窓がない部屋のミス・マーシュ 占いユニットで謎解きを

斎藤千輪/KADOKAWA文芸

Ⅰ 運命の輪 WHEEL OF FORTUNE 「彼女はふた股をかけられているのか?」1

今日も、誰ともしゃべらなかった。

電話も来ないし、メールも来ない。

あたしがいてもいなくても、

地球は普通にまわってる。

今までも、きっと、これからも。




「あ、こんなとこに占い師がいる。なんかさー、幸薄そうじゃね?」

「しーっ、聞こえちゃう。目、合わせちゃダメだからね」

 プラダのスニーカーを履いた男の足と、ジミー・チュウのミュールでキメた女の足が、目の前をぶらぶらと通り過ぎていく。

(しっかり聞こえちゃってるんだけどね)

 心の中でつぶやきながら、ひたすら黙ってうつむく私。通行人の冷たい目は慣れっこだけど、「幸薄そう」なんてはっきり言われると、さすがにヘコむ。

 夕立後のさわやかな風が吹く夏の黄昏たそがれたがのおしゃれタウン・ふたたまがわ、略して二子(フタコ)は、すぐそばにフナやザリガニの生息する川が流れているとは思えないほど、きらびやかで都会的なけんそうに包まれていた。舗道を行きかう誰もが朗らかな表情を浮かべて、それぞれの希望をかなえてくれる場所へと向かっていく。

 部屋でひとりよりも、人波の中でひとりぼっちの方が孤独を感じるんだよな……。

 ひざの上で両手をギュッと握り締めると、右手にポツリと生温かいものが落ちてきた。

 ──また雨? ……かと思ったら、ハトのふんだった。

 ウエットティッシュで汚れをふき取りながら、深く長いため息をつく。

 カネなし、男なし、才能なし。お先真っ暗ながけっぷちアラサー女、それが今の私だ。

 一応、崖っぷちなりに仕事と呼ぶべき事は続けている。いつ消えてもおかしくない、風前のともしってやつだけど。

 勤務地は、とうきゆうでんえん線・二子玉川駅から徒歩数分。高級感溢あふれるハイブランドのテナントが、ズラリと並ぶ老舗しにせショッピングセンター〝たまがわたかしま〟。の、裏手側だ。

 再開発でタワーマンションやシネマコンプレックスなんかが出来ちゃって、ニコタマダムとか呼ばれる奥様方が集まるハイソな街になった二子だけど、一歩裏に入れば昔ながらの雑居ビルが立ち並び、庶民的な飲食店やカラオケ店、DJブースのあるクラブ風のバーや、ガールズバーなんかも入っていたりする。

 そんな雑多なエリアの一角に、古民家を改築したレトロな雰囲気の居酒屋がある。黒布で覆った小さなテーブルと折り畳み椅子が、軒先にポツンと置いてある店だ。

 テーブルの上には、手作り感溢れる〝タロット占い〟のプレートと、使い古したタロットカードが置いてある。

 そこに、黒のフードマントとグレーのマキシワンピース姿でちんまりと座っている占い師を見かけたら、私だと思ってもらって間違いない。


 かしわつき、二九歳。見た目はそんなに悪くない、と思いたい。

 凹凸が少なくて目がタレ気味のタヌキ顔だけど、メイクで化けるテクニックにはちょっと自信がある。ファッションモデルなんて絶対無理だけど、雑誌の読者モデルに応募したら、いい線までいけたような気がする。もちろん、今よりずっと若ければの話だ。

 とはいえ女子高の演劇部にいた頃は、長身のせいで男役ばかりやらされ、世話焼きな性格から部長まで引き受けて日々雑用に追われていたため、美容とかファッションには縁のない生活を送っていた。

 一八歳で故郷・秋田から上京してデパートの地下食品コーナーに勤めていた頃も、化粧っ気なんてほとんどない地味なタイプだった。

 取り立ててドラマチックなこともないままマッタリと二〇歳を過ぎて、ふと「このままでいいの? もっと自分を試さなきゃ!」なんて青臭い妄想に取りつかれ、衝動的にデパートを退社して飛び込んだのが、わりと大手のイベントコンパニオン事務所。

