22.青薔薇の称号3

 重厚感のある扉を前に、私は唾を飲み込んだ。この先では、王妃様が主催する『花のお茶会』が行われているらしい。先刻、殿下からあんなに脅された『花のお茶会』がどんなものなのか。少しだけ緊張して手が震えそうになったのを心の中で叱咤した。


 そう、お茶会が始まってから相当な時間が経過している。あの温厚な王妃様が侍女を寄越したくらいだものね。どんな言い訳をしたらいいのかしら。でも、私のせいでこんなに遅れたわけではないのだし、言い訳なんてせずに涼しい顔で入室すべきなのかしら。


 殿下を横目で見ると、今まで刻んでいた眉間の皺を取り除き、の顔を作っているようだった。こんな顔もできるのね。


「アレクセイ王太子殿下、クリストファー・ウィザー様、お着きでございます」


 侍女に開かれた扉をくぐると、数多の視線が私達を囲んだ。色とりどりのドレスを身に纏ったご婦人やご令嬢は、強い視線とは裏腹に、一歩下がり、王妃様までの花道を開けてくれたの。


 王妃様は、お茶会の一番奥にゆったりと座っていらした。隣の席にはお母様が座り、何か言いたそうにこちらを見ていたわ。


 沢山の視線を受けるのは今日が初めて。とても緊張していたのだけれど、殿下が堂々と一歩踏み出したのを受けて、私は彼の後ろに続いた。女は度胸って言うもの!今は男なのだけれど。


 花道を通る中、私はゆっくりと回りを見渡した。私達と同じ年頃のご令嬢も何人かいて、彼女達は頬を染めながら殿下を見つめているわ。殿下は男前でいらっしゃるから当然よね。


 その内の、菜の花みたいな可愛らしいドレスを身に纏ったご令嬢と目が合った気がしたから、そっと微笑んでみたのだけれど、彼女は目を丸くして、すぐに私から目をそらしてしまったわ。


 花道の奥、王妃様の前まで行くと、殿下が言葉を発する前に、王妃様が可愛らしく頬を膨らませて、口を開いた。


「アレクセイ、今日はこちらにいらっしゃらないかと思ったわ」

「遅くなり申し訳ありません。母上」


 殿下が頭を下げると同時に、私も一緒に頭を下げた。すると、王妃様はにっこりと笑って、首をゆっくり左右に振った。


「クリストファーは、良いのよ。アレクセイの我儘に付き合ってくれたのでしょう?」

「いいえ、私も楽しい時間を過しましたから」


 殿下とは同罪だわ。殿下だけのせいにするわけにはいかないもの。時間を沢山使ってしまったのは、半分は私の手紙のせい。私は、小さく首を左右に振った。すると、王妃様は目を丸くし私を見たわ。そして、口元を扇で隠しながら、楽しそうに笑い声をあげたの。


「あら、良かったわね、アレクセイ。良いお友達ができなのじゃない?クリストファーをお茶会に呼んだ私に感謝して頂戴な」

「勿論です。母上、ありがとうございます」

「でも、独占はダメよ、わたくしだって、今日、クリストファーとお話しするのを楽しみにしていたのよ。それなのに、お茶会が終わる時間まで二人で引き籠もるなんて」


 王妃様の咎める様な目に、殿下はほんの小さく身じろいだ。もう、お茶会は終わりの時間らしい。本当に長い時間殿下と二人でいたのね。王妃様にもお母様にも申し訳ないことをしてしまったわ。


「以後、気を付けます」


 殿下がしっかりと頭を下げると、王妃様は満足そうに一つ頷き、目線を彼から私に移した。今度は私の番か、と身構えたのが王妃様に伝わってしまったのか、王妃様は今一度、にっこりと口角を上げて私を見た。


「クリストファー、近う」

「はっ」


 私は王妃様の近くまで歩み寄り、膝をついて彼女を見上げた。王妃様のキラキラした紫水晶の瞳が意地悪そうにいったような気がしたわ。王妃様は私の耳元に近づくと、扇で口元を隠した。まるで内緒話でもしているみたい。


