14. 懺悔

「裏切り者の名前は……キョウヤ。十一エリア担当の、Eクラス有機資源。彼がE-terに反逆するスパイです」


 マコトの言葉を聞き届け、小さな半導体の形をした通信機から音声が漏れる。


「ご協力ありがとうございました。今後ともE-terへの敬愛をお忘れなく」


 その言葉を合図にしたように、個人情報管理室の扉の電子ロックが解除された。マコトは、自分の端末のカウントダウンが開始したのを確認してゆっくりと部屋から歩き出す。


 部屋の外には、誰もいなかった。警備ドローンも、警備を担当する有機資源の姿もない。うすら寒い廊下を、マコトは孤独に歩いていく。


 重要機密が管理されているこの建物は、監視カメラと自動防衛システムによって守られていた。少しでも内部の有機資源が不審な挙動を見せれば、そこかしこに存在を主張する銃火器が脅威を排除するために作動するようにプログラミングされているからだ。


 自分に向けられた銃口を、なるべく見ないように帽子を深く被って俯きながら進む。特例コードで建物への進入を許可されているとはいえ、マコトは普段ここに出入りする有機資源ではない。


 オートロックの大扉が開き、マコトはようやく外に出た。


 雨が降っている。空から落ちてきた雨粒が舗装された道路を強かに打ち付け、ペトリコールがマコトの鼻を刺した。背後の扉は既に閉ざされている。雨具など持っていない彼女には、濡れて歩くという選択肢しか残されていない。


「……行かなきゃ」


 幸いにも、いつも首から下げているゴーグルは耐水性だ。雨脚は強いがこの程度なら故障の心配もない。マコトは一度深呼吸をしてから、雨が降り続ける屋外に踏み出した。


 分かってはいたけれど、酷い雨だ。モスグリーンの作業服も、同じ色をした作業帽もあっという間に色を濃くする。


「寒い……」


 襟元を掻き合わせて、なるべく体温を下げないように肌の露出を抑えた。


 ……――惨めだ。


 マコトは心の中でそう呟いた。E-terに望まれた仕事だからとテロリストを排除し、保身のために同じEクラスの有機資源を売る。これのどこに「誇り」なんてものがあるのだろうか。視界を滲ませるのは、何も雨だけのせいではない。

 濡れた袖で必死に目元を擦る。涙を流す権利など、マコトは持ち合わせていなかった。


「キョウヤ、部屋に戻ってるのかな……」


 Eクラスの居住エリアに足を踏み入れ、見慣れた路地裏をマコトはゆっくりと進んでいく。とにかく、彼と話をしなくては。そのためにシステムは猶予をくれたのだ。

 廃棄エリアを横切れば、キョウヤに割り当てられた居住エリアの建物にたどり着ける。端末に表示されている時間が短くないとはいえ、タイムリミットに間に合わなければ意味がない。


 マコトは、足を止めた。


 ……――意味が、ない。


 そう、意味はないのだ。マコトがキョウヤと話をしようとしなかろうと、E-terがテロリストを排除する未来は変わらない。単純に、これはエゴだ。マコトが自分の罪悪感を払拭するためだけにした提案。自分を正当化したいがための、一方的な行動にすぎない。


 雨の中立ち尽くすマコトに、背後から黒い傘が差しだされた。


「風邪ひくよ、マコト」

「君は……」


 そこには、出会った時と同じ笑みを浮かべた少年、ユズリが立っていた。傘から出た肩が濡れるのも厭わずに、マコトがこれ以上濡れないよう気を遣っている。マコトは、ここにいるべきではないモノがいる事に瞠目した。


「どうしてここに……」

「最近は毎日来てたんだ。その、どうしてもマコトにこの前のことを謝りたくて」


 毎日、と彼は言った。つまりそれは、マコトがあの部屋の中でレジスタンスのスパイを探し出している間も彼はここに通っていたということだ。


「ほら、僕、この前マコトに嫌な思いをさせちゃったんじゃないかって思って……帰っちゃったし」


 アテナの職員に叱られた子供幼生有機資源のように顔を曇らせて、ユズリは言葉を続ける。


「ごめんなさい、マコト。僕が悪かったよ。Eクラスの有機資源にだって、言われて嫌なことがあるのは当然だったよね。そこまで頭が回らずに、僕はマコトに酷いことを言ってしまった」

「違う、違うよ。君は悪くない、あれは私が大人げなかった」

「でもマコトは嫌な思いをしたんでしょ?」


 ユズリは傘を持っていない方の手で、そっとマコトの濡れた手を握る。雨に打たれて冷えたマコトに、その温もりは暖かすぎた。

 視界が歪み、今まで堪えていた涙が頬を伝う。袖で何度も目を擦るが、既に雨粒を吸い切った布ではハンカチの代わりになりえなかった。


 嫌だった。「E-terに望まれている仕事だから」とシステムのせいにして「蟻」の役割を全うした。「Eクラスだから逆らえない」と言い訳をして保身に逃げた。そんな自分が恥ずかしくて、でもE-terに見放されたくないから黙っているしかない。どっちつかずな臆病者だ。


