命がいくらあっても足りゃしねぇ!
駿 銘華
第一章 時空の旅が始まった!
第1話 放物線を描いてしまった!
ここはレインボーブリッジの夜景が瞬くお台場高層ホテルの屋上。
俺は秋の星空を見上げて寒気を覚え、革のボマージャケットの襟を立てると、フォアローゼスのバーボンをラッパ飲みしながら、吸っていたラッキーストライクの最後の一本をふうっと吐き出し、はるか下の地面にぽいと投げる。
オレンジ色の放物線を描きながら落下する吸い殻は、闇に呑み込まれて消えていった。
「これで、これですべてがチャラになるんだ」
俺は薬とアルコールでふわふわ気分になりながらも、ようやく覚悟を決めて合掌する。
「南無三」
屋上の柵から身を乗り出そうとしてよろっと一歩前に出たその瞬間、背後から女の声がした。
「井原君?」
ん? 幻聴か?
「やっぱりね。
こんな状況で、しかも突然聞き覚えの無い女性の声で自分の名前を呼ばれたので俺は飛び上がる程にドキっとした。
「誰だ?」
非常階段の暗がりからゆっくりと声の持ち主らしき女性が姿を現す。
ホテルの屋上の常夜灯に照らされたその女性は、ハッと目が覚める様な美熟女だった。白いミンクのコートの下に見えるダークレッドのワンピースはちょっとボディコン気味で、腰の革のベルトがキュッと締まっていて身体のラインをクッキリ見せている。髪は肩の先まであるゆるいカールの濃い栗毛色。靴はラメの入った真っ赤なハイヒール。かすかに香るのは高級香水の『プワゾン』か。肩からは黄色いトートバッグを下げていた。
その女性はあっけらかんとした表情で自己紹介をする。
「
「木村優子? 君が?」
「もうあれから三十年経っちゃったけど、オバンすぎて分からないなんて言ったら、そこから突き落としちゃうわよ♡」
見た目に似合わずあどけない口調で話すその女性は、どことなく子供の頃の目鼻立ちの面影が残っている気がしなくも無い。木村優子と言えば、俺の初恋の女の子だったので良く覚えている。
俺はこんな状況で幼馴染の初恋の人が現れる等と言う現実味が無い話があるもんかと思ってはみたが、酔いで頭がちょっと回りながら聞いてみた。
「もし君が優子だとしても、ここで何をしているんだ?」
優子はすかさず俺の側に置いてあった白い封書や脱ぎ揃えてあった靴をめざとく見つけて指をさす。
「ヒロくんこそ、そんな物まで用意して。まさかよね?」
いきなり昔通りのニックネームで呼ばれ、しかも図星を当てられて俺はパニくる。
「これは……。放っといとくれ! 俺はこれから死ぬ!!」
優子はニヤリと笑い、したり顔して、
「そうだと思ったぁ。でもヒロくん? キミには愛する奥さん、それに大学や高校受験を控えたお子さん方がいるんじゃない?」
なんなんだ、この女?
そもそも三十年ぶりだと言うのに何故俺だと分かった?
もしかしてストーカー?
だが本当の事を知られている以上、ここはもう開き直るまでだ。
「ど、どうして知っている? でもそんな事はもうどうでも良いんだ。少子化と不況のアオリをくらって親父とやってたオモチャ工場は倒産。このトシで俺にはマトモな再就職先なんてありゃしねぇ。残った借金やマイホームのローンの返済、それに子供達の学費を出すアテは、俺の死亡保険しかねぇんだよ! 俺を止めてくれるな!!」
すると、意外なことに優子までが開き直る。
「ヒロくぅん? 止めるなんて誰が言いましたかぁ?」
「え?」
「だけどさあ、ヒロくんがそこから飛び降りても、ご遺族に保険金が降りないの、知ってる?」
「そんな筈はねぇ! ナケナシの金はたいて一番高けぇ保険に入ってんだぞ!」
優子は人差し指を立てて「チッチッチ」と横に振り、肩に下げてたトートバックから、分厚いブックレットを取り出して俺にとあるページを開いて見せた。
「これがヒロくんが契約してる、株式会社高井生命保険の契約書のコピー。第一九二条八五章の上から二十三行目に書いてあるの、読まなかった?」
「へ?」
「保険金目的の自殺行為には適応されませんって事」
なんだよコイツ、保険会社のセールスレディか?
「そんなクソ厚い電話帳みたいな契約書、全部読んでられっかっての!」
だが、優子の開いたページの指差した先に目を通してみると、確かに優子が言った通りの文言が書いてあった。
「ここをちゃあんと読まないで印鑑押しちゃったんならもう遅いけど」
迂闊だった。遺書には『この保険金で、みな達者に暮らせよ』って書いちまったっけ。
「ぐぐぐ」
優子はそんな俺を見透かす様に不敵な笑みを浮かべると、思わぬ提案を持ち出した。
「でも、いい事教えてあげよっかなぁ。ヒロくんがここから飛び降りて保険金がおりる方法が一つだけあるんだぁ」
ななな、なんだと! この期に及んでだが、ちょっと聞いてみたい。怖いけど。
「そ、それはどういう事だ?」
「私がヒロくんをここからホントにつき落とすの。
その行為は監視カメラにちゃんと記録されてるから立派な証拠になって殺人事件の犠牲者にご確定!
これでご遺族もタップリの保険金が出て一生ご安泰ネ♡
それにしても不用心ね、このホテルのセキュリティ」
その様な大それた事が、このか細い美女に出来る訳が無い。
「し、しかしよ。俺を突き落としたら優子、君が殺人犯に!?」
だが優子は平然とした顔で続ける。
「そん時はヒロくんはもう死んでるんだから、気にしなくていーの!
さあ、早くしないとイビキかいてる警備員が目を覚ましちゃうわよ!
覚悟は出来てるのよねっ!?」
怒濤の展開に思考が付いて行かない。
一体何がどうなっている!?
「待てっ! 何をする気だ!?」
優子は無言で俺に近づいて来るなり、ヘロヘロ足の俺を屋上の柵までグイグイ押しやると、思わぬ怪力でヒョイと俺の尻を抱え上げ、ホテルの階下へ真っ逆さまにドーンと放り投げた!
俺の身体から重力の感覚が無くなり、身体中が風を切り、スローモーションの様にホテルのガラス窓が下から上に通り過ぎて、コンクリートの地面が近づいて来るのが見えていた。
さっきまで死のうと思っていた決心がウソの様に消え去っていく。
「死にたくねぇ~~~~~っ!!」
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