 一生の仕事というよりも、それまでとは違う華やかな世界をチラッとのぞいてみるつもりだったのに、他にやりたいことが見つからないままダラダラと続けてしまった。

 でも、振り返ってみれば、あの頃が私の〝女の人生チャート〟のピークだった気がする。

 イベント会場のブースにミニスカ衣装で立てば、素人カメラマンがフラッシュのシャワーを飽きるほど浴びせてくれたし、仕事の後はいかにも遊んでそうな広告代理店の男たちが、分不相応な高級レストランに連れていってくれたりして、かなりいい気になっていた。

 そんな男たちのお誘いもだんだん減っていき、事務所から依頼される仕事が大企業のビッグイベントから商店街の地味なイベントになり、気づいたら周りは若くて初々しい後輩だらけ。

 イベコンという仕事に限界を感じてしまい、焦って中流広告代理店の男と婚約。結婚退社よろしく事務所を辞めて半年ほどどうせいするも、結婚式の直前に婚約破棄。

 理由は──まあ、よくある男の浮気ってやつなので、詳しく語るまでもないだろう。

 仕事も結婚もダメになった私にやれることといえば、友だちを相手に趣味でやっていたタロット占いだけだった。


「古代エジプト起源説」や「古代ユダヤ起源説」など諸説が混在し、発祥からしてミステリアスなタロット占い。十五世紀頃に遊戯用カードとしてプレイされていたものが、十九世紀に西洋オカルティズムや秘教主義と結びつき、世界中に広まったと言われている。

 その神秘的な世界観から、タロット占い師自身もオカルティックなイメージで見られがちだけど、実際は医師のカウンセリングに近いような気がする。医師が患者に質問を投げかけて、その答えから精神状態を分析していく過程が、相手に質問をしながら相談内容を確認し、何をどう伝えるべきか思考するタロット占いの手法と似ているからだ。

 占う時は、〇番『愚者』から二一番『世界』までのシンボリックな絵柄が記された二二枚の大アルカナと、トランプのように『ワンド(つえ)』『ソード(剣)』『カップ(聖杯)』『ペンタクルス(金貨)』の四つの組に分かれた五六枚の小アルカナ、合計七八枚のタロットカードを使用する。

 このカードをスプレッドと称する並べ方通りに置き、置いた場所の意味とカードの意味を合わせて読み解いていくことをリーディングと言う。例えば、定番のスリーカード・スプレッドの場合は、三枚のカードを左から一枚ずつ「過去」「現在」「未来」の位置に並べて、相談者が抱える問題をリーディングしていく。

 カードにはそれぞれ、「希望」「旅立ち」「再会」といった複数のキーワードがあり、カードが正位置ではなく逆位置で出た場合はキーワードが変化する。そのほか、細かく描かれた人物や背景、数字などもインスピレーションの源となる。

 カードから得られるいろんなヒントから、何を選択して、どんな解釈で伝えるのかが、占い師の腕の見せ所なのだ。


 趣味としてやっていた頃、私の占いは当たるとよく言われた。みんなに喜んでもらえることが単純にうれしかった。

 婚約破棄となって仕事を探す必要に迫られた時、「もしかしてプロになれるんじゃない?」と友人に言われ、都内の有名占い店『占い館シーラ』の面接を受けてみたら、簡単なカードリーディングをしただけで採用してもらえた。

 今思えば、完全歩合制で占い師の出入りが激しいため、志望者を広く受け入れていただけなのだけど、当時は自分が〝選ばれた特別な人間〟のような気がしていた。

 ただ、初めは占い師としてお金をもらうことに、若干の抵抗も感じていた。

「プロの占い師とは本当に霊感を持つ者が名乗るべきなのに、霊感なんてこれっぽっちもない自分がお金を貰ってもいいのか?」という、根本的かつ重大な迷いがあったからだ。

 その迷いを吹っ切ってくれたのは、占い館シーラを経営していた大阪出身のやり手オーナーの言葉だった。


 ──歌声とパフォーマンスで人をいやして対価を得るのがプロの歌手なら、言葉とパフォーマンスで人を癒してお代をいただくのがプロの占い師なんや──


 まさに、目からウロコの名言!

