39.マリーとマリアンヌ2

 馬車の振動を感じながら、これからのことを考えていた。アカデミーを早めに出た私は、ウェルザー男爵家のある北区を目指していた。北区の市民街に程近いところに、ウェルザー男爵家の屋敷はあるらしい。


 我が家は南区にあるから真反対だわ。


 夜会の会場となっているミュラー家の屋敷は、西区にあるから、この馬車は北区までぐるりと遠回りした後、西区に戻ってくることになる。


 ウェルザー男爵令嬢が、アカデミーの生徒ということしか分かっていなかったので、昼間に会いに行ったけれど、生憎休みを取っていたわ。女の子は準備が大変だから、今日お休みを取っている人も多い。


 アカデミーの女王様も、二人とも休みの為、今日は少しだけ、少女達の足取りが軽やかだったような気がするわ。


 私が今日エスコートすることになったウェルザー男爵令嬢についてわかったことはただ一つ。


「……マリアンヌ・ウェルザーか」


 名前だけ。他の子にあまり詳しく聞くと、関係を詮索され兼ねないんだもの。それ以上は無理だったわ。


 それにしても、まさかマリアンヌって名前の令嬢と会えるとは思わなかったわ。眼の色は何色かしら? 髪の毛はの色は?


 頭に我が家のマリアンヌを浮かべながら、私は少しだけワクワクしていた。


 間違って「マリー」と声をかけないようにしないと。


 突然馬車が止まったのは、そんな時だった。北区に着くには早すぎる。よくて西区くらいでしょうに。何か有ったのかしら。


 開かれた扉の先には、申し訳なさそうに眉を下げたクロードの姿があったわ。


「クロード?」

「申し訳ありません、クリストファー様」

「いや、私は大丈夫。それより、何かあったのかな?」

「はい、それが……マリアンヌ様が」


 大きな体躯がどんどん小さくなっていく。私は意味が分からず首を傾げた。


「マリアンヌ嬢? まだ屋敷には着いていないみたいだけど?」


 こんなに早く着いたら、クロードは魔法使いだわ。


「いえ、猫の方です」

「ああ、マリー?」

「はい」


 何とも歯切れが悪い。何故、突然マリーの話になったのか分からず、傾げた首が更に横に倒れて行く。


「マリアンヌ様が、付いてきてしまったようです」

「……え?」


 私の素っ頓狂な声が、馬車の中に響いた。暫し沈黙が流れる。クロードの苦々しい顔が、この状況を物語っているわ。


「この際、どうしてそうなったのか。は、置いておいて。取り敢えず、こっちに連れてきてくれるかな?」


 さすがにマリーの為に屋敷に戻るのは難しいわよね。

 ならば、馬車の中に入れてあげないと。


 クロードはなかなか動いてくれなかった。眉間の皺が徐々に数を増して行く。


 どうしたのかしら?


「クロード……? ああ、そうか」


 クロードは猫が苦手なのよね。私は、馬車から降りて、御者台に向かった。クロードが申し訳なさそうに後ろからついてくる。


「クロード、気にしないで。猫が駄目になったのは、元はと言えば、私のせいだろ?」


 振り返り、苦笑を見せれば、彼は困った様な表情を見せたわ。


 私はすぐに御者台に向き直ると、足元に丸まっているマリーを見つけた。


「こんな所に隠れているとは、私のマリーは少しお転婆なご令嬢だね」


 誰に似たのかしら?


