10. 再会

 ユズリからのメッセージを受け取った翌日。マコトはぼんやりしながら作業を行っていた。いつも集中している彼女からは似ても似つかないその姿に、タイガは不審な目を向けていたが、そんなことマコトは気が付かない。


「今夜……」


 ふと、腰に付けた作業ポーチに触れる。いつもはゴーグルと端末を接続するケーブルしか入っていないそれは、少しだけ重たくなっている。ユズリの端末が入っているからだ。


「はぁ……」

「Error、Error。お使いのコードはこちらの座標に対応しておりません。ご確認の上、もう一度お試しください」

「あ、やば」


 手元が狂った。慌てて正しいコードを選択すれば、甲高いビープ音はすぐに鳴りやむ。ため息を吐いていると、後ろから頭を叩かれた。


「いたっ」

「マコト。そんな初歩的な失敗なんてお前らしくねぇな」


 ゴーグルを外して振り返れば、呆れた様子でアツオが見下ろしていた。そういえば今日はアツオがここのヘルプに来ていたんだった、と的外れな事をマコトは頭の片隅で考える。


「ごめん、ちょっと考え事してた」

「ほう? 随分深く悩んでたみたいだが」

「……何でもない。ちゃんと集中して仕事するよ」


 ふい、とそっぽを向いて、マコトはゴーグルをまた付け直す。この前の一件があってから、まともにアツオの顔を見れそうにない。


「作業再開、テスト開始」

「確認いたします……許諾確認、防衛テストを開始いたします」


 その言葉と同時に、目の前にカウントダウンが表示されたウィンドウが現れる。これがゼロになったら、E-terが開発した疑似ウィルスが防御システムを張った仮想ネットワークエリアに放出される。探知機マーカーがつけられたそれがエリア外に出なければ、テストは成功だ。


「三、二、一……疑似ウィルス、放出開始いたします」


 アナウンスと同時に、探知機の反応が同期したマップ中に広がっていく。瞬く間に拡散され、マコトの視界は一気にウィルスの場所を示す点に埋め尽くされた。

 今日のマコトの仕事は、この疑似ウィルスが誤って本物のネットワークに漏れないように監視することだ。マコトは考え得る全てのルートを見張るウィンドウを細かく展開し、動きがあれば反応するように設定を施す。3D酔いで酷い目にあった教訓を活かした結果の方法だ。


「駆除の進捗は?」

「プログレスバーを表示いたします」

「うーん……漏らしてはないけど、ちょっと遅いかな」

「現段階の報告をいたしますか?」

「……や、全部駆除できるまでの時間を演算」

「確認いたします……かしこまりました、ただいま演算中です……結果、表示いたします」


 女声の後に広がったのは、防衛システムの効率と今までにかかった時間を演算したシミュレーション結果だ。想像していたよりも長くかかるそれに、マコトは顔をしかめた。


「作業終わったらレポート送るから、今のを資料一にコピーしておいて」

「了解いたしました」


 コピー完了、と書かれたポップを消して、またマコトは作業に戻る。今回のウィルスは、テロリストが新開発していたものをサンプリングして作成した新作だ。マコトが「蟻」として対処したテロを想定しているだけあって、処理が遅れているのかもしれない。その考察も後で記しておかなければ。


 突如、マコトの視界いっぱいにとある座標の監視映像が飛び出した。仮想ネットワーク空間と本物のネットワークを隔てているファイアウォールに攻撃が仕掛けられた、という警告付きだ。


「こんなのもプログラミングされてたんだ……結構本格的というかなんというか」


 マコトは呟きながら端末の画面に指を滑らせた。ウィルスの放出と共にロックが解除された緊急用駆除プログラムのコードアンチウィルスを手に、座標を拡大する。


 未だファイアウォールに攻撃を続けているウィルスにターゲットを絞り、駆除プログラムを射出。効果は絶大で、ウィルスは跡形もなく消え去った。


「あとは壁の修理……それはしなくていいか」


 マコトは攻撃を受けていた箇所を確認するが、既に自己修復で破損した部分は元通りになっている。


「テスト終了。完全駆除を確認しました」

「かかった時間とさっきの規格外行動したウィルスのデータサンプル保存しておいて」

「かしこまりました。資料データベースに転送いたします……ありがとうございました。E-terに対する敬愛をお忘れなく」

「ふう……」


 大きく息を吐いて、ゴーグルを首下にずり降ろす。知らずのうちに額に浮いていた汗を作業服の袖で拭い、マコトは背伸びをした。端末の時刻を確認すれば、もうすぐ日が暮れる時間だ。


