第2話『母と娘』



宿場町の夜の顔、少し外れたところに数件の廓が並んでいる

ここはその1つ、「料亭 辰巳屋」


大きくはないがしっかりとした店構え、この宿場に来たなら1度は行くべしと評される人気の店である

出る料理はもちろんの事、女も粒揃いで質も良いと男たちは口々にもらす


その店の奥、品の良い行灯が明かりを灯す落ち着いた雰囲気の部屋に2人の女が向かい合っていた



「まったく気持ちよく送り出してやったと思やぁふらっと帰ってきやがって、……ったくあたしが心配してないとでも思ったのかい!?」



そうまくし立てながらも、料亭辰巳屋の女将は心底ほっとしたような表情を浮かべている


長火鉢を挟んで向かいにいるその女は、座布団から足を放り出しつま先をヒョコヒョコさせながら少しバツの悪そうにしている



「いや〜あたいだって何も言わずにいなくなったのは悪かったなぁとは思ってたんですよぅ?

女将さんには恩もあるし、そりゃこのババァふざけんな……と思った事も100ぺんや200ぺん程あるけれど」


「そこは1度や2度じゃないのかい!」


「まぁまぁ、もう歳なんだしそんなに怒ると寿命が縮みますよ」


「大きなお世話だよ本当にもぅ!」



本当にわかっているのかと呆れもしたが、女将はその昔と変わらない様子に安心もしていた



「でも女将さんの事はおっかさんみたいに思ってるのも事実ですよ、帰ってきたはいいが亡くなってやしないかと心配になったもんですよ」


「だから勝手に殺すんじゃないよ!あと50年は生きてやるわ!」



顔を見合わせ腹から笑い合う

女は懐かしい場所に帰ってきたと強く実感した



「ところでお前、いつから座敷に上がんるだい?」


「さすが女将さん、話が早くていいねぇ」


「はっ、茶化すんじゃないよ

元よりそのつもりで戻ってきたんだろうが」


「他に行くとこもないですしねぇ、またこのお店を繁盛させてあげますよ」


「そうは言うけどねえ、3年も経ちゃお前の事なんて忘れっちまってる客の方がほとんどさ

中にはどこで聞いたか色んな噂を話すやつもいたけどさ

借金背負って首が回らねえ、どこぞの田舎ヤクザに囲われた、またぞろどこかの女衒に捕まって売られっちまったとか……」


「ろくな噂じゃないですね、まぁ噂は噂でしかないんですから気にしちゃあ負けですよ」



はははっと笑い飛ばす



「そういや女将さん、あたいが何処で何してたとか聞きませんよね?

元々あまり詮索とかしない人だとは思ってましたけど、そもそもなんであたいみたいな跳ねっ返りを拾ってくれたんです?