 手を伸ばすと顔を上げたマリーがのろのろと近寄ってきたわ。


「ミャー」


 知らない場所に来て、怖がっているみたい。抱き上げたら、私の腕の中で静かになったわ。


「とりあえず、マリーは馬車に入れておいてあげよう」

「はい」

「もし、ウェルザー男爵令嬢が猫嫌いだったら、申し訳ないけど、クロードの隣にお願いするよ」

「……わかりました」


 神妙な面持ちのクロードの顔を見ると、彼女が猫好きであると、願わずにはいられないわね。


「さあ、急ごうか」


 私は、マリーを抱いて馬車へと戻った。馬車の中に入っても、マリーは私の腕から離れようとしないわ。そんなに怖がるなら屋敷から出なければ良いのに。


「マリーも夜会に参加したかったのかな?」

「ミャー」


 優しく頭を撫でれば、目を細めて鳴き声を上げた。


「デビューには早いよ、マリー。今日は馬車でお留守番だよ」


 マリーが落ち着くように優しく撫で続けた。安心したのか、マリーはとうとう私の膝で眠ってしまったわ。全く現金なんだから。でも、ゴロゴロと喉を鳴らす姿は憎めない。


 マリーを構っていれば、南区から北区の道のりも早いもので、馬車の外からクロードが到着を知らせてくれたわ。


 マリーを馬車に残し、降りると、ウェルザー男爵家の使用人が何人か、そして男爵夫人が迎えてくれたわ。


「ようこそお越しくださいましたわ。クリストファー様。マリアンヌももうすぐ参りますわ」


 夫人の満面の笑みが私に向く。私はいつもの微笑みを返して、礼をした。


「今日は責任を持ってお嬢さんを送り届けますので、ご安心下さい」


 一人娘を他人に預けるなんて心配でしょうに、夫人は不安な顔など見せずに笑顔のままだわ。


「よろしくお願いしますね。……あら、あの子どうしたのかしら? もう用意はできているんですよ」


 夫人は「おほほほ」と笑い、右手に持った扇子で口元を隠した。


 マリアンヌもマリーと一緒で恥ずかしがり屋さんなのかしら。


 待っていると、屋敷の方から不穏な声が聞こえてきたわ。


「さあ、お嬢様、参りましょう。大丈夫ですから」

「そうですよ、マリアンヌ様。私も着いて行きますので」


 何か有ったのかしら。声は近いけれど姿はまだ見えない。夫人と目が合うと、また「おほほほ」と笑顔を向けられた。


「あら、嫌だわ。少々お待ち下さいね」


 慌てながら屋敷へと戻っていく夫人を見送ると、周りの使用人も心なしか不安顔だわ。


「マリアンヌ嬢は、恥ずかしがり屋さんなのかな?」


 近くの侍女に問えば、肯定するように苦笑が返されたわ。夜会までに仲良くなれるかしら。さすがにエスコートをするのに、嫌われてしまっているのは問題だわ。


 半ば無理矢理、夫人に連れて来られた令嬢を見て、私は目を丸くした。


 栗色の緩やかにウェーブした髪の毛、優しく垂れ下がったグレーの瞳。前に会ったことあるわ。確か、あの騒がしい花道で転んだ子。


 あの時は藍色の大人しいドレスを着ていたけれど、今は飴色のふんわりとした可愛らしいドレスを着ているわ。ハーフアップにした髪の毛には、白い花が飾ってあって可愛らしい。


「君だったんだね」


 にっこりと笑い掛けると、肩を震わせて夫人の後ろに隠れてしまったわ。ああ、嫌われてしまったかしら。あの時、転んだのに放っておいてしまったことに気分を害したとか?


