11. 逢引

 マコトの手を引きながら、ユズリは楽しそうに歩いている。身長も歩幅もユズリの方がずっと大きいのに、マコトが普段のペースで歩いているのは彼が気を遣っているからだ。追われているわけでもないのに繋いだ手が気恥ずかしくて、マコトは少し手をもぞもぞとさせた。しかし、ユズリは離す気配がない。


「こんなガラクタばっかりの所、楽しくないでしょ」

「そんなことないって」


 鼻歌でも歌いだしそうなほどユズリは上機嫌だ。


「それに、寄宿舎の周りはみんな同じような景色で退屈なんだ。どこもかしこも、綺麗に飾り付けられた空間ばっかりで面白くない」

「ここも大して変わらないよ」

「全然違うよ! 汚れた壁、避けなきゃ歩けないくらい細い道、このゴミの山! 全然有機資源に配慮されてない!」

「それ悪口?」

「まさか! 感動してるんだよ、僕は」


 自分より少しだけ身長の高いユズリを、訝し気な目でマコトは見上げる。

 目的もなくただ歩くだけなら、どこに行っても同じだ。マコトはふと、奥まった細い路地裏に目を向けた。足を止めれば、二人の手が離れる。ユズリは突然止まったマコトを不思議そうに見た。


「どうしたの?」

「いや……こっちに閉鎖した遊戯施設があったな、って思っただけ」

「遊戯施設? 遊園地みたいな?」

「うん。確か水族館だったはず」

「行ってみたい。マコト、連れて行って」


 きらきらと瞳を輝かせて、ユズリがマコトにねだる。閉鎖された施設は実質廃棄物ゴミ扱いなので出入りは自由だが、行ったところで何も得るモノが無いことをマコトは知っていた。だが、ユズリの期待に満ちた目を見てしまった以上、それをはっきりと言及するのは心が痛い。

 何度か口を開閉させるが、結局出たのはため息だけだった。


「はぁ……いいけど、面白くなくても知らないよ」

「僕が行ってみたいって言ったんだもん。大丈夫だよ」


 その言葉と一緒に繋ぎ直された手は、不思議と恥ずかしくはなかった。




 光が届ききっていない路地裏をくぐり、廃棄物ゴミの山をかき分けながら二人がたどり着いたのは、水族館だった建造物だ。もともとはそれなりに美しい外観だったが、「最下層Eクラスが住むエリアに隣接した娯楽施設なんて使いたくない」とクレームが入ったことで閉鎖してしまった。この水族館の成れの果てに対して、差別思想に壊された残骸、という印象をマコトは持っていた。


 恐らくは海の装飾が施されていたのだろうが、今ではすっかり剥げ落ちている。鉄製の門は錆が浮いており、少し触れるだけで掌にべっとりと赤茶の錆がこびりついた。


「一般有機資源に向けた水族館って、今は寄宿舎の近くにあるんだよ。本物の魚は管理が大変だから、全部ホログラムで出来てるんだ」

「そうなんだ」

「ねえ、入ってみようよ」


 ユズリの提案に、マコトは顔をしかめた。正直なところ、あまりいい気はしない。だがユズリはそんなマコトの考えなど知らずにそのまま門をくぐって先へ進んでいった。


「ま、待ってよ」

「へえ、あっちの水族館とは全然違う」


 笑顔で中を歩き回るユズリに、マコトはただ着いていく事しかできない。

 扉を抜けた先は、さほど荒れてはいなかった。天井はガラス張りになっているが、ところどころ欠け落ちている。その破片が、マコトの靴底で小さく鳴いた。割れた天井からは僅かだが光が差し込み、細かなガラスたちが青白い光を反射している。このエリアに街灯は設置されていないので、恐らく月明かりだろう。


 その中を、悠然とユズリが歩く。


 きっとこの水族館にいた魚たちは、彼のような自由さで伸び伸びと泳いでいたに違いない。マコトはぼんやりとそんなことを考えた。


「楽しい?」


 意図せずにマコトの口から疑問が漏れた。ハッと我に返って口を押えるが、その声は既にユズリの耳に届いている。ユズリはゆっくりと振り返り、言った。


「楽しいよ、すごく」

「……そっか」


 ユズリは、エントランスの様子に満足したのかそのまま足を奥の展示エリアに進めていく。破れた遮光カーテンの向こう側に消えた背中を追いかけるように、マコトは少し小走りになった。