 オーナーの一言が、私の占いに対する概念を変えてしまった。

 こうしてプロの道を踏み出した私は、経験を重ねていく中でふたつの持論を得た。

 ひとつは、「人は自分の信じたいことしか信じない」。

 もうひとつは、「本気で何かを信じれば、それは現実化する」。

 例えば、こんなエピソードがある。

 プロになって間もなく、若いのに妙に疲れた雰囲気を漂わせる地味なスーツ姿の女の子が占い館にやってきた。

 彼女、仮に名前をまいとしよう。舞子は当時二二歳、都内に本社がある某企業に入社したばかりの新米OLだった。お笑い芸人になりたいという夢があったのに、親に猛反対されて、とりあえず就職したのだという。相談内容は、自分にはOLと芸人のどちらが向いているか、というものだった。

 参考までに、占うのはこれが初めてなのかといてみたら、何度か同じ相談をしたことがあったけど、どの占い師からも「OLのほうが向いている」と言われたらしい。

 その瞬間、舞子が不満そうな表情を浮かべたことに気づいた私は、「芸人が向いている。本気で目指せば自然にチャンスが来る」と、あえて今までの占い師とは違うリーディングを試みた。すると彼女は、「やっぱりそうですよね!」とひとみを輝かせて、足取りも軽く去っていった。

 舞子は今、売出し中の女芸人として活躍している。

 私が未来を当てたんじゃない。舞子は「芸人で成功する」という占い結果で自信を確信に進化させ、自らの力で未来を創造したのだ。

 それ以来、「相手が信じたいと思っていることを見抜き、カードをヒントに物語を作り上げ、アドバイスとして差し出す」のが、私の占いのスタイルとなった。

 要は、どんなスプレッドでも相手の願望に合わせてポジティブに解釈するのだ。不安をふつしよくしたい人には、「何も心配なんてない」とエールを贈る物語。迷いから抜けたい人には、「その道を進めばいい」と背中を押す物語。

 私の創作したストーリーが、相談者の心に小さな光をともし、表情や態度を明るくさせ、その変化を周りも感じて現実が少しずつ変化する。気がつけば悩みは消え去り、荒れた大地に草木が芽吹いて花が咲き、動物たちが祝福のうたを高らかに歌い出す。

 ファンタジーアニメか! とツッコまれそうだけど、私は言葉でポジティブな魔法をかけられる占い師に、本気でなれると信じていた。いや、信じていたはず、だったんだけど……。

 現実はそう甘くはない。私には、占い師として致命的な欠点があったのだ。

 リピーターがつかない占い師は、事務所からお声がかからないイベントコンパニオンと同じ。だんだん店に居辛づらくなっていく。

 占いのステージが都内繁華街の路面にあった本店から、郊外の雑居ビルにある支店へとジャンプダウンし、そこもお払い箱となった今は、こうして居酒屋の軒先で細々と路上占いをやっている、というわけ。

 古民家を改築した、新鮮な魚料理がウリの人気居酒屋。店主のアキラさんとはコンパニオン時代からの知り合いで、四カ月ほど前からこのスペースを貸してもらっている。

 リストラ後に一念発起して店を軌道に乗せた元広告マンのアキラさんとしては、居酒屋と占いの相乗効果でさらなる集客アップを狙ったのだろうけど、期待にこたえていないどころか、むしろ営業妨害になっているようで心苦しい。

 初めの頃は物珍しさもあって、ほろ酔いのカップルがひやかし半分に寄ってくれたりもしたのに、今ではお客さんと向き合っていることがほとんどなくなってしまった。今月の売り上げが一万円に満たないなんて、もう笑うしかない。

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