憧れの作家は人間じゃありませんでした
澤村御影/KADOKAWA文芸
第一章 座敷童誘拐事件 ──憧れの作家は人間じゃありませんでした──1
初めて話す相手に電話するときは、とても緊張する。
それは、社会人になっても直らなかった
もともと、多少人見知りなところがあるのだと思う。相手の顔が見えないことでさらにそれがひどくなるのかもしれない。「お世話になっております」の一言が満足に言えずに
──まして、それがずっと
「お……おっ、おせ、お世話になっております、きっきき
嚙んだ。
「し、失礼いたしました! 希央社の瀬名と申します、お世話になっております!」
顔から火を吹きそうな気分でスマホを握りしめ、慌てて言い直す。半分裏返った声が恥ずかしい。いっそ今すぐこの場で深い深い穴を掘って自らを埋めてしまいたい。が、残念ながら、ここは
「頑張れー、瀬名」
あさひの傍らで、
いや、今はとにかく通話だ。心の中で握りしめた
「あの、すでに大橋からお聞き及びとは思いますが、この度、
『──申し訳ありませんが、あと四十八分待ってください』
電話の向こうから、そんな声が返ってきた。
え、と思ったときにはもう、電話の向こうの相手は完全に沈黙していた。スマホの画面を見れば、すでにブラックアウトしている。切られた。
「何。何だって、御崎先生」
大橋がにやにや笑いながら尋ねてくる。
あさひは
「四十八分待ってください、だそうです……」
「あ、そう。じゃあ、軽く晩飯でも食っとこうか」
大橋はまるで動じた様子もなく、人の多い駅前をさっさと歩き出す。
あさひは慌ててその後を追いかけ、
「あの、よくあるんですか、こういうこと。ていうか、四十八分て何でそんな半端な」
「まあまあ、こんなことで慌ててたら、あの人の担当は務まらないよ?」
大橋が言う。あさひは軽い
なぜだろう。憧れの人にこれから会うというのに、今すぐ帰りたい気分だった。
そもそもの始まりは、昨日のことだ。
そのとき、あさひはとても落ち込んでいた。
担当する作家の一人から、担当替えの要望を出されてしまったのだ。
あさひは、小説の編集の仕事をしている。大学を卒業して希央社に入社し、最初に配属されたのが今いる文芸部門編集部だった。勤続年数はまだ二年だが、作家からそんな要望を出されたのはこれが初めてである。
要望を出してきたのは
とはいえ、仕事自体に大きなミスをした覚えはない。しかし、なぜか藤井華絵のご機嫌は日を追うごとに悪くなる一方で、ついにこの日の打ち合わせの席で言われてしまったのだ。『あなたって本当につまらない人ね。あなたと話してても何のインスピレーションも湧かないから、他の人に替えてくれないかしら』と。
「──つまらないって、そんな理由で……確かに藤井先生を楽しませられるような話はできていなかったかもしれませんけど、じゃあ一体どうすればよかったんでしょう」
編集部に戻って先輩社員に藤井華絵の要望を報告し、そのままあさひは頭を抱えた。
「あさひちゃん、まあ、そんな気にすることないって。藤井先生、異動した前の担当のことはすごく気に入ってたから、変な比べ方されちゃったんじゃないの」
そう言ってくれたのは、隣の席の
「確か藤井先生って歌舞伎がお好きでしょ? あさひちゃん、歌舞伎詳しくないよね」
「はい……藤井先生の担当になってから、多少は勉強したんですが……」
何しろ藤井華絵との打ち合わせは、八割が趣味の歌舞伎に関する話だった。あの役者が、あの演目が、と熱弁をふるう藤井華絵に対し、付け焼刃の知識で無理矢理話を合わせようとしたのが、逆に
だがしかし、面と向かって「つまらない」と言われたのは結構ショックだった。己の平凡さについて自覚があるからなおさらだ。かつて付き合っていた男に『お前、普通すぎてつまんねえ』という理由でふられたトラウマが
「……向いてないんでしょうか、わたし。この仕事」
がっくりと肩を落として
「だからー、今回は作家さんと相性悪かったってだけでしょ。こういうのってある程度は仕方のないものなんだから、そんな気にしちゃ駄目。はい、気持ち切り替えて、次の仕事しましょ」