あたいが女だったらこんな生意気な女願い下げですけどねえ」



言いながらまた笑い飛ばす顔を見ながら、女将は昔を思い出していた

まだ14歳だったこの娘が突然訪ねてきたあの日

店の前で「女将さんを出して!」としつこく叫んでいた

様子を見に行きゃうちの板前と娘が女将を出せの出さねえのの騒ぎになっていた


変わった娘だった


どこぞのバカ親の借金のカタでもなし、女衒に売られた風でもなし……

こ汚えボロの着物、バサバサの結ってもいない髪、日に焼けて浅黒い肌

顔立ちはまぁパッと見整っちゃあいるが……



「あの時のお前の『 目』さ

世間知らずのガキの癖して、ギラギラした目をしてさ

『 あたいを弟子にしておくれ!誰にも負けねえくらいの芸者にしておくれ!』

なんてさ」


「あぁ、あの時はもう必死でしたからね

あの時拾ってくれて感謝してますよ、女将さんのおかげで腕も上げてそれなりにおまんま食べれるくらいにしてくれたんですから

お稽古は地獄の様に厳しかったですけどね」


「お前が弟子にしろと言ったんだろうが、お稽古が厳しいのは当たり前じゃないか

でも、お前があれほど人気が出て人並み以上に稼げるようになったのは全部お前の力だよ

そのお前が自分で稼いだ給金をどう使おうが、どんな過去があってあたしの所へ来たのかなんて気にはしないさ

今また目の前に娘が帰ってきた、それでいいさ」



あー女将さんはやっぱりこういう人なんだ、あのころと何も変わらない……

心の中で母とも慕う人に迎えられ、こみ上げるものがあった


女は足を正し、女将に向き直りこぼれそうな涙を隠すように深々と頭を下げた



「ご心配をお掛けしました

女将さんの直弟子、辰巳屋芸者 菊丸

ただいま戻りました」



少しの間、女将は頭を下げた菊丸を見て嬉しそうに微笑んでいた



「はっ、急にしおらしい事言いやがって気持ち悪いったらないよ!」


「女将さんたら、照れなくてもいいんですよぅ?」



顔だけ上げた菊丸はイタズラっ子の様な笑顔でそう言った

うるさいねぇと言いたげた笑顔を返した女将は奥の襖の方を見やって声を張り上げた



「おーい、小染に喜六!そこにいるんだろ?入っといで」



すっと襖が開くとそこに居たのは男と女

男は片袖をまくして前掛けをかけた板前の喜六

女はまだ少しあどけなさを残した芸者の小染

二人ともバツの悪そうな顔をして女将に頭を下げていた



「すいやせん女将さん!盗み聞くつもりはなかったんですが」


「すみません女将さん!すぐに座敷に戻りますから……」



口々に申し訳なさそうに謝る二人を見た女将は、無理もない事かと咎めはしなかった



「何を言ってんだい?お前たちがそこに居なかったら呼びつけて叱ってやろうかと思ってたのさ

お前たち三人はいつも一緒だったからね」



振り向いて部屋の隅にかしこまっていた二人を見て、菊丸は懐かしさと嬉しさに溢れていた



「小染ちゃんにロクぅ!元気だったかい?懐かしいねぇ……」



と、言い終わるのが早いか小染が菊丸に飛びついてわんわん泣いていた



「姐さ〜ん!どこ行ってたんですか〜!心配じだんでずがらぁぁ!!」


「ちょいとちょいと、そんなに泣いてちゃ白粉が剥がれっちまうよ……

うん、ごめんね、心配かけたね…」


「姐さん、もうガキじゃねえんですからロクってのぁやめてくだせえよ

喜六って立派な名前があるんですから」


「ロクはいつまで経ってもあたいにとっちゃロクなんだよ

……ただいま、ロク」



ここには母と慕う女将、それに可愛い妹と頼りなかった弟みたいな二人も自分を思ってくれていたんだ……

とんだ不孝をしちまったもんだと心から悔いた



「ところで菊や、お前のお座敷の復帰は明後日からにするからね」


「ありがとう女将さん、なら明日はゆっくり疲れを癒してバリバリやらせてもらいますね」


「何馬鹿なこと言ってんだいお前は

明日はミッチリお稽古だよ、久しぶりにあたしが直々に見てやるよ

1日で感を取り戻させてやるから安心しな」



女将は楽しそうで晴れやかな笑顔でそう告げたが、菊丸には背後に燃える炎の様なものを背負った鬼がそこにいるように見えた



「姐さん、女将さんすごく嬉しそうですよ

良かったですね!」


「小染ちゃんは、あれが嬉しそうに見えるのかい?

少し見ない間に成長したんだねぇ……」



乾いた笑いがこぼれる菊丸に女将は追い打ちをかける



「そりゃそうだよ、お前がいない間小染だって他の芸者だって腕を上げてるんだ

ロクだってそうさ、近頃味が良くなったって客の評判も上々さ

いくら間が空いてたからって、あたしの直弟子を名乗るからには姐芸者として恥ずかしくない姿でいてもらわなくちゃあたしの女が廃るってもんだ

それとも何かい?

行くとこ無くなっておめおめと帰ってきて更に師匠の顔に泥塗るつもりかい?」



女将は屈託のない笑顔で菊丸を挑発するようにそう告げる



「女将さん!そこまで言われちゃやってやるよ

1日なんて言わないよ!

半日で仕上げて夜には座敷に出てやるよ、辰巳屋菊丸ここにありってのを華々しく拝ませてあげますよ!」


「よく言った!それでこそあたしの弟子だよ

あ〜久々に腕がなるねぇ〜」



腕を回し首をコキコキとならす女将を尻目に

あー乗せられたー言っちゃったーうあー……

と三人が青ざめていた

もうどうにでもなれと菊丸は更に啖呵をきる



「またこの辰巳屋をあたいが稼がせてあげますよ!

女の意気地を見せてやりまさぁね!」



昔懐かしい二人のやり取りに小染と喜六は顔を見合わせやれやれと笑っていた

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