「私、ちょっと早めに帰る」

「おう、昨日散々だったもんな。疲れてんだろ。帰って休めよ」


 陽気に笑って見送る同じエリアの有機資源たちを見て、マコトは苦笑交じりに手を振った。きっと彼らは今夜、酒類を違法取引している露店で楽しむつもりなのだろう。マコトも一度連れていかれたことがあるが、とてもいい思い出とは言えなかった。


「さて、と……」


 廊下を渡り、建物を出て、寂れた路地に入り込む。約束だった廃棄エリアゴミ捨て場までは少しばかり距離があるが、これなら余裕をもって到着できそうだ。入り組んだ道を慣れた足取りで進んでいくマコトの心は、無自覚のうちに軽くなっていた。






 Eクラスの居住区と隣接している廃棄エリアゴミ捨て場は、文字通り廃棄物がそこかしこに転がっている。路地にもゴミが積みあがっているが、このエリアはその比ではなかった。

 落ちている廃棄物の中には、修理すれば使えそうな物もいくつかある。マコトは整備士だが、ハードの修繕は受け持っていないのでリペアすることはできない。精々興味を含んだ視線で壊れた機械たちを見るくらいだ。


 そんなジャンクたちをまたいで、マコトは少し開けた空間に出た。恐らくBクラスあたりが投棄した上質な椅子に腰かけ、一息つく。雨風に晒されていくらか劣化しているものの、椅子は普段マコトが使用しているそれよりもずっと上等だった。


「……廃棄エリアのどの辺か、教えてくれればよかったのに」


 俯きながら、マコトがぽつりと漏らす。

 廃棄エリアは広い。E-terの支配圏に住まう全ての有機資源が廃棄した物資を集めるわけだから、その規模は広大だ。その中で待ち合わせをしよう、なんて無謀としか言いようがない。


 それでも、マコトは来た。端末を返すために。そして、ユズリに会うために。どうしてこんなにあの少年に会いたいと思うのか、マコト自身にも理由ははっきり分かっていなかった。


「……来なかったら帰ろう」

「誰が来ないの?」

「ひえ」


 背後からの返答に、マコトは椅子から飛び上がる程に驚いた。そんな彼女の様子を見て、声の主は楽しそうに笑う。


 物陰から出てきたのは、以前会った時と同じ制服を着たユズリだった。


「こんばんは、マコト。良い夜だね」

「こ、こんばんは……」


 破れんばかりに鼓動を大きくした心臓を落ち着かせるように、マコトは自分の胸に手を置く。少し深呼吸をしてから、マコトは立ち上がってユズリに向き合った。


「メッセージ、ちゃんと届いてたみたいでよかった」

「どうしてここが分かったの?」

「端末のGPS。寄宿舎のレンタル端末で僕のGPSを特定すればすぐに分かるよ。ここら辺はマップが入り組んでてちょっと迷子になったけどね」


 ユズリは口角を緩く上げてマコトに近付く。マコトは、自分の腰に下がっている作業ポーチから端末をそっと取り出して差し出した。


「あの、これ」

「ありがと。……うん、やっぱレンタルよりこっちの方が落ち着く」


 受け取った端末を指紋で解錠し、中のデータを確認してユズリが呟く。大切そうに端末を眺める彼を見て、マコトはひとまずちゃんと手渡せたことに安堵した。が、その安心感も、浮上した別の疑問によってかき消される。


「ちょっと待って、君もしかしてまた寄宿舎を勝手に抜け出してきたの? まさかまた追われてる?」

「まさか。今日はちゃんと外出許可をもらってきたよ。アテナでの教育課程では僕、いい子だから」

「そっか……よかった」

「それよりも、君じゃなくてちゃんと名前で呼んでよ。ほら、ユ、ズ、リ」


 拗ねたように口を尖らせて、ユズリが言う。マコトはうっ、と息を詰まらせた。


「……端末返したし、もういいでしょ。あんまりこの辺に近寄らないほうがいいよ」

「あ! 誤魔化した! ずるいよ!」


 拗ねたり、憤慨したり、笑ったりとコロコロ表情を変えるユズリを見て、マコトは少し微笑む。初めて会った時は人形のようだ、という印象だったから生き生きした彼は眩しく見える。


 ユズリはマコトに近付き、彼女の手を取った。それは、初めて出会った夜にひどく似ていた。違うのは、今二人を追いかけてくるモノがいないことだ。


「マコト、僕、もう少しここを見たいんだ。案内してほしいな」

「……断ったら?」

「断らないよ。だってマコトは優しいから」


 何の疑問も持たない、無邪気な声だった。それを無碍にするほどマコトは非道にはなれなかった。


「こんなところ見ても、面白くないかもよ」

「それでもいいよ。ここは一般有機資源が暮らしてる場所と違って自由だ」


 そう言ったユズリの表情は夜闇によって翳り、はっきりと見ることはできなかった、

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