「私は、君に謝ってもらえるほどまともな有機資源じゃない。最低なんだ、私は」

「マコト……」


 しゃくりあげるマコトを見て、ユズリは眉を下げた。少し力を込めてマコトの手を握り、彼は言った。


「何があったか、聞いてもいい?」


 ユズリの優しい声色に、マコトは少し躊躇ってから口を開いた。


「……もし、もしも君の友達がアテナの規則を破ってて、それを職員に言わなきゃいけないってなったら、どうする?」


 マコトの質問に、ユズリは首を傾げた。


「それは、絶対に言わなくちゃいけないの?」

「うん。言わないと、自分が謹慎室に連れていかれるとしたら?」

「それは嫌だな。友達だとしても結局は他人だし、自分の査定に響くようなことはしたくないよ……これは、酷い考え方なのかな」

「……ううん。君はきっと正しいよ。私も、私もそうしたんだ。仕事で、E-terに反逆した有機資源を通報した。私に拒否権はなかった。ないって言い聞かせて、私はキョウヤを売った。だから、だから私は」

「マコトは悪い事なんてしてないよ」


 ユズリは、自分と身長の変わらないマコトの頭にそっと手を伸ばした。水を吸って重たくなった帽子を外し、濡れた髪を優しく撫でる。


「僕はまだクラスを与えられていないから、マコトの仕事も良く分からない。E-terに反抗するってのもいまいちピンと来ないし、マコトの言う通り僕は子供幼生有機資源だ。でも、泣いてしまうほどに葛藤して、行動しているマコトは、何も悪くない。少なくとも、僕はそう思うよ」


 微笑みながら、ユズリはマコトの頭を撫で続けた。ユズリの方が年下のはずなのに、彼の手は幼子をあやすような優しさでマコトに触れている。


 限界だった。マコトはユズリの胸に縋りつき、小さく嗚咽を漏らしながら呟いた。それは自分自身のエゴを責めた、独りよがりの謝罪だった。


「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「……泣かないで、マコト。泣いてる女性の慰め方なんて、僕知らない」


 困ったように笑いながらユズリが言う。しばらくしてから落ち着いたマコトは、鼻をすすって浮いた涙を手の甲でぬぐった。


「ごめん……いや、ありがとう」

「こういう時ってどういたしまして、って言うんだよね」


 ユズリは変わらずに笑っている。マコトも、それにつられる様に少しだけ笑った。

 ハッと我に返り彼女が端末を見れば、告発が治安維持部隊に届くまでのタイムリミットが迫っている。幸運なことに雨も穏やかになってきた。


「私、そろそろ行くよ」

「どこに?」

「キョウヤのところに。やっぱり私は、彼と話をしなくちゃいけない」


 顔をあげたマコトの目はまだ涙で潤んでいるが、涙の膜の向こうから琥珀色の強い意志が透けて見える。


「……マコト、これあげる」


 マコトの視線を受けたユズリが手渡したのは、先ほどマコトから外した帽子と小さな黒い箱だった。箱に蓋はなく、軽く振ってみても音は聞こえなかった。


「これは?」

「マコトのことを待ってる間に見つけたのを、アテナの備品を使って修理してみたんだ」


 そう言いながら、ユズリは箱の側面についていたボタンを押す。すると、箱の表面に今にも消えそうな明かりがつく。その光は寄り合ってビットマップフォントになった。映し出された文字を辛うじて目で追う。


「Wi-Fi、ルーター……?」

「ネット免許がなくても、インターネット回線に繋げられる装置」

「そんなの、違法だ」

「でも、僕はまたマコトに会いたい。連絡が取れなきゃ会えないから」

「E-terには逆らえないんだよ」

「僕はE-terじゃなくてマコトの話をしているんだ」


 その言葉に、強い力で頭を殴られた心地がした。

 E-terではなく、自分の話。システムというしがらみを無視した考え方。今までの自分にはなかった、ある種の自由をユズリの言葉から感じた。


「……マコト、受け取って。また僕と話をしてほしい。マコトEクラスと接して分かったんだ。僕が学ばなくちゃいけないのは多様性なんだって」

「ユズリ……」

「……やっと名前で呼んでくれた」


 そういってはにかんだユズリは、マコトの手にポケットWi-Fiを握らせた。


「行ってらっしゃい、マコト。マコトが満足できる結果になるように願ってる」

「……うん、行ってくる」


 マコトは黒い箱を腰に付けたポーチに入れて、一度だけユズリを見た。細められた翡翠色の目とかち合った視線は、だがすぐに離れる。


 ユズリが差している傘から出て、マコトは雨の中を駆け出した。迷いを脱ぎ捨てた足は、羽が生えたように軽かった。








 しばらくユズリは、マコトの後ろ姿を見つめていた。雨で煙る路地裏の闇に消えた背中を確認して、ポケットから自分の端末を取り出す。


「満足できる結果に、か……」


 自分の言葉を繰り返すように口の中で呟く。端末のバックライトに照らされた顔には、おおよそ表情と呼べるものが欠落していた。

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