 漆黒のカーテンを抜けると、ユズリは何やら壁の配電盤を開けて中身をいじっていた。苦戦しているようで、時折首を傾げている。マコトは彼の背後に近付いて声を掛けた。


「何してるの?」

「ここの電気系統はまだ生きてるみたいだから、配電盤これいじったら電気がつくんじゃないかなって思ったんだ。でも僕にはさっぱり。こんなのアテナで習ったことないよ」

「まだ電気が流れてる? だって、ここが廃棄されたのって結構昔だよ」

「非常電源かな……」

「ふーん……ちょっと見せて」


 マコトがそう言うと、ユズリは素直に場所を譲る。マコトは首から下げたゴーグルをつけて、腰のポーチにいつも入れている接続ケーブルの端子を配電盤とゴーグルに正しく繋いだ。


「接続開始」


 マコトの言葉に反応して、ゴーグルの内部に「Conforming……」と表示される。少しの間その画面のまま静止していたが、ようやくマコトの視界に変化が起きた。「ようこそ」と旧式のウィンドウが開かれた後、ひどくぎくしゃくした動作で配電システムの内部構造が展開される。それを見ながら、マコトが呟いた。


「やっぱりE-terより作りが単純だね。何というか、全体的に古い……まあ、当然かな」

「直せそう?」

配線ハードに問題が無ければ、多分」


 ゴーグルとリンクさせた配電盤にいくつか指示を出し、反応が返ってくるまで少し待つ。どうやら適切な対処を施せたようで、マコトの目の前に「Success」の文字が躍った。


 それと同時に、次々と建物内部の照明が点灯していく。薄闇に包まれていた館内が、あっという間に幻想的な色を組み込んだ証明プログラムに包まれた。

 揺らめきながらゆったりと色を変えていくライトに、ゴーグルを外したマコトは目を奪われた。


 青から紫へ、紫から赤へ、そして赤からまた緩やかに青へ。


「すごい……」

「綺麗だね」


 ユズリの言葉に、マコトはただ頷いた。Eクラスに分類されてから、美しいと情感に訴えるような景色を見る機会が彼女にはなかったのだ。いくら作業で使う視覚情報の配色をカラフルにしようと、それはマコトの心を癒すことをしなかった。


 足元も照らされ、安全に歩けることを確認してから、今度はマコトが館内を歩き始めた。それを邪魔することなく、ユズリは静かに着いてくる。

 当然だが、水槽たちは空だった。水も抜かれ、かつて魚たちが自由に泳いでいた面影はない。そこにはただ、沈黙と虚無を照らす明かりがゆらゆらと蠢いているだけだ。


 マコトは、分厚いアクリルガラスに指先で触れた。冷たいそれは未だその頑健さを保ちヒビ一つ入っていない。


「この中に、魚が泳いでたんだね」

「マコトは来たことないの? 水族館」

子供幼生有機資源だった頃は、全然寄宿舎から出なかったから。わざわざ友達とどこかに出かけたり、外出許可を申請したりするよりも自室でE-ter推奨文献を読む方が楽しかった」

「友達いないの?」

「失礼だな。ちゃんと昔はいたよ」

「昔……」

「みんな一般有機資源のクラスがもらえたから、私みたいな最下層とは付き合えないってさ」


 肩を竦めて事も無げにそう言えば、ユズリは俯いた。何を考えているのか、マコトには想像できなかった。


「……僕、もうすぐE-terの階級査定があるんだ」

「だろうね。そんな年齢なのかな、とは思ってた」

「僕も、Eになったらそうやって今の友達から嫌われちゃうのかな」


 ユズリの言葉に、マコトは眉をひそめた。彼の一言には、階級制度によって形作られた差別思想が滲んでいたからだ。


 マコトは返事をせず、そのままユズリを置いていくように歩いた。少し小走りになったつもりだったが、歩幅の大きいユズリはあっという間に追いついてきた。


「待ってよ、マコト。怒ってる?」

「怒ってない」

「嘘だよ」

「怒ってないってば」


 半分は本当だ。別に、彼女はユズリ個人に対して怒りを抱えているわけではない。ただ、この社会全体に蔓延るどうしようもない差別思想が嫌だったのだ。

 友人に切り捨てられた時の苦い思い出を振り払うように、マコトは拳を強く握った。


「……私、帰る」

「え?」

「明日も作業があるし、君も外出許可が下りてるからってこんなところに長居したらまた職員が追いかけに来るよ」


 早口にそう言うと、マコトはユズリを振り返らずにそのまま出口へと駆け出した。ユズリは彼女に手を伸ばしたが、それがマコトに届く事は無かった。


「マコト……」


 ユズリの沈痛な声だけが、誰もいない水族館の廃墟に響いた。

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