」
いつの間にか、軽食を手に持っていたクロエは、豊満な身体を揺らしながら、笑っている。
「それにしても、ロザリア様のご病気心配だわ」
「ええ、早く良くなっていただきたいわね」
二人は、まるで自分のことの様に、あの男と妹の話を始めた。今日も熱を出して寝込んでいるとか、そんなことばかり。聞けば、皆、病気に効く食べ物や飲み物、病気に効く情報をこぞって彼に伝えているのだとか。
今更、同情でも誘うつもりなのかしら。
ほら、十五人目。あの男の何が良いのかわからない。優しさばかり振りまいて、誰にもなびかない。それでも皆、彼の一番になろうとしている。ばっかみたい。
その日、わたくしは終始壁の花に徹して、夜会を終えた。
あの男が夜会に参加した次の日は、アカデミー内でもその話題で持ち切りだ。同じ夜会に参加した者達が話題の中心になり、「クリストファー様の話」をする。
ああ、うざったい。
どこに行ってもあの男のことばかり。その代わり、殿下の恋文の噂は少しずつ少なくなってきている。新しい情報など入ってこない殿下の恋路よりも、気さくに話しかけてくれるあの男の話の方が、噂好きの貴族には楽しいのだろう。
「ロザリア様、早くお加減良くなると良いわね」
「クリストファー様とそっくりだってお聞きしたわ。絶対美人よね」
「王太子殿下とクリストファー様が並んでいるお姿も、とても目の保養ですもの、きっと、ロザリア様ともお似合いだわ」
最近、皆あの男の話ばかりでなく、妹の話までし始める。今までなりを潜めていた彼女の名前が、まるでそこに存在するかの様に歩き出した。
いつから? 殿下が手紙を渡してから? いいえ、違う。あの男の動きが活発になってから。
わたくしの中で、疑念が湧き上がる。
なぜ、今まで誰にも見えないように大切に箱にしまって隠しておいた宝物の存在を皆に話し始めたのか。
おかしくはなくって?
今日も殿下とあの男は、アカデミーを休んでいる。だからだろうか、生徒達はここぞとばかりに、彼の噂話をしている。
「ねえ、エレノアさん、クロエさん、カフェテリアでお茶でもしませんこと?」
近くにいた二人に声をかければ、すぐに頷いた。
「ええ、勿論ですわ」
「今日は美味しいケーキを食べたいですわ」
エレノアもクロエも、あの男の信者ですもの。沢山、話を聞かせて貰おうじゃないの。
わたくしら、にっこり笑って、カフェテリアに向かった。
カフェテリアの端。大きな柱と、植物で人目に余りつかない場所を選んだ。エレノアとクロエは少し不思議そうにしていたけれど、「最近、色々と噂しれているでしょう?」と、涙を拭くふりをすれば、二人は納得した様に頷いた。
テーブルには、甘い香りのケーキと、紅茶が三人分並んだ。
「最近、ロザリア様のお話を良く耳にする様になったと思わなくて? 何故かしら?」
「確か……エーデル伯爵家の夜会で、一人飾られている花を眺めているクリストファー様にとある令嬢がお聞きしたのですわ」
わたくしが首を傾げると、エレノアが思い出すように、話し始めた。わたくしが出席していない、エーデル伯爵家で行われた夜会のことらしい。
珍しく一人で少し寂しそうに花を眺めているクリストファーに、ある令嬢が意を決して声をかけた。
『そのお花が好きなのですか?』
『ああ、私ではなくてロザリー……妹のロザリアが好きなんだ。見せてあげたいな、と思ってね』
寂しそうに微笑むクリストファーに、周りの令嬢が引き寄せられる様に集まった。
『ロザリア様は……その、ご病気だとお聞きしましたが……』
一人が遠慮がちに聞くと、クリストファーは静かに頷いたという。
『そうなんだ。今日も熱を出して部屋で寝込んでいる』
そっと瞼を閉じるクリストファーの睫毛は、少し震えていたとかいないとか。
帰り際、エーデル伯爵夫人は飾られた花を「ロザリア様に」と、クリストファーに差し上げると、クリストファーは、とても嬉しそうに受け取ったらしい。
その日から、クリストファーの関心を引くため、皆クリストファーに会えばロザリアの話をする様になった。
クリストファーも、双子の妹のことが大好きなのか、いつも聞き役の彼には珍しく少し饒舌になるらしい。
「クリストファー自身の話より、ロザリア様の話の方が嬉しそうに話すものですから、皆、最近ではロザリア様の話ばかり振るようになりましたわね」
クロエが美味しそうにケーキを頬張りながら頷く。
「こんなに話題に上っていらっしゃるけれど、誰かロザリア様にお会いしたことがあるのかしら?」
「いいえ。ご病気で、屋敷からは出ていないみたいですわ。ウィザー家ではロザリア様が療養中ですから、パーティなどはしておりませんしね」
「でも、夫人は時々お茶会を開いているわよね?」
ウィザー公爵家の双子が公爵領から王都に戻って来た頃から、ウィザー公爵夫人は、時折お茶会を開くようになったという。少人数のこじんまりとしたものらしいけれど。
「お茶会に連れて行って貰った令嬢も何人かいるみたいですけれど、ロザリア様に会ったという話は聞きませんわね。クリストファー様にお会いしたって話は聞いたことがありますわ。羨ましいわぁ」
エレノアが頬に手を当てて、ほうっと小さくため息をはいた。わたくしは、そんな彼女を冷ややかな目で見ながら、紅茶を口に含んだ。
なんだか引っかかるのよね。
「そういえば、六年前、何故クリストファー様とロザリア様は、公爵領で療養を始めたのかしら?」
「あら、ロザリア様の療養にクリストファー様がついて行ったのではありませんか?」
「あら、違いますわよ。六年前のあの事件で怪我を負ったクリストファー様の療養の為ですわ」
あの男の療養為に公爵領について行った先で妹は病気になった。そして、デビューの為に二人で王都に戻ってきたということか。
広い公爵領のどこで療養していたのかはわからないけれど、五年間王都に戻ってこなかったくらいだから、すぐそこではないのだろう。
妹を大切にしているというあの男が、外に出られない程重い病気の妹を、無理矢理馬車に詰め込んで王都に戻ってきたのか。泣く泣く妹を置いて王都に戻ってきたならまだわかる。
「本当にロザリア様なんているのかしら?」
わたくしは、思わず呟いてしまった。それを聞いて、二人は三度瞬きをした。
「え?いるに決まっているじゃないですか」
何を言っているのかと言いたげに、クロエが笑い飛ばす。
「でも、誰も会ったことはないのでしょ?」
「そうですけれど、わざわざいるように装っている意味がないですもの」
確かにクロエの言う通りだ。本当は居ないロザリアを、「いる」と装う意味がない。だったら、本当はあの男がいなかったらどうなのか。
「なら、クリストファー様が存在しないのではなくて?」
「え?」
「レジーナ様、意味がわかりませんわ」
エレノアとクロエが首を傾げる。
「例えばよ。クリストファー様は六年前、王太子殿下を庇って大怪我を負われたわ。その時実は亡くなっていたらどうかしら? ウィザー家を継ぐ為に、ロザリア様がクリストファー様に成り代わっていたら?」
確かに背は高くスラリとしているけれど、女よりも綺麗な顔。男にしておくには勿体無い程だ。
「本当にロザリア様は、あのお屋敷で療養しているのかしらね?」
もしも、これが本当なら、凄いスキャンダルではなくて?
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