「申し訳ありませんね。ほら、マリアンヌ、ご挨拶なさい」


 夫人は眉を下げながらも強引にマリアンヌを私の前に引っ張り出した。


「この前は大丈夫だった?」


 怖がらせないように、気を使いながら、優しく顔を覗き込んだけれど、やっぱり怖がられてしまった。私のことなんて見ようともせずに、何度も何度も頷いた。


 これは、前途多難ね。


「良かった。あの後大丈夫だったか気になっていたんだ」


 優しく話しかけてもギュッと目を瞑ってしまって、目を合わせてすらくれない。こんな可愛い子に嫌われてしまうなんて、とても悲しいわ。


 こんな調子でエスコートさせて貰えるのかしら。


「申し訳ありません、この子ったら」

「いえ、私が恐がらせてしまったのがしれません」


 夫人が申し訳なさそうに眉を下げる。下がり過ぎて、今にも落っこちてしまいそうなくらい。


「マリアンヌ嬢、今日は私が父君の代わりに夜会にお連れしても大丈夫?」


 嫌だと言われたら潔く諦めましょう。さすがに嫌がる女の子を、無理矢理連れて行くような趣味は無いもの。


 マリアンヌは、グリーの瞳に涙を溜めて、私を見上げた。


「あの、だ、大丈夫です」


 消え入りそうな声が、私の耳に届いた。


 大丈夫じゃなさそうなんだけど。本当に大丈夫なのかしら。


「この子ったら、ちょっと緊張しているだけなんですのよ。おほほほ。今日はよろしくお願いしますね」


 夫人が、ガッチリとマリアンヌの肩を後ろから押さえた。マリアンヌは今にも泣き出しそうだわ。


 このままでは駄目そう、どうにかしないと。


「そうだ」


 俯くマリアンヌと目線を合わせるために、私は彼女の前で膝をついた。私が見上げると、目には溢れんばかりの涙を溜めたグレーの瞳がゆらゆらと揺れている。


「マリアンヌ嬢、猫は好き?」

「……猫?」


 マリアンヌは一度瞬きすると、溜まっていた涙が頬を伝って零れ落ちた。同時に小さく頷いた彼女の手をそっと握ると、極力優しく微笑みかけたわ。少しだけ彼女の手が震えるのが伝わってくる。


「実はね、私の飼っている猫が、付いてきてしまったんだ。良かったら一緒に遊んでやってくれないかな?」

「……今、馬車の中にいらっしゃるのですか?」

「そうなんだ。あの子も夜会に参加してみたかったみたいなんだ。お友達になってくれないかな?」

「……はい」


 頷いて、笑う彼女を見て、私はホッと胸を撫で下ろしたわ。ようやっと、彼女の笑顔が見ることができた。


 涙が溢れて頬を濡らしてしまっている。私はポケットから、ハンカチーフを取り出して、彼女の手に握らせた。


「さあ、これを使って」


 マリアンヌは、素直に受け取ると濡らしていた頬と目をハンカチーフで押さえていった。ひとしきり拭き取ったのを確認すると、私は立ち上がって、マリアンヌの頭をそっと撫でた。


 いけない。あまり人の頭を撫でてはいけないって言われていたのに、また撫でてしまったわ。


 マリアンヌが目を丸々とさせて驚いている。左手で、私に撫でられた所を押さえているわ。ああ、やってしまったわ。


 でも、謝るのもなんだかおかしい。私は心の中で何度も謝罪しながら微笑みかけた。


「それでは、参りましょうか。マリアンヌ嬢、お手をどうぞ」


 もしかしたら、嫌がられるかもしれないと、不安に思いながら手を差し出したけれど、彼女は快く、私の手の上に手を重ねてくれたわ。


「それでは、お嬢さんをお借りします」


 夫人を見れば、にこやかに送り出してくれたわ。


 馬車の扉が開かれると、待っていましたと言わんばかりに、早速マリーがお出迎えしてくれた。


「可愛い」


 小さいだけれど、嬉しそうな声が聞こえてきたわ。マリアンヌのお眼鏡にはかなったみたい。私は、マリアンヌから手を離し、一度マリーを抱き上げると、マリアンヌの目の高さまで持ち上げた。


「仲良くしてくれる?」


 マリアンヌのキラキラしたグレーの瞳は、マリーへ一直線に向けられていて、私のことなど忘れてしまっているわ。


 これなら大丈夫そう。私はマリーを左手で抱えると、右手をマリアンヌに差し出した。


「さあ、ここからミュラー家は遠いから沢山遊べるよ」

「はい」


 マリアンヌは嬉しそうに手を取ると、馬車へと乗り込んだ。

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