「次からは、あれに「お茶会をサボろう」と言われても「はい」と申してはいけませんよ」


 王妃様の声が聞こえたのだろう、視界の端で殿下が眉を顰めるのが見て取れたわ。何かと理由をつけて逃げていたのかしら。殿下はお茶会があまり好きではないのね。回廊を進む足取りも重かったもの。


 私は今、王妃様の味方をするべきか、殿下の味方をするべきか、究極の選択を迫られていのかしら。私は、少し悩んだ後、殿下に視線を向けた。殿下は黙って私を見つめるだけ。王妃様に視線を戻すと、またにっこりと笑顔を返されてしまったわ。笑顔が恐いってこのことなのかもしれないわね。


「承知いたしました、王妃陛下。「サボろう」と誘われても首を縦には振らないようにいたします。しかし、殿下に「ボードゲームをしよう」と誘われたら、思わず「はい」と申してしまうかもしれません」


 私は肩を竦めて見せ、困ったように眉を下げた。王妃様も殿下も、目を丸々とさせて私を見たわ。その後、王妃様がコロコロと笑うまでに時間は有しなかった。


「まぁ!どうしましょう、セラ。わたくしは息子に強い手札を与えてしまったようだわ」


 王妃様は、それはそれは楽しそうに隣のお母様に話かけた。お母様は困ったように笑い対応している。後で、お母様に咎められるかしら。帰りの馬車が怖いわね。二人が話終えるのを私はジッと待ったわ。女性の会話の間に入ると大変な目に合うとシシリーが言っていたもの。こういう時は静かに見守るのが一番よ。殿下も同じようにジッと黙っていたけれど、紫水晶の瞳は何か言いたげだった。でも、ダメよ。今口を挟むのは得策じゃないもの。


 王妃様とお母様がひとしきり話終えると、王妃様は私の方に向き直り、穏やかな表情を見せてくれたわ。


「クリストファー、今日は貴方に差し上げようと思っていたものがあるのよ」


 王妃様は侍女に目配せすると、侍女は「心得た」と言わんばかりに、王妃様に手に持つ物を差し出した。両手に余るそれは、柔らかな白い布に覆われており、何かはわからない。中の物は固いのか、柔らかな布を押し出すように形を変えているようだ。


 王妃様の細い指に優しく布が広げられ、中身が姿を現した。


「アレクセイが真っ赤に燃える炎ならば、クリストファーはすいすいと流れる水の様。人の心にするりと入り、その人の側に寄り添う。それはまるで、おとぎ話に出てくる『青い薔薇』の様だわ」


 凛とした声が部屋に響いた。王妃様の手にはあるのは、青い薔薇のガラス細工だ。白くて細い指が優しくそれを支えている。なんて精工な作りだろう、とまるで他人事の様にそれを見たわ。


 王妃様は、その精工な青薔薇のガラス細工を、私の目の前に差し出した。


「本物の青い薔薇は用意できないから、ガラス職人に作らせた物なのよ。受け取っていただけるわね?」

「ありがたく、頂戴いたします」


 私は、そっと青薔薇のガラス細工を受け取った。私の手よりもひんやりとしたそれは、力を入れたらすぐに壊れてしまいそうな程繊細なものだったわ。


「クリストファー。おとぎ話の青い薔薇の様に、美しく咲いて頂戴な」

「仰せのままに」


 私が青い薔薇を胸元に引き寄せると、王妃様は花が咲いたように微笑んでくださったわ。その言葉を皮切りに、周りの人がワッと騒ぎ出した。驚いて回りを見回すと、どうやら今までのやり取りを見ていたようなの。緊張していて周りのことなんて見えていなかったわ。


 隣にいた殿下を見ると、「それ見たことか」とでも言いたげに私を見ている。


 ウィザー公爵家の嫡男が、王妃様から青い薔薇を賜ったという話は貴族の間で瞬く間に広がり。クリストファーは、『青薔薇の王子』と呼ばれているとかいないとか、という話をシシリーから聞いたのはもう少し先の話。

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