「はーい……」
高山に言われて、自分のデスクに向き直る。担当作家は藤井華絵一人ではなく、あさひが抱えている仕事は物理的な質量を伴ってデスクに積まれている。何しろ編集の仕事というのはゲラやら色見本やら作家に送る資料やらで、宿命的に紙が多いのだ。
「あ、そうだ、あさひちゃん聞いてよ。あたしさ」
「はい、何ですか?」
「昨日、ついに見ちゃったんだよね。幽霊」
「えええっ」
高山の発言に、あさひは手に取ったゲラをあやうくばらまきそうになった。何だろう、その非凡な体験は。もしや藤井華絵の求める面白さとはこういったものなのか。
が、高山はさくさくとメールチェックを進めながら、平然と続ける。
「あれ、あさひちゃん知らないの? うちの会社、出るって有名なんだけど」
「知りませんよ!……え、待ってください、まさかオフィスの中で見たんですか?」
「うん。昨夜あたし、結構遅くまで会社にいたのよ。そしたら、いつの間にかデスクの横に子供が立ってんの。おかっぱ頭で、クリーム色のブラウスに赤いスカートで、見た感じ普通なんだけど、でも変でしょ? そんな子供がそんな時間に編集部にいるわけない」
「ですよねえ……で、高山さん、どうしたんです?」
「見なかったことにして仕事続けた」
「は!?」
「だって、幽霊見たときって、『私あなたのこと見えてますよ』って幽霊に気づかれない方がいいっていうじゃない? 気づかれたら取り
「でもね、そしたら、しばらくして声が聞こえてさ」
「ええっ、まさか呪いの言葉とかですか!?」
「ううん。それが──『夜更かしはお肌に悪いよ』って言われて」
「…………はい?」
「いや、本当に。噓じゃなくて。で、さすがにあたしも振り返っちゃってさ。まあ、振り返ったときにはもう消えてたんだけど……後にはこれが」
そう言って高山がデスクの引き出しから取り出したのは、美容用のフェイスパックだった。顔全体にぴったり貼りつけるタイプで、近頃流行のアニマル柄のものだ。
「これ、使っても平気なのかどうかちょっと悩むわよね……ていうか、幽霊にまでお肌の心配されちゃったのかと思うと、かなりショックで」
「……高山さん、冗談ですよね? その話」
「ううん、誓って言うけど本当。正真正銘、幽霊がくれたブツよ」
と、あさひ達の向かいの席に座っている同じ編集部の
「なあ。たぶん俺も、その子見たことあるんだけど」
「え、古谷さんもですかっ? まさか古谷さんもフェイスパックもらったんですか?」
「やー、俺の場合、『夜食にラーメンばかり食べるのはよくない』って叱られた」
くまのプーさんのような体型をした古谷は、豊かな腹をなでつつ、そう言った。
あさひは高山と顔を見合わせ、
「……なんか、やたらと社員の健康を気にしてくれるみたいですね、その子」
「そうねえ。あさひちゃんもそのうち見るんじゃない? うちの会社、見た人多いし」
「あ、じゃあ、編集長も見たことあるんでしょうかね?」
「──あるよ」
「わああっ!?」
いきなり頭の真後ろから聞こえた声に、あさひは椅子の上で跳び上がりそうになった。
振り返ると、無精ひげをぼうぼうに生やした
「おお、いいリアクションだ瀬名。わざわざ気配を消してきた
「そうまでして部下の背後に忍び寄る必要がどこにあるんですか!」
「部下達が楽しそうにお
どうだ優しいだろうと、大橋が胸を張る。
あさひは直前の会話を思い出し、大橋に尋ねてみた。
「やっぱり編集長も見たことあるんですか? 噂の女の子」
「
「……すみません、半人前で」
あさひは思わず肩をすぼめる。
が、そんなあさひに向かって、大橋は軽く言い放った。
「何言ってんの。瀬名だって、会ったことあるだろうに」
「え?」
きょとんとしたあさひに、大橋はにやりとチェシャ猫じみた笑みを浮かべてみせた。
「ところで瀬名。ちょっと、いいかな?」
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